EX04.育ちゆく2人の感情 ~チセ視点~
「それじゃ2人とも、行ってくるね-」
「ん」
「気をつけていくのですよー」
分かれ道で私は娘のシィちゃんとチーリちゃんに声をかけると、そのまま自転車で高校へと向かった。
小学2年生の頃に別の世界に迷い込んだ私が、それから25年も経って再び元の世界に帰る事ができるなんて、迷い込んだばかりの私は思ってもいなかっただろうなぁ。
それも2人のかわいい娘を伴って。
2人は私と血は繋がっていないけれど、どちらも私の可愛い娘たちだと戸籍にもそう言わせ……戸籍もそう言っている。
そして、その内の1人、チーリちゃんという顔色が蒼い女の子については本当に娘としてしか考えられないのだけれど、もう1人のシィちゃんという女の子に関してはちょっと勝手が違う。
シィちゃんは私が別の世界へ迷い込んだばかりの頃お世話になった孤児院でとても仲の良かった女の子で、私の中で友達以上の感情までもが湧き上がってしまっていたバンシーのシーナちゃんが生まれ直した姿だ。
その事に気がついてからは、私はシーナちゃんに対して持っていた恋愛感情は全て捨てて、シィの母親であり続けようと決意した反面、やっぱり心のどこかで友達以上の関係になりたかったという矛盾する気持ちも残っていて、時々その気持ちで苦しくなる事がある。
きっとそれを素直に言えば、シィちゃんは困った顔をしながらも頷いてくれると思うけれど、私はその気持ちに甘えたくない。だからその気持ちに蓋をしてこれからも母親であり続けようと思う。
******
「おはよー」
「あ、䋝片さんおはよー」
私は先に来ていたクラスメイトたちに挨拶しながら教室に入った。
私はこちらの世界では25年ほど行方不明だった事もあって、小学2年生以来学校に行けなかった。その事を報道などで知った人たちが通学する資金の援助を申し出てくれた事をきっかけに、自主的に猛勉強し、その甲斐あって今年の春から高校に入学できたのだ。
こんなおばさんがクラスメイトだなんて他の子たちはどう思うのかな……なんて最初は不安に思ったけれど、意外にもみんな私が35である事も気にせず普通に接してくれる。
それだけで私は本当に気が楽だった。
……というか、私、35だと思われていないのでは?
そして授業が始まると私は普通に勉強をする。
サボったり早弁したりなんてするわけもない。みんなの援助があってこうして高校に通えるんだからそんな事はできるはずがない。
そんな風に模範生のように授業を受け続けていると、やがて放課後となった。
私はいそいそと帰る準備を始めていると、クラスの女子が話しかけてきた。
「䋝片さん、今日このあとみんなで遊びに行かない?」
授業が終わると、時々こんな風にクラスメイトからお誘いがある。だけど私は今のところ一度もその約束に応じた事がない。その理由は至極単純だ。
「ごめんねー、娘たちの迎えに行かなくちゃならないの」
だってシィちゃんとチーリちゃんが待っているもの。子離れできない親だと思われてもいい。私にとってはこの2人が生き甲斐だから。
「あ、そういえば䋝片さんってお母さんだったんだよね。いつ見ても同い年にしか見えないからつい忘れちゃうよ」
私が娘の話題をする事でクラスメイトも漸く私が2児の母親だと思い出すようだ。
私がクラスに溶け込んでいるというのがわかって嬉しい反面、誘いに乗れなくてごめんねとも時々思ったりする。
まさかシィちゃんとチーリちゃんも同伴して、ってわけにはねぇ……。
「今度娘さんに会わせてよ。䋝片さんに似てすごくかわいらしいんでしょ?」
あれ、以外と良さそう。
でもシィちゃんは人見知りするからなぁ……。チーリちゃんはお腹を出したがらなければいいんだけど多分無理だろうなぁ……。
「うーん……娘たちがいいよって言ったらね。ちょっとうちの娘たち人見知りだから。それじゃ先に帰るね。またねー」
「あ、うんまた明日―」
そう私は断りながら、急いで家に帰るのだ。昇降口へと早歩きで向かい、自分の下駄箱を開け……おや、これは?
******
「──というわけで、ラブレターが下駄箱に入ってたのよ」
私は家に帰ると、先に小学校から帰ってきていたシィちゃんとチーリちゃんにラブレターが入っていた事を伝えた。
すると、2人が私に見せたのは両極端な反応だった。
「チセママはモテモテなのですねー」
「……ふぅん」
素直な反応を示すチーリちゃんと……一瞬キョトンとした顔をした後で何故かご機嫌斜めな顔になったシィちゃん。
よく見るとシィちゃんはほっぺが膨れている。
なにその顔とてもかわいい! だけどなんでご機嫌斜めなのかなと少し考えてみたのだけれど私はシィちゃんが焼き餅をやいているのだと気がついた。
そっかぁ、シィちゃん焼き餅かぁ……そんな風に反応されちゃうと嬉しく思っちゃうなぁ。
でもここでシィちゃんにそれを指摘すると多分顔を真っ赤にして怒り出すからしないでおいた方がよさそう。
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──そしてその夜、私たち3人がお風呂に入っていた時の事。
お風呂には決まって3人で入っているのだけれど、チーリちゃんが湯舟に浸かっても10秒も経たずにそのまま出て行ってしまう事が多いのが私の最近の悩みの種で……。
「チーリは体あったまったからもうお風呂出るのです。止めないで下さいですチセママ」
「あ、チーリちゃん。まだ百まで数えてないでしょ……ってもう出ちゃった」
今日もまたチーリちゃんが私の目を盗んで、シュバババッと体を拭くとすぐさま脱衣場へと逃げていった。うーん……烏の行水みたいな速さだし、あれじゃ体の芯まであったまっていないんじゃないのかなぁ。
そんなチーリちゃんを見送りながら、如何にしてチーリちゃんにちゃんと百まで数えるまでお風呂から出ないようにするか方策を考えていると、ちゃんと百まで数えていたシィちゃんが私に何か言いたいことがあったようで話しかけてきた。
「ねぇ、チセ……」
「ん? どうしたのシィちゃん」
「……」
私はシィちゃんの問いかけに応じたけれど、シィちゃんは何故か言葉に詰まっている様子で黙ったまま。一体どうしたんだろうと首をかしげていると、ようやく考えがまとまったのか重い口を開いた。
「私ね……チセが誰かからラブレターもらったって聞いて最初は別にいいやって思ったの。
だけどね、今、すごく変な気持ちになってる。チセを他の誰かに取られたくないなって」
……驚いた。まさかシィちゃんがその事について口にするだなんて思ってもみなかった。だって、シィちゃんがほっぺをふくらませて不機嫌そうにしていたのって無意識の内ににしていたと思ったんだもの私。
ということは、シィちゃんがそれを自覚しているのならその気持ちの正体についても触れてもいいってことなのかな。
私はちょっとだけ深く足を踏み入れることにしてみた。
「それってもしかして焼き餅……かな、シィちゃん」
「なっ! あっ! えっ! 焼き餅!? ち、違うもん、そんなんじゃないもの! やっぱなんでもない! 先に出る!」
慌てたように否定したシィちゃんは、顔を真っ赤にしながらろくに体も拭かずに脱衣場へと出て行ってしまった。あー……ちょっとそれを尋ねるのはシィちゃんには早かったのかも。
だけどさっきの顔を真っ赤にしながら慌てたシィちゃんかわいかったなぁ……。
そして、さっきのシィちゃんの嫉妬した姿を見て、私はシィちゃんが前いた世界で女の子に告白された出来事をふと思い出した。
リタキリアの村にいた茶髪の女の子……確かチハルさんだっけ。シィちゃんがチハルさんに告白された時、私はシィちゃんを取られるのではと嫉妬心みたいなのが芽生えたけど……その反応から考えると、シィちゃんも私が知らない誰かに取られるのがイヤみたい。
……なんだ。似たもの同士なんだね、私たち。
そんな風に思うと私はちょっと嬉しくなったのだ。
……多分シィちゃんは今も気持ちがモヤモヤしてると思うけどね。
それはともかく、最近のシィちゃんはバンシーじゃなくなった事で制約が外れたのか、前までいた世界では希薄だった感情が育ちはじめてきているようで、色々な表情を前以上に私やチーリちゃんに見せるようになってきている。
がっかりした顔、しょげた顔、怒った顔、泣いた顔、すねた顔、そして笑った顔。
まるで白黒だった世界に色がついたみたいなシィちゃん。
そんなたくさんの感情が見られて、母親としてすごく嬉しいな。
ちなみにチーリちゃんはリッチじゃなくなった今でも相変わらず顔色は蒼いままだけれど、これはきっと個性だから問題ないはず。チーリちゃんの担任から『顔色がいつも悪いけど本当に大丈夫なのか』と頻繁に心配されるけど全く問題ない……多分!
そして表情も今までは私とシィちゃんがその変化に気がつくぐらいだったけれど、今では10人いたら3人がチーリちゃんの表情が変化した事に気がつく感じになって、チーリちゃんも少しずつ表情が成長しているんだなって改めて思うのだった。
だからね、シィちゃん、チーリちゃん。これからも私にいろんな表情を見せて私を喜ばせてね。
母親としてあなたたち2人が成長していくのが、一番嬉しいんだから。
……あ、ちなみにこのラブレターは勿論お断りするよ。
だって私はシィちゃんとチーリちゃんさえいればいいもの。
次回、前作から読んでいる方にはおなじみのあの家族が登場します。