福-①
とても両親には言えなかったので、僕は「鬼松君が…」と理由をつけ、鬼松は「福家君が…」と澄ました顔で進言し、口裏合わせがうまいった結果だった。
塾は僕たちが通っていた小中学校の生徒だけを対象にした、ささやかな個人塾だった。民家を増築して作られた塾の敷地は、中学生が頑張ればよじ登れるぐらいのブロック塀に囲まれていて、中庭にはランダムに草花が育てられていた。ただ占拠している割合としては雑草が一番多かった。
塾の先生の話だと、増築する十年ほど前までは納屋が建っていて、塾を始めた当初はその納屋で勉強していたことから生徒たちに「納屋塾」と呼ばれていたらしい。初めは生徒たちの間だけで使われる隠語だったが、いつの間にか浸透し、今では学校の先生や父兄にも納屋塾で通じるようになっているという話だった。
納屋塾には各学年十人前後ずつ生徒が在籍していた。先生が若い頃は、一人で声を張り上げて全員を見ていたが、ここ数年は寄る年波には勝てず、アルバイトの学生を一人雇っていた。
その学生は三島由紀夫という名前で、塾の卒業生だった。三島さんは高校に入学した年から即戦力として塾の先生に雇われ、学校には内緒でバイトを始めたらしい。僕たちが出会った時、三島さんは大学一年生で、塾でのバイトは四年目だった。
その時の三島さんは金髪だったし、腕が見たことのない太さで、胸や肩の筋肉も張り出していたことから、どう見ても勉強ができるような人には見えなかった。鬼松とこっそり話した三島さんに対するインスピレーションは『ガイナ人(讃岐弁で、いかつい、怖そう、強そう、などを意味する)』という一言に集約された。
ただ生徒からは「ゆっきょちゃん」と呼ばれ親しまれていた。僕と鬼松が遠慮して「三島さん」と呼ぶと、三島さんは「こっちが気ぃ使うけん、ゆっきょちゃんでええよ」と笑った。それで『ガイナ』イメージは少し払拭されたが、僕と鬼松はやはり遠慮して「三島さん」と呼んでいた。
塾の先生からは「この人、算数では満点以外とったことがないけん、分からんことがあったら何でも聞くんよ」と紹介された。三島由紀夫なのに算数専門なんて益々怪しいと思った。
それが塾二回目の時、ガイナ印象とも怪しい紹介とも違うことで三島さんに驚かされた。
「おまえたち仲悪いん?」
生徒は全員黙ってテキストに視線を落としていたので、三島さんの言葉が誰に向けて発せられたのか分からなかった。
三島さんは腕組みをしたまま、僕と鬼松を指さし「おまえらと他のやつら」と言った。
その言葉に鬼松の顔は赤くなった。勿論僕の顔も。ただ他の生徒たちは急いで首を横に振り、「いや、別に」と三島さんの推測を否定した。僕と鬼松もそれらに同調するよう首を振った。
三島さんは「あっそ。ならええけど」と言って持参していた小説を読み始めた。
僕たちは他の生徒と仲が悪い訳ではなかったし、虐められている訳でもなかったが、それでも特別な扱いを受けているのは確かだった。
もう一つ。三島さんは自分からは生徒に話かけず、生徒から質問されて初めて指導に入るスタイルだった。それが僕と鬼松に関しては、僕たちが質問したそうにしていると「分らんところある?」と三島さんから聞いてくれた。自意識過剰ではなく、僕たち二人にだけは特別な措置をとってくれていたのだと思う。
また三島さんは帰る時間が僕たちと同じになると、家の方向は違うのに、僕と鬼松が別れる地点まで一緒に帰ってくれた。
僕も鬼松もそれを妙だとは思わなかったし、イヤだなんて全く思わなかった。「一緒に帰ろうか?」と三島さんに初めて誘われた時からだ。
「俺も人前で喋るん苦手なんや」
僕たちは何を話した訳でもないのに三島さんはそう言った。そして「先生としては致命的だろ」と言って照れくさそうに笑った。
それ以来、僕たちは三島さんに対してはほとんど遠慮することなく話をすることができたし、先生や大人に対する嫌悪感が少しだけ解消された。
塾からの帰り道。決まって僕たちが三島さんに話してしまうのは、塾に入る一番の要因だった木村サクラにまつわる恋の話だった。