8つめの七不思議
「ねえ、もう聞いた?オッカタ様の話」
「オッカタサマ? 」
「そう、オッカタ様」
僕こと《北城悠希》が首を傾げると、御崎中学の七不思議なのだと《小田切茜》は言った。
両親の仕事の都合で祖父母の家に預けられてから、もうすぐ4ヶ月。中学2年という半端な時期の編入にも関わらず、クラスメイトは快く迎え入れてくれた。と、僕は思っていた。
「いや、初めて聞いた」
この町に来てから、七不思議なんて話題に上がったことすらない。誰も教えてはくれなかったと答えれば、「七不思議が話題になるなんて機会、なかなか無いもんね」と笑いながら慰められるはめになった。
茜は僕の従姉弟で、2つ上の高校1年生。もちろん彼女も去年まで、海沿いの道を自転車で駆け、御崎中へと通っていた。
「オッカタが名前で、サマが敬称。お化けに敬称なんて変な感じだけど、なぜかオッカタ様だけは、七不思議の中で唯一、敬称をつけてよばれてるの」
正直なところ、僕は怖い話が得意では無い。友達には強がって隠しているが、幼いころから付き合いのある彼女はそれを知っているはずで、僕が5歳の頃だかに大泣きしてからは、そんな話を振られたことなど1度も無かった。だから、だろう。どうして突然そんな話をし始めたのか、僕は無性に気になった。というより、このままではより怖い方に妄想してしまいかねない。数分先の自分の心の平穏の為、今の自分を犠牲にするしかないだろう。
「それで、どんな七不思議なの? 」
「うーん、特に何かするってワケじゃないんだけどね。悠のクラスがある東校舎の4階、北側に階段があるでしょう? 」
東校舎4階の北側の階段と言えば、まさに僕のクラスの目の前だ。けれどクラスメイトも、怯えている風はない。
「ああ、あるよ北と南に1つづつ。けど、どっちも変わったところは無かったと思う。北の方が一階分多いけどその先で終わってるし」
「そう、終わってるの。で、その先に窓があるでしょう? でね、その窓の中にオッカタ様がいるのよ」
「いるって言われても……」
窓の向こう、というのも訳が分からない。が、窓の中なんて、もっと訳が分からない。5歳の頃ならいざ知らず、辻褄が合わない話で怯えるほどもう幼くもない。窓の中などと言われても――――
「正確には、窓じゃない」
「え、明兄。明兄もこの話知ってるの? 」
茜の肩からひょっこりと顔を出したのは、茜の兄《小田切明》だ。彼は茜と9つ年が離れていて、今はもう立派な社会人だ。工業大学を卒業して、建設業に就職したと聞いている。茜の事は呼び捨てだけど、出会った当時10歳以上も離れていた彼の事は気がつけば明兄と呼んでいた。
「まあ、聞いただけだけどな。俺は南側の階段を使ってたし」
確かに、8クラスある2年の中でも4階を使っているのは6クラス。その中でも北側の階段を使うのは3クラスしかない。
「窓じゃないって、どうゆうこと」
行き止まりの壁についているのなんて、窓しかないのではないか。思わず声が大きくなった僕を見て、明兄と茜は嬉しそうに顔を輝かせた。
「窓じゃなくて、鏡なんだ」
間に合うといいね、と茜は言った。
***
そして今、僕は4階突き当りの壁を眺めている。
一晩経っても忘れることが出来ず、かといって無視することも出来ず。言われたままに向かったそこには、確かに鏡があった。
正確には、窓じゃない訳ではない。ただ、窓にあるはずのガラスが、全て鏡になっているのだ。
鞄からスマホを取り出してネットで検索するもこれといって情報は無く、見なければよかったという後悔と、どうして怖い話をしたのかという茜を恨む気持ちが、僕を支配する。
だからだろうか、背後から迫って切ったであろう足音に、僕は全く気が付かなかった。
「北城君? 」
不意に名前を呼ばれ、思わず振り返る。声の主は、同じクラスの《漆原結衣》だった。といっても、正直あまり会話をしたことも無く、知っていることといえば、名前と……名前くらいだ。
「……何か用かな」
こんなところで立ち止まって、変な奴だと思われただろうか。出来ることなら無視して通り過ぎて欲しかったと、心から思う。けれど漆原はわざわざ僕に話しかけた。ということは、僕に何か用があったのか、もしくは用が出来たわけで――。
「オッカタ様の話、聞いたの? 」
「まあ、うん」
肯定なんてしようものなら、オカルト好きだと思われかねない。けれど、わざわざ話しかけてくるくらいなのだ。もしかしたら漆原は、正体を知っているのかもしれない。
「従姉弟から聞いたんだ、オッカタ様の話」
「へぇ、それで? 北城君はどう思った? 」
アレンジしていない長い黒髪に、ひざ丈の制服。そんなんだから、彼女に対して真面目でお淑やかなイメージを抱いていた。けれど予想とは裏腹に、漆原は僕を見定めるかのように勝気に微笑んでいる。
その笑顔が、僕の悪い癖を呼び起こした。
「どうって言われても。オッカタ様の事もよく知らないし、正直よくわからない。でも、窓が鏡になっているのは、何か学校運営上の理由があるんだろう。七不思議だなんてバカバカしい」
人によっては、機嫌を悪くするような発言だったろう。
けれど漆原は、僕の返答に満足したようだった。
「じゃあよかったら、私と一緒にオッカタ様の謎を解かない? 」
僕はその申し出を、勢いよく断った。……もちろん、心の中だけで。
だって、解きたいわけがない。怖い話なんてものは昔の人からの教訓のようなもので、いわば親切な先人達からの近づくなという合図だ。触らぬ神に祟りなし、知らぬ怖い話にお化けなし。危険なものに首を突っ込む精神が分からない。
……けれどもうすでに、僕の悪い癖、怖いほど強がってしまう癖は発動しているわけで。豆腐のように柔らかいメンタルは、鋼鉄のプライドによって支配されていた。
「退屈しのぎになるならいいよ」
ああ、またやってしまった。既に心臓はドキドキバクバクしているのに。全くもって退屈なんてしていないのに。
けれど中途半端に知ってしまった怖い話程、怖いものは無い。実際に謎の空間が存在していれば尚の事。
僕は半分投げやりになりながら、差し出された手を取った。
「北城君は、オッカタ様の事どれくらい聞いているの? 」
放課後、西校舎3階の図書館、郷土史コーナーの前の長机。僕たち以外に生徒はおらず、司書の先生も会議があると出かけて行った。それなのに図書館を開けていてくれたのは、普段からここに通い詰めているという漆原の日ごろの行いの賜物だろうか。
「そんなに聞いていない。鏡の中にオッカタ様がいるって聞いただけで、他の七不思議の事も知らない」
「そう……オッカタ様については私も同じ。鏡の中に居るってことしか聞いていないの。他の七不思議については知っているけど、それもオッカタ様とは関係なさそうだし」
東校舎の南階段に続く血の跡、深夜の校庭に点る人魂、向きの変わる胸像、夜のプールで泳ぐ人影、使われていないはずの音楽室に響くピアノの音、1人だけ足りない歴代校長の写真……漆原はすらすらと七不思議を挙げていく。
漆原は不自然なほど、七不思議に詳しかった。普通だったらそんなスラスラと出て来るものでもないだろう。大体、前の学校でだって、七不思議を全て把握している友達なんて1人もいなかった。
「漆原さんは、なんでオッカタ様の謎を解きたいの? 」
階段の血の跡や夜のプールには絶対に関わりたくない。が、どうせ解くなら歴代校長の写真のように、害のなさそうなものの方がいいのではないだろうか。主に僕の、心の為にも。
けれど僕のそんな淡い期待は、漆原によって容赦なく破り捨てられた。
「あと、それだけなの」
「え? 」
少しだけ寂しそうに、漆原は笑う。
僕は思わず、表情選択の誤りを指摘しそうになった。
「他の七不思議は全て解いちゃったから、あとはオッカタ様だけなの」
「解いたって、夜のプールとかも? 」
「うん。まあ、お姉ちゃんとかお兄ちゃんと一緒に解いたんだけどね」
詳しいどころの話ではなかった。もうこの学校には、七不思議なんて存在していないのだ。
「ちなみに、夜のプールの人影の正体は猫だよ」
「ねこって、自由気ままな脊椎動物の? 」
「そう。26年前にね、学校に住み着いてたサクラって猫がいたの。その子がプールが好きで、よく夜に飛び込んでいたみたい。もちろんその頃はサクラだって知ってたから七不思議にはならなかったんだけど、数年してサクラが亡くなって、卒業生が『私が在学中の頃は深夜に飛び込む音がした』なんて言うもんだから、尾ひれがついて七不思議になったみたい」
「それは、どうやって…… 」
「お父さんもここの中学校のOBなんだけど、お父さんプールの話知らなくて。で、お父さんがここを卒業したのが31年前だから、そこから年度に従って聞いてまわったら、猫の話に行きついたってわけ。判明するまでに1年もかかっちゃった」
余計なことをする卒業生がいたものだと思う。そんな奇妙な話をすれば、尾ひれがつく事ぐらいわかっていただろう。絶対に確信犯だ。
に、しても、
「七不思議って、意外と新しいんだな。大昔からあるのかと思ってた」
少なくとも今の話は、31年以内につられたことになる。よくある『学校は元々墓場だった』のような古いものに比べたら、随分と新しいだろう。
「うん、多分少しづつ変わってってるんだと思う。今の七不思議だと歴代校長の写真が1番新しくて、14年前かな。大きな地震があったでしょう。それで落ちて額縁が割れたんだけど予備が1枚足りなくて、災害が落ち着いてからってしてたら、忘れてしまったみたいなの」
血の跡が8年前、胸像が36年前だと漆原は言った。
そして、プールが26年前、校長の写真が14年前。
「じゃあ、オッカタ様っていうのも」
「うん、たぶんそんなに古くないんじゃないかな」
だからこそ、郷土史コーナーだったのか。ここなら郷土史に加え、毎年発行される学内年報も保管されている。
「じゃあ、直近から20年分お願い。私は20年前から遡っていくから」
「わかった」
机の上に積み上げられた年報を、上から取る。発効されてから20年近く経っているはずのそれには、なんの跡もついていなかった。
ここに載っているかは分からない。けれどスマホの検索にはヒットしなかった。で、あれば。恐怖心を払拭するためには、地道に調べるしか方法は無い。
――1722年 「大崎中学校」として開校する
1730年 市町村合併により、大崎市から御崎市に名前が変更される
1744年 旧御崎台中学校が、空襲による火災で燃滅
1751年 旧大崎藩主邸の跡地に新校舎を設立
これに伴い名前を「御崎中学校」に変更する
:
その後も、何かが起こるでもなく年表は続いている。年報の在庫数に比べたら意外と古くからある中学校のようで、古いものは書庫に収められているのかも知れなかった。
目ぼしい記載がないかと本文をパラパラとめくるが、ありきたりな学校行事の記録が羅列されているだけで、東校舎の記載は見当たらない。入学式、合唱コンクール、文化祭、スポーツ大会、卒業式。スローガンと生徒だけを変えて、学校は同じ時を繰り返していた。
カチカチという時計の音と、紙がめくれる音だけが響く。
手にしていた年報を閉じ、次の年報に移る。そうして17年前の学校に辿り着いた時、『東校舎』の文字が目に飛び込んできた。
「漆原さん、これ」
隣で作業を続けていた漆原を呼び、記事を指さす。
――『東校舎の屋上からの、生徒の転落を受けて』
そう綴られたタイトルの後には、当時の校長からの状況説明及び改善策が長々と記載されていた。
――当時解放されていた東校舎の屋上で球技をおこなっていた男子生徒が、フェンス外に落ちたボールを取ろうとして誤って転落した事件について、今後は東校舎屋上を閉鎖するとともに、このようなことが無いよう……
事件が起きたのは、今から17年前の9月。
歴代校長の写真と、プールの人影の間。
「これかも知れない。あの先には屋上があって、生徒がでたいと思わないようにガラスの代わりに鏡をはめて見えなくした。もう、あの事件が起こらないように」
「それだと『オッカタ様』っていうのが、この男子生徒の霊ってことか」
「うーん、転落、落下、落っこちた……おっかちた、おっかた、オッカタ? なんか違うよね、第一なんで『様』なんて敬称をつけるのかわからないし」
ガガガとスピーカーが鳴る。
『下校時刻15分前となりました。校舎に残っている生徒は速やかに下校して下さい。繰り返します……』
ハッとなって時計を見れば、時刻は17時45分。いつの間にか時間が過ぎていたようで、夏場だというのに少し空が暗くなっていた。司書の先生は、未だに帰って来ない。
「もう、帰ろうか」
年報を片付けながら、漆原が言った。
「ああ。でも、戸締りどうしようか。司書の先生まだみたいだし」
「それなら大丈夫。図書館の鍵預かっているから」
漆原は制服のポケットから銀色の鍵を取り出すと、目の前で小さく振った。大人からここまで信頼されるなんて、一体どれだけの時間図書館で過ごしているのだろう。
明日の放課後に図書館で会うことを約束して、僕たちは家路についた。
「悠希、夏休みどうする? こっち来る? 」
その日の夜、オーストラリアにいる母親から電話がかかってきた。最後に会ったのはこの町に来た日、つまり3月の終わりの事。まだ4ヶ月も経っていないのに、随分と懐かしく思えた。
「うーん、やめとくよ」
「あら、お友達と約束でもした?
「そんな感じ」
来週から、正確にはしあさっての土曜から始まる夏休みは3週間。友達と海に行く約束をしたのもあるけれど、なによりもオッカタ様が、漆原が気になった。
両親が帰国するのは今年の冬、年越しの少し前。きっとそうなったら、僕は両親と暮らすことになり、この町を離れることになるだろう。だから僕に残されている時間はあと少ししかない。
「わかったわ。また予定変わったら連絡してね」
「うん」
漆原がサクラに辿り着くまでに、1年程かかっている。だからこそ、好きなだけ調べられる夏休み中にケリをつけてしまいたかった。
「母さんさ、御崎中の出身だよね? 」
「そうよー、私も30年くらい前はセーラー服着て通ってたのよ」
「あのさ、東校舎の転落事件って知ってる? 」
「ああ、知ってるわ。私が卒業した後だったから詳しくは知らないけれど、確か3年生の男の子が落ちたって聞いたけれど」
漆原は、父親がプールの不思議を知らなかったと言っていた。
「母さんさ、東校舎の七不思議って知ってる? 」
「七不思議? さぁ、銅像が動くとかそういうのしか聞いたことないわ」
「『オッカタ様』って聞いたことある? 」
「オッカタサマ? 聞いたことないけれど」
母は、オッカタ様を知らなかった。
「あなた怖いの苦手じゃなかったっけ? 」
「……小さい頃の話だろう」
「そう? じゃあまたね」
通話画面を消し、ごろりとベッドに横たわる。
画面に表示された時間は22時17分。今の事を伝えようと、漆原の連絡先を探す。けれど、彼女の連絡先はどこにも見つからなかった。
「……連絡先、聞いとけばよかった」
同じクラスなのだから、居間に行って連絡網を見れば調べることは出来る。けれどこんな夜遅くに電話をするのも気が引けるし、いまどき家電なんてかかってきたら驚くだろう。それに、明日会う約束があるのだからわざわざ連絡する必要も無い。
僕はまた、ごろりと寝返りをうった。
「そう。北城君のお母さまが知らないのなら、やっぱり17年前の事件がきっかけかも知れないね」
次の日、放課後、西校舎3階の図書館、郷土史コーナーの前の長机。昨日と同じ場所に、漆原は座っていた。昨日と同じく他の生徒はおらず、ただ司書の先生はカウンターに座っている。だからなのだろう、漆原の声は少し控えめだった。
「昨日、屋上を隠したんじゃないかって話したでしょ? 」
「ああ、屋上へ出ないためにって」
「そう。それでここに来る前に確認したんだけど、この学校に屋上に続く階段は、東校舎の北側以外存在しないの」
だからあの窓を塞げば、誰も屋上に出られるかもなんて思わないだろうと漆原は言った。
昨日の仮説がますます有力なものとなる。
「だから昨日の仮説を前提に、オッカタ様の由来を調べてみようと思うの。もしかしたら男子生徒の名前かも知れないし」
「わかった。昨日の年報には名前が載っていなかったから、卒業文集の集合写真を見てみよう。枠に囲まれて写っているかもしれない」
「……北城君は、怖い話が好きなの? 」
僕が本棚に向かおうと立ち上がると、漆原が顔をあげた。
「随分と積極的に不思議解きに付き合ってくれるけれど」
「別に怖いだなんて思っていない」
僕は怖い話が嫌いだ。けれどオッカタ様を怖いと思っていないのなら、この返答は嘘ではない。そう、怖いだなんて思っていない。ちょっと不思議だな、奇妙だな、奇怪だな、関わりたくないな、出来たらもう帰りたいなと思っているだけで、決して怖いだなんて思ってはいない。
「? ……そう。お兄ちゃんもお姉ちゃんも怖い話が苦手な人ばかりだったから、頼りになるわ」
頼りになる。いきなりそんなことをを言われたものだから、胸がドキリと高鳴った。
「じゃあ、どうして一緒にオッカタ様を調べようと思ったの? 」
漆原が首を傾げると、絹のような髪がサラサラと流れた。
恐怖とは違う緊張が心に住み着いている。漆原が突然変なことを言うものだから、調子が狂って仕方ない。今更強がりだなんて言えず、かといって漆原に頼まれたからなどとはもっと言えず、僕はごまかすことにした。
「暇だからだよ。前も言ったろう、退屈しのぎになるならって」
「そう言えばそうだったかもね。どう?退屈しのぎになってるかしら? 」
「ぼちぼち、かな」
そう言いながら僕は、苦手だったはずの怖い話が、少しだけ怖くなくなっていることに気がついた。
そんなことはもちろん胸の中にとどめたまま、今度こそ本棚へと向かう。3つ隣のコーナーにある、歴代の卒業文集。17年前のモノと、一応20年前、18年前のモノを取り出し、ページをめくってゆく。
けれどどのクラス写真にも、付け足された生徒はいなかった。
序盤こそ順調に見えた調査は進展を止め、僕たちは成果を得られぬまま夏休み2週目を迎えた。
夏休みでも、学校の一部は解放される。けれど今年は改修工事の関係で立ち入りが許されず、僕たちは町の図書館に拠点を移し、オッカタ様を調べ続けていた。
8月に入ると気温はぐっと上がり、日差しも強まった。たいした運動をしてこなかった僕などは、日中に出歩こうものならば、それだけで体力を使い果たしまう。だから開館時間の9時に図書館へ向かい、日が沈むまでのほぼ1日、図書館に籠り続けていた。
「北城君、大崎新聞にも載ってなかったよ」
「こっちも同じく」
夏に逆らうかのように白い肌をした漆原が、呻りながら腕を伸ばす。僕も少しだけ肩を回し、今度は違う新聞の『おくやみ』欄を探し始めた。
あの後、僕らは卒業文集のクラス写真に写っている生徒数と、それから掲載文書の数を全て数えあげた。けれど、それらの数は年報に記載された卒業生徒数と一致してしまった。そうだとすれば、事故にあった生徒は卒業していないということになる。世間は予想以上に冷たいようで、3年次に亡くなったのなら卒業文集だけにでも載せるのではないか、という僕の考えは見事に外れた。
だから次に、入学式の写真と卒業式の写真を比べることにした。年報記載の17年前の入学者数は206人。そして17年前の卒業者数は207人。けれど、どうやら僕のような転校生が複数人いたらしく、3つのクラスでクラス写真の人数が変わっていた。しかも17年前の写真は精度が低く、変動したのが誰であるかまでの特定はかなわなかった。
そこで僕らは、新聞記事を調べることにしたのだ。亡くなったのは未成年ということもあり、実名は報道されなかった。それはネット上も同じことで、もしかしたら名前が書きこまれたかもしれない掲示板も、17年の時を経て閲覧不可になっていた。
「それにしても、おくやみ欄なんてよく思いついたね」
「あー、うちの爺さんがよく見てるんだ。隣組とか近所づきあいとかで必要らしい」
県内、もしくは御崎市の訃報、つまりは死亡のお知らせが載っている『おくやみ』欄を調べ始めたのは、つい昨日の事。朝刊を読んでいた祖父の姿を見ていて、思いついた。の、だが。
「でもここまで載っていないとなると、希望を出さなかったのかも知れない」
おくやみ欄は自動的に掲載されるものではない。家族が連絡して、初めて掲載される。ここならば未成年でも実名が載ると考えたのだが、家族の希望で載せない可能性だって十分にある。
分からないのは2つ。1つは『オッカタ様』の名前の由来。これには死亡した男子生徒の名前が分からないことも含まれるのだが、それともう1つ。
「にしても、なんで鏡……」
鏡は光をはね返す性質から、霊を退けることに使われる。だから屋上、つまり窓の外で亡くなった霊を退けるには室内に向けて鏡を張る必要はない。けれど何かを閉じ込めるかのように、3階から屋上までの空間が塞がれている。
それじゃあまるで、校舎から霊が出られないようにしてい――――
「北城君、これは『忌み名』かも知れない」
小さい声で、けれど確かに、漆原はそう言った。
「忌み名? 」
「うん。忌み名っていうのは亡くなった人の名前を指すこともあるんだけど、それだけじゃなくて……。あのね、北城君、怖い話をすると幽霊が寄ってくるって聞いたことない? 」
「……ある」
何を隠そう、怖い話が嫌いな最大の理由はこれだった。理不尽から最大限に身を守るため、僕は怖い話を避け続けてきたのだから。何故だがとても、嫌な予感がする。
「それと同じで、怖い霊も名前を呼んだらいけないの。呼んだら呼ばれてきてしまうから。それが、『忌み名』。呼んではいけない名前なの」
「男子生徒が悪霊になったってことか」
「うん。だからその名前は『忌み名』になって、どこからも消されているんじゃないかって」
漆原は、その先を言うことは無かった。
だって、そうだとしたら。あの鏡の中には、僕らの教室のすぐ近くには、悪霊がいることになる。そして、その悪霊は、校舎に閉じ込められている。
結局、男子生徒の名前が見つかることは無く、翌日の集合を約束して僕らは家に帰った。
「悠は毎日図書館に行っていて偉いなぁ」
祖父は毎日のように図書館へ通う僕を見て、ずっと勉強しているのだと勘違いしている。その実、男子生徒の名前を探し続けているだけなのだけど。
「うん、調べものしてて」
夏休みの宿題を解きながら、僕は適当に相槌をうった。いつまで調査が続くか分からない以上、夜に少しづつ進めておかなければ。
「何を調べているんだ? 」
「んー、オッカタ様について調べてる」
昼にオッカタ様の正体を求め続けていた頭で、夜には数学の解を求め続けた。だから、頭も疲れていたのだろう。ポロリとその名前を口にしてしまった。
一体何のことだと、祖父は不思議に思っただろう。だから言い訳しなくてはと思った、その時だった。
「ああ、オッカタ様か」
言い訳を待たずに祖父は言った。
祖父は、新しくできたはずの七不思議の名を知っていた。
「……じいちゃん、オッカタ様知ってるの? 母さんは知らなかったんだけど」
「大崎の『オッカタ様』だろう?まあ、今ではあまり言わんくなったからなぁ」
『今では』ということは、昔は言っていたということだ。
――だとしたら、鏡の中に居るのは一体何だ。
「『オッカタ様』って何?」
「『オッカタ様』はオッカタ様だ。儂もよく知らんけぇど、今は大崎神社にいらっしゃるはずだで神社の事調べれば分かると思うが……」
その時僕は、僕たちの犯した過ちに気がついた。
僕たちの失敗は、思い込みをしていたことだった。『校舎の屋上から落ちたら死ぬ』という思い込み。そうだ、確かに年報にだって、『落下』『転落』と書いてあるだけで、『死亡』とは書いていなかった。母さんだって、『死んだ』とは言っていなかった。
「爺ちゃん、17年前の転落事故の事知ってる? あの子どうなったの?」
「話題になったからよく覚えとるよ、たしか足に大けがをしたんじゃなかったか? 」
どうりでおくやみ欄にも載っていないはずだ。だって、男子生徒は死んでいなかったのだから。
僕は漆原にメッセージを送ろうとして、漆原に連絡先を聞き忘れていたことをまたもや後悔した。
「漆原、確かめたいことがあるんだ」
翌日、男子生徒の生存を漆原に伝えた後、僕は直ぐに郷土史を調べなおした。
僕らはどうして男子生徒が死亡したと考えたのだろうか。それは、東校舎が4階建てだからだ。屋上ともなれば、5階建ての高さだろう。だからこそ、僕らは助からないと思った。
けれど、男子生徒は助かった。それも、足のケガだけで。だからそれには理由があるはずなのだ。例えば、落ちたのがプールだったとか、高い木々がクッションになったとか――はたまた東校舎が4階建てじゃなかったとか。
「あった、これだ」
――『地震による破損のため、御崎中学校の東校舎の建て替えられる』
正直なところ載っているか不安だったが、さすが御崎市唯一の中学校。市の発行した郷土誌にもきちんと校舎の建替え記録は記載されていた。
「そういえば、建て替える前の東校舎は2階建てだった! 」
弾かれたかのように、漆原が思い出す。
「ほら、校長室の写真が1枚だけ欠けることになった14年前の地震、確かそれで今の校舎になったのよ。写真の謎を解くときに調べたから、私覚えているもの。だから、17年前の東校舎は確かに2階建てだった」
これで男子生徒の謎は解けた。建替えの記録を見落としたのは、僕が20年前の年報から読み始めたことにある。正直なところ後悔はあるが、それでも男子生徒の謎は解けた。
だとすれば、次は――
「でも、おかしいよ」
「何が? 」
「大崎神社に『オッカタ様』がいないの」
そう言って、漆原は開いたページを僕に示す。
――『大崎神社の主祭神は『海神様』といい、その歴史は古く、大崎の港が漁業で栄えていた700年前に……』
そこには確かに、『オッカタ様』とは違う名が記されていた。
「お爺様は、大崎神社って言っていたのね? 」
「そう、確かに大崎神社って……」
大崎神社、大崎――。神社以外で、どこかで――――
「とりあえず、大崎神社に行ってみよう」
図書館から国道沿いに20分程歩いた先で海を背に曲がり、更に山際に向かって歩いた先に御崎神社はある。僕らは手がかりを前にいてもたってもいられなくなり、あれだけ避けていた炎天下の中を強行した。
いつからか背中は水を被ったかのようにびしゃびしゃで、神社に着くころには、手水場が砂漠のオアシスに思えるほどだった。
「ねぇ、ここ」
日陰に座り込んだ僕とは裏腹に、涼しい顔をした漆原がなにかを指さして僕を呼ぶ。
それは神社の由来と地図だった。漆原の指は、本殿の裏にある小さな社の1つを指していた。
「この小さいのはなに? 」
「これも神社なの。摂社とか末社とか呼ばれていて、ここにも神様がいるのよ。一番大きな本殿は主祭神、つまり海神様を祭っているんだけれど、それ以外の神様を祀っているの」
でね、と漆原は指を外す。と、そこには
――『御母堂社』
そう記載されていた。
「それで、こっちも見て欲しいんだけど」
漆原はそう言って、今度は由来の右下を指さす。
――『御母堂社はこの土地を拓いた大崎能引の母を祀った社であり、以前は大崎藩邸に祀られていた』
そうだ、思い出した。大崎と言えば、大崎藩だ。『旧大崎藩主邸の跡地に新校舎を設立』、年報には確かにそう書いてあった。
「今の御崎中学は、旧大崎藩主邸に建てられている。……それじゃあ、あの空間は、この社の跡地なのか? 」
「それは違うと思う。ほら、校舎の建替えがあったんだもん。旧東校舎ならともかく、新しい校舎は関係ないでしょう。……それとね、」
漆原が言う。
「偉い人のお母さんの事、『大方様』っていうのよ」
冷えた汗を風が撫で、背筋がとぞわりと震えた。
大方様、おおかた様、おっかた様――
『今は大崎神社にいらっしゃるはず』といった祖父の言葉。この社に答えがある、そう思った。
漆原を見れば、彼女も大きく頷いた。
7番目の答えは、すぐそばに迫っている。
「これは……」
本殿裏の小路、夏草の多い茂った獣道の先。僕らが見つけたのは、壊れた小さな社だった。
屋根が何かによって押しつぶされ、その隙間から水や枯れ木が入り込んでいる。とても神様が住めるような環境とは思えなかった。
とりあえず、溜まった枯れ木を引き抜く。と、かさりと夏草が鳴った。
かさり、かさり。
何かが近づいてくる。
草の音に土の音が加わって、それが足音だと気づいた時、それはすぐ近くで鳴った。
かさり。
「ここで何をしているんだ」
腰の曲がった老人が、姿を現した。
「君、何をしているんだ」
「いや、えっと、これは僕じゃなくて……」
慌てて社から手を引くが、ばっちりと見られてしまっただろう。壊れた社の中に、手を突っ込んでいる僕。どう見ても犯人でしかない。
「元々壊れてたみたいで、……それでせめて綺麗にしようかと」
「ああ、昨年の雪の重みでやられてしまったのかな」
「え……」
拍子抜けするほどに、老人は僕の言うことを疑わなかった。
「この神社はいつもは無人なのだけど、私は一応ここの管理人でね、時々見に来るんだ。今日も丁度見に来ていて君がこっちへ来るのを見かけたんだけど、君みたいな若い子が遊ぶようなものは無いだろう? だから何事かとついてきたんだ」
壊すような音は聞こえなかったし、なにより水が溜まっているからね、と老人は言った。
「それにしても、君は何をしに来たんだい? 」
「えっと……、その、何となく……です」
ここの神様が学校の七不思議かも知れないなどと不遜なことは言えず、しどろもどろに言葉を濁す。けれど老人の声は、納得したようだった。
「そうか、何となくか。私も何となくなんだ。本当はここに来るのは明後日のはずだったし、君の後を追いかけたのも何となく。それに、管理と言っても、いつもだったら本殿の確認しかしないんだ。」
俯いたまま、でチラリと老人を見る。と、老人は優し気に笑っていた。
「神様が、社の事を教えてくれたのかも知れないね。大工さんに連絡しておくよ。きっと、1週間もしないうちに直るだろう」
「ありがとうございます」
僕は社と関係が無はずなのに、自然と感謝の言葉が口から零れる。これは誰の感謝の気持ちなのだろう。
誤解されずに済んでよかったと漆原の方を振り向いたけれど、意外にも薄情な彼女は、いつの間にか逃げたようだった。
「あの、この社、ここに来る前はどこにあったんですか」
本殿と比べても、壊れてはいるものの社の木は新しい。空襲で焼けたとはいえ、それからすぐに移転したのならもっと黒くなっているはずだ
「ああ、それかい。元々は大崎藩、ここのお殿様の所で祀っていたのだけれどね、戦争の時に燃えてしまってからは御崎中の2階で祀られていたんだ。」
「御崎中の……2階」
「ああ、君も御崎中の生徒かな? 御母堂社はお殿様のお母さまを祀っていてね、御崎中はお殿様の家の跡地に建てられたから、そのままその地で祀られ続けたんだ。で、東校舎が建替えられるのをきっかけに、こっちに移動してきた」
「その、祖父から聞いたのですが、『オッカタ様』って呼ぶんですか? 」
「ああ、そうだよ。良くい知っているね。昔、まだ藩主邸があった頃は、そこは広い公園。みんなの憩いの場、『おっかた様』って親しんでいた」
懐かしそうに話す老人の姿に、昨日の祖父が重なった。
『オッカタ様』の正体が分かったとは言え、未だ鏡の謎は解けていない。
だから僕は、図書館に通い続けた。
けれどその日以降、漆原が図書館に現れることはなかった。
8月の、17日のことだった。
***
二学期最初の登校日。僕は北側階段の突き当り、鏡のあった場所を見つめている。
夏休み前のような鏡は無く、そこには屋上の見える透明なガラスがはめられていた。
「北城? 」
「え、あ、柏木?久しぶり 」
いつの日かと同じように不意に名前を呼ばれ、思わず振り返る。声の主は、同じクラスの《柏木昴流》だった。1学期は席が近いこともあってよく休み時間に話していたが、久し振りの再会、しかもこんなところで壁を眺めている姿を見られ、どう接するべきか少しだけ分からなくなった。
夏を満喫したかのように、昴流は小麦色に焼けていた。
「どーしたんだ? そんなところでぼーっとして」
「えっと、あー、ここに鏡なかったっけ? 」
僕はそっと、壁の向こうを指さす。昴流は戸惑いながら、僕の指さす方へと視線を動かした。
「え? 前と変わらないぞ。まー、こんなとこ来ないからなー」
北城、意外と暗いとこ好きなのか?と、昴流は笑った。
けれど確かに、ここには鏡があったはずだった。漆原と過ごした夏の日々の記憶が、なによりの証拠だ。――そうだ、鏡が無くなったことを彼女に伝えなくては。
「あのさ、昴流は漆原の連絡先知ってる? 」
「漆原? 」
「そう、同じクラスの漆原結衣。あー、夏休みにさ、偶然図書館で会って、えっと、ノート借りっぱなしなんだよね」
「お前、休みボケし過ぎじゃないか? 」
漆原なんて奴は学年にだって1人もいない。昴流は確かにそう言った。
「へー、『オッカタ様』の社が修繕されたら、鏡も消えたってわけ」
茜は話を聞き終えると、ぬるくなった麦茶を一気に飲み干した。
「たぶん、家が無くなった『オッカタ様』が、前の家に帰ってきたのがあの鏡だと思う」
鏡は払うだけじゃなく、ご神体としてもよく用いられるからだ。
クラスの誰もが、漆原のみならず『オッカタ様』なる七不思議を知らなかった。だからどこで知ったのかを聞きだそうと茜の家に行き、丁度夕飯の買い物を終えた叔母さんに迎え入れられて現在に至る。
「でも、悠は怖いの苦手なのによくそんなの調べたね」
茜は新しい麦茶を注ぎながら、ニヤニヤと笑った。
「昔は『怖い話しないで』とか泣いてたのに、大きくなって」
「茜が言い出したんだろう、七不思議がどうとかって」
からかわれるのが嫌で、思わずムキになる。巻き込んでおいてよく言えたものだ。
「でも、久しぶりに会えて嬉しかったでしょ」
ニヤニヤしながら茜が言った。
「は?」
なんのことだかさっぱり分からない。
けれど今度は反対に、茜がきょとんとしたまま僕を見た。
「結衣ちゃんだよ、会えなくて悲しいって5歳の時に大泣きしてたじゃん」
「漆原の事、知ってるの……」
「知ってるよ。お兄ちゃんが選ばれたとき、一緒に謎を解いたの覚えてない? 」
「覚えてない……」
「解き終わって結衣ちゃん消える時に、悠ったら『結衣ちゃん食べられちゃった!!!』って大泣きして、それからだよお化けが怖いって言いだしたの」
結衣ちゃんだって似たような者なのにね、と茜が言った。
「この学校に、七不思議なんて無いんだよ」
「……」
「御崎中には、七不思議を解く女の子の霊がいるの。だから御崎中には7つも不思議なんて無いのよ」
「って、え、まさか明兄も知ってて……」
「というか、明兄だよ」
思わぬ真犯人に、僕はへなへなとその場にしゃがみこんだ。
漆原の消えた8月17日の午後、改修工事を行っていた明兄がミラーシールをはがしたらしい。茜の言っていた間に合うといいねとは、工事の進行のことだった。
僕は結局、先代の手の平で踊っていただけなのだ。僕と漆原が再会できるようにと、優しい願いに基づくものなのだけど。
『オッカタ様』の怪奇は終わり、漆原の言っていた7つの不思議は全て解けた。
だから残すは、8つ目の不思議『七不思議を解いてまわる、いないはずの少女』漆原。
彼女が一緒に謎を解いたという『お姉ちゃん』『お兄ちゃん』は、多分僕の先輩にあたる人達で、七不思議を作ったのも、きっと彼らだ。漆原と共に謎を解いては、先輩たちが新しい不思議を作り直す。そうやって七不思議は『変わってきた』。
それなのに先代『お兄ちゃん』である明兄の作ったオッカタ様しか不思議が無かったのは、明兄が優秀だったからなのか。
さて、今度は僕が不思議を作る番だ。
この気持ちを伝える代わりに、とっておきの謎を君に贈ろう。