51.自由への代償
私たちは、自分たちが自由の身でいられるように、そしてこれからも家族であり続けるために、将官をはじめとした国の魔手から逃れるべく、教会内を走り回り、かつてチーリと出会った時の小部屋から地下通路への隠し扉を開き、中に入った。
こちらにも光の壁を張って入り口を塞ぎ、地下通路へと向かう階段をかけ降りていると、教会の方から将官と兵士の悲鳴が途切れることなく聞こえてくる。
おそらく床を何度も突き破ったり、床下にはまって動けなくなっていたりしているのだろう。あんなに重そうな鎧を着込んでいちゃ、そりゃ落ちるに決まっている。
これで大分時間稼ぎはできたようだけれど、これでもまだ足りない。私たちは地下通路の中を駆け抜けていく。
そして、そのまま地下通路の出口付近に置いていた自転車に乗って外へ逃げ出し、北の国境まで逃げ切る計画だった。
しかしここで私たちに、予想だにしていなかった危機が訪れてしまう。
「止まって、2人とも」
先頭を走っていたティセが手を広げて、私たちに止まるよう小声で指示した。
「どうしたの、ティセ」
「静かに……しまったわね。こっちの出口は先回りされていたみたい」
「どういうことなのです、ティセママ……あ」
その言葉で私とチーリが廊下の先を見ると、普段ならば光が差し込まないため真っ暗になっているはずの出口の方から光が見える。
その出口は勝手に開くような扉ではなく、常に閉まっているはずだった。
それが開いているということは……、先回りして、私たちが出てくるのを見張っている誰かがいるという事だ。
そういえばこの教会で昔行われていたらしい人身売買は、聖女捜しを目的として、国までもその行為に加担していたとチーリが見せてくれた日記にも書いてあった。
ということは、国の方でもこの出口を把握していた可能性は充分にある。
「どうしよう、ティセ……」
幸いにも出口にいるだろう兵士は、私たちには気がついていないようだけれど、後ろからはそのうち将官が兵士を伴ってやってくるに違いない。これでは袋のネズミだ。
万事休す、そう思ったまさにその時。
「ティセママ、こっちです。こっち来るです」
いつの間に移動していたのか、後ろの方に佇んでいるチーリが指さしたのは……ティセが迷い込んだ時にやってきたという、ティセが元いた世界に通じる異世界転移の魔法がかけられた小部屋。
「え、どうしてここ?」
なぜそこへチーリが案内したのかわからない様子のティセは、私と共にチーリの元へと駆け寄りながらチーリに尋ねると、チーリの口から出てきたのはティセが前に話していた『最終手段』の事だった。
「今無事に逃げられたとしても、チーリたちはこのままじゃ何度も追っ手がやってきて、平穏には暮らせないと思うです。
それに何より、この廃教会があの将官たちの手に落ちたら、折角繋がっているティセママの元いた世界へ帰る手段も無くなってしまうのです。
ならば、ティセママは住んでた元の世界に帰るのが一番いいと思うのです。それは今しかないのです。 チーリその為に、前にティセママにお願いされてた、この一方通行になっている異世界転移の魔法の向きを逆にして、ティセママが戻れるようにゲートを作る方法、覚えたのですよ」
確かに、帰るのは最終手段だとティセは話していた。
そしてその最終手段となりうるのは、危機的状況にある『今』だ。
チーリのその言葉に、少しだけ逡巡したような顔をしたティセだったけれど、決意したように私たちを真剣な目で見つめ、一つのお願いをした。
「そしたら……2人とも。前も伝えたけれど、私のいた世界に一緒に来てくれるかな? 向こうでの生活は慣れるまで大変だと思うけれど、それでも私は2人とは離ればなれになりたくない」
ティセが最終手段と決めていたのは、この世界に馴染んできたからとか、元いた世界がどう変わってしまったかわからないからだけじゃない。
文化が異なる世界に、言葉も通じるかすらわからない私とチーリは問題なく対応できるのか、大きな負担とならないか、その不安が大きかった為に最終手段としていたのだ。
全くもう……私たちのことを優先してくれるだなんて、やっぱりティセは私たちの立派な母親だよ。
そんなお母さんのお願いに、私たちが首を横に振るはずがない。
「いいよ。前も言ったけど私はティセと一緒に向こうの世界に行くよ。だからお願い、ティセ。一緒に連れていって」
私もこの世界に未練はもう無い。それならティセと一緒について行きたい。
チーリは時間が無いと悟ったのか先に詠唱を始めていた為に返事をする事はできなかったけれど、きっと私たちと同じ気持ちのはずだ。
「ありがとう……シィちゃん、チーリちゃん」
そうお礼を言いながら、少しだけ俯きながら涙ぐむティセ。
やがて、チーリが詠唱を終えると、突如この小部屋に扉のようなものが出現した。
おそらくこの扉の先が、ティセが元いた世界に通ずる道。
そしてここを通れば、私たちはもう引き返せない。
だけど私は2人と一緒なら何処へだって行ってみせる。
「それじゃ行くよ、シィちゃん、チーリちゃん」
手を差し出したティセの呼びかけに応えるように私はティセの手を取った。だけど……ティセのもう片方の手がいつまでも埋まらない。
おかしい。普段のチーリなら真っ先にティセの手を取るはずなのに。
どうしてだろう。私はすごく嫌な予感がした。
「チーリも早く……って待って、チーリ、何してるの!?」
「どうしたのチーリちゃん!? 早くこっちに来て、手を取ってよ!」
私とティセが、未だにティセの手を取ろうとしないチーリの方を振り向き、その姿を見た瞬間、動揺の色が隠せなかった。
チーリはその場を一歩も動こうとせずに、ティセから昨日もらった人形を抱きしめながら首を小さく横に振っていたのだから。
それはまるで、私たちと一緒に行くのを拒否するかのように。
首を振るのをやめて私たちを見つめるチーリの瞳は、何かを諦めたかのような、それでいてその気持ちを必死に抑えようとしているかのような、あまりにも悲しい笑顔。
そして、その顔を私たちに向けながら、重たそうに口を開いた。
「黙っていてごめんなのです。この異世界転移の魔法でてきたゲートは一度に2人までしか行けないのです。それに転移の向きを変えるのってかなり魔力を消費するみたいで、チーリの魔力とこの部屋に溜まった魔力の残滓を合わせても転移の向きを変えるので殆ど無くなってしまったです。
そのせいで残りの魔力は1回分だけで、誰かが1度ゲートを通った時点でゲートは消滅しちゃうのですよ。
……だから、チーリは一緒に行けないのです。ティセママとシィおねぇちゃんとは、ここでお別れなのですよ。このお人形、ティセママとシィおねぇちゃんとの想い出として大切にするです」
……それはチーリの……私たちへの別れの言葉だった。