福-⑤
男子五、六人がまーくんに対し「アホが移るけん来るな」と野次り、頭を叩いては逃げ、肩を突き飛ばしては「アホが移った。腐る腐る」と騒ぎ立てる。更にまーくんを突き飛ばしたその手を女子に擦り付けると、今度は女子が「やめてよ汚い!」と騒ぎ出すという光景は頻繁にあった。どこからどう見てもイジメだった。しかし周りで見ていた生徒たちにイジメの意識はなく、単に面白がってイジっているだけ、という軽いノリでやっているようだった。
そのイジリがエスカレートすると教室は騒然としてくるのだが、僕と鬼松がその騒動に加わることはなかった。離れた所で様子を伺うだけの害も益もないポジションにいた。
イジリがエスカレートして暫くすると、まーくんはもうどうしようもなく泣き始めたのだが、それでもまーくんへのイジリは終わらなかった。泣きながら追い駆けてくるまーくんを男子は嘲笑い、また罵倒を繰り返し、時に軽く突き飛ばしては逃げ回った。
まーくんはしゃくり上げながら声にならない叫び声で反発し、真っ赤に腫らした目を両腕で拭って、近くにいる男子を誰でもいいから捕まえようとした。しかし鬼ごっこにおいてもまーくんは余りに未成熟で、誰を捕まえることもできなかった。
そんな時まーくんの手を掴み「大丈夫」と一声かけるのがサクラだった。すすり切れない鼻水を垂らし、激しく肩で呼吸するまーくんの頭を静かに撫で「大丈夫大丈夫」と唱え、まーくんが泣き止むまで何回も優しく頭を撫でた。
ただそれだけ。サクラの「大丈夫」という言葉と、頭を撫でるという行為だけだったが、ただそれだけでまーくんは泣き止み静かになった。そして何よりも教室全体がまーくん以上に静かになった。もう誰も何もできない。自分たちがやっていた行為の愚かさを考えさせられることになるのだが、そんな中でも、サクラに向かって「かっこつけんな」と言う男子はいた。間違いなくサクラに構って欲しいだけの野次だったが、僕はそんなしょうもない遠吠えに対し、何一つ注意できないしょうもない以下の人間だった。
ある日、そんな話題を塾で誰かが口にした。小学五年の冬休みで、サクラがいなかった時のことだ。二学期の終盤から、サクラに対する批判の声が女子生徒たちの間ではチラホラ聞こえてはいたが、塾で話題に上ったのは初めてだった。
その時はサクラが真面目すぎるとか先生に気に入られようとしているという批判と、まーくんを小馬鹿にした発言ばかりで、塾の先生だけが「あなたたちはそんな弱い者イジメをして恥ずかしくないの!」と一人で怒っていた。僕と鬼松は議論には加わらず、三島さんも黙って小説を読んでいるだけだった。
それがその日、僕と鬼松が三島さんと一緒に帰っていた道すがら、三島さんは「おまえたちは何しょったん?」と、いつになく厳しい表情で問うてきた。
僕たちが「なんもしてない」「横で見てただけ」と言うと、三島さんは「それでええと思うん?」と言った。冷たく強い風が吹き、砂埃が舞った。僕と鬼松は顔を伏せ、何も言えなかった。
風が収まり顔をあげた時に見えた三島さんの顔は、厳しい表情なんてものではなく、僕たちに向けた殺意に満ちているようで、とてもそのまま三島さんの目を直視することはできなかった。
それから気まずい空気をまとったままいつもの別れ道に到着すると、三島さんは「おまえらサクラのこと好きなんだろ?」と聞いてきた。僕たちは俯いたまま小さく頷いた。
「だったら助けてやれよ」
そう言われたが、僕たちは俯いたまま、横目でチラッとお互いを確認し合うだけで、何の言葉も返せなかった。
「好きな人が傷付くんと、自分たちが傷付くんと、どっちがえんや?」
三島さんはその時本気で怒っていたと思う。そんな震えた声の三島さんは後にも先にもその時だけだった。
「おまえらみたいなやつを友達やと思とった自分が情けないわ」
三島さんは目を真っ赤に腫らしていた。
「じゃあ」
そう言って振り返った三島さんの背中を僕たちはずっと眺めていた。まだ心のどこかで許してくれるのでは? 「ウソウソ冗談や。ビックリした?」と、もう一度振り返ってくれるのでは? と。本当に身勝手な希望を抱いて三島さんの姿が見えなくなるまで、僕と鬼松は無言で立っていた。
三島さんの姿が完全に見えなくなったところで、また強い風が吹いた。スナック菓子の空き袋がカサカサと音を立てて、道路の上を舞っていった。
その時、僕と鬼松は弱い自分を恥じた。その情けなさを少しでも変えたかった。今後サクラが傷付くようなことがあるなら、今度こそ自分たちが身代わりになろうと思った。
そのチャンスとなる出来事は五年生の冬休みが明けてすぐにやってきた。子供の残酷さと、自分たちの無力さを痛感した、忘れられない出来事だった。




