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創作怪談――創怪

増殖

作者: ユージーン


 父がインフラ関連の仕事だったため転勤が多かった。

 最初の頃は引越し先で地元の人たちに嫌われないようにと気を使っていたそうなのだが、ある時、近隣住人との間でいろいろと嫌な目にあったらしく、それ以降はできるだけ関わりを持たずに次の転勤まで息を殺してやり過ごすようになった。


 おかげで私も転校が多かった。

 もともとの性格なのか、両親の影響か、私も同級生とはあまり付き合わず、次の転校まで一人で過ごすのが当たり前になっていた。

 今思うと母は優しかったが閉塞感のせいか家の中はいつも少し息苦しかったように思う。


 小学校の三年生の頃、山奥の現場の近くに住んでいたのだが、学校から帰宅する途中で道を間違えてしまった。

 いつも見知らぬ土地で見知らぬ道を歩いていた。だから道に迷わないように気をつけていた反面、いつもよく知らない場所にばかりいて慣れてしまってもいた。

 1本道だったので飽きたら引き返せばいいやと思って道なりに進んでいくと家が見えてきた。

 家に近づきすぎると住人にあれこれ言われるかもしれない。


 徐々に近づくにつれて薄汚れて傾いた屋根が見え、さらに近づくと背の高い雑草が軒下すぐ近くまで迫っているのに気づき、そのまま進むことにした。

 踏み石は雑草に埋まり、正面の引き戸は半分開いたまま斜めになっていた。

 雑草をかき分けて進み、縁側の黒ずんだ板を踏んで部屋に入ると畳も土色に変わっていて天井は全て落ち、屋根のあちこちから曇り空が見える。

 以前は誰かが生活していたはずの場所を土足で歩き回っていると、全く違う時間の流れの中に迷い込んでしまったような不思議な感じがした。


 大きな古い作りの家で、ふすまが無くなるか倒れるかしていて視界をさえぎる物がない。

 見回すと奥の1箇所だけぴったりとふすまが閉じている場所があった。

 腐って柔らかくなった畳を踏みながら敷居をいくつか越えて中を確かめると、そこは布団部屋だったらしく窓のない暗い部屋だった。三方の壁に棚がある。

 ちょうど正面の棚に白い卵があった。

 普通のニワトリの卵のようで、数十個が整然と尖った先を上に向けて並んでいる。


 いつの間にか座り込んでいた。

 板の間の床から立ち上がって外に出ると薄暗い。

 夜の山道の暗さ、危険さはわかっていたので全速力で家に走った。


 それから放課後になると廃屋に通っては卵を見つめていた。

 理由はわからない。

 遊び相手もいなければ他にすることもなかったからかもしれない。

 帰りが遅くなり、2人の時間が減って1人の時間が増えたせいで、母親の笑顔がちょっと悲しそうになった。

 普通なら子供に友達でもできたのかと喜ぶところかもしれないが、母にとっては私や父と過ごせるわずかの時間だけ孤独から開放されるのだから少し申し訳ない気がした。

 それも数ヶ月のことで、すぐにその村からも引っ越すことになった。




 年を追うごとに父は責任ある立場へと昇進して、私が高校生になった頃には転勤の話を聞くことはなくなった。

 二年生の秋頃に自転車で少し遠くへ行く事があった。

 しばらく行くと団地の横の道に出た。

 古びた巨大な建物が広い敷地に並んでいるのは寂しげで、失礼ながら少し薄気味悪い。

 それなのに目が離せなくなって眺めながら走っていると、部屋の前に人が立っているのが見えた。

 そこからじっと動かない。

 気にはなったがいつまでも眺めているわけにもいかないから、横目で見ながら通り過ぎた。


 帰宅してから母に古い団地の話をすると、以前にそこに住んでいたことがあったと言われた。

 思い出らしい事もなくぼんやりと過ごしていたことが多かったせいか子供の頃の記憶があまりない。父は暇を見ては赴任先の観光地などに連れて行ってくれたから、そうした場所のことはなんとなく覚えてはいるものの、あとは狭い部屋の中で本を読んだりしていただけだったから、その団地のこともすっかり忘れていた。


 その晩、あの団地のことを考えていた。

 なんとなく当時のことを思い出せるような気もするがはっきりしない。

 くたびれたコンクリートと錆びついた手すりの臭いの記憶があったが、それが本当にあの場所だったのかと考えると自信がない。

 どうでもいいとは思うものの、そこで自分が生活していた頃の思い出が残っていると考えると落ち着かなかった。


 思い切って母に当時住んでいた部屋を尋ねると、「今さらそんな事を」と言われたものの、いろいろ調べてくれ、くれぐれも今その部屋に住んでいる人に迷惑をかけないようにと念押ししたあとで教えてくれた。

 あまり昔のことを思い出したくなかったのかもしれないと思うと少し申し訳ない気がした。




 自分の住んでいた7号棟を見上げると少しだけ当時のことを思い出せた。

 建物の間の広場の錆びついた遊具の辺りに人影はなく、子どもたちは階段のあたりに並んで座って携帯ゲーム機で遊んでいる。

 当時からくたびれきっていた遊具は危険で撤去を待つばかりといった感じだったから使う子はいなかった。


 友達のいなかった私は――というよりどうせすぐに引っ越すだけで時間つぶしぐらいしか考えていなかった私は、人目を避けるように階段の出口から建物の裏手に回って、そこから敷地内を歩いていた。

 今にして思えばそこまでしなくてもという感じではあるが、嫌味な隣人との不快な記憶が忘れられなかったせいで、それが当たり前になってしまっていた。


 自分が住んでいた部屋には向かわなかった。

 狭くて人が一人通るのが精一杯の日陰のコンクリート舗装の道を歩いていく。

 あの頃、こんな風に団地の中を歩いていた。

 思い出すというより足が自然に進む感じだった。

 景色に覚えはないが迷うことはなかった。

 この先に、あの頃、放課後を過ごしていた場所があるはずだ。


 エレベーターに入ってボタンを押して目的の階で降りる。

 部屋のドアが開いていて、前に男性が1人と女性が2人立っていた。

 自転車で通った時に人が立っていた部屋だと気づいた。見下ろすとあの時の道が見える。

 少し迷ったが気になって部屋の方へと進む。


 部屋の前で男の肩越しに覗くと、男性、女性、子供、老人、様々な人が座って部屋の中が満員になっていた。

 3人は部屋に入れなかったせいでドアの前に立っていたのだ。

 みんなは同じ一点を見つめていた。

 押入れのふすまが開いていて、真ん中の棚の上にたくさんの白い卵が尖ったほうを上に向けて並んでいた。


 思い出した。

 あの山奥の廃屋で見つけた卵の一つを私は持ち帰り、この団地に引っ越してきてすぐ、空き部屋を見つけて忍び込んで押入れに置いた。

 ここでもじっと卵を見つめていたんだ。

 団地を出る時にも卵を持ち出そうとしたが、その暇もないまま引越し業者のトラックに乗せられて母とともに去ったのだった。

 そうだった。引っ越す頃には私以外の人も部屋に来て卵を見つめるようになっていた。


 部屋の中の人たち全員がゆっくりとこちらに顔を向け始める。

 私は部屋から目を背け、真っ直ぐに進んで階段から下へ降り、自転車に飛び乗って家まで帰った。




 持ち出した卵が1個だったのは覚えている。

 なぜそんな事をしようと思ったのか、卵がどうやって増えたのかわからない。

 これ以上は思い出したくない。

 どうすれば忘れたままでいられるのか。

 その方法が何よりも知りたい。


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