1 焼き鳥で時短親子丼!
「あー。ビール飲みたいぃー。ひざ痛いぃ」
栗田玲奈はアパートの階段を上がっていた。
仕事はスーパーの裏方だ。今日は商品の棚卸し日だったから、かなり時間がかかった。
レジの打ち間違い、万引き……何かしらの原因によって、売れた数と在庫が合わなくなる。
35歳にもなるとリーダーのポジションに充てられるため、勝手がわからずまごついている新人のサポートにも入らないといけない。
なんとか作業を終えて退勤打刻をしたときには午後八時を回っていた。
日が落ちるのが早くなったから、外は真っ暗。
仕事は大変だけれど、家に帰れば一人で好きなものを作って、好きなテレビを見ながらゴロゴロできる。
十一月の関東とはいえ、この時間は肌寒い。けれど、ハイテクエアコンだから帰宅時間になるとつくように設定してある。
部屋の扉を開けた瞬間からポッカポカなのだ。
妙齢の女性なのに恋人はいないのか、と聞いてはいけない。
栗田玲奈は、色気より食い気。
合コンに行くより食い倒れするほうが好き。
金なし、胸なし、彼氏なし。三拍子揃った生粋の干物である。
(ふっふっふ。今日は焼き鳥で親子丼。焼き鳥は正義だ)
玲奈は意気揚々と、ぶら下げた買い物袋を振り回す。
昼休憩時に買っておいた、おつとめ品の焼き鳥とスライス玉ねぎ、刻みネギが入っている。
バッグのポケットに指先を突っ込んで、手触りで部屋の鍵を探す。
年季の入った鉄扉に鍵を差し込み、開けようとして、玲奈は異変に気づいた。
焦げ臭い。
玲奈の部屋より一つ奥まったところ。隣の部屋の換気窓から白い煙がもくもく立ち上っていた。
料理の香りではなく、確実に何かが焦げている悪臭。
すぐさま部屋に駆け寄る。
隣は、昨日引っ越してきたばかりの女性がひとり暮らししている。
「功利さん大丈夫ですか!? 火事じゃないですよね? 中で倒れてません!?」
玲奈がチャイムを連打すると、勢い良く扉が開かれた。
出てきたのは部屋の住人、功利彩夏だ。
彩夏は咳き込み、目に涙をためている。
「あ、お隣の、ええと、栗田さん! お騒がせして、ごめんなさい! 火事じゃないです。あたし、火加減間違えちゃったみたいで」
玲奈が中を覗き込むと、玄関脇のキッチンの鍋から白い煙がモクモクと立ち上がっているのが見えた。
靴を脱ぎ捨て、勝手に上がらせてもらって急いで火を消す。
流し台の蛇口を開けて一気に水を流し込む。
換気扇を最大出力にして臭いを外に出す。
「何を作ろうとしてたの?」
「え、えへへ……肉じゃが、になるはずだったんだけどな……」
彩夏は指で頬をかきながら、下手くそな笑顔を作る。
両手の指は血の滲んだバンソウコウだらけ。ピンクのネイルをした指は見るも無残だ。
鍋の中身は完全に炭化していて、肉じゃがだと説明された上でも肉じゃがだとわからない。
「前は食堂付きの社員寮で暮らしてたから、管理人の奥さんが作ってくれてたの。学生時代はパン買ってたし、食事はお母さんが仕事帰りに買ってくるお惣菜で…………ええと、つまり、実は一人で料理するのって初めて……で…………。情けない限り。あはは」
彩夏はしょんぼりと肩を落とした。
声はどんどんしりすぼみになっていく。
「なるほどね。料理が初めてなのに肉じゃがに挑戦するなんて勇気あるじゃない」
シンクの中には分厚く切られたじゃがいもの皮や、長く切りすぎた人参の頭が転がっている。
やる気があるのはいいけれど、技術が追いついていない。
「功利さん。食材、残ってる?」
「使い切っちゃった……。もう一回買いに行かないと」
「近所のスーパーはもう閉まっているわよ。うちに来なさいな。これから夕飯を作ろうと思っていたの。一人分作るのも二人分作るのも大差ないから」
「え!? いいの?」
「いいっていいって。困ったときはお互いさま。そのまるこげの鍋じゃ料理できないでしょ」
持ち手についている値札タグすら取っていない新品の鍋は、完全に焦げ付いていて復旧できそうにない。
彩夏は数秒考えて、玲奈のあとについてくきた。
「こたつに入ってテレビでも見てなさいな。すぐ作るから」
「そんなの悪いよ。お手伝いす……」
「その手じゃ無理でしょ。静かにしてなさい。作る前に聞いておかないとね。アレルギーはある?」
「ない。何でも食べられるわ」
「おっけー」
玲奈は焼き鳥をパックから出して串を抜く。
スライス玉ねぎをフライパンで炒めて、透明になってきたら薄めためんつゆで煮込む。
焼き鳥をフライパンに入れてちょっとだけ料理酒を垂らす。さらに煮込んで、溶き卵を回しかけたら出来上がりだ。
玲奈の好みで、半熟とろとろ。
ご飯は帰る時間に炊けるように設定してあるから、炊飯器は保温中のランプがついている。
丼に白米を盛ったら、タレごと卵とじをどーん! と乗せる。
マグカップにインスタントのシジミみそ汁を入れて、刻みネギを散らして余ったネギは冷凍庫に入れておく。
「はい、功利さん。できたわよー。焼き鳥の親子丼!」
彩夏の目がキラキラ輝く。
「すごーーい! 栗田さん、料理上手! しかも早い! いい香りいい香り〜! 」
「お惣菜コーナーの焼き鳥ってすでに火が通っているから、温め直すだけで食べられて便利なのよ。スライス玉ねぎも、カット済の上に一食分だから使い切りできる。しかも見切り品だからお金も節約できる。美味しいし、フードロス削減で地球に優しいし、一石四鳥?」
「これなら十羽くらい落ちてるよ!」
おつとめ品、見切り品、処分品。
買ったその日のうちに食べればなんの問題もなし。
「ほら、食べてみて」
「ありがと! いっただっきまーーす!」
彩夏は一口食べると、目を輝かせた。
レンゲと丼を持ったまま震えている。
「んんん! おいひぃい! 玉ねぎあまぁい! 透明になるまで火を通すとすごく甘いんだよね。焼き鳥もぷりぷりでおいひい! あたし、焼き鳥買ってもそのまんまカブりついちゃうから、アレンジしたことないんだよね。アレンジひとつでこんなに美味しくなるんだね〜!」
「酒にも合うわ。ビールも飲みなさいー」
「わーい。あたしも買っておいたお酒持ってくる!!」
いうが早いか自分の部屋に戻り、すぐに缶を抱えて戻ってきた。
「ただいま! ほら、新作の梅サワーとレモンハイ! わけよわけよ! コップも持ってきたんだ」
ジュースを四本買うとオマケでついてくる、アニメキャラのプラコップを持ってきた。
彩夏は梅サワーの缶を開けて二つのカップに半分ずつ注ぐ。
「梅サワーうま! 親子丼と合うー!」
「あら。お酒もかなりいけるクチね」
「もち!」
さっきまで鍋をまる焦げにして悲壮感漂わせていたのに、もう元気になった。
なんとも無邪気な子だ。
妹がいたらこんな感じだろうな、と玲奈は笑い、自分も親子丼を食べる。
「うん。いい味! 醤油タレの焼き鳥にして正解だったわね」
プシュ! とビールのタブを開けて一気にあおる。
「かーー! うんま! このために生きてるー!」
「ん! 染みるわ! あたしもこんなふうに作れるようにがんばる! だから栗田さん、あたしに料理教えて!」
「へ? 私が先生になるの? 今作ったみたいなアレンジ飯が主になるけど、いいの?」
「それがいいの! さっきも話したとおり、あたし、料理は全然なの。初心者でも作りやすくておいしいのがいい。得意な人に教わったほうが上達早い気がするし。ちゃんと食材のお金と料理教室代払うから、お願い!」
拝み倒されて、玲奈はお願いを受け入れた。
うっかりな失敗を繰り返したら、今度こそ火事になるかもしれない。
ちゃんと料理を教えたほうがいいと玲奈は考えた。
それに、彩夏と二人で食べるのは賑やかで楽しい。
「そうねぇ。時間が合うときなら良いわよ」
「ほんと!? ありがと栗田さん! あ、あたしのことは彩夏とか、こーちゃんとか好きに呼んでね」
「じゃあ、彩夏って呼ぶわ。私も好きに呼んでもらってかまわないわ」
「栗さんでもいい?」
「あはは。小学生以来よ、そう呼ばれたの」
玲奈が笑うと、彩夏も嬉しそうに笑う。
こうして玲奈と彩夏、二人でおつとめ品を使って、料理を楽しむ日々が始まった。