11
「どこ行ってたんだよ~」
扉を開けるとそこには妹の尻キックがあった(名作文学雑パロディ)。
「お前いちいち尻、蹴るなよ」
「だって愛美さんとの約束すっぽかしたじゃん」
「は? な、なんのことだよ」
「今日愛美さんとここで遊ぶ予定だったんでしょ? なのに兄ちゃん勝手にどっか行ってさ、バカじゃね」
「いやそんな約束してないと思うんだが……」
そう言って急に不安になった。最近変な夢を見たりするし、もしかして俺の記憶違い? 今すぐ愛美に確認するのは怖かったので、
「いつ来たんだ? 愛美、なんか言ってた?」
「昼過ぎくらいに来たよ。『近くに寄ったから来てみたんだけど、タマくんはいない?』ってね」
「なにぃ? それじゃあ愛美は単にアポなしで寄っただけじゃねーか。ビビらせやがってこのクソ妹っ!」
パンッ! と俺は夢花の尻を蹴った。軽くね。
「いでっ! あーっ! ポリコレ違反だーっ! 打ち切りだ打ち切りだーっ!」
「何が打ち切りだよアホ。お前が俺をからかったのが悪いんだろ!」
廊下を走って逃げる夢花を追いかけ回し、追いつく度に俺は尻を蹴った。もちろん軽く。
「いてっ、いちいち蹴るなーっ! この女性蔑視主義者! あーもー、完全に打ち切りだよこの物語!」
「だからわけわかんねーこと言うなよ!」
普段俺の尻を蹴りまくってるくせに、いざ自分が被害者になると怒りを露わにする自分勝手さよりも、夢花のそのメタっぽい発言が妙にひっかかり、俺は内心の不安を払拭するかのように尚も夢花を追いかけ回した。
「ぎゃーっ! 犯されるーっ!」
本気で逃げ回る妹を、走って逃げる獲物を狩りたくなる野生の本能で以て追い回した。そして俺は調子に乗って追いついた妹の胸を背後から揉みしだいた。体は小さいのに、けっこうでかかった。
「ぎゃーーーーーーっ!?」すると妹が事件性のある叫び声を上げた。「おかあさーん! 兄ちゃんがセクハラするんだけどーっ!」
「うわっ、母上いるのかよ」
俺は慌てて妹を離した。
「いるよバカアホボケ。部屋から出てくるなクソキモ兄ちゃんっ!」
妹はプリプリ怒りながらリビングに消えていった。さっさと消えろ。
俺は部屋に戻ってまったりした。母親は夜ほとんど家にいないので、夕飯は自分たちで作る。今日は珍しく母の味を味わえるというわけだ。別にいらないけど(親不孝)。
それにしても今日は楽しかったな……。久しぶりに生を実感しましたね。ま、できれば性も実感したかったけどね(ニチャア……)。
俺はご機嫌なテンションでパソコンを立ち上げ、夕方の雑談配信をしているリマエルのチャット欄に、
『ヌルゲー人生乙』『運良く上層階級に生まれてよかったねwww』『毎日三回神に感謝しないと地獄に墜ちるぞ、三回だよ三回、あくしろよ』『詐欺師』『ペテン師』『薄っぺらいエンターテイナー』『定期自動引き落としシステム配信者』『搾精配信者』『復帰配信集金詐欺女』『バカ』『アホ』『学校行け』
などといったラインを越えまくった悪罵を書き連ねていった。
若い情熱と熱意があれば人はなんでもできるんやなって。やっぱ恋だよ恋。恋こそが人間の原動力なのかもしれない。ということはその恋の本質である性欲こそが人を行動に駆り立てるのかもしれない。まあ正確に言うと三大欲求だわな。結局人間の目的ってこの三つを満たすために、いや、ためだけに生きてるんでしょうね。それ以外は単なる暇つぶしの余興。つまりこのリマエルとかいう詐欺師も単なる暇つぶしの道具でしかない。そりゃそうだ。例えば災害や有事で生きるか死ぬかの瀬戸際のときにこんななんの役にも立たない雑談配信なんか誰も観ねぇわな。そういったことをこのペテンVのリスナーは自覚してるんだろうか。それとも家の周りで銃撃戦が行われている中でもこうして雑談配信で、「うんうん」とかコメントしたりするのだろうか。まあ愛国的なリスナーは「今からお国のために戦って参ります! リマエル様から激励のお言葉を賜りたいと存じます!」みたいなコメントはするだろうけどね。それにしてもこいつら盲目的リスナーは自分より年下の(中高生リスナーも結構いるけど)少女にどうしてこうも従属的になれるんだろう。事大主義っていうのかな、カリスマ性の高い人間に従っていれば余計なことを考えなくて済む分、楽なんだろうけど、それは果たして自分の人生を生きているといえるのか。まあどうでもいいか、他人のことなんか。
そんなことを考えながら俺が、『お前ら年下の女に貴重な金と時間貢ぎすぎなんだよ、バカじゃねぇの?(嘲笑)』とコメントしたところ、
「他のリスナーの悪口はやめなー。許しませんよー」
それまでチャットをスルーし続けながら雑談をしていたリマエルが、早口で、しかし冷静な口調で怒った。
不覚にもビビる俺。ええ、かなりビビりましたとも。
いつもほんわか、たまに毒舌のリマエルがリスナーを直接叱ったのは、多分これが初めてだった。俺は動揺し、背中に冷や汗。ずっと隠していた悪事が親に見つかってしまったような気分。
リマエルのアバターは怒り顔になり、それまで流れていたスムースジャズみたいなムーディーなBGMも止まった。本気で怒ってるっぽいのに配信の演出はちゃっかりしてるんだ? とその計算高さにイラッときた俺は、震える指を無理矢理動かして、『偽善者』と打ち込んだ。
するとリマエルは、
「偽善者でもなんでもいいです。でも他のリスナーの悪口は絶対なしで。私言いましたよね? 悪口の対象はあくまでも私だけって。リスナー同士口論するのは、まあいいですけど、さっきみたいに何も悪くない人を一方的に罵るのだけはNG。このルールを守れない人はブロックしますんで」と毅然とした態度で言った。
言い切るとアバターの表情が普段の小悪魔的微笑に戻り、ケニーGみたいなBGMもまた再生された。
――なんだなんだ?
いや、俺はこの前お前のリスナーから一方的に罵られたんだけど……と思ったけど、あれは俺が先にひどいコメント打ったからみんなの反感を買ったからかな……。
ところでリマエルが普段とは違う表情を見せたというのに、チャット欄は平常運転だった。
『うんうん、リマちゃんの言うとおりだね』『はーい』『気をつけまーす』『みんな仲良くしよ?』
さっきリマエルが静かにキレた時、これはこの配信の直後にまとめサイトで、
【悲報】悪口歓迎系VTuberついに限界に達するwwwww
みたいな感じで面白おかしく取り上げられるな、と俺は自分のハンドルネームが大々的に晒されるのを覚悟したんだが、そんなことにはならなそうな気配だった。
この配信者って本当に人気なのか? チャット欄の連中って実は全員関係者なのでは?
そう訝しんだ俺は、
『どうせチャット欄の奴らはBOTだし同接も捏造だから、俺はいくらでもリスナーの悪口言ってやんよ』
と書き込んだ。
だが次の瞬間、パァン! と何かが大破するような音がパソコンのスピーカーから鳴った。リマエルが台パンしたのである。俺はイスから飛び上がるほど驚いた。ぬぉっ、という情けない声も口から漏れた。
「次そういうこと書いたら、ブロックしますよ!」とリマエルが、底冷えのする低音ボイスで言った。
俺は釘バットで殴られたようなショックを受けた。
ひぃぃぃ……。俺は心底ビビりまくり、全身がカタカタと震えた。シャツは冷や汗でびっしょり。塩をかけられて弱りまくったナメクジの気持ちがよくわかりましたとも。やっぱり俺って社会的弱者なんやなって。だから俺は慌ててブラウザを閉じ、パソコンをシャットアウトしようとしたんだけど手が震えてマウスがまともに操作できなかったので電源ケーブルを引っこ抜いた。こんなパソコン、別に壊れてもいいし。あー、俺って何やってもダメだな。
そうして弱者の遺伝子を持って生まれたことに苛まれていると、「たまみ~ごはんよ~」とまさに劣等遺伝子を植え付けた張本人からの呼びかけが下の階から聞こえてきた。いや、俺のこのバカさ加減は父親譲りらしいんだけどね。母親自身がそんなことを言ってたから。「珠海はあのバカに似てなんの取り柄もないみたいね~」ってね。しかもよりによって中学という多感な時期に。当然、俺はブチ切れましたとも。その時は夕飯時で、怒りにまかせてテーブルをひっくり返して俺を侮辱した母が作った料理をおじゃんにするという暴挙に出ることも可能だったが、幼い妹二人がいる手前それは憚られたので、多少怒気を含んだ声で母に抗議するに留めましたね。俺って自制心が効いてるなぁ。普通、反抗期に親からそんな存在否定みたいなこと言われたらバット殺人ものやで……。でもまあ親は普通に謝ったから許してやった。俺って寛容だなぁ。だから今日もありがたくふるさとの味を味わいたい所存であります、とイキりつつ部屋から出ると、
「お兄さん、ちょっといいですか?」
部屋の前でボブカットの女の子が何か言いたそうな表情で突っ立っていたので、うへっ、と俺は思わず変な声を出した。
「な、なんだよ」
「さっきみたいなコメント、やめてもらえますかね」と中学二年の妹の莉茉が真顔で言った。
「な、なんのことかな」と俺は震え声で強がった。
「他の人をバカにするようなことです」と莉茉は突っ立ったまま真顔で真剣に言った。
「お、おう。悪かったよ」と俺はぎこちなく頷いた。「でもなんだってそんな怒るんだよ。やっぱあれかな、自分を担ぎ上げてくれる信者が大事だってことか。ま、あんだけお金いっぱいくれるお客様だからな、そりゃお前は丁重に扱うわな」
「それもありますけど、そういうことじゃないです。お兄さんも昔お母さんにバカにされたとき、激怒したじゃないですか。それと同じことですよ」
あ、俺のさっきの過去回想と繋がった、小説としての評価+114514点。まあ俺が紡ぐこんなクソ物語なんか誰も読みませんがね。
「前から思ってたんだけど、なんでお前って悪口歓迎みたいなあんな低俗路線で行こうって思ったの?」と俺はついでに尋ねた。
「それはお兄さんが言うように、私が単に運がいいだけで成功したからですよ。そういう人は人から妬まれまくっても仕方がないというのが私の持論です。かといって嫉妬に任せるままその人本人に悪口を浴びせるのはルール違反なので、その腹いせの対象を私が一手に引き受けようと考えたんです」
「それは正義感とかじゃなくて、今まで誰もやらなかった新しい路線を取り入れれば話題になると思ったからだろ。偽善乙」
「偽善でいいですよ。たしかに、そういう打算もありましたしね。でも人の役に立ちたいという気持ちに偽りはないです。お兄さんみたいに日頃VTuberに対してイライラしてる人の捌け口になるのも社会貢献の一環だと思われるので」
「要するにネット上の殴られ屋ってことかね。うーん、超低俗。辞めたら? そんな仕事」
「辞めません。私の勝手ですし、私の役割だとも思っているので。なぜなら私はどんな悪口を言われてもまったくなんとも思わない性格だからです。私にとって言葉なんか気にしなければ無意味なものですから」
「そりゃお前は心身共に満ち足りまくった生活してるからな、他人になんと言われようと平気だろうよ。個人情報晒されたりしない限りは」
「だから私は、一度は迷いましたけど、もうしばらくは罵倒歓迎路線を続けますよ」
「あっそ、はいはい」
俺は莉茉を横切って階段を下りて手も洗わずに食卓についていただきますも言わずに箸を付けて母親が微妙に怪訝な表情を向けるのを盛大に無視してむしゃむしゃむしゃむしゃとタダ飯を食らってやった。文句あっか。ちな、食卓に並ぶ食材費の一部は莉茉が稼いだもので、つまり俺は四つ年下の妹に食わせてもらっているようなものだった。莉茉の収入は今のところ母親が全額管理しているのでそういう計算になる。
「ところで明日友達が来るからお母様はどっか行ってて、どうぞ」と俺は親不孝スキルを発動した。
新聞社とかいう偉そうな機関に勤めておらっしゃる母上は、来週月曜日が休刊日の関係で明日一日オフのはずで、ともすると下手したらずっと家におられる可能性があらせられ、我が友人達との睦言の障害になり得る故、我は母を阻害したのだった。が、母上は、明日は一日中、自室にてレトロゲームの研究にいそしむので貴様は心配せずともよろしい、とのこと。やったぜ。二度と部屋から出てこなくてもいいぞい。
「お母さん、明日私と一緒に配信しましょうよ」と莉茉が言った。「いずみん先生が、お母さん用のアバターも作っておいたので」
「あ、なーほーね。最近ママと一緒に配信する女性V多いしね。にーんじん。貴様もその流行に乗るってわけね」
そう言った俺に、莉茉が軽く睨む。なんか文句あんの? 本当のことだろ。
しかし矢面に立たされるのが大嫌いなタイプの母は、莉茉の誘いをにべもなく断った。顔出しではなく、たとえアバターでも死んでも配信には出ないとのこと。そういうとこ、ワイに似てますね。
「明日……もしかしてあのアホも来るの?」と夢花が我が親友を侮辱した。
「来るよ。だから風呂入るとき、下着は洗濯籠に入れるんじゃなくて俺の部屋に置いておけよ。あいつへのお土産にするから」
「どうせなら売ったらどうですか」と莉茉が爆弾発言。
「いや、あいつんち貧乏でかわいそうだし、タダでプレゼントするわ」と俺はチャリティー精神を発揮した。
「おめーらいつか地獄行くよね、絶対」と夢花が真顔で言った。「つーか莉茉ちゃんって常識ぶってるけど実は家族で一番ヤバいと思う」
「そりゃ一流アーティスト(笑)はすべからくサイコパスってそれ一番言われてるから」と俺は新聞社勤務で日本語に自信おばさんに当てつけるようにして言った。
だが母上は俺を無視して莉茉に、「絶対失言はしないように、お母さん、責任取れないから」と釘を刺した。
どうでもいい夕飯場面終わり。
寝る。




