第十五話中編「逆心」
「ん…。」
ぱちぱちと弾ける音と、生暖かい肌の感触に刺激され、鈴音はゆっくりと瞼を開ける。
ぼんやりとした視界には、橙に揺らめく灯りが映り、ぼやけが無くなると共にその灯りが焚き火によるものだということがわかった。
周りに目を向けてみると、どうやら自分は茶色い大地の上に座って焚き火をしている様であった。
なぜ…?
鈴音は頭を傾げる。
この場に来る前の記憶を遡ってみる。
確か神楽が行方不明となってしまったために捜索を始めたばかりで、その帰り道に何者かによって意識を失わされてしまった…そう、つまり誘拐されてしまったのだ。だが、なぜ焚き火を…。
「…ぁ、起きた。」
その時、聞き覚えのある一人の女性の声がした。鈴音の目の前に立ったその女性の顔へ視界を向けると、鈴音は驚きのあまり声を出すことが出来なかった。なぜなら…。
「ぇ…うそ…。」
聞き覚えのある声なのは当たり前だ。だってその声は、自分の声だったのだから。
「驚かせちゃってごめんね。なるべく落ち着けるような感じに整えたんだけど…。」
いやいや、驚かないわけが無い。
目の前にいたのは、正真正銘自分の瓜二つの女性だったのだから。若干髪が肩より下ぐらいまで伸びてはいるものの、それ以外は全くの同一人物。カーキ色のコートを身にまとい、顔はどこか大人びているようにも感じられた。
だが、未だぼんやりとした意識の中でもこの状況になる原因について見当はついていた。
「なんだ…夢…」
「――って思うでしょ?半分違うんだなー。」
自分の言葉を待ってましたとばかりに、鈴音に対して言葉を被せるもう一人のスズネ。
「正確にはー、あなたの意識に私が干渉しちゃってる感じになるかなー!」
と人差し指を立て説明されたが、何を言っているのかさっぱり分からない。
「どちらにしても、ここは現実じゃないってことだよね…?」
「うん、まぁそういうこと!」
瓜二つのドッペルゲンガーと会話するなんて、鏡の中の自分と会話しているみたいですこし気持ち悪さが残る。だがここで、当然の疑問が思い浮かぶ。
「としたら、あなたは一体誰なの?」
「うーん、難しいこと聞くね…。思いだけの存在というかなんというか…私はあなたに伝えたいことがあってここに来たの。」
「伝えたいこと…?」
その時、スズネは片方の指を鳴らした。
すると周囲の景色に亀裂が走り、空間はガラスのように砕ける。
「うわっ!」
自分の身に危険を感じ、腕で顔を隠し目を瞑る。少しの静寂が流れたあと、次に聞こえてきたのは焚き火の音とはまた違う、轟々と激しく滾る炎の音であった。
「こ、ここは…!」
その音の変化に気が付き目を開けると、目の前にはまるで戦地であるかのよう光景が広がっていた。
高層のビルは真っ二つに割れて地面に落ち、ガラス片やコンクリートが道を塞ぎ、車のサイレンの音が至る所で響き、背側に見える港の海には人の遺体がいくつも浮かび上がっていた。そして、それを包み込むかのように、業火と煙、そして血の匂いが充満していた。
「うっ…。」
五感を通し、体の奥底からどんよりとした吐き気を催す。意識の中であるから吐くことはないが、気分は最悪だ。少しでも気分を抑えるために座り込み、鼻を手で覆う。
「ごめん、急すぎてびっくりしちゃったよね。でもね、この光景がこれから起こり得る未来なの。あなたにも起こり得る未来。」
これが今後に起こり得る未来だって?
冗談じゃない。
だって、こんなことが現実に起きてしまったら、日本は…私たちは…。
「私達もこんなこと起こらないと思っていた。でもそれは現実に起きてしまった。」
スズネは座り込む鈴音の真横を通り過ぎ、瓦礫と業火で塞がれた道を歩く。
「見て、あれを。」
少し前を歩いたスズネは、その先を指さした。その先に目を向けると、そこには二人の影が見えた。誰かは分からない。ただ二人の影が距離をとって位置しているのが見えるだけの距離だ。そして、二つの人影は足を動かして距離を縮め…。
「――ッ!?」
二つの人影のあった場所を金色の輝きが包み込み、その数秒後に辺り一面の業火を消し尽くす程の衝撃波が鈴音を襲う。
「きゃぁぁあっ!!」
何かに押さえていなければ体が持っていかれそうだ。吹き飛ばされないようにコンクリート上に体を伏せて空気抵抗を少なくしていく。だがその時、そのコンクリートの地面は真っ白の空間へと切り替わる。
「ごめんね、あなたの意識の中で再現するには限界があって、どうやら戻ってしまったみたい。でもこれは、起こり得る未来。何も装飾はしてないよ。」
鈴音はゆっくりと顔を上げ、目の前の光景が元に戻ったことに安堵すると共に、先程の光景が恐怖となって心の余韻となっていた。
もう一人のスズネは、あの景色が起こり得る未来であることを伝えてきた。だが、一つ疑問に思うことがあった。
「なんでこの光景を私に?」
もしも、この未来が現実に起こり得る事としても、自分はまだ新参者で力もない。この未来を覆す力なんてないはずだ。だが、もう一人のスズネは言葉を続けた。
「あなたにはあなたにしか出来ないことがある。私から伝えたいことはひとつ。あの人を…神楽を助けてあげて。」
「か、神楽くんを?」
まさかの人物名が告げられ、鈴音はもう1人の自分へと聞き返す。
「そう。彼は、たった一人でずっと戦ってきた。見えない所で、ずっと、何度も、多くのものと戦ってきた。あなたも、それを感じているんじゃないかな?」
その言葉に、神楽と話したあの夜のことが思い出される。
自分の戦う意味とは何か。
神楽はずっと、葛藤していたんだと思う。そして、きっと神楽が戦っているものはあれひとつだけでは無いことも、何となく鈴音は感じ取っていた。
「彼には支えてくれる人が必要なの。私は気付くのが遅くなってしまったけれども…あなたならきっと、きっと成し遂げられる。」
スズネは胸元にある雫型のペンダントを手に取り、それを両手で握りしめて目を瞑った。
まるで祈りを込めるような、何かに想いを馳せるような、そんな表情をしていた。
「…そろそろ限界みたい。」
「…ぇ」
スズネの体の輪郭は揺らめき始め、その場の空間にヒビが入り始める。
「私の出来ることの全てはこれで果たせた。あとは…あなたに託したわ。」
「待って…!まだ色々聞きたいことが…!」
鈴音は揺らめく輪郭に手を伸ばすが、その手はすっと体をすり抜けて宙に落ちる。それに驚いて、思わずスズネの顔を見上げた時、スズネはニコッと笑い、そこで鈴音の記憶は途切れた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
意識を取り戻した時、最初に感じた感覚は苦しいであった。ぼやけた意識、視界が徐々に軽減され、自分の置かれた状況を理解する。
「んんッ!?ンッー!」
手足は縄で縛られ、口元はガムテープで固く閉ざされていた。場所は灯りのない小さな部屋。家具というものもなく、ただ鈴音だけがその場に取り残されていた。
その時、鈴音は理解した。自分が何者かによって連れ去られて監禁されているのだということを。早くここから出なければならない。そう思い、閉まっている部屋のドアに意識を向けたその時であった。扉の奥から物音が聞こえ、これが人が来たことのサインとして鈴音に伝わった。ビニールがガサッと落ちる音が鳴り、それを皮切りに床に響く足音は徐々に大きさを増し、扉に手が掛かる。そして、部屋の扉が勢いよく開けられたその時――
「――ッ!!」
鈴音は驚きの感情と共に安堵の表情を浮かべた。なぜなら、そこには黒の上着を羽織った神楽の姿があったからである。
良かった。また神楽の手によって救われたんだ。みんなを置いてどこかへ消えた訳じゃない、神楽はやっぱりみんなを救う英雄なんだ。そんな感情が溢れ出し、思わず涙が滲み出る鈴音。その鈴音の姿を見た神楽は一言、こう言った。
「ん?あぁ、起きたんだ。おはよう、目覚めるのが遅かったから殺しちゃったんじゃないかって心配したよ。」
突然何を言い出したのか、鈴音には理解が出来なかった。聞き間違えとも思った。だが、その疑問は一瞬にして否定される。
「思ったよりも薬の効果が強かったみたいだね。丸一日眠ってしまうとは…予定と狂ってしまった。」
神楽の言葉で点と点が線となっていく。まさか、自分を誘拐した犯人は――
「なにか驚いたような顔をしているね…あぁ、そういう事か。そうだよ、君を連れ去ったのはこの俺だ。」
「…ッ!?」
まさかの誘拐した犯人は神楽であった。最初は驚きはしたものの、心のどこかでは神楽が無事であったということに安堵していた面もあった。しかしながら、一体なぜこのような行動をしたのか…。
「ずっと口を塞がれては苦しいだろう?今楽にしてやる。」
そう言うと神楽は鈴音の口元に貼られたテープを丁寧に剥がした。若干の酸欠状態にあった鈴音は剥がされた直後に大きく息を吸い、そして言葉を掛けた。
「…ぷはっ!神楽くん、一体どういうことなの?なんで私をここに連れてきたの?」
「なんでか…。そうだな…ただの気まぐれだよ。そう、気まぐれ。」
神楽はそう言いながら脱いだ上着を雑に床へと落とす。
声も姿見も何ら神楽のままだ。だが少しの仕草や言い方、それらを含めた雰囲気が何となく違和感として残る。本当に何となくだが…。
「ぁ、そうだ。そういえば君に伝えておかなければならない大事なことがあったんだ。」
神楽は間を置いて、思い出したかのように口を開いた。
「これから、君の仲間を殺しに行く。」
「…ぇ?」
思いもよらない言葉に、鈴音は開いた口が塞がらなかった。
「神楽くん、何を言ってるの…?」
なにかの比喩か、それとも聞き間違えか。自分の捉え方が悪いのかもしれないと神楽に再確認を取る。だが…
「言葉のままだよ。君の仲間――未歩・猿之助・扇浦…その全てを殺す。」
「…殺すって、本当に言ってるの?」
「あぁ、本当さ。」
神楽は一片の迷いもなく、そう言い放った。今まで助け合ってきたであろう仲間を殺すと。
「どうして…どうしてそんなことするの!?」
「どうして…うーんそうだな。」
神楽は顎に手を添えてしばらく考えた後、鈴音の頭を撫で、笑いかけながらこう言った。
「考えが変わったんだ。」
笑いかけてきたその顔は不気味な程に、仮面を被ったかのような乾いた笑いであった。そんな神楽は、その笑みを浮かべたまま部屋のカーテンを開け、窓から外を覗きながら言葉を続けた。
「私はね、小さい時から父親に仲間は大切だって言い聞かされてきたんだ。何度も、何度も、何度も…ね。お前は一人で背負い込む性格だから、仲間がいた方がいいと、そう言われてきた。だから、契約者同士のコミュニティを作った。それが神楽の守り人の始まりさ。」
その言葉は過去にも聞いたことがあった。神楽の家へ泊まったあの日、神楽は自身としての使命の中でもがき苦しんでいたことを語ってくれた。その内容と同じものであった。
「――神楽の守り人を作ってから、仲間と協力することが多くなった。一人では勝てないような強敵にも打ち勝てるようになった。だが、結果的にその選択は間違っていた。仲間なんて最初から要らなかった。いや、持つ必要はなかったんだ。守るものが増えたから、失うのが怖くなった。死ぬのが怖くなったんだ。」
仲間は必要がなかったと、鈴音の前で語った。今まで、仲間と沢山の苦難を乗り越えて来た彼が言ったのだ。しかも、その選択肢が間違っていたとまで言い放った。あの楽しかった日々が、助け合った時が、全て間違いだというのか。いや、違う。
「なんで今そんなことを…。だって、今までみんなで協力してきたじゃない!巨人も、死神も、オロチも!それが間違いだって言うの…?もう一度考え直して…」
「――考えたさ!」
鈴音の言葉を遮るように、神楽は大声で叫んだ。
「今の自分に出来ることはなんだ、何がいけなかったのか…そんなことをひたすら!ただひたすら考えた結果だ!こうするしか道はないんだ!」
彼の拳は強く握られていた。視線を落としながらも、強い感情的な言葉で思いを打ち明けた。その言葉は決して作り物なんかでは無いことを鈴音は悟る。
そんな感情的になっている自分に気付いたのだろうか。神楽は一つ間を置いたのち、鈴音の方を向き、以前のような淡々とした姿勢で話を進めた。
「君は、自己犠牲の精神って素晴らしいと思わないかい?自分のすべてを投げ打ってでも目的を達成する。でも、それって難しいものなんだよ。人には無限の希望がある。生きている限り、その希望は潰えない。つまり、自己犠牲をすることは自分の希望と人生の中のたった一つの要素で天秤をかけることになるんだ。私には、それが出来ない。出来なかったんだ。私は未来への希望を捨てきれなかったから、迷ってしまったんだ。じゃあ、どうしたら自己犠牲を迷いなくできると思う?」
「…何を言ってるのか私には分からないよ。」
「ははっ、まぁそうだろうね。私も多くの時間を費やして答えを出したんだ、当然さ。じゃあ、答えを言ってあげよう。正解は、大切なものを全て消し去る事さ。人は未来の希望があるから迷いが生じる。なら、その希望の根を全て絶やしてしまえば、迷いなんて生じることは無くなる。理にかなってるだろう?」
鈴音に問いかける神楽。
その問いかけに、鈴音はただ一言だけこう呟いた。
「…分からないよ。」
ただ淡々と話をし続ける神楽。だが、鈴音にはその話の内容も、意図も、なぜ神楽がこんな考え方になってしまったのか…どれだけ聞いても何も分からなかった。だが、これだけは分かる。
「神楽が言っていることが正しいのかどうか、私には何も分からないよ。だけど…だからといって、仲間を…人の命を身勝手に奪っていいはずがないよっ…!」
鈴音の足元に一粒の涙が落ちる。
その顔を見た神楽は立ち上がり背を向け、玄関近くに置いたビニール袋を漁りながら続きの言葉を発した。
「これから、世界の行く末を二分する大きな戦いがある。その鍵になるのは《《安倍神楽》》だ。世界のために、彼には死んでもらわなければならない。そして、英雄になる。」
安倍神楽は自分のことのはずだ。なのに、今の言い方はどこか他人事のように聞こえた。声・姿形は間違いなく神楽だ。だが、突然の失踪…気持ちの変化。神楽は…いや――
「――あなたは…だれなの?」
それを聞いた神楽は振り返り、そして大声で笑った。
「…ふふっ…ふははははっ!いきなり何を言ってるんだ?私は正真正銘の安倍神楽さ。ほら、水だ。」
差し出された水は平たいお皿の上に注がれ、鈴音の目の前に置かれる。
「犬みたいな食事の出し方ですまないな。だが安心してくれ。私がもし死なずに帰ってきた時は、ちゃんとしたご飯を食べさせてあげるからな。それに君は私にとって大切な物だ。傷つけたりもしない、約束しよう。」
そう言うと神楽は脱いでいた黒の上着を拾い上げ、羽織った。
「じゃあ…行ってくる。」
「ま、待って…!殺すなんてダメ!考え直して!」
鈴音の訴えも虚しく、神楽は目の前を通り過ぎ、しばらくしてドアが閉まる音が聞こえた。
「…なんで、どうして…」
神楽がなぜ、仲間を傷付けるような性格になってしまったのか分からなかった。もし、神楽が何かしらの苦しみを抱えた上で変化してしまったのならば、それは神楽だけの問題ではなく、それを気づくことも助けることもできなかった私のせいでもある。
思えば神楽には助けられてばかりなのに、自分からは神楽に何かをした覚えがない。自分には思いを打ち明けてアドバイスをしてくれる人がいた。だが、神楽はどうだったのだろう。困った時に頼りになる人、思いを打ち明けられる人、助けてくれる力のある人は、果たしていたのだろうか。
「う…ぐっ…。」
鈴音の中にあるのは後悔の二文字。気付くことが遅すぎた過去の自分への後悔だ。
鈴音はそんなぶつける当てもない感情に思わず、縛られた両手を強く握りしめる。するとその時――
「…ん」
強く手を握りしめたその時、手の内に何かの違和感を感じた。何かを握りしめていると分かった鈴音は手の力を抜いて、その何かを床に落とす。そして視線を後方に移すと…
「こ…これは…。」
そこには、夢の中で見た雫型のペンダントがあった。
「あれって夢じゃ…じゃあもう一人の私は一体…。」
あの時見た光景は夢ではなかったのだろうか。現実だったとしたら、もう一人の自分は一体何者だったのだろう。
疑問が疑問を呼ぶその最中、闇に堕ちた足音は仲間の元へと一歩一歩、着実に近付いていた。




