ブランの独白
家格も資産も裕福なマグリット侯爵家に生まれて、大人に教わった通り、私は幸福な人間なのだと何も疑うこともなく信じていた。
侯爵家が贔屓にしている商会を屋敷に呼び寄せて買い物をする。
その日起きた出来事は何も特別なことなどなく、いつもと変わりないと言って差し支えなかった。
『好きなものを選んでいいわよ』
ただ、お母様が妹に告げた他愛ない一言に、私の思考が停止しただけ。
好きなものとは何だろうか。私にそんなものはあっただろうか。そんなことを考えている内に、目に映る景色がいつの間にか色褪せていた。
それから、この世の全てが、社会という大きなカラクリを動かすための一つ一つの小さな歯車で、貴族も平民も変わらない、私もその一つなのだと理解した。
私は侯爵家を継ぐ男児を婿に迎えて、その相手を支えていく侯爵令嬢として生きなければいけなかった。
必要なことは皆が美しい愛らしいと言うものを微笑みながら愛でて見せること。知識や教養を持ちつつも、伴侶となる相手を常に立てて慎ましい女性であること。
私は、侯爵令嬢という歯車として与えられた役割を果たすための力を、着実に習得し発揮していた。
私はちゃんと上手に回っていたはずだった。
『僕は真実の愛を知ってしまったんだ。僕は彼女と結婚したい』
私の隣で回るはずの歯車が、その役割を拒否した。
カラクリが正常に作動するための働きを拒否して、好き勝手動きたいと告げてきた。
その時、これまで感じたことのない感覚が腹の底で渦巻いた。「許せない」という言葉が湧き上がってきた。
生まれて初めて、憎しみという感情を抱いた。
その時ふと、世界に色なんてなかったのだと認識した。
形の変わった歯車も填める場所を変えれば、カラクリを稼働させるためのパーツの一つになる。
存在するパーツが変わり、パーツの填め方を変えれば、カラクリの中に収まらないパーツが生まれる。
他のパーツを傷つける部品はいらない。排除するならそれを選ぶ。
正常に稼働するために、カラクリの中から閉め出された歯車は、もう何にも動かされることもない。切り捨てられたガラクタはただ眠るだけ。
そう、ナイフを一度突き立てるだけで、私はきっと眠りにつくことができる。