34.決意、そして
『バンシーの力を使ってほしい』というティセの言葉で目の前が真っ暗になる私。しかしその案が出てくるのも仕方の無いことだった。
ティセは聖魔法で浄化する事によってイテマエジャッカルの動きを封じ、弱体化させること自体は可能だけれど、イテマエジャッカルが元来持っている凶暴性や攻撃性をそれで抑えることができない。
チーリも色々な魔法を使えるけれど、話を聞く限り補助系の魔法が中心で攻撃魔法の類は覚えていない。
そして村の兵士たちもジリ貧状態で戦力としては期待できない。
それを踏まえると消去法で出てくるのは……私のバンシーとしての能力。それも対象と決めた相手に向かって泣くことで相手を死なせる技。それしかなかったのだ。
「でもその力を使ったらやったら村の人も危なくなる……」
「私があいつの動きを封じる魔法を最初に唱えて応戦してる兵士たちを逃がすから、そのあとで防護魔法を使って光の壁であいつを隔離するように取り囲むわ。
だからシィちゃんお願い。シィちゃんの負担が大きくなってしまうけどこの危機を脱する為にバンシーの力を使って!
万が一声が漏れてしまってもいいように周りの人には耳を塞いでもらうから!」
「だけど……だけど……」
私はなんとかしてバンシーの力を使わないで倒す方法を考えるけれど全く出てこない。もう私しかこの状況を救えない事はわかりきっているのに、私の体がどうしてもやりたくないと拒否反応を示してしまうのだ。
そんな反応が出てしまう理由は……それをやってしまったら私がバンシーだとバレてしまうという恐怖心から。
そして、それで私がバンシーだとわかってしまったらきっと私は……やだ、怖い。殺されたくない。もう死にたくない。こわい。やだやだやだ。
「シィちゃん? どうしたのシィちゃん!!」
「シィおねぇちゃんしっかりするのです」
チーリほどでは無いけど普段からあまり顔色がよくない私がさらに顔を青ざめさせ、自分の体を抱きしめながら震え出したのを見て心配したティセとチーリが驚いて声をかけながら私の体を揺する。
しかし錯乱してしまった私の耳には2人の声は届かない。
「やだ……やだ……私がバンシーだってばれたら……きっと……またあの時みたいに殺されちゃう……こわい……こわいこわいやだやだやだやだこわいこわいやだやだやだやだこわいこわいやだやだ痛い痛いこわいやだやだ助けていやだ助けて死にたくない怖い痛いこわい」
私が恐怖心で胸の内がいっぱいになり、今にも壊れそうになっていたその時だった。
「シィちゃん!!」
「シィおねぇちゃん」
私の背中と腕に感じる2つの温もり。それは今世で何よりも大切な……私の母親と妹の体温。
「あ……」
その温もりに包まれてようやく落ち着きを取り戻した私に、2人は優しく語りかけてくる。
「大丈夫だよシィちゃん。なにがあっても私はシィちゃんの味方。必ずシィちゃんを守ってみせるから」
「チーリもです。この世界が全て敵になったとしても、ティセママとチーリだけは、シィおねぇちゃんを嫌ったりしないのですよ」
「……ありがとう、2人とも。……私、やる」
そうだった。私はひとりぼっちじゃなくて、ティセとチーリがいる、何があっても2人は私の傍にいてくれる。
その事に気がついた私の心は徐々に満たされていき、この危機を救う為にバンシーとしての力を使おうと決心する事ができた。
「それじゃ、作戦開始よ! 準備が終わったらシィちゃん、お願いね」
そう言い終えたティセが、魔法で怪物の動きを一時的に封じると、応戦していた兵士を逃がした後に再度詠唱を始めた。
すると、怪物の周囲に光輝く半透明の壁のようなものが次々と浮かび上がってくるのが見えた。プールを作る時に話だけは聞いていたけれど、これがその魔法なのだろうか。
「シィおねぇちゃんシィおねぇちゃん」
私が光の壁が次々に作られていく様を緊張した面持ちで眺めていると、私の服をちょいちょいと引っ張る小さなチーリの手。
「チーリも協力するのですよ。シィおねぇちゃんの泣き声があの怪物以外には聞こえないように、ティセママの作った光の壁を覆うように防音魔法を唱えるのです。
チーリ、あれから魔法を色々いっぱい使ってきたですから魔力があがったですし、防音魔法もただ聞こえなくなるだけじゃなくて、空間で音を隔てられるようにする事もできるようになったです」
ティセの光の壁だけでは私の泣き声が漏れてしまい周りにも被害が出るかもしれないという欠点を補うかのようなチーリの防音魔法。
私たち3人が揃わないと成立しないその手段を聞いて思った。あぁ、私たちは3人揃ってこそで、誰一人欠けちゃダメなんだなって。
「ありがとう……お願いチーリ」
私の承諾を聞くやいなや、チーリもまた詠唱を始めた。
ティセが魔法で作り上げた光の壁を包み込むようにかかっていく防音魔法の層。やがてその光の壁と防音魔法の層は、一つのドーム状となった。
そしてその内側にいるのは、私とあの怪物、イテマエジャッカルだけ。ここでティセが先に唱えていたイテマエジャッカルの動きを封じる魔法の効果が切れたようだ。
私の方を睨むイテマエジャッカル。その目に宿しているのは憤怒の感情。
『折角人間を甚振ろうとしていたのによくも邪魔をしてくれたな。許さん。まずはお前からだ』とでも思っているのだろうか、今にも私を射殺さんとばかりの殺意を向けてきたかと思うと、私めがけて駆け出してくる。
いつ泣き叫ぶかタイミングを伺っている私の視界の隅に、半透明の壁の外でティセとチーリが、ハラハラとした様子で何かを叫んだ姿が見えた。
それはきっと『今だ!』という2人からの合図だ。2人を信じて私は全力で泣き叫んだ。
「うわぁあぁぁああぁあああああああん!!!!!!!!!!!!!!!!」
泣き声を通り越して金切り声に近い私の悲鳴。それを全身に浴びたイテマエジャッカルは、走る姿勢を止めて苦しみ始めたかと思うと、その場へ倒れ伏し、体を痙攣させはじめた。
暫くの間は踠くように前足を動かしていたイテマエジャッカルも、徐々にその動きは小さくなっていき、やがて舌をだらしなく出したかと思うと泡を吹き出してそのまま動かなくなった。
「やったの……?」
……どうやら、私たちの作戦は成功し、無事にイテマエジャッカルを倒すことができたようだ。
「シィちゃん!!! やったね、成功だよ!」
「シィおねぇちゃんすげぇのですー」
光の壁と防音魔法の効果も切れたのか、私の元へティセとチーリが駆け寄ってくる。
その顔には私が無事だった事への安堵と、作戦が成功したことの喜びが含まれていて、2人に両側から抱きしめられた私もまた、2人が無事だった事に安堵の表情を浮かべた。
しかし、私の不安はまだ残ったままだ。
それは、私たち以外の人間がどう反応するかだ。
「倒したのか……?あの怪物を……」
「すげぇ……」
集まってきた村人たちが、息絶えて横たわっているイテマエジャッカルと私たちを交互に見つめてくる。その中には私たちが買い物に来た時に見知った人たちも大勢いた。
そんな人々の視線が怖い。また私は誤解を受けて糾弾され、挙げ句の果てに処刑されるのではと思うと動悸が止まらない。
幸いにも村人や兵士を始め、たまたま収穫祭に訪れてきていた人全てから死者を出さずに危機を救えたのだから、せめて村への立ち入り禁止ぐらいで許してほしかった。
そんな風に、私が不安になりながら俯いていると……。
「すげえやシィちゃん! ティセちゃんとチーリちゃん!」
「これで収穫祭がつぶれずにすんだわ! ありがとう!!」
「ジトメヨージョ! ジトメヨージョ!」
「バンシーの力ってあんなにすごいものなんだな……」
「黒髪の修道服の女の子もすごいぞ、あれ聖魔法じゃんか!」
「それを言ったらあっちの顔の青い子供もだって! あれかなり高位の魔法だぞ。もしかしてリッチじゃないのか!? かっこいい……」
「今日は祝い酒じゃーー!!!!」
村人たちは怖がるどころか、私たちへの感謝と賞賛を始めたのだ。
光の壁は半透明で丸見え、そして声は聞こえずとも泣き叫ぶ仕種、その直後に倒れたイテマエジャッカル、それだけで、もう誰が見ても私がバンシーだと丸わかりのはずなのに……。
「シィちゃんはバンシーで、こっちのチーリちゃんはリッチだけど、シィちゃんもチーリちゃんも心の優しい女の子です!! それに私が一緒ならば安全です! 聖女だった私が保証します!」
これはチャンスだとばかりに私たちが安全である事を喧伝し始める強かなティセ。未曾有の危機を救った私たちに対して今更否定的な声が混じるはずもなく、私とチーリ、そしてティセが正体を明かした後も村人たちに熱く歓迎された。
「あの子たちなら心配する必要なんか全くないわ!」
「なるほど、聖女のお墨付きだったのか。それなら納得だ!」
「「アノジトメヨージョタチ、オデ、キニイッタ。ヨーシニホシイ」」
「バンシーだろうとシィちゃんはすごいよ! チーリちゃんも!」
「村の救世主だ!!」
「ありがとう!!3人とも!!!」
私たちを囲みながら、歓喜に沸く村人たち。
…さっきから歓声の中に変な声が混ざっているように聞こえるけれどそれは多分気のせいだろう。
それから私たちは、この危機を救った英雄として、収穫祭で大いに饗されたのだった。
それは勿論私だけの力ではなく、ティセとチーリ、2人がいたおかげだ。
……だけど、私はそれでも、心の中にかかっている靄のようなものが完全に晴れることは無かった。
やっぱりまだ、心のどこかでバンシーとしての力を使いたくなかった気持ちが残り続けていたから。
******
収穫祭から森の中の廃教会へと帰ってきたその日の夜。
私はティセとチーリが寝たのを確認してから、灯りの消えた教会の中を一人歩く。向かったのは……礼拝堂。
礼拝堂の中に入ると、私は、本当の修道女のようにその場で跪き、お祈りするかのように手を合わせて、誰にともなく一人つぶやいた。
「ごめんなさい院長さん……。私、人間のように振る舞っていても、やっぱりバンシーなのは変わらなくて、もう使わないと決めた力も使っちゃった。ごめんなさい……ごめんなさい……」
あんなに忌避していた力。たとえみんなの役に立てたとしても、それでもやっぱり私はこの力を使いたくなかった。
間接的に私のせいで死んでしまった孤児院の院長へ許しを請うように懺悔をしていると自然と目頭が熱くなり、やがてそこから雫が伝い落ちて、私の小さな嗚咽と共に地面へと吸い込まれていく。
そして私は懺悔に集中していたあまり気がつかなかった。
私を心配して見に来た人影が、泣きながら懺悔している私の姿を見ていた事に。
そして……。
「シィちゃん……やっぱりシィちゃんは……」
私に気づかれないように礼拝堂からそっと立ち去った際にポツリとつぶやいたその言葉に……。