5/初めての魔法、≪ヴィジョン≫
「うお……」
『はへえ~……』
天井につり下がったシャンデリアが辺りを明るく照らす。床に敷かれたワインレッドの絨毯が品よく来客を受け止めている。ヒロが宿泊している宿の2、いや3倍くらいの広さだろうか。といってもヒロの宿はベッドと机が1台ずつ詰め込まれているだけの簡素な部屋なのだが。
それでもヒロの感覚からすれば十分に広かった。3人くらいは余裕で泊まれるのではないだろうか。そんな部屋を独り占めする主は机の上でなにやら作業をしていた。
「できた。ヒロくん、明かりを消してもらえる?」
「明かりって、その……ど、どうやって……?」
「どうって……ほら、そこ。ちょうどヒロくんのすぐそばの壁にこれ見よがしな石板がうまってるでしょ?」
「石板?」
そこ、と指さされた場所に目をやるとすぐに目当てのものはみつかった。灰色の10センチ角くらいの石の板が壁にうまっていた。
だが石、といってもやけにつるつるしている。研磨されているのだろうか。光をきらりと反射して待ち構える彼が、ヒロのよく知る石ころと同じ素材とは到底思えなかった。
「触ってみて」
「こうか? あ」
『ひゃっ』
石板に触れたとたん、シャンデリアが沈黙した。ふっと光が消え、大きな窓から差し込む月明りだけが部屋を優しく照らしていた。
「ありがと。じゃあ、こっちに来て」
「おう……?」
こっち、と手招く姿はかろうじて見えた。ヒロは薄暗い部屋の中、おそるおそると歩みを進める。
「はい、あくしゅ」
「ん?」
「手。握って」
「こうか?」
言われた通り何度目かの握手を交わす。しかし、今度は皮の手袋は外していた。素手同士の接触だ。そうすれば、今までとはまた違った感想になる。
確かに全体的には柔らかい。が、それは屈強な戦士と比べた場合の話だ。
フレンの手のひらは硬かった。手には複数のタコが出来ている。このタコの付き方は良く知っている。農作業の鍬や鎌では出来ない、剣士特有のものだ。
とてもよく鍛え抜かれた手だった。ほぼ我流ながら剣術を使うヒロにはそれがよくわかった。
(フレンは肉体に筋肉が付きにくいジョブか体質なのかな? ここまで鍛えるのは大変だっただろうに……。凄いな……)
思わず意図的にこれまで避けていたフレンの表情をのぞき込む。暗闇とフードが邪魔をしてはっきりとは見えなかったが、その奥で理知的で静かな眼光が輝いていた。
なんとなく表情自体は見てはいけない気がしていたので、思わず内心ほっと胸をなでおろす。
そんなヒロの事はいざ知らず、フレンは淡々と言葉を紡ぐ。
「想像して。強く思い浮かべて。故郷の姿、街の風景、みんなの顔。思い浮かぶかぎりのせいいっぱいで故郷を求めて」
「へ?」
「はやく」
「お、おう」
何やらわからないが、言われた通りにする。ヒロは目を閉じ、数年前にみた故郷に思いをはせた。
田舎道。
乳をくれるヤギたち。
卵をくれる鶏。
いたずら好きの子供たち。
ボロいくせになぜか神聖な雰囲気だけは失われていない教会。
怒ったシスターの顔。
それを見て優しく微笑む神父さま。
歳の近かった2人の友人。
歳の離れた4人の子供たち。
おれをしごいてくれた先生。
そして、肉体があったころのレナの笑顔。
いろんなことを思い出しながら、これであっているのかと少々不安になる。しかしヒロにはどうすることもできない。なにせ、これから何が起きようとしているのかにさっぱり心当たりがなかったのだから。
むむむ、と目を瞑り唸るヒロを見たフレンの表情がゆるんだ。優しい微笑を浮かべながら、フレンは鋭く呟いた。
「──精霊たちよ、お願い。力を貸して。オープン、《ヴィジョン》」
「んなっ──!?」
『ひゃっ!?』
フレンが小さく、それでいて鋭く何かを唱えた。
言葉に反応し、ヒロは目を開く。
閃光。
そして、何かが割れたような乾いた炸裂音が鳴った。
そのまばゆさにヒロは思わず目を瞑った。
恐る恐る再び目を開いたとき、息をのんだ。
机の上に、『何か』が開いていた。空間が裂け、亀裂の奥に別の風景が見えたのだ。
「これは──?」
「ねえ、ヒロくん。ここに見覚えがある?」
「見覚えって……あっ!?」
最初はよくわからなかったが、目を凝らすとすぐにわかった。
小川だ。
みんなで洗濯をし、遊び、水を汲んだなじみ深い故郷の近くを流れる小川だ。
「『バジン川だ……!』」
「うん、成功かな?」
「すっげえ、なんでこんなところに……?」
「ふふん。すごいでしょ」
『フレンちゃん、すっごー!』
得意げに胸を張るフレンをよそに、ヒロの視線は裂け目の先に釘付けになっていた。
なんだこれ。何がどうなってるんだ。
「凄いなんてもんじゃ」
「これが魔法だよ。もしかしなくても、初めてだったり?」
「うん……初めてだ」
「それはなにより。さて、ここはとてもじゃないけど教会には見えないかな」
「そりゃそうだ。ここはただの近所だ」
「でしょうね。ガイドして」
「ガイド?」
「どっちに進めばいい?」
「す、すすむ?」
「例えば……こっちとか」
こっち、とフレンが軽く手を振った。すると裂け目の奥の世界がするすると前進していくのが見えた。どうやらこの視点は自由に操縦できるらしいことを直感で理解した。
ガイドとは文字通り、道案内の事だろう。そしてフレンの言葉を思い出す。『会わせてあげる』。となれば、案内すべき先は一つ。
教会だ。バジン教会に行ける。
ばくばくとヒロの心臓が興奮で早鐘を打つ。はやる気持ちを抑えつけながらフレンに指示を出す。
「違う違う、そっちじゃなくて反対だ」
「反対? こっちかな?」
「そう! そっちだ。少し進んで」
「すすんで、っと」
「その木を左」
「左ね。それっ」
ヒロの言葉通りにフレンは手を振り、それに連動するように視点が切り替わっていく。
次第に面白くなって来た。ヒロは上機嫌でフレンに指示を繰り返す。
見覚えのある景色たちが次から次へと映し出され、ヒロは自分の気持ちが高揚していくのを感じた。魔法を見たのはこれが初めてだったが、肌が理解していた。
(おれは進んでる。帰ってるんだ、いま。故郷めざして)
「その木を曲がったら森を抜ける。そこがゴールだ!」
「おっけー。あれだよね?」
「早く!」
「あはっ、もー。急かさないでよ」
興奮するヒロにつられ、フレンの空気も柔和になっていた。いたずら少年を見守る保護者のような優しい瞳がヒロを包んでいたことは本人の知る由もなかった。
──帰れる。見れるんだ、故郷が!
──げんきしてるかな、みんな……!
わくわくする気持ちを抑え、フレンをせっつく。そしてついに森を、抜けた。
「……あれ?」
すぐに違和感に気が付いた。どういうことだ。
「……?」
フレンが不思議そうにヒロをのぞき込む。しかしヒロの目線は裂け目の奥にくぎ付けだ。
おかしい。
思い描いていた故郷と違う。
故郷はたしかに過疎地ではあった。教会の利用者も少なかった。だが、少なくともこんなに寂れてはいなかったはずだ。
「……なあ。そういや聞いてなかったんだけど」
「えっ? なに?」
「この魔法って、どんな魔法なんだ?」
正しく情報を精査するため、これまで聞いていなかった魔法の『正しい能力』について質問をする。この前提が間違っていたらお話にならないからだ。
「あー! 確かに言ってなかったね、ごめんね。この魔法は《ヴィジョン》って言って、思い描いた場所の様子を覗き見ることができるんだよ」
「それって、リアルタイムなのか?」
「そっ。今この瞬間、遠い場所でなにが起きているのか分かるんだよ。すごいでしょ?」
得意げなフレンと違い、ヒロの表情は対照的だ。
嫌な予感がする。ヒロは自分の顔が引きつるのを感じた。
嘘だ。何かの間違いだ。こんなの間違ってる。
「……もうすこし進んで貰える?」
「いいけど……?」
きっと別の場所を除いているんだ。そうに違いない。
そう思い込みたいが、流れ込んでいる風景はどれも見知ったものばかりだった。
(おれはこの場所を知っている。間違いない、故郷のバジン教会へ続く道だ)
だというのに。今は夕方で、まだ就寝時間には早すぎるはずなのに。
人っ子一人、いない。
人間が見当たらない。
それどころか、人がいる形跡すらない。
放置された桶。あけっぱなしの小屋。伸びた雑草で薄れた道。すべてが想像と違う。違いすぎている。
「ヒロ、くん……?」
フレンがヒロの異常に気が付いた。何かおかしなことが起きている事を理解したフレンが心配そうに声をかけた。
ついに目的のバジン教会にたどり着いた。
たどり着いて、しまった。
フレンの纏う空気が変わった。つい先ほどまでの和やかな雰囲気とは打って変わって冷たい印象になった。
「……ねえ、ヒロくん。もしかして教会って、ここ……?」
「あ……」
辿り着いた。いや、正確には、『教会だった』場所に、だ。
草が伸び、教会内を侵食している。
毎朝の日課だった掃除はまったくされておらず、みるからにほこりっぽい。
中にはやせ細った野良犬が一匹、けだるそうに眠り込んでいるのが見えた。
なぜ。おかしい。
金を送っているはずだ。昔より確実に潤っているはずだ。なのにこれじゃまるで、滅んでいるみたいじゃないか。
「……魔法は」
「え……」
「魔法は、確かなのか?」
「う、うん……そのはずだけど」
声が震える。体温が急激に下がっていくのがわかる。
信じたくない。だが、短い付き合いだがフレンがこういう趣味の悪い冗談を言う人間でないことだけはわかっているつもりだった。重ねて言うが、ヒロは自分の審美眼には絶大な信頼を持っているのだから。
それに冗談にしては手が込みすぎている。フレンが知る由もない土地を、彼は完璧に映し出して見せた。操縦までしてのけた。フレンは間違いなく、ヒロのためを想ってこの魔法をつかってくれたのだ。
それが痛いほど分かるからこそ、残酷な冷たい感情がヒロの胸中を支配した。
「……いかなきゃ」
「えっ!? ちょっ、ヒロくん!?」
気が付いた時には駆け出していた。
体が動いた。おかしい。何かがおかしい。
数多に蠢く疑問の数々を解消できる可能性のある人物に一人だけ心当たりがあった。
暗闇の中だが、不思議なくらい迷いがなかった。最短ルートで出口へ向かい、扉を体でこじ開ける。
後ろでフレンが何かを言っているが、もうヒロの耳には届かなかった。目的を定め、ヒロは一心不乱に疾走する。
──金融屋。あいつだ。
あいつに問いただすんだ!
毎日、昼頃と夕方に更新します。これは1話目です。よろしくお願いします。