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とある侯爵家の一室で、1ヶ月後には結婚式を挙げる予定の2人が向き合っている。
2人の名は、侯爵令嬢がブラン・マグノリア、侯爵令息がミエル・ストリクトである。
この婚約は、同い年の2人が12歳の時に決まった。貴族にはよくある政略結婚だった。
2人が17歳になってから結婚式の準備は開始され、もう一年は経つ。式の準備のほとんどは既に終わり、今は細かな部分の確認調整を繰り返す日々である。
各々が社交界でも評判が高く、事が順調に進んでいるように思える2人だが、この2人の間に甘い空気が流れたことはない。それは、周囲が微笑ましく見守って作られた、今この2人きりの空間も変わらない。
「誠実で純粋なパルファと出会い、僕は真実の愛を知ってしまったんだ。僕は彼女と結婚したい。けれど、君と婚約破棄をするにしても、僕に原因があるとなれば彼女との結婚は難しい。だから、協力してくれないか?」
「それはつまり、婚約破棄の正当性を持たせられるほどの悪者に私がなれということですか?」
「……嗚呼、そういうことだ」
誰が聞いてもなんとも身勝手な話だ。
侯爵令息は己の欲望を叶えるために、侯爵令嬢に犠牲になれと言っている。
怒り狂ってもおかしくない願いに、侯爵令嬢は表情を変えることなく淡々と話を続けた。
「私と結婚しなければ、侯爵位を継ぐことは叶いませんが、よろしいのですか?」
「かまわない。彼女と共にあれることが僕の幸せだ。そのために、身分を捨てることになろうとも受け入れる」
覚悟があるように話しているが、侯爵令嬢に悪者になれと依頼してきたのだから、結局侯爵令息は自己中心的で他力本願な人間なのだろう。
侯爵家の三男として生まれ、家督を継ぐ可能性は低いからと学びに対しての甘い取り組み姿勢を見逃されてきた結果が、このちぐはぐさなのだろうか。
「真実の愛とやらは分かりませんが、その男爵令嬢は何があってもあなたと添い遂げる覚悟があるんですね?」
「もちろんだ。何があっても僕の側に居ると言ってくれた」
「そうですか。……分かりました。では、私も覚悟を決めて、あなたの望みを叶える行動をして差し上げます」
侯爵令嬢はにこやかに侯爵令息の願いを聞き入れた。
侯爵令息は話が思うように進んで満足し、それ以上侯爵令嬢と言葉を交わすことなく帰宅した。
この時の侯爵令息は恋に酔って正常な判断ができていなかった。
もちろん、己が馬鹿げた願い事をしていることに一切気付きもしなかったこともその1つだ。
何より、恨みか辛みか、せめて嫌味の1つでも吐かれたところで文句も言えないような状況で、侯爵令嬢がただ静かに微笑んでいるだけだったことの異常さに気付かなかった。
願いが叶うと浮かれた令息は、僅かな違和感さえも抱くことができなかったのだ。