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第9話:リスクの軽視、死んだら文句は言えない

 アレンがカウンターに叩きつけたのは、彼らが大金をはたいて購入したという、火竜装備の証明書だった。

 羊皮紙には、鍛冶工房を示す独特な刻印が押され、その性能を誇らしげに(うた)い上げている。


 なるほど。昨日の今日で、わざわざ製造元まで行って証明書まで発行してもらったわけか。

 その行動力と熱意だけは評価に値する。

 だが、方向性が間違っている。


 俺は申請書と証明書を手に取り、パラパラと確認した。

 書類上の不備はない。形式的には完璧だ。

 だが、俺が懸念しているのは『書類の不備』ではなく、『実用上の欠陥』だ。


「見ろ! 耐火性能Sランクだ! マグマだって防げる、最高級の『火竜の重鎧』だぞ。これのどこに文句があるってんだ!」


 彼は勝ち誇ったように胸を張る。

 確かに、素材のスペックは申し分ない。火竜の素材は高熱を通さず、物理的な強度も鋼鉄を上回る。鍛冶屋の仕事に嘘偽りはないだろう。仕様書通りに作られた、完璧な製品だ。


「ええ、耐火性能は素晴らしい。メーカー、いや、鍛冶屋の嘘ではないでしょうね」


 俺は証明書を机に戻し、彼らの全身を覆う、赤光りした火竜装備を見やった。


「ですが、問題は『中の人間がどうなるか』です。断熱性の高い瓶の中に熱源を入れて、外から蓋をしたらどうなります?」


 俺の問いに、アレンは眉をひそめた。比喩(ひゆ)が通じていないのか、あるいは認めたくないのか。


「はあ? 何の話だ」

「熱が篭もる、と言っているんです。人間は活動するだけで熱を発します。それを逃がす場所がなければ、あなたたちは自分の熱で茹で上がることになる」

「馬鹿言え! 中はひんやりして快適だぞ!」

「今は、ね。ここは空調の効いたギルドのロビーですから」


 ここは、エアコンのような空調機能を持つ魔導具が、常に快適な温度を維持しているのだ。

 しかし、ため息が出そうになるな。カタログスペックしか見ていない典型的なパターンだ。現場の環境要因がすっぽりと抜け落ちている。

 仕様書上の『最強』が、現場での『最適』とは限らない。そんな当たり前のことすら、目の前の数字に踊らされている彼らには見えていない。


「論より証拠だ。口で言っても納得しないでしょうから、『負荷試験』を行いましょう」

「負荷試験?」

「ええ。ちょうどギルドの訓練場には、環境調節用の魔導具があります。あれを使って疑似的に深層の環境を再現し、そこで少し運動してもらうだけです。……自信があるなら、断りませんよね?」


 挑発的な視線を送ると、アレンは鼻を鳴らして乗ってきた。


「はんっ、上等だ! 俺たちの装備が完璧だってことを証明してやるよ!」


 単純で助かる。


---


 ギルドには地下にも訓練場があり、耐久性に優れた部屋であるらしい。

 今回のように通常とは違う環境を想定して訓練できるようになっているのだが、驚いたことに全然使われていないらしい。出たとこ勝負にもほどがある。ならば、この俺が使い倒してやるとしよう。


 訓練所の外壁には、巨大な真鍮製の制御盤が埋め込まれていた。中央のダイヤルを回すと、カチッ、カチッと硬質な音が響き、魔力が籠った結晶の針がゆっくりと目盛を指し示す。

 俺はダイヤルをぐいと回し、温度を70℃の位置に固定した。これで、地獄の耐久訓練の始まりだ。


 厚い魔導ガラスの監視窓の外で、俺とルティアは待機していた。

 興味本位で窓に手を触れてみるが、触れた指先から内部の熱気は微塵も伝わってこない。驚くべき遮熱(しゃねつ)性能だ。


「へえ、大した断熱性能ですね。中の熱を逃さないということは、外への影響もないと」


 便利なものだ。これなら重力を百倍にするような修行空間や、時間の流れすら操作する異空間を作ったりもできるのだろうか。そんな非現実的な空想に少しだけ頭を遊ばせる。

 異世界の技術体系は、時折こちらの物理法則を嘲笑うかのような挙動を見せるが、熱や冷気に関する物理法則だけは平等に働くらしい。


 中では、フル装備のアレンたち5人が、余裕の表情で談笑していた。


「では、戦闘を想定した運動負荷をかけます。スクワット、開始」


 外壁の石柱に備え付けられた伝声筒に声を送ると、アレンはふんと鼻を鳴らした。


「はん、こんなの余裕だ!」


 彼らは掛け声と共にスクワットを始めた。

 最初のうちは、確かに楽勝ムードだった。魔力で補助されているとはいえ、全身を重い鎧で固めているというのに、動きはまるで羽根のように軽い。さすがBランク上位、見かけ倒しではないようだと俺は評価した。


 だが、異変はすぐに訪れた。


 開始から5分が経過すると、アレンたちの動きが、まばらに鈍り始める。

 額に脂汗が滲み、呼吸が荒くなる。自慢のフルプレートアーマーの通気性の悪さが牙を剥き始めたのだ。体温の逃げ場を失った熱が、鎧の内部に効率よく蓄積されていく。彼らは今、自らの金で買った高級な蒸し焼き器の中にいるようなものだ。


「……カツラギさん」


 隣で見ていたルティアが、魔導ガラスにへばりつくようにして、不安げな声を上げた。


「あの方たち、顔色が……。本当に大丈夫なんでしょうか? もう少し温度を下げてあげては……」


 彼女の眉はハの字に下がり、本気で心配しているようだ。自分を追い出した相手だというのに、このお人好しぶりには頭が下がる。


「大丈夫ですよ。彼らは今、希望通り『限界』と戦っている最中です。言ってみれば、自分という素材を高温で鍛え直しているわけです。調理工程で言えば『下茹で』ですね」

「し、したゆで……?」

「ご安心を。本当に意識を失って倒れるようなら、強制停止します。私は鬼でも悪魔でもありませんから」


 俺は淡々と告げる。別に殺したいわけではないからな。


「ここで安全な『小さな地獄』を味わっておけば、本番で取り返しのつかない『本当の地獄』を見ずに済む。……これでも、彼らの生存率を上げるために、最大限の配慮をしているんですよ」

「そ、そう……なんでしょうか。カツラギさんの優しさ、なんですね……」


 10分が経過。

 汗が止まらない。だが、蒸発もしないため、気化熱による冷却が機能しない。鎧の中は高温多湿の熱帯雨林、いや、圧力鍋の中身に近い状態だ。

 魔法使いの男が、ふらりとよろめく。厚手のローブが仇になったか、限界が近そうだ。


「あっ! 今、よろけましたよ!?」


 ルティアが悲鳴のような声を上げ、俺の袖をギュッと掴んだ。


「もう止めましょう、カツラギさん! きっと限界ですっ、これ以上は……!」

「まだです。意識レベルは正常。自分の足で立っています」


 俺は冷徹に観察を続ける。ルティアの懇願にも、視線は外さない。


「今、止めるのは簡単です。ですが、彼らが挑むのは赤竜(レッドドラゴン)ですよ? 本番のダンジョンマスターは、彼らが『暑いから待ってくれ』と言ったら、ブレスを吐くのを止めてくれますか?」

「……そっ、それは……」

「止めてくれませんよね。なら、ここで『暑さで思考力が鈍る感覚』を体に叩き込んでおくことが、唯一の免疫になるんです」

「……めんえき……」


 袖を掴む指先に、さらに強い力が込められる。

 彼女はもはや言葉もなく、祈るような眼差しで、彼らの無事を見守り続けていた。


 15分が経過。

 もはやスクワットの体を成していなかった。

 アレンの顔色は茹で蛸のように真っ赤になり、目は焦点が定まっていない。意識が朦朧とし、足がもつれている。

 典型的な、そして重度の熱中症の初期症状だ。Bランク冒険者の頑強な肉体も、体内から暴走する熱エネルギーには勝てないらしい。


「……ストップ」


 俺が終了を告げると同時に、アレンはその場に倒れ込んだ。

 慌てて兜を脱ぎ捨て、床に這いつくばって喘ぐ。


「はぁ、はぁ……死ぬ……暑い……!」


 湯気のような熱気が、彼の体から立ち上っていた。


---


 通路の長机にずらりと並べておいた水差しは、瞬く間にすべて空になった。

 それでも「足りない」「もっと持ってこい」と喚くものだから、ルティアが弾かれたように駆け出してしまった。


 止める間もなかった。

 自分を「役立たず」と罵り、尊厳を踏みにじった連中だぞ。

 それなのに、彼らが苦しんでいるというだけで、彼女は反射的に手を差し伸べてしまう。

 彼女は、骨の髄まで『聖女』なのだ。


 あんなことを言った奴らに優しくしてしまうなんて、お人好しにも程がある。

 俺は冷え切った視線を、足元のアレンに向けた。


 リストラしたはずの『不要な人材』に、ライフラインの供給を依存する経営判断。

 自ら切り捨てたリソースに命を救われるとは、随分と斬新なコストカットだ。

 もしこれが企業なら、株主総会で吊るし上げられるレベルの背任行為だな。


「……ただの、準備運動不足だ」


 アレンは震える手で空になった水差しを握りしめ、濡れた口元を手の甲で拭いながら言い放った。


「本番では魔法で冷やすし、冷却剤もたくさん持ち込むから問題ない」

「お、おいアレン。俺の魔力でそこまで長時間の常時冷却なんて無理だぞ」


 魔法使いの男が慌てて反論するが、アレンは聞く耳を持たない。


「元々短期決戦想定だろ。そもそも時間をかける理由はねぇし、ドラゴンまで持てば大丈夫だ。大体暑さなんて冷却剤で何とかなる! ここまで来た俺たちならできるだろ?」


 典型的な根性論への逃避だ。

 論理的な欠陥を、精神力でカバーできるという妄信。ブラック企業の経営者がよく陥る思考パターンだ。「気合でなんとかしろ」と言われて、本当になんとかなった試しなど一度もない。


 その時、ポンッ、という間の抜けた音が響いた。


 俺が視線を向けると、後ろでへばっていた魔法使いが、震える手で瓶を煽っていた。我慢の限界を超えたのだろう。

 彼が傾ける透明な小瓶。その中で揺れる液体は、毒々しいまでの蛍光ブルーだった。


 ――あの色には、見覚えがある。


 先日、街の武具店で見かけた『即効冷却剤』だ。『極甘フレーバー』を売りにしていた、あの怪しい代物。

 案の定、煮詰めたシロップのような甘ったるい香りが、瞬く間に周囲へ充満していく。


「……冷却剤と仰いましたが、部下の方が飲んでいる、あの青い液体のことですよね?」


 あくまで事務的に淡々と指摘する。


「短期間にあれを大量に摂取して、身体は大丈夫なんですか? 過剰摂取(オーバードーズ)による急性の副作用も心配ですし、連続使用は身体に耐性を作って、肝心の効果を薄めてしまうかもしれませんよ」


 俺はそこで一呼吸置き、まとわりつく甘い空気を払うように、鼻先を手で扇いだ。


「それに、魔物の生態に詳しいわけじゃありませんが……一般的に、虫というのは嗅覚を頼りに甘い匂いに集まる習性がありますよね?」


 アレンの顔を覗き込み、あくまで一般論として問いかける。


「もし、それと同じ習性を持つ魔物がいるとしたら。……これだけ強烈な甘い匂いを撒き散らして、ただで済むとは思えませんね」


 だが、俺がリスクを並べるほど、アレンは頑なになっていく。


「リスクを背負うのが冒険者だろ! 安全な場所で計算してる事務屋に、俺たちの覚悟が分かってたまるか!」


 『安全性の欠如』を『冒険者の魂』という言葉にすり替え、強行突破を宣言する。


 ……頭が痛くなってきた。

 本音を言えば、ここで力ずくでも止めるべきだ。だが、俺には彼らの『覚悟』とやらをへし折る権限がない。彼らが拒絶する限り、俺は彼らの命綱にはなれないのだ。


「……分かりました」


 俺は感情を押し殺して事務モードに切り替えた。

 止まらない車を無理に止めることはできない。ならばせめて、彼らが事故を起こした際に、ルティアやギルドまで巻き込まれないよう、最低限の防護壁を築くしかない。

 たとえそれが、ひどく後味の悪い仕事だとしても。


 俺はしゃがみ込み、小脇に抱えていた木製の画板から、一枚の羊皮紙を取り出して差し出した。


「なんだ、こりゃ?」

「『特別免責同意書』です」


 俺はペンで差しながら淡々と内容を読み上げる。


「ギルドは装備の危険性を警告しました。それを無視して出撃した場合、事故の責任は全てパーティにあります。そして救助が必要になった場合、懲罰料金として、費用は通常の10倍とします」


「じゅっ、10倍!?」

「ええ。リスクを承知で挑むのですから、当然のペナルティです。また、支払えない場合は、装備の回収権はギルドに帰属します。借金のカタとして没収させていただくということです」


 アレンは顔を真っ赤にして、ペンをひったくった。


「上等だ! 救助なんて頼むかよ! 俺たちは勝つんだ!」


 怒りに任せてサインをし、羊皮紙を俺に投げつける。

 激情が起爆剤となり、アドレナリンが全身を駆け巡ったのか。彼らは先ほどの疲弊が嘘のように、足音荒く通路の奥へと消えていった。


 入れ違いに、新しい水差しを抱えたルティアが、階段を駆け下りてくるのが見えた。


「……ご安全に」


 俺は、誰にも届くわけではないその言葉を、ただ虚空に呟いた。


---


 荒い足音が遠ざかって完全に聞こえなくなると、嵐が去った後のような静寂が、通路に満ちていく。

 ルティアは、なみなみと注がれた水差しを抱えたまま、彼らが消えた角を呆然と見つめていた。

 行き場を失ったその水は、彼女の報われない善意そのものなのかもしれない。


 やがて、ルティアは水差しを抱き直すと、俺の方へ歩み寄ってきた。

 俺も小さく息を吐き、痺れかけた膝を伸ばして立ち上がる。


「……行ってしまいましたね」


 寂しげな彼女の言葉に、俺が答えようと口を開きかけた、その時だ。


「行かせとけ」


 ズシリと腹に響くような、野太い声が通路に轟いた。


「ひゃうっ!?」


 不意打ちのドスの利いた声に、ルティアが間の抜けた声を上げる。

 抱えていた水差しの中身が、あわや零れるところだった。


 俺も心臓が跳ね上がるのを抑えつつ、声のした暗がりへと顔を向けた。

 いつの間にいたのか。通路の奥から、オルガがぬっと姿を現した。


「お、オルガさん!? いつからそこに……」

「最初からだよ。ま、出る幕もなさそうだったからね」


 オルガはニヤッと笑い、顎で通路の先をしゃくった。

 ついでとばかりに、ルティアの手から水差しをひょいと掠め取る。

 そのまま容器の縁に口をつけると、豪快に喉を鳴らした。

 相変わらず行儀が悪い。


「……ふぅ。なあ、アタシが言ったら聞いてたと思うか?」

「……はい、そうですね」


 俺は動悸を鎮めながら答える。

 オルガなら、力ずくでも止められたかもしれない。だが、彼女はそうしなかった。


「冒険者稼業ってのは、究極の自己責任だ。前に死にかけた『暁の剣』だってそうだな。たまたまルティアがいたから助かったが……あれで死んじまっても、誰にも文句は言えないんだ」


 オルガの声には、数多の死線を見てきた者特有の、冷たくも重い響きがあった。

 大人は、自分の選択の責任を自分で取らなければならない。それが死であっても。


「そうですね。しかし管理者としては、未然に防げるなら何とかしたいと思っています」


 俺は同意書を画板に閉じながら答えた。

 彼らを死なせたくはない。だが、失敗から学ばせる必要はある。そのためには、痛い目を見てもらわなければならない時もある。


「ああ、そこは頼りにしてる。……まぁ、あいつらが泣き言を漏らした時のための『回収部隊』の手配は、アタシがやっておくから」

「……よろしくお願いします」


 赤竜のいるダンジョンはここから遠くない。深層へのポータルを利用するなら、明日の朝一番でクエストに出発するとして、昼には最奥に辿り着けるだろう。

 そして、赤竜との対決。灼熱の環境に、あの冷却剤か。


「彼らが生きて戻れるとしたら……早くて明日の昼下がり、といったところか」


 俺の予測が正しければ、昼頃には救難信号が届くはずだ。

 さて、確定した未来の残業に備えて、準備を始めるとしようか。



読んでいただきありがとうございました。

明日も19時に更新しますのでよろしくお願いいたします。


次回『第10話:デスマーチ、優秀な人間は道具に依存しない』

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