第12話:本当は死んでほしかった母へ
書き方を変えます。
懺悔者番号:A-012
記録者:管理人
母が死んだ朝、私は泣いた。
泣くふりをした。
隣室で冷たくなった母の体を見て、「とうとう終わった」と思った。それなのに、親戚が集まる前に鏡で何度も泣き顔を練習した。鼻をすすり、肩を震わせ、涙を拭う仕草まで、完璧に演じきった。
私は良い娘だった。そう信じ込んでいたし、他人にもそう思わせていた。
母は病気だった。慢性のリウマチが悪化して、数年前から寝たきりになった。それでも私が介護していた。毎朝、体を拭き、食事を用意し、排泄の世話をし、薬を数十錠数えて口に押し込む。それが日常だった。
でも、母が元気な頃は、違った。
あの人は、誰かに感謝するという概念を持たない人だった。私が学校で賞を取っても、「当然でしょ」。料理を作っても、「味が濃い」。少しでも反論しようものなら、「誰のおかげで育ったと思ってるの!」と怒鳴られた。
父は私が小学生のときに出て行った。理由はわからなかった。でも、今ならわかる気がする。逃げたのだ。あの女から。
中学、高校、大学、就職。どんな段階を踏んでも、私は母の鎖につながれていた。恋人を連れてきたこともある。けれど、母は「こんな甲斐性なしと結婚するつもり?」と本人の前で言い放った。私はその恋人と別れた。
それから私は、もう誰も連れてこなかった。
母が倒れて、寝たきりになってから、ようやく支配は緩んだ。けれど今度は別の鎖ができた。介護という義務だ。
介護は、愛ではない。義務だ。呪いだ。
介護保険の申請、通院の付き添い、ケアマネージャーとの面談、そして夜中に何度も呼ばれて尿瓶を持たされる日々。私は会社を辞めた。人生のすべてを母に費やすようになった。そうしなければ、私の中で何かが壊れてしまいそうだった。
ある日、母が言った。
「私が死んだら、あなた、どうなるのかしらねぇ」
あのとき、私は笑った。小さく、無音で。
「母さんが死んだら、私はやっと自由になれるよ」
その言葉は口から出なかった。でも、心の中で何百回も繰り返していた。
そしてある朝、目を覚ますと、母は冷たくなっていた。
前日と同じように薬を飲ませた。ただそれだけ。でもそのとき、私は一錠だけ、別の薬を混ぜた。持病の薬の中に、眠気を誘発する成分の強い鎮静剤を入れた。飲ませるとき、母は苦しそうに咳き込んだ。でも私は、「大丈夫」と言って、無理やり水を飲ませた。
私は殺してなどいない。ただ、少し、眠らせただけ。
でも、もしそれが死因だったとしたら?
私の中に、「そうであってほしい」と願う自分がいた。
それが、私の罪です。
あの人を殺したかった。
介護が辛かったからではない。
感謝されなかったからでもない。
ただ、憎んでいた。
心の底から、母という存在が憎かった。
私は、母の愛情を欲しかった。でも、一度も手に入らなかった。
だから私は、母を殺したかった。
でも今、母がいない日常は、空洞です。
自由になったはずなのに、私は部屋の隅で膝を抱えて泣いています。
記録者コメント:
あなたの告白に、言葉はありません。ただ一つ、伝えたいのは、「あなたがそう思ってしまったこと」もまた、罪ではなく、人間らしさの一部であるということです。介護という名の軟禁から、あなたがどうか解放されることを祈っています。
それでも、この懺悔は記録されました。
匿名という名の希望のもとに。
※この懺悔はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。