1/ヒロとレナ
最初
ざく、ざく。森の中で、ナイフが肉を削ぐ音が木霊した。
『ひゃ〜、くっさそぉ…』
「ああ、すっごいぞ。レビューしようか?」
『いいね。へいへいおにぃリポーター、このあん畜生の血はどんな香りですかっ?』
「こちらおにーちゃん、いつぞや先生に叱られておれたちが敷地30周走らされた後に駆け込んだ厠と似た香りがするよ」
『うえぇ……』
ざく、ざく、ざく。
妹とたわいない雑談をしながら獲物を解体して行く。
皮を剥ぎ、肉を削ぎ、モツを取り出す。血抜きの為、吊るしながらの解体はやはり色々とやり辛い。
「こいつ、鼻が曲がりそうなくらい獣臭いぞ……っと、くそ、もうかよ」
悪態を吐きながら脂まみれになって切れ味が落ちた解体ナイフを放り投げる。そして腰に手を伸ばし、新たなナイフを握りしめた。
解体中は獲物の脂ですぐに切れ味が悪くなるため、効率を上げるには複数本のナイフが必要不可欠だ。
『いーじゃん曲がる鼻があるならさあ?』
「……おい、その系統は笑えないって何度言ったらわかるんだよ」
『ぶー、いーじゃんけちー。おにぃも成ったら分かるよ、このレナちゃんジョークの面白さ』
「分かりたくないよ。ていうかいわれるおれの立場になってみろ、反応に困るんだってば」
『それが醍醐味じゃん?』
「……投げ捨てたろかこんにゃろう」
『ああああまって待ってまってー!!』
研ぎ終えてある未使用のナイフ、そのギリギリ最後の一本ちょうどで大まかな解体が終わった。あとは要らない所を適当に埋めて、必要なものを小分けし運びやすく纏めるだけだ。
おれは胸の上でわめく妹とじゃれながら解体を手際よく済ませると後始末に取り掛かった。
森には森のルールがある。猟った獲物は最大限有効活用し、不用な部分は土の肥やしにする。決していらない臓腑を無造作に川にぶちまけたりしてはならない、そんな事をすれば祟られてしまう……と教えられたのは何年前だったか。
正直解体の残骸を放置するのと野生の獲物たちの食べ残し、それらにそう差はないと思うのだが……先生に免じてずっと守り抜いている。
「うし。んじゃ、帰りますか」
『ますかー!』
地面に突き刺してあった使用済みのナイフ4本を抜き取り、さっと刀身をボロ布で拭う。べっとりとした油の手ごたえを感じながら血を拭き取るとその全てを鞘に納め、足元に投げてあったザックに仕舞った。
最後に大事な妹が首にぶら下がっていることを確認し、おれはザックを背負うと森を後にした。
+++++
「大銀貨3枚だ」
「少なっ!? おい嘘だろ!?」
おれは換金所で呻き声を上げた。
「嘘なもんか。今の相場はこんなもんだよ」
「5枚はいくだろフツー!?」
「諦めな。恨むなら俺でなく不景気を呪うんだな」
「ぐぎぎ……」
「で? 売るのか? やめるのか?」
「......4枚だ」
「3枚だと言った」
「おれのやつは食用とそうでないのの下処理を変えてある。使う時、そっちの手間は省けるはずだ。手間賃を要求する」
「ほう? …...ふむ」
ごそごそとおれの納品物を探り、ぎょろりとした視線がブツの上を這い回る。
「......3枚だな」
「てめっ、今おれの仕事を理解したよな!? 見逃さないぞ、今の間は!」
「…...何のことだ?」
「とぼけるな! いいぞ、そっちがその気ならここの悪評ぶちまけて街中歩いてやる」
「……大銀貨3枚と小銀貨5枚だ。これ以上は譲らん」
「……へいへい、まいど」
おれは渋々、といった表情を顔いっぱいに浮かべて取り引きに応じた。品物が手から離れ、代わりに銀貨が支払われる。
それを受け取るとそそくさと場を離れ、おれは1人ほくそ笑んだ。
「やりぃっ、ゴネてみるもんだなあ」
『あー。おにぃまたやってるよ〜』
「なんだよ、人をズルしたみたいに言うな。立派な交渉術だ」
最近の物価については事前に調査済みだ。おれの見立てだとこの獲物なら大体大銀貨3枚から4枚くらいが妥当だ。
店主が初手で最低価格を吹っかけて来るもんだから、わざとオーバーなリアクションをして揺さぶりをかけたのが功を奏した。
「欲を出し過ぎたのが敗因だよ、おっちゃん」
くっくっ、と笑いながらおれは呟いた。初手の値段提示自体は問題なかった。だが、その次の問答で明らかに手間賃の発生に気付いた間があった。あれが決め手だった。
あの店主、付加価値に気付いた上で踏み倒そうとしやがった。あとはそれを大義名分に付け込めばいいだけだ。
「小銭げーっと」
『んも〜。そんなんじゃ憧れのエクセリアさまにはなれないよ?』
「ばーか、エクセリア様はおとぎ話の英雄だ。おれはリアリティを追求した英雄になるから多少がめつくていいんだよ」
『あっきれた〜』
「へへっ。さて、メシ行くか!」
『おやつ代もあるしね?』
「今日は水じゃなくてジュースにするかっ!」
ちゃりちゃりと胸の妹を鳴らしながら軽く撫で、おれは食堂の扉を開けた。
いらっしゃい! という威勢の良い挨拶と共に素早く店員の1人が駆け寄ってきた。
「おひとりですか?」
「はい、ひとりです」
「あちらのカウンター席にどうぞ!」
おひとり来店だよー! と声を張りながらカウンターの一席を手で示す。おれはその通りに進み、カウンターに腰を下ろした。
『それじゃごゆっくりー』
「あいよ。また後でな』
妹と小声で会話すると、妹はそれっきり喋らなくなった。人目の多い場所で一点にとどまりながらネックレスに喋り続けるのは少しまずい。おれの大事な妹が盗人に狙われてしまうからだ。
お喋りは動きながらか、2人きりの時だけ。それがおれたちの決め事だ。
「ああ、腹減った。どれどれ、今日は何にしようか」
おれは舌鼓を打ちながら備え付けのメニューボードに目を走らせた。
山りんごのジュースと、兎のシチュー。うん、これがいい。
どろりとした濃厚な茶色いソースでほろほろに煮込まれた兎の肉を想像し、思わず笑みが溢れた。腹の虫もはやくしろとやかましい。
決まった。注文をしよう。
そう思い、改めて周囲を見渡した。
それにしてもやかましい。そう、この店はやけにやかましかった。
活気がありすぎるというのだろうか。客の声がのきなみデカいのだ。
だから自然と店員も声を張り上げるようになるし、そうすると客のボリュームも上がる。気づいた頃にはこのありさま、というわけだ。
これだけ騒がしければ妹と喋ってもバレないのではないか、と思わなくもない。が、変なの絡まれたくない。それに妹のレナとはいつも一緒なんだ、食事くらいは1人たって悪くない。
レナも分かっているようで、一切自発的な反応はなし。それでいいのだ、おれたちは。
「すいませーん」
というわけで、おれの遠慮がちな第一声は容赦なく喧騒に飲まれた。店員はホールに3人いるが、誰1人として気付いてはくれなかった。
━━くそ!仕方ないなあ、もう!
おれは大きく息を吸い込み、声を張り上げた。
「「すいませえええん!!」」
ハモった。誰だ。前か? 違う。横だ。横に座っている先客の人と被った。
思わず声の方を見る。目が合った、ような気がした。彼も同じ気持ちのようだった。
隣人は丈夫そうなフード付きのマントを羽織っていた。フードを深く被っているせいではっきりとした顔は見えなかった。目が合ったような気がした、とはそういうことだ。
「あっ、ごめんなさいっ」
フードの人は慌てて謝罪するとぺこりと小さくお辞儀をした。
「や、こちらこそ……」
釣られておれも会釈を返す。何故か謝られてしまった。彼は気が小さいのかもしれない。なんだか申し訳なくなってきた。
フードの人の声は少し高かった。だがこんな所に女の子が1人でいるとは思えない。少年じゃないだろうか。うん、きっとそうだ。若い少年の声だ。歳は顔がよく見えないので分からないが、おれと同じくらいか、もしくは年下の可能性すらある。
そんな彼におれは興味をそそられた。子供らしき人がフードを被り、1人で大人たちに囲まれて外食をする。人とは不思議なもので、見ず知らずの人にたったこれだけで強い親近感を覚えてしまうのだ。
「お待たせしました!オーダーですか?」
店員さんの人がおれたちに気付き、駆け寄って来た。
「はい。おれはこの山りんごのジュースと兎のシチューで。あと……きみは?」
おれはフードの少年?にバトンを渡した。
「へぇっ!? あっ、えっと、えーっと……この豚肉のソテーと野菜スープとパンで」
急に話を振られたのが意外だったのだろう。あわあわと少年は狼狽えた後、しどろもどろになりながらオーダーを済ませた。店員さんは笑顔を浮かべたまま流れるようにオーダーをメモに書き取ると、忙しそうに厨房へと引っ込んでいった。
「やあ、ここはやかまいしな」
おれは少年(仮)に声をかけた。
なんとなく。そう、なんとなくだ。
普段なら見ず知らずの他人に食事処で声をかけたりしないんだが、なんとなく少年の事が気になって声をかけた。
少年はぴくりと身体を硬直させた。
……まずったか?
やはり訳ありなのだろうか。あまり声を掛けられたくなかったのかもしれない。そう思い直し、申し訳なさそうに言った。
「あー……ごめんね、脅かすつもりはなかったんだ。歳の近そうなやつを見たのは久しぶりでさ、思わず声をかけてしまった。気にしないでくれ」
「……歳?」
おれの言葉が気になったらしい。少年がふたたびぴくんと反応した。
今度は先ほどの冷たい感じな反応ではなく、どこか友好的な『ぴくん』だったような気がした。
「男の子…?」
「そう。多分、きみと同じく未成年だ」
今度ははっきりと目があった。
フードからうっすらとのぞき込む栗色の前髪は眉より長く、少年の目元をフードと共に隠している。口元はマフラーで隠されておりよく見えなかった。
少年がこちらを向いた。フードの奥に隠された双眸が見えた。
綺麗な瞳だった。翠色の瞳が僅かな好奇心を携えてこちらを覗き込んでいるのが見えた。
少年は少し迷った後、ぽつりと漏らした。
「……なんでキミみたいな子がこんな所に?」
「そりゃ色々あってさ。イロイロだ」
わかるだろ?と肩をすくめてみせる。すると少年は口元を抑えながらくすくすと笑った。
「あはは、そうだね。イロイロないとこんな所いないよね」
「そういうこと。……お互い大変だな」
深い同情の意を込めて言う。どうやら伝わったらしく、少年はまたくすくすと笑った。
笑い声はとてもかわいらしかった。体格も座っているから正確には分からないが、おれより小柄に見えた。この分だと年下かもしれない。
ふと外の世界に放り出されたばかりの自分の姿を思い出す。右も左も分からず、頼れる人もいない。周りは好きあらはおれを騙そうとした。そんな苦くて、寒くて、辛い記憶。
この子もそれは苦労したことだろう。それなのに装備はしっかりしていそうだ。
外に出て3年、物乞いか奴隷以外で家庭に属していなさそうな、自立していそうな子供をみるのは初めてだった。
「お待たせしましたー」
「おっ」
「わっ」
おれがしみじみとしていると、料理が運ばれて来た。ゆらゆらと湯気が踊り、腹の虫を挑発しながら皿の中で最高の香りを撒き散らしている。
うん、実にうまそうだ。
少年の方を見る。顔色は相変わらず見えないが、声は嬉しそうだ。
肉にスープ、パンと一通り揃っていたが、ふと少年の前に足りないものがあることに気付いた。
「あれ? 飲み物はいらないのか?」
「うん、水で良いかなって」
「ふむ」
おれはちびりとジュースを口に含んだ。
さわやかな甘みは食事を邪魔することなく、それでいて酸っぱ過ぎずとても美味しかった。
うん。これならどんな料理にでも合いそうだ。
「……すいません、追加でこのジュースをもう一杯いただけますか? それをこっちの人に」
「こちらですね。わかりました、少々お待ちください」
「へっ?」
「奢るよ。うまいぜ、これ」
「へえっ!? そ、そんな悪いよ」
「いいんだ。ちょうど臨時収入があったんだ、それに安いから」
「いくらだった? 払うよ」
「それじゃ押し売りじゃないか。苦労してるんだろ。おれも苦労したんだ、わかるよ」
「あ……」
「こんな所に一人でいるんだ、仲間もいないか少ないんだろ? 昔のおれを見てるようでなんか辛くってさ。……昔のおれへの選別みたいなもんだ、人助けと思って受け取ってくれると助かる」
そうこう言っているうちにジュースが届いた。困惑している少年に半ば強引にジュースを押し付けると、おれはニッと笑った。
「世間の理不尽さに乾杯!」
「……あはっ。もー。いいね、乾杯っ」
観念したように笑うと、少年は控えめに乾杯の音頭を返してくれた。
照れ臭さもあり、ジュースを一気に飲み干す。とても美味しかった。
それからおれたちはたわいもない話をした。最近の不況、魔物たちの増殖、生活の知恵から軽い愚痴まで。自分でも不思議なくらい自然に言葉が次から次へと浮かんだ。幸いにもそれは相手も同じだったようで、話の終わり頃にはすっかり意気投合していた。
「やー、食った食った。ご馳走様でした」
「ご馳走様でした。ボク、こんなに歳の近い男の子とお喋りしたの初めてだよ」
ひとしきり笑い合ったあと、少年がぽつりと漏らした。なんとなく個人情報についての話題はタブーな気がしたので一切触れていなかったが、どうやら歳が近いのはほぼ間違いないらしい。
「あはは、おれも久しぶりだ。メシも美味かったし良いランチタイムだったよ」
「あれ、キミも?」
「16そこらの旅人と喋る機会なんてそうそうないんだよ。わかるだろ?」
「あはっ、それもそっか」
毎日、昼頃と夕方に更新します。よろしくお願いします。
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