52.私たちは家族だから。
異世界転移のゲートが開き、あとはそこをくぐるだけとなった私たちがチーリから告げられたのは、2人までしか行くことができず、さらに異世界転移の魔法は1回しか使えない事。
そのため、チーリは1人ここに残る決意をしたというのだ。
その事を黙っていたのはそれを先に聞かされていたら私とティセの決心が揺らぎ、行く事を拒否してしまうから。その為最後の最後まで言わずにいたのだろう。
昨日から様子がおかしかったのはこのせいだったのか……。
その事を話すチーリが私とティセに向けていたのは笑顔だった。でも、その笑顔は無理に作ったものだと私もティセも感じていた。本当は別れたくない。だけど2人が幸せになるならば自分は永遠の離別を決意して笑って私とティセを見送ろうという8歳児らしからぬ悲しみに包まれた瞳だったから。
「……今までありがとうなのですよティセママ、シィおねぇちゃん。チーリは、2人の事、とても大好きでしたです。
本当はひとりぼっちで生きていくはずだったチーリの事、娘として、妹として、そして、家族として大切にしてくれて、居場所になってくれて、本当にありがとうでしたです。さよならです」
そこまで言い終えると深々とおじぎをしたまま頭を上げようとしないチーリ。やっぱり先程まで無理に笑顔を作っていたのだろう、地面に雫が落ちていくのが見え、涙で顔を上げられなくなってしまったのがわかる。
「やだ! チーリも一緒じゃないとやだ!」
「シィちゃん約束したよね!? 一緒に行くって!!」
私もティセもそんな事をチーリにさせたくなかった。第一、私とティセもそれでは幸せになれない。
チーリもいてこその家族なんだ。誰一人欠けても私たちは辛くなる。
「わがまま言っちゃだめなのですよティセママ、シィおねぇちゃん!!」
案の定、涙で顔をぐしょぐしょにしたチーリが顔を上げると、声を荒げた。
大声で叫ぶ事が苦手で今まで一度もそれができなかったチーリが、だ。
「チーリはもうティセママとシィおねぇちゃんから、たくさん幸せをもらったです。だから充分なのですよ。
本当は離れるの嫌です。悲しいです。でも、2人の為だったら、チーリは、チー……リは……ひぐっ、ぐす。笑ってお別れ、する、のです」
嗚咽混じりの為に言葉が途切れ途切れに、それでもなんとか言葉を最後まで紡いだチーリ。笑ってお別れをすると言ってるのに、今、私とティセを見ているのは悲しみの色一色に染まったチーリの泣き顔だった。
……ダメだ。こんなに心の優しい、かわいい妹を置いていくなんて私にはできない。ティセも私と同感らしく、何かを決意した顔になっている。
「仮に転移が失敗しちゃってもいいよ! 私にとっては、シィちゃんとチーリちゃん、2人がいて初めて幸せのラインに立てるんだよ。2人がいない世界なんて絶対イヤ! だからお願いチーリちゃん! お母さんの言うこと聞いて!!」
「私もだよチーリ! だからお願い、一緒に来て!!」
私もティセもわがままだ。だからこんなお別れは絶対に認めたくない。
だから私とティセは必死にお願いをし続けた。すると……。
「全くもう……ティセママもシィおねぇちゃんもおバカさんなのですよ」
私たちの想いが通じたのか、それとも根負けしたのか。涙を流した為に目元を赤く腫らしたチーリは、少し困った様子で観念したような、それでも嬉しそうな顔を私たちに向けた。
「チーリを置いていけば向こうの世界へ安心して行く事ができたですのに……わかったのです。失敗しても恨みっこ無しなのですよ!」
漸くチーリが私たちの元へと駆け寄り、ティセの手を取る。
そんなの百も承知だ!
「それじゃ急がないと。将官たちの声が近づいてきたわよ」
ティセの言葉で耳を澄ませると、確かにこの地下通路への入り口がある小部屋の方から、将官と兵士たちの声も聞こえてくる。
もう時間は残されていない。これが最初で最後のチャンスだ。
「2人とも、私の手を絶対に離さないでね!!」
「ん!」
「はいです!」
ティセの言葉を合図に私とチーリは、ティセの手をより強く掴み、3人一緒になってゲートに向かって飛び込んだ。
私たちがそのゲートに飛び込むと、ちょうど効力が切れたのか、瞬く間にゲートが閉じられた。
これによって、ティセが元いた世界と私たちが暮らした世界との繋がりは完全に絶たれ……。
私たちは、永遠にこの世界から姿を消す事となった。
******
「うぎゃああ!」
「あぐ」
「いたいのです」
異世界へ続く道を走り抜けると、私たちは、どこかの地面へと投げ出され、盛大にこけた。
「痛ったぁ…、2人とも無事? 怪我してない?」
「なんとか」
「チーリも大丈夫なのですよ」
どうやら3人とも無事だったようだ。というかティセ、うぎゃあって悲鳴はどうかと思うよ……。
体を起こした私たちが辺りを見回すと、辺りは夜らしい。しかし、全く見覚えのない風景が広がっている。
……どこかの山の中だろうか。地面は不思議な土で固められているのかとても歩きやすく、崖側には落ちないための配慮なのか白い柵がどこまでも続いている。
「ねぇティセ、ここがティセのいた世界なの……?」
「わかんない。でもこのアスファルトにガードレールはもしかしたら……」
アスファルトにガードレールという聞き慣れない言葉がティセの口から飛び出す。
「多分この道を下っていけば町に続くはずよ。行ってみよう」
それから私たちはこの山道を歩き続けた。
その山道の脇には、一定の間隔で灯りが周りを照らしている。
もうそれだけでここは、私たちがいた世界では無いのだろうと私とチーリは感じた。
ティセを先頭に、そのまま歩き続けていると灯りにつつまれた見慣れない町が見えてきた。それは、明らかに私たちがいた世界とは異なると即座にわかってしまうぐらい、夜の町中が光り輝いていた。
「あ、あ……。ここ、私が元いた世界だよ」
どうやら、異世界転移は無事に成功し、ティセが元いた世界に無事来ることができたようだ。
「それにしても人数オーバーになっていたはずなのによく無事に来ることができたね」
それを聞いていたので、もしかしたらティセが元いた世界とは別の世界に迷い込んだ可能性もあったのに、なんて運が良いのだろうか。
「あ」
私がそう安堵していると、横で私の言葉を聞いたチーリが唐突に魔導書を取り出して目を通し始めたかと思うと変な声を上げた。どうしたの?
「むー、見落としていたのです。魔導書に書いていた異世界転移の魔法で行く事のできる『2人』は『大人換算』だったのです。『子供は2/3人』と数えるのでしたですよ。」
なるほど、それなら納……あれ? ちょっと待って。
なにかおかしい。その疑問をどうやらティセも持ったらしく、ティセはその疑問をチーリに投げかけた。
「待って、それでも大人2人分越えてるよね? 計算合わないんじゃない?」
そうなのだ。これだと大人のティセで1人分、そして子供の私とチーリが2/3人ずつで合計は2と1/3人分となり、人数オーバーなのには変わらないのだ。
一体どういう事なのかと思って考えを巡らせていると……。
「……あー」
チーリがティセの全身を見ながらそういうことかというような表情を見せた。
「え、何かわかったのチーリちゃん?」
そして、私も感づいてしまった。
まだわかっていないという顔をするティセ。
どうしよう。これを説明するのはものすごく残酷な気がする。
私が言い淀んでいると、少し言いづらそうにしながらも、チーリがティセに説明しだした。
「えっと……すごく言いづらいですけど、ティセママは34歳になってもすごい童顔なのです。
さらにティセママは低身長なのと皺が全くない卵肌なのと……その平たい容姿のおかげで、魔法にも子供換算されてしまったようなのです。なので6/3人分、つまり2人分になってギリギリセーフになったのです」
「何それ!? 私って魔法にまで子供扱いされたって事!?」
チーリからその言葉を聞いてひどくショックを受けたような顔をするティセ。まあそうだよね。
私たちの母親になると心に決めて、私とチーリもそんなティセの事を母親と思うようになっていたところでこの仕打ちだもの。
というか……34にもなって…まだ子供扱い……。
私は気づいてしまったその事実を、改めてチーリの口から聞かされて……耐えきれなくなった。
「あはははは!!」
「え!? シィちゃんどうしたのそんなに大笑いしちゃって!?」
「びっくりなのです。初めて見るシィおねぇちゃんの大笑いなのです」
「だって!だってぇ……! 34歳で子供扱いされちゃってるんだもの! おかしいはずないじゃない! あははは!」
自分でもびっくりするほどの大笑い。こんな笑い方は初めてだった。バンシーから聖女、つまりは人間に体が変化した影響だろうか、表情筋まで柔らかくなった気がする。
「あは……だけど、よかったぁ……。これで、私たちはこれからも家族で……いら……れ」
ぐすっ。
「あ、シィちゃん……」
「シィおねぇちゃん、嬉しそうに泣いてるのです」
どうしよう、私、バンシーだったから泣くのは当たり前だったのに、この涙は今までと違う……。
それは私が初めて流した……嬉し涙だった。
絶対に嬉し泣きなんてしてやんない。そう言ったのが懐かしい。私は思いきり嬉し泣きをしている。
ティセとチーリといくつもの季節を過ごしてきて、ここでついに、ティセがかつて目標に掲げていた『私を嬉し泣きさせる事』を達成させてしまったようだ。バンシーの私としてではないけれど、それでも達成させてあげられた、という事でいいよね。
もうあっちの世界に戻ることは不可能だけれど……それでも私は全く後悔していない。
だって、私はティセ……いや、チセ、そしてチーリと一緒にこれからは笑ったり、嬉し泣きをもっとしたりして過ごせるに違いないから。それが私にはとても嬉しいのだ。
だから、これからは私のこと、もっといっぱい笑わせたり、嬉し泣きさせたりしてね、二人とも!
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ちなみになのだけれど、私が嬉し泣きをしたのも束の間、そういえばとばかりに私とチーリはティセに雷を落とされた。
「それにしても昨日のシィちゃんといいさっきのチーリちゃんといいどうして2人ともそんなに自己犠牲の精神旺盛なのかな!
母親として私はとっても怒っています! もっと自分を大切にするよう反省しなさい!」
道ばたで正座をさせられ、ティセに怒られる私とチーリ。
だけど、私もチーリも、そしてティセもその実、これからも3人一緒にいられるとわかったから、怒ったり怒られたりしながらもどこか嬉しそうな顔をしていたのだった。
次回、本編最終話です。