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微速前進勇者

 久しぶりに、安息と呼べる眠りだったと思う。

 僕の元に、やっとまともな運命が舞込み始めたのは、やっぱり、アルトがきっかけだったように思う。

 今思えば、アルトは、僕の歩調に合わせながら、僕が力を取り戻すのを支えてくれていた……いや、それはいい過ぎか……。

 とにかく、転機が訪れたのは間違いないし、色々上手くいきはじめたんだから、いくら感謝してもいい。

 子供の頃使っていたベッドから起き上がり、母さんが居たころのままの状態が維持されている庭に出ると、アルトが花を観賞している。

「――おお、起きて来たか。お前のおじさん、ああ見えて庭の手入れが行き届いてるな」

「多分……僕の為にずっと維持してくれていたんだと思う。もちろんそれだけじゃないだろうけどね……本当に、母さんが生きていた頃みたいだ」

「お前、本当に、胸のつかえがとれたような顔をしているな」

「そうかな」

「ステータス異常が治ってしまったかな」

「ありがとう……」

「は?……」

「アルトが来てから、変わったように思う。自分の周りの運命みたいなものが」

「私は何もしていないさ。たまたま時期が重なっただけで、運命を導いたのはお前自身の力だよ。それに、私はお前を利用しようとしたんだから」

「そういうのはもういいだろ。アルトはそんな奴じゃない」

「……じゃあ、どんな奴なんだ? 私は」

 ――彼女の、何かを見極めようとするような眼。僕は言葉に詰まる。

「ほら、何もいえないじゃないか」

 この……天邪鬼め……と僕は思う。

 どうやらこの、アルトという女性は、どうしても僕の気持ちを散らかしたいらしい。

「アルトは、僕が会った中で……一番いい奴さ」

「一番いい奴?」

「ああ。一番いい奴。それで決定だ」

 苦し紛れにいった言葉だったが……外れてはいないように思う。

 ただ、いい当ててはいない……。

 僕がアルトのことを理解していないことの現れなんだろうな。

「とにかくさ……僕は漠然と自分が悪いと思い込んでいた。そこから抜け出せたのは、やっぱアルトのお陰だったと思いたいよ」

「感謝の押しつけ……といいたいところだが、ここは受け取っておくべきかな。お前にとって、とても重要なことだったわけだし、その最後に私がそれを受け取らないのは、あまりにもばつが悪すぎる」

 こうはいっているけど、今回のことだって、何か裏でアルトが一枚噛んでいる可能性はあると思っている。

 だってさ、妙に僕からの感謝の気持ちを受け取ることを渋るところとか、怪しくないか?

「じゃあ、認めた、ということで……」

「何をだ」

 僕はニヒルに笑う。半分以上、何もわかっていないけれど。

「その笑いは姫を愚弄しているな。私にはわかるぞ」

「朝ごはんできてますよー」

 家の中から、メイが叫ぶ。

 朝食を食べながら、バヌガス。「地下の書庫にある文献を、読ませてもらってもよろしいかな」

「好きにしてくれよ。あんた達には感謝しかない。こいつ――ヒロカズには今まで、仲間というものが居なさ過ぎた。あんた達のお陰で、こいつは、今までのことが少しずつ癒されている筈だ」

 おじさんに、多分その人も、君主レベルの人だよといってあげたかったけど、でも……今のままでいいと思った。変な遠慮とかがない方がいい、というのは、僕とアルトで実証済みだから。

「急かすわけじゃないが、何か思い出せそうか? ヒロカズ」とアルト。

「いや……色々懐かしいんだけど、多分そういうのが潜在的な記憶と結びつくまでには、もう少し時間がかかると思う。でも、何か思い出せそうなのは確かだよ」

「そうか」

「今までずっと、自分が居る地点から、前へ進めていない感覚があったんだけど、今は進めている……だから、何とかなるよ。きっと」

 今は、悪夢から覚め始めている、その最初の段階なんだと思う。

「お前自身がそうやって前へ進むことが、世界を救済することに直結している」とアルト。「お前が望んでいなくても、世界はそうなってしまっている。だから待つよ。お前自身が、自分の意思で進むまで」

「こいつが、世界を救う?」とおじさん。

「ヒロカズは、正真正銘の勇者さ。多分、今までで一番辛い運命を背負ったね……」

「あ、そうだ」おじさんが慌てて何かを取りに行った。「お前にずっと、手紙が届いてたんだよ。ほら」

 どっさりと机に置かれた手紙。一体、何年分だろうか……。

「女の字だな……恋文か?」とアルト。

「そんなわけあるはずないだろ」と僕。

「開けるわけにもいかなくてな……まずかったかな」

「どれ、私が読んでやろう」といって、アルトが僕の手から手紙を奪い取った。

「どれどれ……」

 アルトは、しばらく手紙の文章に目を走らせると、笑顔で「没収」といって、机の上の手紙をかき集めて全部袋に入れてしまう。

「え? 恋文だったんですか?」とメイ。

「世界には物好きというものが、どこかに一人はいるものじゃよ」

「そんな……遠くに居ながらにして、ヒロカズさんの凄さに気付ける人なんて、いないはずです」とメイ。

 恐らく……だけど……一人だけ、心当たりがある。

 僕が、剣を握れなくなって……代わりに、毎日棒を振り始め、出来るだけ魔物を避けながら、街の外を探索し続けている時期があった。

 街の中の視線が嫌になって、居られなかったというのもある。とにかくその頃の僕は、シスターの制止を押し切って、よく街の外へ出て、野宿しながら何日も放浪していた。

 その時の僕は母の形見の腕輪を持ち歩き、そして、その時はまだ、父の形見の懐中時計もずっと首に掛けていた。

 父は僕がずっと小さいときに亡くなっていて、父からの贈物といったら、それくらいのものだった。それでも、僕にとっては十分父を感じられた。勇者としての業績とか、そんなことよりよっぽどその贈物の方が僕にとってはリアルだった。


 ――荷馬車が走り去る音で僕は眠りから覚醒する。野性的な勘を働かせることでしか生き残ることはできない。その時僕は勇者というよりは、一匹の獣に近かった。もちろんそれほど強い獣じゃない。でも生への執着を誰よりも感じていたと思う。

「今日は馬車がよく通るな……」

 僕は寝なおそうとして、何かを感じて起き上がる。

 勇者として生まれて、色々代償はあった気はするが、生き残るための勘は鋭かった。

 印が浮かび上がり、勇者としての力が活性化し始めると、僕は居ても立っても居られなくなり、その場から飛び出すようにして――駆け出した。

 身体が溶けるほど熱くなっていた。どうして急にそんな風になってしまったのかわからないまま、走る。

 馬車が停まっていて、その外で、馬車から引き摺り降ろされた女の人が辱めを受け――そのまま背中を刺された。背中から胸に向かって突き抜けた刃物の先端が輝く。女の人は一度――びく――と痙攣し、死んだ。

 馬車の幌の中に、怯えた小さな女の子の姿があった。

 男達がその子に手を掛けようとする。

 ――棒を思い切り振り墜とすと――男の頭が割れた。

 身体が熱い。

 湧き上がって来る熱に身を任せて、もう一振り――。

 顔面が取壊されたように、男の顎が無くなっていた。

 それを見た、最期の一人が逃げていく。

 二人の男と、多分、この子の母親の死体が、転がっている。馬の上には、糸が切れたようにうな垂れた、手綱を持つ死体がある。

「行こう」

 女の子は怯えきっていた。

「近くに街があるから」

 僕は何かに気付いて、袖で顔を拭った。

 それから、思案して……首に掛かっていた懐中時計を、女の子に渡す。

「それをあげるから、ほら」

 きっかけは何でもよかった。とにかく、死体があるここから早く連れ出したかった。

 女の子は、僕に手を引かれ、馬車を降りる。

「君のお母さん?」

「ううん……知らない人」

 僕は少しほっとする。

「さっき逃げた奴がまた来るかもしれないから。ほら」

「うん……」

 恐怖に支配されると、足が動かなくなる。

 僕もよくなるんだ。

「乗って」

「でも……」

「ヒロカズ。僕はヒロカズっていうんだ」

「アキ」

 もう一度向い合い、何かを確認し合うと、アキを背中へ乗せる。

 とにかく逃げ延びれば何とかなる、というのが、僕の経験則としてあった。

 自分の心を覗き込むと、今の自分と、理想となる勇者像とのあまりの差に、押し潰されそうになるけれど……それでも、そうしながら生きていくしかないと思う。

 僕は「生きるんだよ」と――誰にでもなくいった。「生きて生きて生きて、生き抜いて――ただ、それだけでいい。何者にもならなくたっていい。それが……僕の意志なんだと思う」

 アキからの返答はなかった。

 何をいってるか、意味不明だろうな……。

 街に着くと、アキを役所に預ける。

「何だ? お前、血まみれじゃないか」

「この子が、賊に襲われてて……戦ったんです」

 おかしな目で見られることには慣れている。

「もう、大丈夫だからね」

 程なくして……アキは保護されていった。

「さよなら」

 僕はまた、血まみれのまま、とぼとぼと教会へ帰っていった。


 ……。

「つまり、その美少女からの恋文なんですね……」とメイ。「確かに、あの頃、ヒロカズさんが何度か血に濡れて帰ってくることがありました。それはよく覚えています」

「意外とワイルドじゃな」とバヌガス。「やはり、ワシが見込んだ通り、君には骨がある。姫、手紙を返してやりなさい」

「……」

「まあ、アルトが持っててくれてもいいよ。どうせ会ったって……アレだし。幻滅させるというか」

「そうでしょうか」とメイ。「確かに最近はその……ワイルドさはあまり感じませんけど、その分優しさとかありますし」

「アルト姫、いい加減になされよ」

 バヌガスが、手紙を入れた麻袋に手を伸ばし、引っ張り合いになる。

「渡さん! これは絶対に渡さんぞ!」

「何かもう、ムキになっている子供だな……」

「ですね……」

「ふんっ!」バヌガスが力を入れると――麻袋が破れ、手紙が床にばら撒かれる。

「ああ――」

 消印には、ニュータウンの文字……それを見て、結構遠いな……と思う。

 それから、はらりと、一枚の写真が僕の目の前に落ちて来る。

 カチューシャをした、美少女の姿がそこに写っている。

「――あ、やっぱり可愛かったですね」とメイ。

「ほほう。これは……」

 アルトが出し惜しむだけはある。

 その子は、記憶の中のアキの存在を簡単に凌駕してしまい、僕の心が一瞬で、その新しいアキに塗り替えられていくのを感じる。

 事実、僕はしばらくその、新しいアキのことしか考えられなくなる。

「まあ、でも……会うってことはないだろうな」

「手紙は返さないんですか?」とメイ。

「どうだろう。今返したところで、状況がさ……込みあってるだろ? 自分のことでこれだけ精いっぱいになってるのに、その……好意を寄せられている女の子のことまでは考えられない気がする」

「勿体ないのう……」

 僕は落ちてしまった手紙を拾い集める。

「まあ、少しずつ読んでみるよ。返事を書くかはそれから考えればいい」

 ……それから、僕は、時間があれば、写真の中のアキの微笑みを眺めるようになってしまった。

 そして……大きなため息を吐く。

 これ、好きになってるよな……と、僕は思うのだった。

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