鬼-⑤
「サクラって生意気やろ」
そんな声が聞こえ始めたのは小学五年の運動会と文化祭が終わった初冬だった。運動会で生徒会長と二人で選手宣誓をしたり、リレーやアトラクションで活躍したり、文化祭の合唱コンクールで指揮者をしたりすると、一部の女子からは生意気と思われるらしい。
「前へならえ!」「なおれ!」「気をつけ!」「礼!」の号令も、「生意気じゃない?」と陰口を言われる要因になっているようだった。
何のことはない、ただの妬みだ。サクラは何も変わっていなかったし、普通に振る舞い、真面目に自分の役割を果たしているだけだった。変わったのはサクラを見る目だ。
誰か一人が「あいつ嫌い」と言うと、自分がそう思っていなくても、みんな「そうそう」と同調し、その場を繕った。自分まで影で悪く言われるのが怖くて、反論を飲み込む。本人に伝わらなければ大丈夫かと思い、心にもない批判をしたりもする。
サクラのことが大好きだった僕と福家でさえ、「サクラって調子乗っとるよな」と言われると、「そんなことないよ」とは言えなかった。何となく角の立たないような反応をして、その場をやり過ごした。
そんな空気をサクラも感じないはずはなかったが、サクラはいつもみんなの木村サクラを演じきっていた。そして気持ち悪いことに、影ではサクラを悪く言っていた女子たちも、いざ本人を目の前にすると、帳尻を合わせるかのように、必要以上に仲良さ気に接していた。
そんな歪んだ人間関係を更に強調したのが『まーくん』という男の子の存在だった。
僕たちの学校にはいわゆる『発達障害』の子供たちの受け皿として『進学教室』と呼ばれる学級が存在した。進学教室は、小学一年生から六年生全ての発達障害児を対象として全校で一クラスだけが用意され、その数は四、五人と少数だった。また重度の障害や発達の遅れがない限り、その教室で授業するのは一日一時間か二時間で、基本的には進学教室に所属する生徒も普通のクラスに配属され、なるべくみんなと同じ授業を受けさせるよう配慮されていた。
小学五年に進学し、クラス替えが行われた時、通称『まーくん』と呼ばれる男の子が、転校生として僕たちのクラスに入ってきた。
まーくんは重度の障害というわけではないが、やはり普通に読み書き計算ができなかった。見た目も、頬が絵に描いたように赤く、しょっちゅう鼻水を垂らしていて、丸坊主なのになぜか毎日強烈な寝癖をつけていた。授業中奇声を発したり、サクラをはじめ、いきなり女子に抱きついたりと、突飛な行動をすることもあった。
でもそこに悪意は全くなかった。だから僕と福家は、まーくんを憎めなかったし、もっと言えば自分たちに近いモノがあるのではないかという気さえしていた。
例えばまーくんは宿題で書いてきた絵日記を覗こうとすると身体全体でそれを覆い隠し、自分の書いた文字や絵を見せることを拒んだ。つまりまーくんは自分が表現したモノが他人にどう思われているかを誰よりも意識し、誰よりも痛く理解して、恥ずかしがっていたんだと思う。
でもそんなまーくんに対し、多くの生徒は否定的だった。否定的と言うよりも、子供の理解力ではその異質な存在を受け入れられなかったのだろう。
給食の時間、まーくんにおかずや味噌汁を配膳されると嫌がり、平気で取り替えてくれと言う生徒がいた。席替えの時、まーくんが前にきたり横に並んだりすると泣く生徒がいた。忘れ物をしてもまーくんには貸さなかったし、貸すぐらいならやる方がマシだと言う生徒もいた。まーくんが上手く喋れないことに苛立ち、文字が書けないことや計算できないことを馬鹿にしてみんなで笑っていた。
そんな中、唯一分け隔てなくまーくんと接していたのがサクラだった。それは委員長という立場で、まーくんの面倒を見るよう先生から頼まれていたこともあったのだろう。しかし言われたからといって嫌な顔一つ見せず出来ることではない。
僕も福家もそんなサクラだからこそ好きだった。しかし好きだからこそ、直視するのに痛すぎて、出来ればもうまーくんには関わらないでくれと思っていた。




