表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/15

母ちゃん

母ちゃんは働き者です。

うちの母ちゃんは、九州からここ中備(ちゅうび)へお嫁に来た。お嫁に来たというより、まずは働きに来たと言った方が正しい。

中学校を卒業してから、村の何人かの友達と一緒に集団就職で縫製工場に勤めに来たのだ。

当時、子沢山で中卒の我が子を上の学校にやれない親たちにとって、縫製工場等が働き口と教育を提供してくれていたのである。

工場の敷地には寮があって、遠くから働きに来た人たちはここで寝泊まりする。寮では班長さんがいて、まだこの土地に慣れない人たちの世話もしてくれる。

母ちゃんが言うのに「寮でお花やお茶等の花嫁修業に必要なことを教えてくれるのが、縫製工場に就職しようと思ったきっかけだった。」らしい。

母ちゃんはここの縫製工場で働いて、下の弟を高校と大学にやったというのが自慢である。兄弟の多い家はそうやって、皆で助け合って、勉強のできる弟妹を上の学校にやる費用を捻出していたそうだ。


 夏美が小学校一年生、初枝が三歳の時である。初枝が一人で歩けるようになったということで、母ちゃんの実家がある九州へ里帰りすることになった。

当時、新幹線や高速道路はなかったので、鈍行列車に乗って母ちゃんと私と初枝の三人で長い旅に出た。

私と初枝は、真っ白なバレリーナのような服を着せてもらってご機嫌である。いつもは縫製工場で培った技術を駆使した母ちゃんお手製の服ばかりだ。それが今回はデパートで買った既製服である。二人ともテンションが上がってはしゃぎ過ぎていた。

この母ちゃんの選んだ白という色と、子どもたち二人のテンションが不幸な結果をもたらした。初枝が口に入れそこなった駅弁の真っ赤な梅干しが、夏美の真っ白なスカートの上に落ちて来たのだ。

色粉をしっかりつけられた梅干しは、オニューの服に真っ赤なシミを大きく残してくれた。

今晩、初めて会う親戚の人たちの為におめかしをしたのが台無しである。


 その上、九州には夜遅く着くので普通の列車の座席の下に新聞紙を敷いて休むことになった。車内ではあちこちで新聞紙を敷いて休む体制が出来つつある。

夏美はこの白い服で新聞紙の上に寝るのを躊躇(ちゅうちょ)していた。すると前の座席に座っていたおじさんが、用意周到に持って来ていた板を座席に渡してくれて、「ここで休みなさい。」と言ってくれたので、お言葉に甘えることにした。

初枝は小さいので、その板から落ちたら危ないからと、母ちゃんが下の新聞紙の上に寝させたが、起きて来た時にはなんだか白い白鳥が、灰色の見にくいアヒルの子になっていた。

それでなくても窓を開けると機関車の吐く煤の匂いのする煙が入って来て、皆の顔や鼻の穴が真っ黒になるのだ。長旅に白色の服は選択ミスと言わざるを得ない。

母ちゃんも子供が出来てからの初めての帰省だったので、うきうきしていてそこまでのことを考えなかったのだろう。


九州に着いて、びっくりしたことが三つあった。

まず一つ目は、親戚の皆が何をしゃべっているのかわからないのである。母ちゃんは皆の言っていることがわかるらしい。一緒に笑っている。私と初枝はいちいち母ちゃんに通訳してもらわなければならないので、完全によそ者である。

二つ目は、家の庭を蟹が歩いていることだ。私が蟹を見つけてびっくりして従妹たちに報告すると「それはあたりまえだ。」と言われた。その土地土地で違う生活の営みがあることを、夏美はその時はじめて知った。

三つ目、これが一番驚いたのだが、なんと家に冷蔵庫がないのだ!

村に一軒だけ冷蔵庫を持っている家があって、村の人たちはみんなその冷蔵庫を使わせてもらっているのである。みんなそこの家のおばさんを「冷蔵庫のおばちゃん」と呼んでいた。


冷蔵庫・洗濯機・車を三種の神器と言っていたが、夏美の家には全部揃っていた。車はこの時まだ自家用車ではなくてオート三輪の青い車だった。

夏美の父さんが高校時代に、当時では珍しい車の免許を取っていたのだ。市役所には最初、運転手として採用されたらしい。市役所の先輩職員である隣のおじちゃんに「運転手では先がないから、一般職に応募しなさい。」と言われて、一般職員になるために就職をやりなおしたそうだ。しかし給料が運転手だった時の十分の一になったと言っていた。まだ車もそれを運転する人も少ない時代だったのだ。


九州のお風呂は、庭の小屋に作ってある五右衛門風呂だった。

夏美は小さい頃から入り慣れていたので、薪の炊きつけもできるし、お風呂に入る時には必ず洗面器で上と下のお湯をかき混ぜる。これをきちんとしないと足を底に付けた時にあっちっちとなってしまう。そして底板があることを確認して入らないと、大やけどだ。

初枝は五右衛門風呂に慣れていないので、風呂の縁に手を置いて「あちっ。」と言い。底板を静めるのが下手でひっくり返っていた。手間がかかる妹である。



九州から帰って母ちゃんはまた働き始めた。

「今度は、もうちょっと早く帰省したい。じいちゃんたちも歳を取ってたからな。」

そう言って、母ちゃんは外のパートの仕事に、うちのゴザ織りに、そして農作業にと、三足の草鞋(わらじ)を履いて頑張って働いた。

しかし、夏美たちが再び九州へ行くことが出来たのは、夏美が小学校の高学年になってからだった。


交通網の発達は社会を変えましたね。新幹線があるのとないのとでは旅行形態も変わります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ