プランC
「ハッ……!?」
俺は目覚めた。そして、ここはどこ、私は誰状態に陥った。
布団をはねのけていた。ここはベッドの上で、自分の部屋だった。
「うーん……? 目、覚めたのぉ……?」
「え」
隣に誰かが寝ていた。下着姿の女性だった。ショートカットで少し筋肉質の体で凜々しい眼差しの女性が。
「み、美加子……?」
「うん、美加子だよ」と彼女は微笑んだ。「寝ぼけてるね」
「そ、そうだな……。寝ぼけているというか、死ぬほど嫌な夢を見ていたというか」
「また? 最近はあんまりなかったのにね。どうしたんだろ」
「俺、お前にその話したっけ? 時折悪夢を見ることを」
「したよ、何回も。私と別れたり、私とまったく関わらないまま高校卒業しちゃう人生を歩むっていう寂しい夢を見るんでしょ?」
「そう。死ぬほど嫌な夢。もう二度と見たくない最低最悪な夢を二種類たまに見るんだよ。いつからあんな夢を見るようになったのやら……」
「きっと不安だからでしょ、将来のこととかが」美加子は俺の頭を撫でて、「でも、もう大丈夫。私がずっとついてるからね」
「お、おう。ところで今っていつの時代?」
「時代ぃ? 現代だけど」
「いや、何年何月っていう意味なんだけど」
「ああ、大学二年の終わりだよ。あ、もしかして今日が和泉の壮行会っていうことも、忘れてる?」
「えっ」
一瞬なんのことかさっぱりだったが、思い出した。和泉が上京する日だ。新幹線のホームで見送りに来てください、って強く懇願されたんだった。そうか、あいつ、今日ついに旅立つのか……。時計を見ると朝の七時。窓の外から見える隣の家の桜の木は蕾が開きかけている。
「じゃあ、もう準備しようか」
「そうだね」
俺たちは服を着替える。ベッドはよく見るといつの間にかダブル仕様……。俺たちは半同棲していた。
部屋を出ると廊下は静まりかえっていた。相変わらず忙しく配信業に携わっている莉茉は毎日夜遅くまで配信している。夢花は赤坂と上手くやっている。そのうち結婚するんじゃないだろうか。夢花は大学には行かずにバイト生活をする予定だ。
俺は一応真剣に大学生活を送っている。手を抜いて将来をしくじりたくないからだ。それと最近、ゲーム実況を始めた。「珠海さん、ものすごいイケメンボイスですし、向いてるんじゃないですか?」といういずみんのアドバイスに乗せられる形で始めてみたところ、意外にも配信業に適性があったらしく、適当にやっているのにもかかわらず登録者が増えていった。しかし莉茉のようにそれを本業にする予定はない。いつか家族を養わなければならない立場になるというのに、不安定な収入に頼るわけにはいかない。
朝食を食べていると夢花と莉茉が起きてきた。いずみんは9時半の新幹線で発つ。
「いずみん先生がいなくなると、寂しくなりますね、お兄さん」と莉茉は泣きそうな声で言った。
「いや、全然」
最近のあいつのストーカー具合はすごかった。ほぼ毎日家に来てちょっかいだしてくるし、匿名でやってたのに、俺がゲーム実況を始めたこともリマエルの配信で暴露しやがった。そのお陰で俺のチャンネルも注目されたんだけど、自己顕示欲のない俺にとっては迷惑でしかないんだよなぁ……。
「タマのことが好きなんだったんだよ、きっと」と美加子は正妻の余裕の笑みを浮かべて言った。
「こんなクソバカ兄ちゃんのどこがいいんだろうね。あ、別に中野さんに見る目がないとかじゃないですよっ」と夢花が焦りを見せる。
「いいよいいよ~」と美加子は再び正妻の笑み。
駅前に赤坂と愛美が待っていた。赤坂は頭にタオルを巻いて、作業服を着ていた。既に立派な社会人。
地元の専門学校を卒業する愛美は、ピアノ講師をやりながら地元でスタジオミュージシャンをやるらしい。晴れて希望どおりの仕事に就けた、というわけだ。
「おう、エンディングだよ全員集合、ってか」と赤坂は相変わらずの屈託なき笑み。「しっかし寂しくなるな。地元の巨星がいなくなるって思うと。お前も正妻戦争が終結して寂しいだろ?」
「そういうの、いいから」とラブコメにもはやまったく興味のない俺は言った。
入場券で改札を通り、エスカレーターでホームまで上昇。スーツケースを手に持ったいずみんがベンチに座っていた。
「早いっすね。発車までまだまだなのに」
「バッチェ気合い入ってますからね~。向こうに行ったら天下取ったるで~」
「まあさすがにトップ層には敵わないだろうけどな」と俺は煽った。
「なんですと~? 私のSNSフォロワー数とVTuberチャンネルの登録者数を見て言ってるんですかぁ?」
「なんとかさんとかなんとかさんの方がすごいしなぁ。でも大手箱のVと共演してブイブイ言わせてる絵師様を越えろよ。お前ならできる」と俺はいずみんの肩に手を置いた。
「た、珠海さんっ! 好きですっ!」と俺に抱きつくいずみん。
「はいはい、よしよし」と俺はいずみんの頭を撫でた。
いつもは適当に頭をポンポンするだけだったが、今日だけは愛おしむようにして撫でた。まるで恋人にするかのようにして。
「この流れ、何回目かしら」と愛美が苦笑。「中野さん、いいの?」
「ん~? 全然いいよ~。タマは私だけのものだし」
「昨日も愛し合ってたもんね~?」と夢花が俺をからかう。
「うおおおおおおっ!」といずみんが突然俺から離れて咆哮する。「燃えてきたぜえええっ! 絶対日本一の絵師になったるでええええええっ! こんな泥棒猫をぎゃふんと言わせるくらいにっ!」
「こいついつもキャラがブレてんな」とさすがの赤坂も呆れる。
「先生、頑張ってください。そして東京へ行ってもよろしくお願いします」と莉茉が握手を求める。
「もちろん! 私と莉茉ちゃんは終身契約してますから、もし他の絵師にグッズイラストを頼んだら違約金を一億ほど払ってもらいますんで!」
「家帰ったらお前と交わした契約書全部燃やしておくから」と俺は言った。
そして新幹線がホームに滑り込む。いずみんが乗車口に立つ。
「それではみなさん! 行って参ります!」いずみんが敬礼。
一番近くにいた俺にはわかった。その目にはうっすら涙が。
俺は思わずいずみんの両肩を掴んで、俺たちのことはもう忘れろ! 天下を取るまでここに戻ってくるな云々の青臭いセリフをぶつけようかなと一瞬思ったが、すぐに思いとどまった。どうでもいいからだ。こんな奴が成功しようがどうしようが。というか、俺がどう言おうとこいつは一生勝ち続けるだろう。こうして若い頃から実力と名声を得ている奴が人生の途上で凋落して貧困に堕することは極めて稀で、たとえ炎上したとしても既に財産を築いているから食いっぱぐれることもない。現に淫行や痴漢といった罪で一時的に干されるバカなクリエイターはいるが、無二の実力やセンスを持つ奴らを業界が放っておくことはなく、名義を変えてしれっと復帰しているはずだ。いずみんもイキらずにはいられないその欠陥人間的性格で以ていつか必ず炎上するだろうが、替えが効かないセンスを持っているが故に一生安泰だろう。とっとと俺の前から消えろ、と俺は別れの場で感傷的になって涙目のいずみんから一瞬もらったもらい泣きをすぐさま振り払ったのだった。
そんなことを考えていると、
「和泉先生、ばんざーいっ!」莉茉が珍しく大声で言った。まるで照れ隠しのように。
「ばんざーいっ!」と夢花が両手を挙げた。
赤坂と美加子と愛美は恥ずかしかったのか、普通に拍手だけしていた。
「ありがとう、みなさん! それでは、さようなら!」
彼女は俺たちに背を向け、列車に乗った。ホームに鳴り響くけたたましい発車ベル。心地良い機械の音をさせながら滑り出す列車――。美しい光景だった。が、その美しい光景は俺の人生にはまったく関係なかった。俺がこれから歩む人生とはあまりにも真逆過ぎる。良い悪いの話ではなく。
「さて、久しぶりにみんな集まったことだし、どっか行こうぜ」
赤坂が先陣切って歩き出し、それにみんなが続く。
俺は一人その場に立ち止まって仲間たちの背中を見つめていた。これこそが俺の世界だな。
「いい選択肢を選びましたね」
横で声がした。顔を向けるとそこには我が愛する天使様がいた。モニターの中のリマエルとまったく同じ外見の少女が。
「これが俺の選んだ道だ」
「つらく、厳しい道ですよ? 実は三つの選択肢の中で、これが一番つらいんですけどね。まあ、あなたが選んだのですから、後悔はしないでしょうけど」
「するわけないだろ」と俺は言った。
「それなら、もう私の出番は終わりですね。……さようなら」
そう言うと天使は微笑みすら満足に残さずに消え去った。まるで最初から存在しなかったかのように。……本当に存在しなかったのかもしれない。いや、奴はいた。俺の中に。




