拝啓、私の夏
「奈津美、待って」
弾む息と蝉の声。
遠くの景色がユラユラ揺れるくらい熱い、夏の午後。
私の手を引く小麦色に焼けた、元スポーツ部の名残でマメだらけの手。
それがいつもより暖かくて、湿っていて。
雲ひとつない青空に絵を描くみたいに、私の目の前で彼女のポニーテールが左右に揺れていた。
彼女の背中にはネイビーのリュックサック。
そこに付けられた私とお揃いのクラゲのキーホルダーがぽよぽよ跳ねていて……青空を泳いでるみたいに見えたっけ。
「ねえ、補講……サボってよかったの?」
「いーの!」
振り向く彼女の肌は汗でキラキラしてて。
おでこに彼女自慢のシースルー気味の前髪がへばりついていた。
「だって……茉梨と過ごせる最後の夏なんだもん!」
キラキラした笑顔は、夏の日差しより眩しくて……私の頬を熱くさせて。
いつも振り回されたけど、それがたまらなく嬉しかったんだよ。
女子高で初めてできた友達は、いつの間にか友達以上になっていた。
活発で明るい、クラスの中心になるような楽しい女の子。
それが私の……人生初めての恋人だった。
「てゆーかぁ。本来なら夏休みなのに受験生だからってわざわざ学校に閉じ込めないで欲しいよねぇ。せめてクーラーつけてくれたらいーのにさぁ!」
「あはは、それもそうだね」
「ね、海行こ、海!制服で海行ってー写真いっぱい撮ろうよ!高三最後の思い出残そ!」
恥ずかしいくらいテンプレみたいな、馬鹿なポーズを沢山とった。
タイマーをセットして、浜辺でジャンプしたり2人でハートを作ったり。
どこのバカップルだって話だよね。
でもすごく……楽しかったなぁ。
その後、休憩がてら日陰でラムネを飲んだ。
彼女は開けるのが下手で、制服をラムネでベトベトにしてた。
「ねぇ、茉梨?ほんとに東京行っちゃうの?」
いつもとは違う、元気の無い声。
どうしたの?って聞いても彼女の顔は晴れなかった。
「茉梨は可愛いからなぁ。こんな田舎の女子校じゃなかったら……私なんかと付き合ってもくれなかったよね。」
「急に、どうしたの?なんでそんなこと……」
「きっと大学行ったらすぐ彼氏出来ちゃって結婚もしちゃって……それできっと。私といた事なんて忘れちゃう。」
俯いたまま、私にくっついて離れない彼女。
暑いのに、離れて、なんて言えなかった。
離れたく、なかった。
「でもいいの!」
さっきとはうって変わって明るい、いつも通りの声。
それなのに何故か。
「今、この瞬間だけでも茉梨の目に映るのが私なら。それだけで幸せ。」
貴女、泣きそうな顔をしてたよね。
ねえ、もし、もしあの日。
貴女になにか言えていたらよかったのかしら。
「一緒にきて」?
それとも「ずっと忘れないよ」?
そしたら、今日。
貴女の、隣にいたのは……
目の前の、真っ白なドレスとベール姿の彼女。
いつか教室でカーテンにくるまっておどけていた姿を思い出す。
あの日確かに、貴女は私のモノだったはずなのに。
今隣にいる男は一体誰?
会社で知り合った1つ年上の人って言ってたけど、ねぇ、その人、私より奈津美のこと知ってるの?
知って、るんだよね。
少なくとも昔の奈津美しか知らない私より、彼の方が今の貴女を知っていて……一緒に、居てくれたんだよね。
人当たりがいいくせになかなか人に心を開かなかった貴女が……結婚したいって、思うくらいには。
分かるよ、3年間だけど……貴女の隣に居たんだもん。
恋をすると女の子は綺麗になる、なんてよくいったものだよね。
今の貴女はあの日の彼女とは違う人みたいに綺麗になったよ。
あの頃枝毛は気にしないのに何故か前髪だけには命をかけていた黒髪は……今は染めちゃって柔らかいウェーブのかかったツヤツヤ茶髪。
メイクなんかしたらチャームポイントのソバカスが隠れちゃう!なんて言っていたお顔も、今はゴールドのアイシャドウとピンクのグロスがよく似合ってる。
あの頃は、私だけ知っていた可愛い貴女。
それが今は、誰が見てもきっと、可愛い女の子になっちゃったね。
「茉梨、来てくれてありがと!」
キラキラした笑顔は、あのころと変わらない。
けどもう、あの日みたいな目では私を見ない。
きっとあの日の少女の目は、今は隣の……私がよく知らない男に向けるんだろうね。
今更どうしようもない、もう叶わない恋なのだと、そう突きつけられた気がした。
だけど、それを隠して私は……彼女に微笑んだ。
「おめでとう、幸せになってね。」
大人になってよかった……こうやって簡単に嘘がつけるようになるんだもの。
思ってもいない祝福を上手に述べたあと……私は会場を出た。
貴女の方が早く私を忘れて、結婚してしまうなんて……思いもしなかったよ。
私は東京でも、貴女のことを忘れられなくて。
待っててくれると思ったのに。
けど、それは私のわがままだよね。
いつも貴女が手を伸ばしてくれるから、それに安心して甘えていた。
だからあなたを好きだなんて言いながら……自分から手を伸ばすことはしなかった。
だから、この胸の痛みはきっと罰。
あの日、あの海で、あなたを攫わなかった私への罰。
きっと、簡単な言葉でよかったのよね。
「愛してる」って、そう言えばよかったわ。
そうしたらこんなに……あの日の恋を、貴女を、夏を。
引き摺らなくても、済んだのにね。
「サヨナラ、私の愛おしい夏」