微速前進勇者4
心を許すというわけじゃないが、打ち解けていたアルトと、微妙な感じになった。
この間までと真逆――というか、騒がしい子供から、急に大人しい子供に変貌したというか――。
朝食の時、隣合うと、いつも何かしら突っかかってきていたのに、今は黙り込んで、食べ終わると、御馳走様とだけいい残して、そのまま席を立つ。
僕としては、ああいう事件があって、事なきを得たんだから、良しとする、って感じだったんだけど……調子が狂うよな。
「アルトさん、どうしちゃったんでしょうか……」とメイ。
「精神ステータス異常だろ」
「何ですかそれ」
「さあ……」
「ありゃあ、キてるな」とおじさん。
「キてる?」とメイ。
「わかる。わかるぜ……おじさんには手に取るようにわかる」
「ごちそうさま」席を立つ。
「どういうことなんですか? おじさん」とメイ。
「堪らねぇな……」
変なおじさんは放っておいて、僕も部屋へ戻る。
デスクに座り、おかしくなってしまったアルトと、どう接すべきか考える。
このままだと、色々支障が出そうな予感が……。
ちょっと一回、こちらから話してみるか?
意外と普通に話せるかもしれない……。
思い立ったが吉日。
一応、ノックをして……。
「アルト、入るぞ」
「あ……」
アルトは、ベッドの上で、剣を抱いて女の子みたいに座っていた。
「そんなにその剣が好きか?」
「……」
「調子が狂うんだよ。急にその……変わられると」
「……すまない……」
「戦いになるかもしれないし……元気出せよ」
駄目だった……ロクに会話もできないまま、部屋に舞い戻る。
長引かなけりゃいいけどな……あいつの、精神ステータス異常。
人のことはいえないけど、やりにくいったらありゃしない……。
まあ、無事だったんだから、いいと思おう……あれであいつに何かあったら、こっちが錯乱してたところだ。
そうだそうだ。
これで、よかったんだ……。
この前も思ったけど、僕の周りのものごとは、どうにも、僕の意識とは関係なく――無意識的な部分で進行する傾向がある。
そのせいで、僕は常にもどかしい思いをする羽目になるわけだけど、流石にもう慣れて来た。
アルトとのことも、結局、僕が今じたばたしても何も変わらなくて、ある日突然、僕の意思とは関係ないところで進展があるんだろうさ。
まあ、一応気に掛けはするが、そういう心持ちで何事も対処する方がいい。
僕の意思は関係ないっていったの、アルトだしな……。
横になり、唯一の手がかりである、研究施設のイメージを思い浮かべてみる。
それから、自分自身の記憶の道筋を辿る。
その二つの、どこかに接点が無いか考える。
母の死――その前後の記憶は白く霞んでいて、はっきりと思い出すことが出来ない。
現在、判明していることは、母が、研究施設の素体に使われているということで、それは、ミライを見ればほぼ間違いないということがわかる。
つまり、母の遺体は死後、どこかへ運ばれたことになる。
母さんの墓を掘り返せば、そこに空になった棺桶があるのかもしれない。
もちろんそんなことはしない……。
それを確認したところで、母の遺体を掘り返した奴を特定できるわけでもない。
気分も悪い……。
ミライが来て、複製人間の存在が明らかになったのは大きいが、それ以外の情報は少なかった。
状況は進んでいるようで進んでいない。
今までの人生と比較すれば、かなり前進はしているが、そこには、ある種のもどかしさが含まれている。
その辺りの感覚から考えて――今すぐ空白の記憶が戻ることは無いと考える。
自分の意思を基準として考えず、そうでないモノを基準として考え直す。
それは、とてもおかしなことで、運命論者的な思考だけど、今までそれとは逆の考えで何一つ上手く行かなかったのだから、一度それを手放して、今度は、ありえない方を中心として行かなければならない。
それは、勇者という概念に振り回され続けた結果、行き着いた結論かもしれないし……全くの見当違いで終わってしまうことなのかもしれない。
それでも僕は、一度、考え方を変えようと思う。
自分の意思を放棄し……そうでないモノに身を任せる。
そんなありえないことを……真面目にやってみようと思う。
差し当たっては……どうするかな。
無理に前へ進もうとしないようにするわけだけど……それって逆に難しいような……。
一度、自ら能無しを演じようとした時のような、難解さがそこにある。
とりあえず、ただ、眼を閉じて……何も考えないようにする。
心を無にして……。
自分自身の存在を完全に消し去り、そこに勇者という概念だけが残るイメージ……。
いや……勇者と、それを動かす運命。
そうすると、身体の中に、何か、駆け上がるものがあると感じた。
何だろう、これは……。
そこで、ドアがノックされる。
「はい。どうぞ」
「すいません。ヒロカズさん。今日は天気がいいので、お布団を干そうと思いまして」
「ああ、ありがとう。シスターは、教会の方はいいの?」
「世界の危機ですから」とメイはいう。「こちらが優先です」
「そ、そうなのか……」
ま、助かるんだけど……いいのかな……仕事……。
「お手紙、出しました?」
「ああ、アキの? すっかり忘れてたな……色々あって」
「私からいうのもなんですが、やはり、お返事を書いてあげた方が……」
「そうだよな。気付いてるのに出さないってのは、流石にどうかと思うしな……書くか」
「それがいいと思います」
メイは、布団を抱えて出て行く。
僕は、デスクに座り……手紙の内容を考える。
手紙なんか、一回も書いたことないからな……どうするか……。
ペン先にインクを付け……僕は、書いた内容をさっぱり覚えていないような、勢いだけの文章をしたためると、それをさっさと送ってしまう。
それから、引き出しにしまっておいたアキの写真を手に取って眺めた。
こうして改めて見ると、移り変わる季節のようにして、また、気持ちがよみがえってくる。
どちらにしろ……彼女と会うことはない。
命を助けられた恩から、成長するにしたがって、その感情が変化して……。
といっても、一回会っただけだから、お互い、妄想だらけでさ……きっと、上手く行かないよ……。
この写真は確かなものだけど。それに、この写真から伝わってくるもの……。
いや……それも妄想だよな……。
でも、いい子なのは間違いない。どう見ても……。
写真を見ると、自然と溜息が出る。
まるで、森の中で深手を負った戦士のように、僕はその場から動けなくなる。
この写真は危険だ、と思い、僕はそれを再び引き出しの中へ仕舞い込んだ。
そしてまた、溜息を吐く……。
だめだ。母さん……じゃなくて、ミライの手伝いでもしよう。
部屋を出て、階段を下りていく。
ミライは、母の記憶を取り戻そうとしてか、とにかく、家中の掃除を徹底的に始め、元々、そこそこ綺麗に保たれていた家が、今は異常な程磨き上げられていた。
今はキッチンで、食器の一つ一つを――まるで工芸品でも創っているみたいな真剣さで――念入りに磨いている。
「何か思い出した?」
「それが、あまり思い出せないのですが……こうしていると酷く落ち着くのです」
「何か、気持ちはわかるよ。僕もやらせてよ」
「どうぞ」
綺麗なコップを手渡され、それを磨き込んでいく。
ガラスに付いたうっすらとした曇りが取れる。記憶に掛かったもやが晴れるみたいにして。
口を閉ざしたまま、作業に集中する。
ミライがもっと当たり前にここに居るということを感じられるようになれば、まるであたたかい液体が浸透していくみたいに、いつの間にか、ミライが家族の一員になって……。
こんな風に考えるのはダメだろうか。
ミライが、その……僕の母になるということは。
死んだ母の一部は、ミライの中にある。
そして、こうしてここにミライが居るということに、運命を感じ、それを受け入れる――。
そんな風に考えてはいけないのだろうか。
駄目だ駄目だと思う程、そうなって欲しいという想いの方が強くなっていく気がするな……。
「どうしました?」
「いや……母さんが恋しくなったのかな……おかしいんだ。どうにもさ……」
「おかしくはありませんよ。私も同じですから」
「でも、ミライは母さんじゃ……いや……母さんでもある。どうしたらいいんだ? 僕は……」
「……」
落ち着けよ。もっとゆっくりと……心を合わせるんだ……。
「ごめん。取り乱してしまって」
「いいんです。私も、色々な気持ちが一つの場所に混在していて、とても混乱する時があります」
「どちらにしろ、ミライはここにずっと住むことになる可能性はある……よね。もしそうなった場合、その内、僕の中で、自然とミライが家族になるかもしれない。そうなって欲しい……っていうのが、僕の願望なわけだけど……そう。それをいいたかったんだ。僕は」
「私は……元をたどれば、ある種、生贄のようなものでしかありません。ヒロカズ様にイメージを託した後は、死んでも構わないと思っていました。だから……今、とても不思議な気持ちです。母親になれといわれれば、私は喜んでなるでしょう。私の中に、そういう気持ちはあります。でも、ヒロカズ様の心の整理がつくまでは待ちます。むしろ私は、あなたの母親になりたい。そう思っています」
――その時初めて、ミライの中の積極性を、わずかながら垣間見た気がした。
僕はただそれが見たくて……ああだこうだと、子供の様にいっていただけなのかもしれない。
「ミライはもっと、我儘をいっていいよ」と僕はいう。「母親になるとかどうとかは、その次で、ミライがしたいことをしないと、きっと母親になったってダメなんだ」
僕は今日、やっと、まともなことをいった気がした。母性を求めるばかりで、本当に子供だった。
全く、僕っていう人間は、何でその境地にたどり着くまでに、一々こう時間がかかるんだろうな……。
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