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ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリッッッッ!!!
「んあっ……?」
泥の中から這い出るような感覚。
ほとんど無意識の動作で、枕元に置いていたうるさく音を鳴らすスマホに手を伸ばした。
「あー、うるっせぇアラームだなぁ」
ここでようやく変な夢から覚めた直後であることを理解した。どうりで気分が悪いわけだ……。
で、アラームを消そうとスマホの画面を見てみると、
「あっ!?」
画面には『中野さん』の文字が。アラームかと思ったら電話だった。
「なんだなんだぁ?」
戸惑い半分、喜び半分。だいぶ前から鳴ってたかもしれない。早く出ないと切られてしまう、と焦って電話に出る。
「も、もしもしぃ」
寝起きで焦っていたからうまく口が回らなかった。
『……寝てた?』
遠慮がちだったが、やはり中野さんの声。なんで俺に? もしや間違い電話?
「うん。完全に寝てたわ」
『ごめんね~。お昼近いからさすがに起きてるかと思ったんだけど』
「どしたん?」
『急にごめん。タマ、今日暇かなって思って』
「え」
俺の意識は一気に覚醒した。テンションが上がったのだ。
……が、すぐに下がる。どうせなんかの手伝い要因に駆り出されるんだろうな。学校のくっだらない雑用とかに。
しかし違った。
『たまには二人でどっか行かない?』
テンション上がってきたぜええええええええええええっ!
……が、すぐに疑問がよぎる。そして再びテンションが下がる(というか元に戻った)。
「なんかあったのか?」
『ん? 何もないよ』
「そうか。あいつとケンカでもしたのかと思ったんだけど。それで憂さ晴らし、いや、気晴らしに俺を誘ったんでは」
『そんなことないよ~』と中野さんは苦笑した。『私、今日一人で暇だからさ、タマなら予定空いてるかもしれないと思ってなんとなく電話したんだけど、もしかして忙しい?』
「忙しいわけねーじゃん、この俺様が」俺はようやくいつものテンションを取り戻した。「俺も今日は暇で暇で死にそうだったんだわ。喜んでどっか行こう」
『じゃあ決まりだね。今からそっち迎えに行くから』
「い、今から?」
俺は布団をめくり、思わず自分の股間を見た。完全なるご立派様状態。もちろんこれは中野さんと喋って興奮したからではなく、単なる生理現象なんだが、今からここに来られてこれを見られたらさすがにマズいですね……と思ったけど、あの人、別に部屋まで来ないだろうし、着替えてトイレに行くまでの間に俺の海綿体も干潮になりますよね、常識的に考えて……というかなんでこんなくだらないこと考えたんだろ俺。我ながらいてててて。
「じゃ、じゃあ、待ってるから」
『わかった。待ってて』
電話を切った。
――どういう風の吹き回しだ? こんなこと今までなかったのに。
時計を見る。もう十時。ん? じゃあ俺は一体何時間寝てたんだ? というか昨日何時に寝たっけ……。記憶にない。
まあいいや。下に下りてトイレに行って水を飲んで歯を磨いて(親が買ってきた)よそ行きの服に着替えてリビングでウロウロした。具体的に言うと、テレビモニターの前のソファの周りをぐるぐる歩き回っていた。
「そわそわそわそわ……」
「ちょっ、邪魔なんだけどっ!」とソファでゲームやってた夢花が俺に言った。「今テレビでゲームやってるのが見えない?」
「ああああ緊張するわぁ……そわそわそわそわ」
俺は早足でソファの周りをぐるぐる回った。
「あーもー! じゃまじゃまじゃまーっ! あっ、やっ、うがぁっ! パリィしくじったぁ!」
夢花がソファに座ってジタバタしながらコントローラーをガチャガチャする。モニターでは女性キャラが陵辱されるかのように異形の魔物から触手でバカスカ叩かれていた。ハメ技を食らったように見える。
「こんな内容だからこのゲームって薄い本がいっぱいあるんだな」
「うるせー! どっか行け、このエロ魔人っ」
夢花が立ち上がって俺の尻を蹴る。こいついつも兄の尻蹴ってんな。モニターには『ゲームオーバー』の文字。俺が邪魔せずともこいつはゲームが下手クソなんすよ。
「そういや、みんなは?」と俺は、うううと悔しそうに唸ってる夢花に訊いた。
「みんなぁ? みんなはそれぞれ活動してるよー」
「あっそ。じゃあ平和な日常ってことで、おk?」
「おーけーおーけー。私以外はねっ」夢花様が俺をジト目で睨む。
「俺、これから出かけるから、好きなだけそこで平和にゲームやってていいぞー」
「出かけるぅ? まーたあのアホとアホの集まりそうなとこに行くんでしょ」
「いや、あのアホの彼女と出かけるんだワ」と俺はやや自慢げに言った。
「え? どういうことどういうこと?」夢花がコントローラーをテーブルに置き、身を乗り出す。「あのアホの彼女って、なんて名前だっけ……中川さん?」
「中野ね。……ちょっと用があって、出かけることになったんだワ」と俺は多少の嘘を交えて答えた。
お互い暇だから一緒に遊びに行くことになった、とは言いづらかった。……なんとなく。
ふーん、そう(無関心)、と言ってゲームの続きに戻るかと思いきや、
「ふーん……。で、どういう風の吹き回しでこんなクソ兄ちゃんを誘ったんだろうね」と夢花は尚も尋ねた。
「いや、それは貴様には関係なしなんで」
「ふーーーーーーん……」
夢花はしばらく俺をじっと見た後、再びコントローラーを手に取った。
……なんか気分悪いな。女の勘でいろいろ探られることがこうも不快だとは。俺は逃げるようにしてリビングから出た。
天気がよかったので、玄関の外にある鉢植えに水やりでもしながら待ってることにした。うちには小さな庭があるが、猫の額ほどの芝生と小さな木が植えられてるのみ。あとは鉢植えの植物が少しあるのみ。近所の古い家は庭がデカくてビビる。その分管理が大変らしく、家主が高齢でまともに手入れされていない庭はジャングルのようになっていて不気味だった。うちがそうであるように、最近の家は庭が小さいか、ないかのどちらかだ。近所の新しい家はみんなそうだ。多分、庭付きの家が金持ちのステータスだとされていた時代が終わって、利便性を重視する現代へと変遷した結果なのかも。俺の単なる予測だけど。
珍しく真面目なことを考えていると、道路の向こうから小走りで女性が向かってくるのが見えた。玄関前の段差に腰掛けていた俺は、面接前にイスに座って待っていたときに面接官が「お待たせしました」と言いながら来て慌てて立ち上がるバイト応募者のようにすっくと立ち上がった。
中野さんはやや息を切らせながら、
「おまたせー。外で待っててくれたんだね~」
「いや、中にいると妹がうるさいから」
「そうなんだ。じゃあ、もう、準備いい?」
「いいっすよ」
俺は歩き出した。とりあえず駅方向の道路を歩く。
中野さんが俺の隣を歩く。ハーフパンツにTシャツ、それプラスいつものスポーティな視線。
「……………………………………………………………………」
いざ二人きりになると何を話せばいいかまったくわからなくて、相手が喋ってくれるまで黙っていると、
「ここっていいよね~、駅と学校に近いから。一番都会だよね」と中野さんが期待に応えてくれた。
彼女は俺の部屋の窓からも見えるマンションの上層階に住んでいた。
「中野さんのマンションって結構新しいよね」
「新しくはないよ。もう三十年近くになるし。親が新婚の時に建てられたみたい」
「そのわりに綺麗だよな」
「タマの家に比べたら全然でしょ。いいよね~、新築の一戸建てで」
「新築って言っても……下の妹が私立の小学校に合格したのをきっかけに建てた家だから……えーと、八年くらい経ってんのか」
「充分新築じゃん、それ。……ところでさ」中野さんが歩きながら俺に体を寄せる。「カラオケでも行こっか?」
「……行かないです」と俺は躊躇いながら答えた。
中野さんの提案なら、それこそ「うんうん」と全肯定したいところだが、俺のような歌にまったく興味のないやつがしかるべきその施設に行くべきではない。
ところが彼女は言った。
「よかった。私も行きたくなかったから」
「行きたくなかったのかよ。じゃあなんで行こうとか訊いたの」
「だって、タマもあいつみたいにカラオケでアニソン歌いたいのかなって思って。それに私、友達と遊ぶときも毎回カラオケだから、ちょっとうんざりなんだよね。歌とか全然知らないのに」
「あいつ、ね。赤坂と遊ぶときって、どこ行ってるの?」と俺は言葉に詰まりながら言った。
「ん~?」中野さんの顔から感情が少し消えた。「まあ、いろいろ。カラオケとか」そして俺以上につっかえつっかえで答える。
「そう」
なんかあんまり訊いて欲しくなさそうだったので、俺は黙った。そしてまた相手が何か喋り始めるまで待つことにした。陽キャの中野さんなら会話が途切れる心配はあるまい。
「……」
「……」
だが途切れてしまった。二人黙って住宅街の道路を黙々と歩く。遠くでどこかの家の子供が遊ぶ声が聞こえる。車が通る音や、開け放たれた窓から聞こえるテレビの音も。
「明日、大丈夫?」と俺は階段を五段飛ばしで降りるような決意で以て尋ねた。
「え? なに、いきなり」と中野さんは苦笑。
その様子だと、もしかして忘れてる?
「俺の家で、中野さんカップルと愛美の四人で、勉強会するって話なんだけど……」
「ちゃんと覚えてるよ~。午後からタマの家に集合だっけ」
「部活あるんだよな。無理して来なくてもいいよ」
「ううん、行く。部活ね~、実はもうあんまりやる気なかったりして」
「え、マジ?」
「マジ。だって今日も練習だったけど、サボったんだよね~」
「それはまたなんで」
「ま、その話はどっかの店に入ってからにしよ。お腹すいたでしょ? さっき起きたばっかで何も食べてないみたいだから」
ぐおおおおおおっ……。ちょうどいいタイミングで俺の腹が叫んだ。それはいいんだが、
「うわっ、今すごい音したね~。ここに何か飼ってる?」
そう言って中野さんが俺に体を密着させて俺の腹を手でなでなでしてきたのはかなり恥ずかしかった。腹が爆音を鳴らしたことなんかより遙かにね。目の前には彼女のさらさらのショートヘア。言うまでもなさすぎることだがいい匂い。くんかくんかくんか。
「ちょっ、ばっ、恥ずかしいだろっ」と俺は照れ隠しで寒い演技をして彼女から離れた。




