学内漫才コンテストに向けた台湾式勝負飯
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」と「Gemini AI」を使用させて頂きました。
私こと王美竜が留学生として学籍を置いている堺県立大学の大学祭は、春と秋の年二回開催という体制になっているんだ。
春の友好祭の開催日数は土日の二日間で、秋の白鷺祭の開催日数は十一月の連休を利用した三日間。
季節や開催日数の差もあってか、友好祭と白鷺祭とでは開催イベントにも様々な違いがあるんだけど、春と秋で共通のイベントだって色々あるんだ。
私がゼミ友の蒲生希望さんとコンビを組んで参加する学内漫才コンテストも、そんな春秋共通イベントの一つだよ。
友好祭の時は惜しくも敢闘賞止まりだった私達だけど、この経験を糧として白鷺祭では更なる高みを目指したい所存だね。
そういう訳で私と蒲生さんの二人は、間近に迫った学内漫才コンテストに向けて日夜ネタ合わせに勤しんでいるんだ。
私の下宿は県立大の白鷺キャンパスからも程近い賃貸マンションだから、スケジュールさえ合えば登下校の前後にでもネタ合わせが出来る所が、他の出場者よりも有利だよね。
特に今日は上手く休講が重なって午後から丸々休みになったから、正しく絶好のネタ合わせ日和だよ。
この絶好の機会を有効活用すべく、私と蒲生さんは二限の講義を終えると速やかに下宿へ直帰して、ひたすらに漫才の練習へ打ち込んだんだ。
「だけど私、一杯目は紹興酒に決めてるんだ。何しろ私は、孫尚香だからね。」
「それじゃ駄洒落じゃないの!」
現代へ転生した孫呉の腰弓姫に扮した私のボケに軽やかに叩き込まれたのは、相方である蒲生さんのツッコミだ。
その痛快な感触を実感しながら、私は掌中に忍ばせたストップウォッチを停止させたんだ。
「一分五十八秒…今回も持ち時間の超過無しにネタを完遂出来たね。良い調子だよ、蒲生さん。」
「どうやら御互い、ネタの台本をキチンと頭に叩き込めたみたいだね、美竜さん。今の感覚を忘れずに、本番に望みたい所だよ。」
ストップウォッチに表示されたデジタル数字を、しげしげと覗き込む蒲生さん。
その口元に浮かぶ小さな笑みに、私も嬉しくなってくるよ。
何しろ私達はコンビで漫才に臨む訳だから、意気込みとか呼吸とかをシッカリ合わせておきたいよね。
「予選用の三国志漫才に、決勝用のキョンシー漫才。どちらのネタも仕上がりは順調だし、本番用の衣装もクリーニング済。昔から『人事を尽くして天命を待つ』って言うけど、私達なりに出来る事は頑張ってるよね。」
それは宋代の儒学者である胡寅先生の御言葉だね、蒲生さん。
私を始めとする漢人の中にも、その格言を座右の銘にしている人は沢山いるよ。
「まあね、蒲生さん。これだけ頑張ってるんだから、多少の神頼みや縁起担ぎもバチは当たらないよ…そうだ、蒲生さん!この際だから漫才コンテストの成功を祈願して、今日の御昼御飯で縁起を担いでみない?有り物で良かったら、幾つか用意出来るよ。」
「おっ、いわゆる『勝負飯』だね!それは助かるよ、美竜さん。大学から美竜さんの下宿まで真っ直ぐ来ちゃったから、私まだ御昼を食べてないんだよね。」
そう言われてみると、私も急にお腹が空いて来ちゃったよ。
どうやらネタ合わせに集中し過ぎて、食欲まで忘れちゃったみたいだね。
すぐ側での末長い付き合いを願って配る引っ越し蕎麦に、幸福な一年への願いが込められた御節料理。
そういう験担ぎの料理は日本同様、私の生まれ育った台湾にも沢山あるんだ。
その中から漫才の験担ぎに応用出来る料理を探し出すのは、訳のない話だよ。
「お待たせ、蒲生さん。これが台湾式の漫才勝負飯パート1だよ。パート2はレンジで温めている真っ最中だから、少し待っててね。」
「悪いね、御馳走になっちゃって…あれっ?ねえ、美竜さん?台湾式って聞いたけど、これってサーターアンダギーじゃない?表面に白胡麻がまぶしてあるけど…」
オーブントースターから取り出した揚げドーナツを、蒲生さんは怪訝な面持ちで見つめていた。
コンガリと狐色に揚がった表面に丸っこいフォルム、そして油と砂糖の香ばしい匂い。
いずれの特徴も琉球王国で昔から親しまれているサーターアンダギーに瓜二つだから、蒲生さんが戸惑うのも無理はないよね。
だけど台湾人の私としては、この戸惑いの反応を見たかったんだ。
「そう思うよね、蒲生さん。だけどこれはサーターアンダギーじゃなくて、台湾料理の開口笑なんだ。ほら、このヒビ割れを見て。パカッと口を開けて笑っているように見えるでしょ?」
「ああ、成る程!だから開口笑って言うんだね。来場客の人達には開口笑よろしく、私達の漫才で大きく口を開けて笑って欲しい所だよね。」
私の意図をキチンと汲み取ってくれて感謝するよ、蒲生さん。
日々を笑って暮らせるように。
そんな願いの込められた開口笑は縁起物のお菓子として古くから親しまれているから、漫才の験担ぎにも最適だよ。
綺麗な狐色に揚げられ、笑った口みたいに一部のはぜた開口笑。
それを見ていると、春節を始めとする年中行事の度に食べていた子供時代の事を思い出すよ。
子供の頃から慣れ親しんだお菓子が目の前にあると、こんなにも幸せな気持ちになれるんだね。
だけど今の私は、悠長に郷愁に浸っている訳にもいかないんだ。
もう一つの漫才勝負飯を、電子レンジから引き上げないといけないからね。
「あれっ、肉まん?美竜さん、それも験担ぎの料理なの?」
「そうだよ、蒲生さん。これで験担ぎをするには、ちょっとした工夫が必要なんだ。いよっと!」
興味津々とばかりに覗き込んできたゼミ友に応じると、私は肉まんを真ん中から引き裂いたんだ。
露わになった肉餡からは白い湯気がホカホカと上がっていて、そのジューシーな香りが何とも言えないね。
眼鏡のレンズが湯気で曇っちゃうのは如何ともし難いけど、それも御愛嬌だよ。
「よし!笑った、笑った!真ん中からパカッと綺麗に笑ったね。」
「えっ、『笑った』?美竜さん、それを言うなら『割れた』じゃないの?」
蒲生さんったら、開口笑を見た時以上に戸惑っているね。
いきなり肉まんを真っ二つにしたばかりか、「笑った」なんて言い出すんだから、それも無理はないよ。
「まあね、蒲生さん。だけど漢人の間では、饅頭が割れた時には『笑った』って言い換えるんだよ。『割れた』より『笑った』って言った方が縁起も良いからね。」
「ああ、成る程…要するに忌み言葉の一種だね。『するめ』を『あたりめ』と呼ぶような物でしょ。」
まさしく我が意を得たりだよ、蒲生さん。
私も初めて「あたりめ」って言葉を聞いた時には、「同じ干しイカなのに何が違うんだろう?」って気になって仕方なかったね。
トースターで再加熱された開口笑と、中央から真っ二つに「笑った」肉まん。
私なりに考えた漫才コンテスト用の勝負飯は、何ともシンプルな軽食に仕上がっちゃったね。
だけどこの分量は、女子大生の御昼御飯に丁度良い感じだよ。
「成る程なあ…どっちも『笑う』ってキーワードが入っているんだね。これは確かに、漫才の験担ぎに最適だよ。」
「日本の漫才とは少し違うけど、台湾にも『相声』って寄席演芸はあるからね。台湾で人気の搞笑芸人の中にも、こんな感じに縁起を担ぐコンビはいるみたいだよ。私としては、次は日本の演芸界に倣ったスタイルで縁起を担いでみたいかな。『郷に入っては郷に従え』だよ、蒲生さん!」
二種類の台湾料理が並ぶ皿を興味深そうに見比べるゼミ友に応じながら、私は二つ目の開口笑を口に放り込んだんだ。
カリッとした表面の歯応えとフワフワした内側の食感のバランスは、開口笑の魅力の一つだね。
「あっ、それなら肉吸いが良いと思うよ。上方芸能界の有名な師匠が肉うどんの玉抜きを好んで頼んでいたから、若手の人達がそれにあやかっているんだ。この近所のうどん屋さんでも、注文出来るはずだよ。」
「えっ、うどんを抜いた肉うどん?その肉って牛肉だよね、蒲生さん?それはマズいなぁ…」
蒲生さんの提案に思わず眉を潜めた私だけど、これには受験生時代の験担ぎが関係しているんだ。
台湾の受験生は文昌帝君という学問の神様に合格を祈願するんだけど、この文昌帝君は牛に跨がっていらっしゃるの。
だから受験生が牛肉を食べてしまうと、文昌帝君の御加護が得られなくなってしまうんだ。
勿論、無事に堺県立大学へ入学出来た今では、牛肉麺でもビフテキでも気にせずに食べられるけどね。
だけど漫才コンテストという勝負事を控えている以上、ちょっと牛肉は遠慮したいんだよね…
ところが私の言い方が悪かったのか、蒲生さんったら妙な勘違いをしちゃったんだ。
「えっ、不味い?そんな事は無いと思うけどなぁ…そりゃ確かに、うどん玉の入っていない肉吸いは単品だとお腹が空いちゃうかも知れないけど…」
「ああ、蒲生さん…そっちの『不味い』じゃないんだよ。確かに肉吸いは美味しいかも知れないけど、今の私は牛肉を控えたくて…」
そうして文昌帝君への義理立てを順序立てて説明したんだけど、日本における文昌帝君の知名度は決して高くないから、蒲生さんに理解して貰うのは骨が折れちゃったよ。
もっとも、文昌帝君を学業の神様としてザックリと説明したら、何となくは理解して貰えたみたいだけどね。
「成る程なぁ、それで美竜さんは牛肉を控えているんだ。日本で学業成就と言えば菅原道真公だけど、そう言えば天満宮にも撫で牛が置かれていたっけ…」
それと言うのも日本にも菅原道真公という学業の神様がいらっしゃって、その道真公をお祀りした天満宮でも牛を神使として大切に扱っているみたいなんだ。
道真公も文昌帝君も、牛が大好きみたいだね。
「肉吸いが駄目なら、串カツなんてどうかな?串カツだったら『勝つ』にも通じるでしょ。牛筋とかを揚げなければ、文昌帝君への義理も立つんじゃない?」
この代替案なら私としても大歓迎だよ。
牛さえキチンと回避すれば、文昌帝君にも角が立たないって寸法だね。
だけど私とした事が、少し妙な返事をしちゃったんだよね。
「うん!それならマズくはないね!」
ほら、こんな風に。
どうして素直に、「それなら大丈夫だね」って言えなかったんだろう。
きっと蒲生さんの妙な反応で、出鼻を挫かれちゃったんだろうな。
そして、それを見逃す蒲生さんじゃなかったね。
「まず食わない…アレレ?美竜さん、串カツも駄目なの?」
「違う、違うって!私が言いたいのは『問題ない』って意味の『マズくはない』。蒲生さんが言ってるのは『絶対に食べない』って意味の『まず食わない』だからね。」
ちょっとトゲのある言い方になっちゃったけど、それで蒲生さんの機嫌を損ねた訳ではなさそうだったの。
むしろ我が相方にしてゼミ友は、「してやったり」とばかりに笑ったんだ。
「おっ!良いツッコミだね、美竜さん。これなら私とボケとツッコミを交代しても大丈夫そうだよ。」
「えっ?これってツッコミの抜き打ち検査だったの?もう、いい加減にしてよ!」
まんまと乗せられた私だけど、満更悪い気もしなかったの。
プロの漫才コンビもボケとツッコミを交代する事は偶にあるらしいし、今度は私が蒲生さんのボケにツッコミを入れるのも良いかもなぁ。
まあ、今からコンビの立ち位置を変えたら白鷺祭に間に合わなくなっちゃうから、それは来年の友好祭まで御預けだけど。
それにしても、今年の白鷺祭もまだなのに来年の話なんかしていたら、きっと鬼に笑われちゃうね。
開口笑と肉まんで験担ぎをした訳だし、今度の漫才コンテストでは鬼だけじゃなくてお客さんにも大いに笑って貰わなくちゃ!