02.膝枕聖女
「……いけない、随分眠っちゃっていたみたい。……あれ」
私が目を覚ますと……視界に入る景色がおかしい。
私は木にもたれかかって眠っていたはずなのに、視界に映るのは厚い雲と私の顔を覗き込む女性の顔。そして頭に当たる柔らかい感触。
「あ、起きたんだね」
「……!?」
眠っている間に、どうやら私はこの女の人に膝枕をされていたらしい。
誰にも気づかれることなくひっそりと森の中で生きていくと、先程決意したばかりなのにもう人間に見つかってしまった上、膝枕までされていたという状況に私は驚きのあまり、思わず飛び起き、その場から後ずさりしてしまった。
「あ、ごめんね驚かせちゃって。こんな森の中で、それも雨でずぶ濡れになった女の子が一人でいるなんて思わなかったし、さらに眠り始めちゃったから、このまま放っておくのは危ないかなと思って」
「そうだったの……すみません、ありがとうございます……」
ひとまずお礼を述べてから、改めてこのおねえさんを見てみると、かわいらしい顔立ちに、この世界ではあまり見ない長い黒髪。その髪が雨露に濡れた事によって光沢が増しているからなのか余計に美しく見える。
年齢でいうと13ぐらいだろうか。
そして修道服に身を包んでいるから推測するに、教会か何かに関係する人だろうか。それにしてもこのおねえさんもこんな森の奥を雨が降る中、傘も差さずに何をしていたんだろう……。
そんな風に思っていると、お礼を述べたきり反応を返さない私が不思議に思えたのだろう、おねえさんは言葉を続けた。
「ねぇ、あなたお名前は? なんでこんな所にいるの?」
「……シィ」
私は、孤児院で過ごした時に呼ばれていた名前ではない別の名前を名乗った。
あの幸せだった日々を思い出しそうで、辛くなるから。
「そう、シィちゃんって言うのね。それで、あなたはなんでこんな所に……」
「……私の事はもうほっといて」
私は一人で生きなくちゃダメなの。だから……私にかかわろうとしないで。
「ほっとけって言われても……こんな深い森の中に女の子が一人でいるのは流石に心配になっちゃうわ」
「いいの。……私にかかわるとあなたもきっと死んじゃうから」
私は、自分のせいで誰かが死ぬのがもう耐えられない。だから早くどこかに行って欲しい。
「ということは……あなたは人間じゃなくて……もしかしてバンシー?」
「……」
いきなりバレてしまった。でも、否定の言葉を返さない私を見て、おねえさんもきっとそれを肯定と捉えるだろう。
そしてバンシーだとわかったのなら、このおねえさんも血相を変えてすぐさま私から離れていってくれるに違いない。
目の前で泣かれただけで死んでしまうような力を持った存在なんて恐怖の対象でしかないもの……そう思ったのに。
「バンシーでもこんなずぶ濡れになったら風邪を引いてしまうわ。良かったら一緒に来ない?」
「……正気なの? 私がバンシーだってわかったはずなのに……」
意味がわからない。なんでこのおねえさんは逃げようとしないばかりか私を一緒に連れて行こうとするの……? 自殺願望でもあるのだろうか。
「うーん、だって私にはあなたがただの小さな女の子にしか見えないもの。
それに、バンシーだったら人間の事なんて気にせず自分が思うままに泣けばいいのに、あなたはさっきから泣きたいのを我慢している顔をしているもの。それも辛そうに……。
そんな顔されたらほっとけないよ私」
「あ……」
私は、無意識のうちにそんな顔をしていたのか……。
そんな事にまで気がついてくれたおねえさんは本当に優しい人なんだと思う。
だからこそ私は、このおねえさんを余計に死なせたくなかった。
「おねがい、私のことはもうほっといて。私が、私なんかが一緒にいたら……あなたも死んじゃうから……私はもう誰かを死なせたくないの……」
私は、心のどこかで彼女に対して湧き上がりつつあった、彼女に甘えたい、優しくされたいという感情をなんとか押し込めて、抑揚の無い、感情のこもらない声で彼女を遠ざけようとした。
だというのにおねえさんは依然としてあっけらかんとした顔を私に向け続けている。
「うーん、大丈夫だと思うよ? だってシィちゃん。まだ気づいてないようだけど、泣きたいのを我慢している顔と私が言った瞬間から目から涙が流れ始めていたよ?
それでも私へっちゃらだもの」
その言葉を聞いた私は驚いてすぐさま自分の頬に手を当ててみると、雨とは別の熱い液体が、頬を伝っていくのを感じた。
確かにそれは、私の涙。
「嘘……なんで……?」
わけがわからなかった。なんでこの人は無事なの……? 私が泣いたらその対象となった人間は死んでしまうはずなのに。
そんな私の疑問を感じ取ったのか、おねえさんが死なない理由を教えてくれた。
「うーん、シィちゃんには私の秘密を教えるんだけど……私はね、聖女の素質があったらしくて、この国の聖女として城で働いていたの。といっても、聖女の力で怪物を倒すのを躊躇したり、それどころか逃がしたりしてしまった事もあった、少しポンコツな『元』なんだけどね。
それでね、私の聖女としての力には、物理攻撃以外の死に関するあらゆる術式や能力を完全に無効化したり、体内に取り込んでしまった毒を浄化したりするものがあるらしいの。だから、シィちゃんも平気なのよ」
聖女といえば、闇の力に対抗する力や魔法を使いこなす女性のことで、闇の力にはもちろん私のバンシーとしての能力も含まれるはずだ。なるほど、それならおねえさんが私に対して平然としていられる事も納得だ。
ある一点を除いて。
「……『元』って?」
聖女の力を宿した人物は滅多におらず、突然変異のようにいきなり現れる。その為、聖女という事がわかった時点で国はすぐさまその身を保護して丁重に扱う要人になるはず。しかし、このおねえさんは『元』であるだけでなくこんな森の奥深くに一人でいた。
どう考えてもおかしい。
私が尋ねると、おねえさんが今度は困ったような顔をしながら私に話してくれた。
「あー……、いやぁ、私って元々の身分がすごく低いのよ。そんな私が聖女を名乗る事を快く思ってない人が大勢いてね。
そいつらが私に無実の罪を着せて城から追い出そうと謀略を企てているという話が耳に入って、こちらから出てってやるわってすぐさま城を逃げ出してきたわけよ」
「そう……なんだ」
のほほんとした顔で、ものすごい経緯をサバサバと語り出すおねえさん。見かけによらず豪胆な性格だったようだ。
「そして私は、子供を保護したりお世話したりするのが好きだったから、シィちゃん見たいなちっちゃい子をほっておけないの」
「待って。私、見た目こんなだけど別に子供ってわけじゃ……」
私は妖精だからか成長する早さが非常に遅くて、見た目が変わることがそうそう無い。なので子供扱いされるのには少し違和感がある。
だというのにこのおねえさんは私の反対意見を聞こうとはしなかった。
「いーや! 私が子供と言ったらシィちゃんは子供なんですー!
なのであなたは私が保護しますぅー!
これからは私がシィちゃんのお母さんなんですー!」
保護する側であるはずのおねえさんの方が駄々をこねはじめてしまった。なんというかこれは逆に手がつけられない。
私は観念した。
「ちょっ……うん、もういいや。どうせ行く場所なんて無かったし、おねえさんのところでお世話になる」
「やった! ありがとうシィちゃん!」
私がおねえさんにそう告げると、おねえさんは満面の笑顔で私を抱きしめてきた。突然のことに私は動揺して、おねえさんから抜け出そうと踠いたのだけれど、おねえさんの腕力は見た目以上に強くて私はその腕から逃げることができない。
結局私は、おねえさんが離してくれるまでもうこのままでいるしかないと、すっかり諦めモードに突入。
私が抵抗しなくなったのをおねえさんも感じ取ったのか、抱きしめる力を緩めると今度は私の顔をじっと見つめている。私もお姉さんを見返して、改めておねえさんの顔をまじまじと見つめると、お姉さんの瞳は吸い込まれそうな程に綺麗だった。
「それにしても……シィちゃんって、まだ幼いのにとても美人さんだね。無表情なのもかわいいけれどきっと笑顔になったらもっとかわいいはず……ねえお願いシィちゃん!
一瞬だけでもいいから笑顔を見せてくr」
「や」
即答。おねえさんがいい人なのは間違いないけれど私はそんなお安くない。
「うーん、つれないなぁ……よーし決めた! 私、シィちゃんが笑顔を見せてくれるようにがんばる! そしてシィちゃんがこれから流す涙は嬉し涙だけ!
というわけでこれからはシィちゃんの事、いっぱい笑顔と嬉し泣きさせてみせるから覚悟してね!」
バンシーの泣き声を向けられた相手は普通死んでしまう。しかしそれはバンシーの悲しみの泣き声が原因だと言われている。では嬉し泣きの場合だと…?
考えた事なんて一度も無かった。でも、どうなるかわからないから、私は嬉し泣きもしない方がいいんじゃないかと思うんだけど……。
「おねえさんの目標大きそうだけど、笑顔はともかくそんな頻繁に嬉し泣きする機会なんて無いと思うし、そもそも嬉し泣きしたら周りがどうなるかわからないから泣かない」
「いーや! たくさん嬉し泣きしてもらうね! 私はもう決めましたー!」
おねえさんに対して再びツッコミで応戦するけど、全く効果が無い。私はかなり突っ慳貪な対応をしているはずなのにそれにもめげない鋼みたいな精神の持ち主であるおねえさん。
多分聖女としてあり続けるためにはこれぐらいの精神じゃないとやっていけなかったんだろうね。
そう思ってしまうと、なんだか私ですら心の中でおねえさんに同情してしまう気持ちになってしまった。
「それで、私はおねえさんのことをなんて呼べばいいの?
このままおねえさんでいい? 多分13歳ぐらいだよね?」
私が尋ねると、おねえさんは動きを止めて、何故だか複雑そうな顔を私に向けた。
「おねえさんって呼ばれるのも悪くないんだけど……、私、身長がすごく低いのと、この童顔とこの体型のせいでいつも子供か、よくて成人前の年齢にしか思われないけど実はもうすぐで33歳で……言っちゃえばもうおばさんなのよ……。
いやむしろ身分が低いからじゃなくてこの年齢で聖女を名乗っていたから城を追い出されたんじゃないかって思ったりもしているわけで……。
なんだか聖女は10代が常識みたいな雰囲気あったし、年増聖女とか言われて馬鹿にされたこともあったし」
「……33……え?」
おねえさんの年齢。それが今日一番の驚きだった。
「あ!? シィちゃん疑ってる!?」
どうやら顔に出てしまっていたらしく、思っていることがおねえさんにバレてしまった。
「うぅ、呪いたくなるこの童顔っぷり。きっと私の家系は代々こうだったんだろうなぁ……。
あ、そういえば私の名前まだ言ってなかったね。私はティセ・オーガッタ。だから私のことはティセって呼んでね。なんだったらもうおかあさんって呼んでくれてもいいn」
「わかった、ティセ」
それ以上言わせないとばかりに即答する私。
「えー! 折角だからおかあさんって呼んでよー!」
「や」
再び一刀両断。
「ちぇー……。まぁいいか。それじゃ一緒に行こっ、シィちゃん!」
「うん」
そう言ってティセが差し出した手を、私は無意識に取っていた。
ひとまず私は、ティセのことをおかあさんとは呼ぶ気にはまだなれない。
そんな冷たくあしらってしまうような私の事を笑顔に、さらには嬉し泣きさせられるものならやってみせてよティセ。
絶対嬉し泣きなんてしてやんないんだからね。
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