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一月毎に地図を買え  作者: 雪ノ雪
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プロローグ/寝惚けたままでも進む朝

 カーテンの効果を無碍にする強い日差しで目が覚めた。

 つけっぱなしの暖房を止めて、三上春は口元に手を当て欠伸を噛み殺しながら自室を後にする。

 段差の高い階段を下りてリビングに入ると、焦げ臭い食パンの匂いがした。

「おはよう、春」

「んー、おはよー」

 エプロンをした母の言葉に目を閉じたまま呻くように言葉を返して、春はよろよろと食卓につく。

 対面には、半分ほど呑まれたコーヒーと新聞が置かれていた。

「……あ、お父さん、もう行ったんだ?」

「ええ、今日は遅くなるらしいわ」

「そう……」

 そこでもう一度欠伸を零してから、春は置かれていた緑茶を啜った。

 程々の苦さが舌に広がるが、眠気を払拭するには遠い。

「パン食べる前に、顔洗ってきなさいよね」

「はーい」

 間延びした声を漏らしつつ、言う通りにする。

 仕事用のスーツは、いつものように洗面所の籠の中に置かれていた。

 その当たり前の事実をなんとなく確認しつつ、顔を洗う。

 今日の水は生温かった。昨日はあんなに冷たかったのに、本当、水道水の温度は気分屋だ。

 まだまだ眠気が覚めない事実にちょっとした失望を覚えつつ、春はパジャマを脱いでスーツに着替える。

(化粧は……まあいいか)

 面倒くさいし、顔色も悪くないしむくんでもいないのだから、してもしなくても大差はない。それが許される程度には春は美人で、良くも悪くも化粧映えしない性質でもあった。

(……ねむ)

 三度目の欠伸を零しながら、洗面所を後にする。

 そしてリクエスト通りの焦げ気味なパンをかじりながら、テレビをつけてニュース番組に眼を向けることにした。

『昨夜の午後十時二十七分、新山市の上空三百メートルに東京タワーと思わしき建造物が出現し、それを処分した件で東京都の堤都知事が抗議。賠償金の請求にまで発展』

 眼鏡をかけた女性キャスターが、淡々とした口調で原稿を読み上げている。

『今朝未明、彩未市警察署に武装した集団が押し入り銃撃戦が起き、死傷者二十名を出した事件で、逃走していた主犯者が逮捕されました』

 お隣の治安の悪さは相変わらずのようだ。

 まあ、この美船市の治安もけして良いとはいえないわけだが……

『一週間前に美船市で起きた栃未区画消失に新たな情報が入りました。栃未は現在、パプアニューギニアの首都ポート・モレスビーから約百キロの位置に転移した事が確認され、受け入れの要請か引き取りで投票を行う事が市議会で決定されたとの事です』

「これ、どうなるのかしらねぇ」

 頬に手を当てて、母が心配そうに呟く。

「知り合いとか住んでたの?」

「いいえ、そういうわけじゃないけれど。投票っていうのがね、引っ掛かるっていうか」

「勝手に決められるよりはいいんじゃない?」

「春、あんたはどっちを選ぶの?」

「まあ、引き取りかな。知らない場所で生活するのは大変そうだし」

「そうよねぇ、日本語なんて通じないだろうしねぇ。英語が通じれば少しは違うんだろうけど。パプアニューギニアって、英語圏だったかしら?」

「……」

 そんな事を訊かれても春には判らないし、栃未の人たちの安否にもそれほど興味はなかった。言ってはなんだが、所詮は他人事だからだ。

 少なくとも、今のところはだが。

「……あんた、夜更かしでもしたの? まだ眠そうだけど」

 話にうまく耳を傾けられていない春に、母が眉を顰めた。

「うん、ちょっとゲームしてた」

「学生気分が抜けてないわねぇ」

「社会人だってきっとゲームで徹夜とかしてるよ。好きな人は」

 ぐちぐちと反論しつつ、春は席を立つ。

「あら、もう出るの?」

「眠気覚ましに駅まで歩こうかと思って」

「そうね、それがいいわ」

「じゃあ、行ってきます」

「ええ、いってらっしゃい。気を付けてね」

 その言葉を背に玄関を開けて、春は空を見上げた。

 今日も紫色の太陽が陽炎のように揺らめきながら、刺すように冷たい光を注いでくれている。

 その傍らには半分ほどが砕けた月の残骸が、うっすらと浮かんでいた。

 そして空の所々に亀裂のような黒が滲んで見える。

 それらは二十年前にはありえなかった惨状らしい。

 だが、今現在では日常でしかない光景だ。

 特に気になるものもなく、またも欠伸を一つ零し、春はまだ慣れないヒールの感覚に少し躓きそうになりながら、仕事場に向かって一歩踏み出した。



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