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福-⑦

「何しょんな!」


廊下で窓やドアに群がり、中の様子を覗いていた野次馬の後ろから声がした。ホームルームの時間になり、各クラスの担任が揃って登場したところだった。教師の大きな声に騒然としていた場は一気に静まった。


廊下にいた生徒たちの数人は自分が巻き込まれるのを避けるため、さっさと自分の教室に隠れた。しかし多くの生徒は、事の成り行きを見届けるため、教室から少し離れた場所にさがり、単なる傍観者であることを強調した。


教室までの道が自然と開き、担任は教室内を一瞬眺めると、すぐにサクラの頭に乗っていた短パンとパンツを剥ぎ取った。還暦近かったその担任の女性は、経験豊富で肝も据わっていて、排泄物に気付いても全く動揺を見せなかった。


サクラの髪にはまーくんの排泄物が絡み付いていて、「きたなっ」と嫌悪する声や、「うんこ人間や」とはやし立てる声がまだ交錯していた。


担任は声のした方を睨んだが、まずはサクラとまーくんをその場から逃がすことが先決だと判断したのか、羽織っていたカーディガンでまーくんの下半身を包まって、サクラに「大丈夫?」と声を掛けた。

サクラが静かに頷くと、担任も頷いて、「まーくんと一緒に保健室に行ってくれる?」とサクラとまーくんの背中を押し、ドアの方へ向かわせた。


「僕たちも付き添いで行ってええですか?」


その言葉もまた出そうで出なかった。みんなからサクラのことが好きだとからかわれるのがイヤで、先生から行かなくていいと断られるのを恐れて、その言葉は出ずに、ただ唸り声だけが喉仏を震わせた。


代わりに悪魔が一言ささやいた。


「かえれ」


静まり返った教室ではその言葉がよく響いた。疑いの余地なく、その言葉は教室を出ようとしていたサクラとまーくんに向けられていた。


「かえれ」「かえれ」


サクラに短パンとパンツを被せた男子のいる集団からだった。


「黙りなさい!」


担任が声を荒げたが、それに抑制の効果はなく、むしろ快楽を追求する本能に火をつけてしまっていた。


「か・え・れ♪ か・え・れ♪」


その男子たちは手拍子を打って、他の生徒を巻き込もうとあおった。他の生徒たちは大して意味など考えず、ただ楽しいだけでその集団の音頭にのった。


「か・え・れ♪ か・え・れ♪ か・え・れ♪ か・え・れ♪」


徐々にその声は大きくなり、大勢の賛同を受けた集団は更に図にのって、大きな身振り手振りをつけて「かえれコール」を盛り上げた。


「黙りなさい!」という担任の声では、もはや収拾が付かなくなっていた。担任は生徒たちを黙らせるのを一旦諦めると、サクラとまーくんの背中をずっと押し続けて、廊下まで出て、更に野次馬のいないところまで、引率して行った。


僕と鬼松は心配そうにその後姿を見ていると、サクラとまーくんを安全な位置まで送り終わった担任が烈火のごとき表情で教室まで駆け戻ってきて、「かえれコール」の首謀者だった集団の男子生徒たちに平手打ちを放っていった。


熱気に満ちていた空間に、皮膚の張り裂けるような高い音が響き、教室は静まった。その静かな空間に、二発三発と平手打ちの破裂音が続いて鳴り、更に生徒たちの口を閉ざさせた。


その様子を廊下で見ていた野次馬たちは、そそくさと自分の教室に引き上げだした。

静まり返った教室の壁際にたたずむ生徒たちは、最初にまーくんが立っていた真ん中辺りから、サクラが手を引いて出て行ったドアまでの誰もいない間を黙って眺めていた。


僕はその時自分の無力さと情けなさを心から恥じて、悔し涙を流した。隣にいた鬼松も、恐らくは僕と同じ理由で歯を食いしばってぶるぶると小刻みに震えていた。


同じ境遇の仲間がいて僕は少しだけ安心できた。でも仲間など現れず、一人で闘ったサクラの孤独を思うと、更に悲しくなって涙がたくさん溢れた。


本当に地獄のような出来事だった。教室内は異常な熱気と幾分かの臭気に見舞われていた。僕と鬼松は換気をしようと窓の方へ歩いた。僕たち以外は誰も動かなかったので、視線が集中したのが分かった。

窓から見える冬の空は濃く青く、真っ白で大きな雲が綺麗に映えて見えた。窓を開けると、程よい強さで冷たく乾いていた風が吹き込んできた。その風を浴びていれば少しは涙が乾くのではないかと思って、窓に手を掛け数秒間だけ空を見上げた。その空はただ綺麗で、ただ平和を感じさせるだけで、僕は益々悲しくなった。


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