第7話:“親切心”でストーカー化した女性社員
あの人は、ただ「落とし物を拾ってくれた」だけだった。
最初のきっかけなんて、ほんの些細なことだった。
私は総務課で働く二十七歳の事務員。ある日、オフィスビルのエレベーターで名刺入れを落とした。中には取引先の名刺や、個人的なメモも入っていた。気づいたときには、もう遅かった。
でも翌日、それを届けてくれたのが、あの人――経理部の山田さんだった。
「これ、落とされてましたよ」
無表情で差し出された名刺入れ。けれど、その中には、封筒が一枚、挟まっていた。
——
そこには、こう書かれていた。
「困ったことがあったら、いつでも声をかけてください」
優しさなのか、ただの気遣いなのか。けれど、私には“救い”に思えた。
あの頃、私は孤独だった。
職場でも浮いていて、恋人も友だちもいなかった。
親とは絶縁状態。帰宅しても、狭いワンルームで天井を眺めるだけの生活。
だから、その言葉が刺さった。
私の存在を“肯定”してくれる誰かがいる。
たった一言で、私は山田さんに依存し始めた。
——
最初は、ちょっとしたお礼だった。
「この前はありがとうございました」って、お菓子を置いた。
次は、「疲れてるようだったので」と栄養ドリンクを机に。
それから毎朝、コーヒーを買って机に置くようになった。
メモを添えて。気づけば「週末はお出かけですか?」なんて、近況も聞くようになった。
でも、彼は明らかに距離を取っていた。
返事は「ありがとう」だけ。話しかけても、すぐに業務に戻った。
それが、私には耐えられなかった。
“あの時の優しさ”を、もっと返してほしかった。
——
それから、私は彼の後をつけるようになった。
駅のホーム、乗る電車、降りる駅。使うコンビニ。彼の一人暮らしのアパート。灯りがつく時間、帰宅の足音、洗濯物の回収タイミング――すべてが、私の“生活”になった。
怖かったのは、自分でも、それが「おかしい」と気づいていたのに、やめられなかったことだ。
彼の郵便受けに手紙を入れた。
「お疲れさまです。ちゃんと眠れてますか?」
「一人暮らし、寂しくないですか?」
返事は、来なかった。
当然だった。でも、私は止まらなかった。
ある日、彼の帰宅中、角を曲がった瞬間に鉢合わせになった。
彼は、怯えた顔をした。
そして一言だけ、呟いた。
「……もう、やめてください」
——
その瞬間、
すべての“物語”が崩れた。
あの優しさは、ただの社交辞令だった。
“困ってる人には声をかける”だけの人だった。
でも、私は勝手に、それを“愛”だと思い込んでいた。
ストーカー被害として社内で話が出回り、私は人事部に呼び出された。
事情を聞かれても、
「好意だった」としか言えなかった。
けれど、人事からの通告は冷たかった。
「あなたの行動は“配慮を超えている”と判断しました」
結果、部署異動。
周囲には「健康上の理由」と伝えられたけど、本当の理由は“監視対象”としてだった。
——
あの人は、たった一度、私を見てくれた。
けれど私は、自分だけの物語を作って、相手を“役”にしていた。
親切を、恋と勘違いした。
思いやりを、運命だと思い込んだ。
あの人の優しさを、私は殺した。
——
今も私は、別の部署で働いている。
昼休みは誰とも話さず、業務終了後はすぐ帰る。
“もう誰も見ないようにしよう”と決めてから、世界は白黒になった。
でも、それでいい。
少なくとも、誰かの生活を侵さずに済むなら――
私は、この孤独を受け入れる。
——
あなたなら、
優しさを、どこまで許せる?
誰かに笑いかけられたら、それを“好き”と誤解したことはない?
優しさは、人を救う。
けれど時に、それは――人を壊す。
そして壊されたのは、私のほうだったのかもしれない。
——
【懺悔投稿番号:#007】
【罪の種類:ストーカー行為、私的尾行、職場迷惑行為、境界認識の喪失】
【実話度:59%(推定)】