ゴザ織り
今回は「子ども百景」というより「日本総本家」といった感じです。
「ゆ割り」の事だけ書こうと思っていましたが、それだと少ないので、「畳が出来るまで」のダイジェスト版のようになってしまいました。
畳のもとになる「ゆ」と言われるイ草を夏美の家では植えていた。
夏美はどのようにして作るものかは知らないが、小さい頃から「ゆ割り」の手伝いはいつもしていた。
冬の一番寒い時に、イ草を植える準備である「ゆ割り」の作業をする。土間に麻のインド袋を敷いて、その上に座り、汚れないように膝にも麻袋をかけておく。寒い時期なので石油ストーブを直ぐ側で炊いて、家族みんなが暖をとる。
家族全員が車座に座って、大人の手のひらより大きい「ゆ株」を小さな株に小分けにしていくのだ。
ゆ株はねっとりとした泥で固まっている。先ず、ゆ株の根っこを泥と一緒に鎌で切って整える。ここで切り過ぎて根っこがなくなってもいけない。しかしある程度は根が整っていないと株を小分けにしにくい。
綺麗に整ったゆ株を親指に力を入れて割っていく。人差し指くらいの太さの小さな株にしたら、ゆの穂先をくるりんと結んでまとめておく。
ごうごう燃える石油ストーブの温い匂いの中で冷たく湿ったゆ株に触る心地よさ。そして身体を麻袋で包むという非日常感。こういうものの入り混じったこのゆ割り作業が夏美は大好きだった。
冬に田んぼに植えていたイ草の丈が高くなって、夏に収穫したら、大人が一抱えもする大きな束にして乾燥する作業をする。泥の水の中に浸けてその後株ごと釘に引っ掛けて水を切り、その後、硫黄の匂いのする燻製小屋で蒸していく。
イ草を織る前にも、ゆの束を水に浸して柔らかくする。それをまた釘に吊るして水を切る。ゴザが織れる状態になったら、イ草を両手で掴める太さだけ持って、床でトントンとついて端を揃える。
次にその一株を下側だけ扇のようにひらいて、櫛歯に通して袴取りをする
綺麗になった束をまた床でついて揃えると、目安の棒が付いた裁断機の上に乗せ、上から裁断の刃を降ろして同じ長さに切りそろえる。
そしてそれをショッキと言われるゴザ織りの機械にかけるのだ。
夏美は小学校三年生の頃にはいっぱしの機織り職人になっていた。
機械の調子を見ながら綺麗に目を揃えて織られているか確認をしながら、ゆを足していかなければならない。畳の目が寄れたり飛び出たりして綺麗に織れていなかったら、機械を止めてゆを何本か抜いて後で隙間が空かないように機械の調節をしながら、また織っていく。
じいちゃんに電話が掛かったりお客さんが訪ねてきたりしたら、夏美はじいちゃんの代わりにゴザ織りをしていた。
ゴザが織りあがったら、ネコ車(一輪車)に重たい畳表の巻物を乗せてよろよろしながら物干しに運んでいく。
竹で出来た神社の鳥居みたいな物干しが庭一杯に並んでいる。
巻物の端っこを持って、勢いよく物干しに投げ上げる。そこにくねくねとユー字型に引き上げては降ろしまた引き上げては降ろしていき、ゴザの巻物をおてんとう様に干していく。
偶に山と谷のゴザの面を入れ替えて満遍なく干せたら、また取り入れる為にネコ車を端っこまで持って行く。
少し軽くなったゴザの巻物を、今度は「毛取り」の作業台まで運ぶ。
するとじいちゃんが高校野球を見ながら、毛取りをしていくのだ。この「毛取り」の作業は力の入れ加減が難しいらしく、夏美がやりたいといくら頼んでもじいちゃんは断固としてやらしてくれなかった。
普通の畳表はここからはゴザやさんの仕事だが、夏美が後にお嫁に行った春夫さんの実家では花ゴザという模様のある畳表を作っていたので、夏美はこの先の作業も大人になってから知ることになる。
花ゴザを縫って繋げる作業もとてもおもしろいものだ。ただキツく縫い過ぎてはゴザが開かなくなるし、ゆるく縫うと間延びして傷みやすくなってしまう。絶妙の力加減の手作業が必要なのだ。
この縫う作業は春夫さんのお母さんが飛びぬけて上手かった。
献上ゴザという天皇家に使ってもらう花ゴザを作ったことがあったのだが、これはお義母さんがだいぶ気を入れて縫った。
お義母さんがなくなる間際に、テレビにそのゴザに座る天皇家の方々が映って、心底誇らしそうな顔をしていたのが印象的だった。
実際の作業を見たことのない人には、この文章では伝わらなかったでしょうね。
・・・しかし、これが今のところ限界です。雰囲気だけ味わってください。
映像って、すごいなぁとこれを書いていて思いました。