3:ハスティとモノペディ 上
時はエルルの民の死体をハスティ王女が処理したところまで遡る。
…ハスティ王女は自身の内なる奥底から何かが出てくるような…謎の高揚感と不安感に苛まれていた。久々だった。一目見ただけで、自分が怖気づいたのだ。何事にも怖気づかない強靭な精神力を鍛錬の末に獲得した自分がだ。
考えれば考えるほど本能で危険だと。彼の方向を見ることすら、脳がダメだと警告しているかのように。
「私が見たものは…一体何だったというのだ。」
スパイの処理を城内の使用人に任せ、身に着けていた防具を外し、ハスティ王女は夜風に当たりながら自身の部屋で1人休んでいた。
因みに私が呼ばない限り、使用人達には人前に出ないように伝えている。用が無ければ私の前にも姿を現さない。私がこの国のトップになった時に言い渡した王令で、王女1人にするのは危険という意見もあったが、一人でいる方が落ち着けるのだ。
「彼は間違いなく、この国の人間でないのは確かだ。確かなのだが…この国に最初からいたような感じがするのは何故だ?」
過去の記憶を遡ろうにも、あの”ナガミ”という男…。一切記憶にない。
住み慣れた”アクアパレッサ王国”は言うなれば、ハスティ王女の庭のようなもの。
毎日巡回をして国中を見て回っている。それでも”ナガミ”を見たことがない。
「感情の揺らぎを感じ取るだけで精いっぱいなのは生まれて初めてだ。あの男の姿を見ているだけでもやっとだった。」
何故カーチャーとドンテスは、面と向かって平気で話せているのか理解ができない。
それほどまでに、言動から存在まで何もかも異質な存在だ。
これが俗にいう、”異邦人”と呼ばれる存在なのだろうか。各地に派遣した者からの情報では、もう少しわかりやすかった気がするが…。
「なぁに、明日改めて聞いてみればわかること。防衛魔法に歪みがないか確認したら…もう休もう。」
ハスティ王女が行っている仕事は、国中を半日かけて巡回し問題がないかの確認、事務作業、そして戦争の流れ弾と悪意ある攻撃からの防衛である。
就寝前には必ず国中にかけられた防衛魔法と、自国に対する攻撃を確認し、幾重にもかけられた防衛魔法の強度を修復したり補強したりする。万が一歪みがあった場合は、防衛魔法の構築を変更する必要がある。
「ん?やはり攻撃があったか。忌まわしきエルルの民め。今日だけで8回か…」
攻撃の頻度は減っているものの、依然としてエルルの民は定期的に複数の攻撃を仕掛けてくる。
マイカス帝国は防衛魔法が張られていることを加味して、大砲での襲撃を潔くやめてくれているが…。
「それでも大魔法1発…。火器がダメなら魔法でということか。隣国の者たちは、どうにかしてでもアクアパレッサ王国を潰したいらしい。」
アクアパレッサ王国も戦争の対象とされている以上、エルルの民とマイカス帝国からの攻撃はあり得る話だ。しかし、だからと言って戦争に参加するつもりも要求を呑むつもりもない。そしてなにより国民には血を流してほしくない。
今は亡き父上からの大事な教えだ。国民がいるからこそ国が成り立つ。絶対に戦争などさせない。
彼女は父から受け継いだ”国民と国を守る意志”と”防衛魔法”を大切にし続けていた。
「ふむ…こんなものか。守ってばかりのこの現状も長く続けば諦めるかと思ったが…。今日は多めにかけておこう…。」
こうして王女の長い長いいつもの日常が終わる。
戦争が始まって2年…。毎日防衛魔法を貼り続け、神経を尖らせないといけない現状に、彼女は少し憔悴していた。
―――――――――――
裏庭に案内し、対峙してみて思ったことがある。
どう足掻いても勝てない。一見すれば隙だらけに見える男。
特に構えるでもなく、ただその場に立っているだけ。それなのに、何故”勝てない”と思えてしまうのか。
「ナガミよ、組手の先手は私がもらうぞ。」
「気は進まないが…どうぞ」
組手のルールは、どちらかが背中を地面につけば終了となる簡素なもの。ただし、身体強化系などの自分自身を強化する術は使っていい。
だが、何故だろう。戦士特有のオーラも見えなければ、魔法使い特有の身体強化系の魔法の痕跡もない。
こちら側は防衛魔法の応用で、全身に張り巡らせているというのに…ナガミのやつ、自身に強化を何もせずに組手を行う気なのか…?
自分のこめかみを汗が流れるのを感じる…。それほど神経が敏感になっている。
「ハスティ王女?」
どうやら思ったよりも待たせてしまったようだ。
何を迷っている…。体格差も私の方が上…女性としては複雑だが、有利なのは事実。
「あぁ、問題ない。行くぞ!」
防衛魔法を応用して全身を反発させ、一瞬のうちにナガミの懐に入り、こぶしを一発撃ちこむ。
ナガミは反応できていなかったようで、右手が何かに当たった感覚が…
「…!?な、なに!?」
あたったよな…?あったたのに何故…自分の右手が傷だらけになり、指の骨が2本折れている…?
おかしい…国を守れるレベルの防衛魔法で体をコーティングしているのに、防衛魔法を貫通して怪我をしている…!?
「は、ハスティ王女!大丈夫か!?」
ナガミは困惑しているハスティ王女に対して心配そうな顔でこちらをみる。
いつの間にか右手首をつかまれていた。
「あ、あぁ…大丈夫だ。この怪我ぐらい薬を使えば一発で治る…。」
「そ、そうか…。すまない。対応しきれなかった。」
「何故ナガミが謝るんだ?それに…対応しきれなかった…とはなんだ?」
「あぁ…。実は今ハスティ王女のこぶしにこぶしをぶつけたんだ。ぶつけた拍子に右腕が引きちぎられそうになったので、急いで右手首をつかんでハスティ王女をぶん回して力の分散をしたんだ…。それでも間に合わなかったようで、右手を怪我させてしまった。申し訳ない…。」
ナガミはハスティ王女の右こぶしを見ながら、申し訳なさそうな顔で謝罪をしてきた。
「は、ははは。そうか…。」
ナガミ…。私が認識できる速度を遥かに超越している。こぶしでこぶしを殴り返した一連の動きさえ見えなかった上に、私をぶん回した…?ぶん回された感覚ですら何も感じなかった…。
「ナガミ、お前…凄いな。正直勝てる未来が見えぬ…組手はここまでにしよう。
あと1つだけ付き合いを願いたい。そこに泥人形があるだろう?あれは防衛魔法をかける練習に使用した物なのだが…。”かけすぎ”たせいで、解除がなかなかに面倒でな。ナガミの力で破壊してくれないか」
組手を行った裏庭に、人間と同じぐらいの高さを持つ泥人形が置いてある。幼少期から防衛魔法の練習として行っていたものだ。
話によると先代である父の時代よりも前から泥人形は存在し、防衛魔法をかけられ続けた…。
ただ今となっては、泥人形よりも国そのものにかけているので、正直必要がない。
それに泥人形は訓練所に新たに作成しているので、裏庭の泥人形は邪魔でしかないのだ。
「いいのか?」
「問題ない。事実、解除するのにも魔力を使うのでな。破壊してもらえると助かるのだ。」
「わかった。とりあえず蹴ってみる。」
ナガミは勢いよく泥人形に向かって走り出した。
多分だが、ナガミならこの強固すぎる泥人形を破壊できるだろう…。
早すぎることもなく、遅すぎもしない…。緩やかな蹴りが泥人表に当たった。
「はっはっはっは!!!なんだそれは!!!はっはっはっは」
もう笑いが止まらなかった。
泥人形は蹴られた部分から空間事抉り抜かれたかのように、音もなく存在が無くなっている。
後ろに生えていた木も、根っこの部分から1mほどの高さが消えており、枝の葉っぱの部分だけが元の位置に鎮座していた。
泥人形も木も、えぐり取られたことにまだ気づいていないのか、不自然に宙に留まっている。
「まさか…いや、こうなるとは思わなかった。想像以上に俺は人間を辞めているらしい…」
ナガミが凄い意味深な発言をした。想像以上に人間を辞めているらしい…?
らしいということは本人には知らない部分で体の異常でも起きたのだろうか…。
「いや、問題ない。人間を辞めているのかもしれないが、これで安心してお遣いを頼めそうだ。」
「そういえばお遣いってなんだ?お遣いも俺のできる範囲でお願いしたい…」
「なぁに、簡単なこと。南にある”フレア・イントマス”に赴き、かの国の現状を探ってきてほしい。私は防衛魔法のこともあって国から離れるわけにはいかぬ。」
「フレア・イントマス…。南にある国か。探るってことは、何か起きたのか?」
「そうだ。1か月前まで連絡を取り合っていた、国の王女である”モノペディ”と連絡が取れないのだ。戦争中でも”フレア・イントマス”とは定期的に物資のやり取りをしていたのだが、音沙汰がない。それに加え、”フレア・イントマス”に派遣している調査員からの連絡も1か月前から途絶えているのだ。」
”モノペディ”は、幼少期からの友人であり、お互い国を支える役目を担っている”フレア・イントマス”の王女…。
彼女の”反射魔法”は、防衛魔法と同格レベルで扱いが難しいが、モノペディは難なく使いこなして国を守っている。
まさか、戦争に巻き込まれ戦争に加担せざるを得ない状態になっているのか…?”フレア・イントマス”までは数日かかるので、防衛魔法を維持しないといけない私が知ることも今となってはできない。
「なるほど、友好的な国の今を探ってこいってことか…。こちらも探し物が見つかるかもしれないからな…。なにか地図はあるか?」
「地図ではないが、この国にも”フレア・イントマス”の人間が一人いる。今は侍女として働いてもらっていてな。道案内も兼ねて、彼女を同伴させたい。待っていてくれ、今呼んでくる…。」
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