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20.笑顔の練習

 教会の周りを埋め尽くしていた雪が完全に溶け終わってすっかり春の陽気さが感じられるようになった頃。

 ティセはちょっと用事があるからとルベレミナの村へ一人で買い物に出かけていて、現在廃教会にいるのは私とチーリの2人だけ。


 そんなティセが不在の時に私が何をしているかというと、手鏡に映した自分の顔を見ながら、頬を引っ張ってみたり指で口角を押し上げてみたり。


「うーん……」


 ティセとチーリと過ごすようになってから、私はちょっとずつではあるけれど表情が柔らかくなり始めていた。生まれ変わった当初には到底考えられないことだったけれど、微笑むことも次第に増えてきている。


 だが、その変化が起きたが為に別の悩みも増えていた。


「満面の笑みってどうやったらいいんだろ」


 軽く微笑むぐらいならもう問題なくできるし、ギリギリ笑顔の範囲に入る表情も時々ではあるけれどできるようになっていた。だけど私は破顔と呼べるほどの笑顔になった事はまだ一度も無い。もうろくに覚えていないけれど孤児院で過ごしていた頃にも無かった気がする。


「……ティセに笑顔を見せるなら、どうせなら満面の笑顔を見せたいな」


 一人で寂しく、心を閉ざして生きていくはずだった今世を、こうして安寧に過ごせるのはひとえにティセのおかげ。まだちょっと冷たくあしらってしまうこともあるけれど、それでも私はなんだかんだティセに対してありがたい気持ちでいっぱいなのだ。


 そんなティセには、いつか満面の笑顔を見せたいと思っている私は、ティセがいない隙をうかがって、手鏡を持って笑顔になる練習をしていたのだけれど……。


「全然わからない」


 バンシーという種族の特性上、泣くのには特化していても笑顔に関しては表情筋が死んでいるのかと疑ってしまいたくなるほどに破顔の範囲に入るほどの笑顔の作り方がわからないのだ。


 もしかしたら、私は破顔するのが不可能なのかもしれない。

 そんな風に私が悩んでいると……。


「シィおねぇちゃん、手鏡持って何してるですか?」


 私を探しに来たのだろうか、チーリがやってきた。


「ああチーリ。実は、笑顔になる練習をしてたの。ティセがいる時だとできないから」


 その私の答えを聞いて、人差し指を顎に当て、さも不思議そうにチーリは首を傾げた。


「はて、何でできないですか? ティセママもシィおねぇちゃんが笑顔になってほしいみたいですから、練習してるのを見たら嬉しがると思うですけど」


 私がティセの前では練習ができないと言ったのを不思議に思ったらしく、再度私に尋ねるチーリ。


「だってティセにそんなところを見られちゃうの恥ずかしいし……」


 結局の所そこなのだ。チーリが素直すぎるが故になんとも思わないのか、少なくとも私の場合、ティセの前になるとバンシーとしての建前やプライドが邪魔をしてきて、笑顔になる事が、それも練習段階の所をティセに見られるのが非常に恥ずかしい。


 そして何より、笑顔になる練習をしていたなんてティセに知られたら、絶対『デレ期到来!』とか騒ぎ出して、非常に鬱陶うっとうしいに違いない。なので、それだけは絶対に避けたいわけで。


 そんな私の気持ちをんだかはわからないけれど、それを聞いたチーリは何か思いついたかのような顔をしながら一歩前へと踏み出し、言葉を返した。


「ではチーリが協力するのですよ。チーリもシィおねぇちゃんの笑顔、見たいです。」


 そう言いながら私に笑顔を向けるチーリ。なんて姉思いの妹なんだろう。まるで天使みたいだ……リッチだけど。


 それにしても、チーリは私と同じように闇とか死とかの属性寄りなので、無表情で感情も乏しいかと最初思っていたのに、よくよく見てみるとただ顔色が悪いだけで、実に表情豊かだった。

 さらに私と違って笑顔もすぐに向ける事ができるので、そんなチーリが私にはなんともまぶしく感じる。


 ちなみにチーリと私で共通しているのは、『!』がつくほどの大声を出すのが非常に苦手な事くらいしかない。



  ******



「それではシィおねぇちゃん笑顔にする作戦を決行するですよ。できたら笑い泣くレベルで笑顔にするです」

「いやそれだとチーリも危ないから……いや、チーリなら大丈夫か」


 私が笑い泣きなんてしまったらチーリに被害が……と思ったけれど、チーリにはアンデッドであるリッチの血が流れている。なので私のバンシーとしての能力は効果が無いだろう。


「まぁ、だからといってそう簡単に笑い泣く事ができるとは思わないけど、ひとまずは笑顔になる練習から……ってどうしたのチーリ。すごく不満そうな顔してるけど」


「シィおねぇちゃんは甘々さんなのです。それでは笑顔ポイントが弱々(よわよわ)です。目指すべき笑顔道えがおどうは遙か彼方なのです。だからチーリは心を鬼にしてシィおねぇちゃんが笑い泣く為にきつい訓練をするのです」


 笑い泣くという事がそもそもどういう状況になればできるのかバンシーの私には理解できないので、まずは簡単な事から……と思っていたんだけど、どうやらチーリは見た目に寄らず鬼教官だったようだ。というか何? 『笑顔道』って……。


「『笑顔道』がなんなのかよくわからないけれど、具体的にはどうすればいいの?」


 その私の問いに対して、待ってましたと言わんばかりに即答するチーリ。


「笑顔ということは笑わなければならない状況をつくればいいです。というわけでまずチーリはシィおねぇちゃんをくすぐることにしたです」


 うん、どうしてそうなる?


「シィおねぇちゃんは多分表情筋が死んでいるのです。それでは笑顔になろうとしても顔の筋肉がびっくりして動けないのです。だからこのチーリの『擽神の徒業(くすぐりゴッドハンド)』で、シィおねぇちゃんの表情筋を大破させれば自ずと笑顔になろうと動き出すに違いないです」


「まぁ言いたいことはわかるけれど果たしてそれ効果あるのかな……ってちょっと待ってチーリ。手を高速でわきわきとさせながら妖しい笑みで迫ってくるのはやめて、怖い怖い。」


 そこで私は気づいてしまった。チーリは楽しんでやっている。

 しまった、チーリは純粋である反面、リッチとして己が調べ尽くしたい欲求に対しては非常に貪欲だったらしく、私を笑顔にする方法もその対象に含まれてしまったようだ。


「ではいくですよー」


 そんなチーリがちょっと恐ろしくて後ずさりしたけれど、狭い小部屋だった為にすぐに私は壁際へと追いやられてしまった。

 そしてクモに捕らえられた蝶のごとく、私はチーリに脇腹や首筋といった普通の人がくすぐったがる箇所を重点的にまさぐられてしまうのだった……けれど。


「……うん、私には効かないみたい」


 どうやら私はくすぐりにも耐性もあったらしく、いくらチーリが執拗しつようにくすぐってきても全くといっていいほど効果が無く、むずむずと感じることすら無い。


「そんな、チーリのこしょこしょ作戦は徒労に終わったですか」


 私の目の前で膝から崩れ落ちるチーリ。いやそんなものすごくショックを受けたかのようにしなくても……。


「ぐぬー、では次の作戦いくですよー」


 まだ諦めていないらしいチーリが何をするのかと思いきや、今度は私に抱きついてきた。

 先程までチーリにくすぐられていた為に、チーリとの間隔が非常に狭まっていた私は、一切の隙を与えられないままチーリに腕ごとホールドされ、身動きがとれなくなってしまった。


「シィおねぇちゃんもチーリと同じような顔をしてみるのですよ。それがシィおねぇちゃんにとっての笑顔になるですよ。にんまぁ」


 私を抱きしめながら見上げるような姿勢で笑顔を向けるチーリ。あぁ何この子、蒼い顔したリッチなのに天使。しかしそれ以上にこれは……。


「い、あ、あの、チーリ。ちょっとこれは……恥ずかしい……」


 チーリの顔が間近に迫っている為、恥ずかしさの方が前面に出てきてしまって笑顔と呼ぶにはほど遠いニヤけ顔になってしまう私。


「うーん、これではまだダメダメですか。でもシィおねぇちゃんはチーリの顔が近づくと笑顔になりそうということがわかったです。つまりはこうです」


「いや、ちょっと待ってチーリそれは誤解……って、待って待って」


 ただ単に親しい人の顔が至近距離にあるからニヤけてしまっているだけなのに、それを笑顔になるきっかけと勘違いしてしまったのか、チーリは顔をさらに近づけてくる。

 その上チーリは私を強引に床へと座らせるとそのまま私の上にまたがるような姿勢を取ってきた。この姿勢はまだベッドで寝られなかった頃に私とティセが一つの毛布に包まりながら寝た時の体勢と同じだ。しかし今のこの状況はその時とは大きく異なる。


「これで逃げられないですよ、シィおねぇちゃん……」


 ちょっと待って。今のチーリ、7歳児とは思えないほどすごく妖艶ようえんな『女』の表情をしているんだけど……。


 私を笑顔にするというただそれだけだったはずなのに、その過程のどこかで変なスイッチでも入ってしまったのだろうか。

 それはともかくこの体勢は非常にまずい。

 これをティセに見られたら絶対にあらぬ誤解をするはずだ。なので私はこの場からなんとか逃れようとするけれども、チーリにがっちりとホールドされてしまっていてもがく事すらままならない。


「さぁ、シィおねぇちゃん。笑顔になるですよ……」


 私と目と鼻の先まで迫るチーリのしっとりとした吐息が顔にかかる。子供らしいミルクのにおいに混じってどことなく甘いにおいも漂ってくる。


 そしてここで私が最も危惧きぐしていた事態が起きてしまった。


「ただいまー、2人ともどこにいるのー?」


 最悪のタイミングでティセが帰ってきたのだ。

 せめて、チーリがこの状況をまずいと判断して私から手を離してくれればまだ見られずに済む可能性が……。


「あ、ティセママお帰りなのですよー」


 待ってチーリ、この状況で普通に応答するのは流石におかしいから。

 そして私の願い叶わず小部屋を覗き込む人影一つ。


「ああ、ここにいたのね2人と……も!?」


 私たちのあられもないとまではいかないものの、パッと見では私がチーリに襲われているような状況を見て、口をあんぐりとさせながら持っていた荷物を床に落とすティセ。


「あ、ティセ、違うの。これはその……」


 私はこうなってしまった状況を弁解するかのごとく言葉を紡ごうとしていると……。


「何このうらやましい状況!? 私抜きでそんな素てk…いかがわしい状況になってるだなんて!!」


 待って、その反応はおかしい。


「落ち着いてティセ。これ、本当になんでもないから」

「なんでもあるよ!!」


 というか私たちのこの姿を見て『素敵』って言おうとしたの聞き逃してないからね?

 それについては追々(おいおい)文句を言うとしてまずはこの状況についての誤解を解かないと。


「全て誤解。いかがわしい状況になんて全くなってないし、これは、その、とても健全」

「何処が!?」


 だめだった。誤解が解ける様子がない。

 まぁ、私でもこんな状況見たら『何処が!?』と言いたくなるもの。


 しかし、ティセが言いたいことはそれだけではなかったようで、とんでもない本音をぶちまかしてきた。


「健全だって言うなら私も混ぜてよ!!!! うわーん!!! ずるいよー!!!!」


 いや、本当に何を言ってるんだこいつは。


 そして、どうして私とティセが混乱したような状態になっているのか全くわからない様子でポカンとした顔をしながら、私たちの顔を交互に見つめるチーリ。


「ティセママもシィおねぇちゃんも楽しそうだけど、チーリよくわからないのです」


 その言葉で私は確信した。

 チーリはかわいい妹の皮を被った天然の小悪魔だと。


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