動物との付き合い
今日は、なかなかにハードな話です。
夏美の家では鶏を飼っている。
藁や農機具の入った蔵の前に鶏小屋はあった。
鶏のエサをやるのは夏美の仕事の一つだ。蔵の飼料袋から鶏用の餌を持って来て餌やり用の器に入れる。お味噌汁の具がアサリだった時には、貝殻を取って置いてじいちゃんに粉々に潰してもらう。この貝殻を餌に混ぜてやれば、卵の殻が固くなるのだ。
遊んでいる時も鶏が好きな草を見つけたら、摘んで採って帰る。乳白色の乳の汁が出る草は鶏たちの大好物だ。
鶏が産んだほかほかと温かい卵を見つけた時は、落とさないように大切に家に持って帰る。これは明日の朝の卵かけご飯になるのだ。炊き立てのご飯にお醤油を混ぜた生卵をかけるとそれだけでご馳走だ。
夏美の仕事はそれだけではない。毎朝、大きなガラスの瓶を持って裏のモーのおばちゃんの家に行く。
牛を飼っている家なので、そこの家の人はモーのおじちゃん、モーのおばちゃん、モーのおにいちゃん、モーのお姉ちゃんと呼んでいた。まさか何十年も後にそのモーのお兄ちゃんが市会議員になるなんて、この時の夏美は知りようがない。
モーのおばちゃんに「夏美が来ましたっ。牛乳をくださいなー。」と言うと、搾りたての牛乳を瓶に一杯分けてくれる。
「なっちゃん、おはよう。気を付けて、落とさないように持って帰るんよ。」モーのおばちゃんがにこにこして温かい牛乳がいっぱい入った瓶を夏美に渡してくれる。
夏美は来た時より時間をかけながら用心してその瓶を家に持って帰るのだ。三歳頃から小学校の低学年の頃まで、このおつかいは続いたと思う。
モーのお家で牛を飼わないようになって、いつの間にか牛乳は市販のものを牛乳屋さんが運んでくるようになった。
しかし、癖のある調整されていない生乳を飲んで育った夏美にはいいことが一つあった。小学校の給食で脱脂粉乳が出て来るのだが、その脱脂粉乳の味が嫌いな子が多かった。でも、夏美は全然それが気にならなかったのである。
お椀の中の牛乳の上に薄く張っている薄皮も好きで、パクパク食べていた。
そんな夏美を見て、「なっちゃん、ソーセージをあげるからこの脱脂粉乳を飲んでくれる?」とこっそり尋ねて来る友達が何人かいた。食べ物を残すと五月蠅い担任の先生にあたると、脱脂粉乳を飲めない子にとっては死活問題だったらしい。
二人ぐらいなら引き受けることが出来たのだが、三人目になるとさすがの夏美もお腹が一杯になってお断りをしていた。
動物と言うと、悲しい思いをしたことが二回ある。
最初は、ペロだ。ペロは野良犬だったのだが、自然と夏美たちの仲間になっていった。
夏美のおこずかいは毎日二十円だった。ある日お腹をすかせたペロを見つけて、のぶちゃんや友ちゃんとお金を出し合って、十円のソーセージを駄菓子屋のアラキで買って食べさせたことがある。その時にペロが遊び仲間になったのかもしれない。
ペロは直ぐ人の手をペロペロ舐めるのである。それでペロという名前を夏美たちが相談してつけたのだ。田んぼを走り回ってペロと遊ぶのは楽しかった。学校から帰るとペロがどこからかやって来る。おこずかいを代わりバンコに出し合ってペロにソーセージを食べさせた後は、一緒に田んぼで走り回って遊ぶと言う毎日がしばらく続いた。
それがある日を境にペロがぱったり姿を見せなくなったのである。その時は、ペロも旅に出たのかなぁとのぶちゃんたちと言い合っていたのだが、何日かしてのぶちゃんが噂を聞いてきた。
ペロが保健所に連れて行かれたと言うのだ。母ちゃんを問い詰めると、「アパートの誰かが、野良犬がいて危ないって言って保健所に電話したらしいよ。」と言われた。ショックだった。自分が力のない子供だということをこの時ほど思い知らされたことはない。
もう一度、同じ思いを味わった。しかしその時は自分の中にも大人の打算が少し芽生えていることに気付かされて、より打撃を受けた。
犬との二度目の出来事は、夏美が中三の受験生だった時だ。おかしな時間に寝たり起きたりしていたので、朝早くに目が覚めてしまった休日の朝の事だ。珍しく早く目が覚めたので、気分転換に散歩に行くことにした。
お宮の方に歩いて行くと、村中の犬という犬が一斉に遠吠えを始めた。何事があったのか見に行ってみると、川を段ボール箱に乗った子犬が流されて行くのが見えた。昔は育てられない犬や猫の子が生まれると残酷なようだが、川に捨てることが多かった。
しかし、周りの犬たちの悲痛な叫び声を聞いていると、助けざるを得ない。夏美は川に入って行って、子犬を水の中から救い出した。白い可愛い子犬だった。ぶるぶると寒そうに震えている。家に連れて帰って、身体を拭いてやり、冷蔵庫から牛乳を出してきて古い皿に入れて飲ませてやった。
夏美が子犬の世話をしていると母ちゃんが起きて来て夏美を叱る。この人は夏美が猫を飼う時にも大反対をした人だ。いくら言ってもガンとして子犬を飼ってもいいとは言ってもらえなかった。
「どっかに捨てて来なさい。」という言葉に夏美は渋々と子犬を連れて公会堂に行く。「ここにいるのよ。誰かがお前を飼ってくれるかもしれないからね。」そう言い聞かせても、子犬は夏美の後をトコトコとついて来る。
仕方がないので、夏美は村中を走り回った。いつか小さい頃に廻ったおせったいの道を何周走り回っただろう。子犬がとうとう諦めてついてこなくなったところで、夏美は泣き泣き家に帰った。
あの子はあれからどうしただろう。それからの夏美はことあるごとにそんなことを考えてしまう一生を過ごすことになる。
中途半端な親切心は、かえってその子に惨い生を強いることになったのではないか・・・と何十年もたった今でも反省する出来事だ。
大人になって自分の子が子犬を飼いたいと連れて来た時に、夏美は同居しているじいちゃんとばあちゃんの反対を押し切って、断固として犬を飼うことにした。子ども達は花子という名前をつけて亡くなる最後の一瞬まで可愛がって育てた。
しかし夏美はこの花子の中に、ペロと白い子犬、二匹の面影を見ていたのかもしれない。
つかず離れずの動物との付き合い。なかなか難しいものです。