農繁期休み
子どもにも家族の中に必要とされる役割があったのです。
夏美が四年生になった時に妹の初枝が一年生になり、学校に一緒に通うようになった。
今年の登校班は、四年生の夏美たちの同級生が四人、三年生がのぶちゃんと友ちゃんの二人、二年生が同級生のくにちゃんの弟のせいくんが一人、一年生が初枝とその友達のせっちゃんの二人の総勢九人である。
六年生の正人くんが春に卒業したので、高学年が一人もいなくなった。しょうがないので四年生の四人で話し合った結果、夏美が班長をすることになったのである。
夏美の同級生であるくにちゃん、としこちゃん、えっちゃん、かずくんは、アパートに今年引っ越して来た子達なので、「班長はなっちゃんがしてよ。」とみんなが言う。
学期ごとに開かれる班長会議には五、六年生が多く、夏美はそんな会議に出席するのは緊張するので嫌だと思ったが、皆に推薦されれば仕方がない。しぶしぶ班長を受けることになった。
「お役目を引き受けるのはいいことだ。勉強になる。」と父さんにも言われたので、夏美は頑張ろうと思っている。
初夏の田植えの時期、日曜日に夏美は初枝と一緒に家の留守番を頼まれた。
午前中、男たちはしろかきをして、田んぼに稲の苗を植えられるようにする。女の人たちは四角いブリキ缶に座って、水を張った田んぼの中で植える苗を小分けに束ねる作業がある。
私と初枝は、昼休憩のためにお茶の用意をして、パンや果物を田んぼに持って行かなければならない。
十一時が来たので、用意していたお茶などを自転車に積み込む。初枝はまだ自転車に乗れないので、パンの軽い袋を持たせて後ろをついて来るように言いつける。
「お姉ちゃん、待ってぇー。もうちょっとゆっくり行って。追い付かんー。」
もう、初枝は使えない。時間通りに行かないと大人の人たちの手が止まってしまう。それは、じいちゃんが一番嫌うことだった。うちの家族は「イラチ」といってイライラと物事を早く進めたがる性格なのだ。
初枝が持っていたパンの袋を自転車のハンドルに結び直して、後ろを走って来るように命令する。
田んぼには、じいちゃんと父さん母ちゃん、それに森永の家から三人の人が手伝いに来てくれていた。田んぼの仕事は家族総出で手伝うのは当たり前。うちは人数が少ないので近所の森永のおばちゃんの家といつも一緒に手伝い合っていた。
やっと田んぼに着いて、畦道に荷物を下ろしながら、「お茶が来たよー。」とみんなに声を掛ける。
下を向いて作業をしていた人たちが、「おーーっ、ありがとう。」と顔を上げて返事をしてくれる。みんな日差しを遮る頬かむり帽子姿なので誰が誰だかよくわからない。
ブリキ缶から、よっこいしょと腰を上げて側までやって来たのが母ちゃんだった。
「初枝は?」と聞かれたので、「後ろを走って来てる。」と言うと、「もぅー、自動車が危ないが。ちゃんと面倒をみてよ。」と叱られる。
自動車なんかめったに走っていない。母ちゃんは初枝を甘やかし過ぎなのだ。私は四歳の頃から大人の自転車の後を走ってついて行っていたのだ。初枝はもう一年生だ。それが出来ないはずがない。
みんなが切りのいいところで作業を切り上げて、休憩をするために畦道にやって来る。初枝もやっと到着していたので、手伝わせてゴザを広げて食事の場所を作る。
「なっちゃんもはっちゃんも、猫の手よりはマシじゃなぁ。助かるわ。」と森永のおばちゃんが言ってくれた。
パンは敏子おばちゃんがお嫁に行く前に、バイトに行っていた「岡谷のパン」なのでとても美味しい。岡谷のおばちゃんはうちの家族の顔を覚えていてくれて、今日夏美がパンを買いに行った時も、「なっちゃん、沢山の注文じゃなぁ。田植えかい?」と聞いてくれたので、そうだと言うと「お手伝い、偉いねー。」と褒めてくれてオマケしてくれた。
休憩の後、じいちゃんが「それそれ、キリをつけてやって仕舞おうでぇー。」と言い出すと、大人たちは重たい腰を上げていく。私達が作業の様子を見ていると、じいちゃんに「夏美も初枝も裸足になって田んぼに入れ。ちょっとこれを持ってくれー。」と長い紐を渡された。それは、田んぼを横切るほどの途轍もなく長い紐だった。土がついて湿っている。紐の途中に小さい赤い球がたくさん付いていた。
この赤い球を目印にして、苗を植えていくものらしい。
大人たちがかけっこのスタートの時のように、田んぼの端っこに整列する。私と初枝が田んぼの両端にその紐を持ってピーンと張り、腰を屈めて大人たちの前の水面にその紐を持って行くと、一斉にみんなが赤い球を見ながら苗を植えていく。植えていく速さは人によって違うので、みんなの作業スピードを見ながら、二十センチぐらいずつ、前に前にと紐の位置をずらしていく。
「こりゃあ、ええわ。なっちゃんとはっちゃんが手伝ってくれたら捗るなぁ。」と森永のお兄ちゃんが言った。今までは列の両端の人が、いちいちこの紐を移動させていたらしい。
こうやってまた一つ、夏美たちのできる仕事が増えていくのだ。
田んぼのぬるぬるとした水の中を裸足で歩くのは、最初は面白いが、最後の頃になると足ががくがくして来た。泥だらけになった足で田んぼから這い上がると、黒っぽい塊が二か所程くっついて来ていて取れない。触るとぶにょぶにょする。
「なにこれーーーっ。変なのが付いてるっ。」とじいちゃんに訴えると、「ありゃ、夏美の足が美味しいんじゃ。ヒルが付いとる。」と大笑いして取ってくれた。ヒルに吸われた後から、たらっと血が垂れて来た。
◇◇◇
秋になって稲刈りの季節が来ると、うちの学校には農繁期休みというものがあって、天気の良い秋の一日がお休みになる。子ども達も貴重な労働力の一人と考えられていたのである。
親にも「夏美、学校の農繁期休みはいつになるん?」と聞かれるので「今年は十五日だよ。」と報告するとその日に合わせて父さんも役所の休みを取る。
農繁期休みの当日はよく晴れた稲刈り日和だった。
夏美も初枝も大人たちと同じ格好だ。首元にタオルを巻いてぶかぶかの軍手を手にはめている。ただ子供用の地下足袋と頬かむり帽子は無いので、普通の帽子に運動靴だ。
田んぼに向かっていると、アパートの側でくにちゃん達が遊んでいた。農家ではない子ども達にとって、農繁期休みは儲けもののただの休日である。
仕事をせずに遊んでいる友達を見ていると、いいなぁと羨ましくなった。
田んぼに着くと森永の家の人がもう来てくれていた。今日は新嫁さんも一緒に四人来てくれている。
うちが私達を入れて五人だから、九人が並んで稲刈りをしていくことになる。
また田植えの時と同じ、かけっこのスタートみたいに用意ドンで刈り始める。私と初枝は刈るのが遅いので、隣にいるじいちゃんや母ちゃんが少し幅を広めに刈って、私達を応援してくれる。
半分以上刈り進んできたら、父さんと森永の大きいお兄ちゃんが家まで脱穀機を取りに行く。リヤカーに乗せて引っ張って来るので力がいるのだ。
一人分の刈る幅が広くなるのでスピードは落ちるけれど仕方がない。
父さんたちが帰って来て刈り終わった田んぼの半分で脱穀を始めると、私と初枝は稲刈りの列から離れて束にした稲を脱穀機の所まで運ぶ係になった。
機械が脱穀するスピードが速いので、駆け足で稲の束を運ばなければならない。刈ったばかりの切り株に注意しながら運動会のように大急ぎで走り回った。途中で一度初枝がすべって転んで皆で大笑いしたが、その時以外はみんな手を止めずに黙々と作業を進めていた。
みんなの頑張りで、稲刈りと脱穀が全部終わった。
大人たちが片づけをしている間に、私達子どもにはどうしてもしておかなければならない行事がある。
それは「藁の山登り」だ。
刈りたてのお日様の匂いが鼻を刺激する。四つん這いになって、藁の束の山の一番高いところまで登ってそこから滑り降りる時ほどワクワクするものは他にない。
今年は私も大きくなったので、思い立って藁の山の一番高い所から駆け下りてみた。これがスリルがあって物凄く面白かった。踏みしめる藁から香ばしい匂いが立ち上って来る。
初枝も真似をしてやってみたが、まだ小さいので転んででんぐり返りをしてしまった。
すると初枝は転んだまま藁の中に潜っていく。私も潜りっこに参戦だ。藁の中はちくちくして温かい。
じいちゃんが「おーーい、もう止めじゃ。」と言うまで、二人でとことん藁遊びをした。
皆で脱穀機を乗せたリヤカーを先頭に凱旋行進をして家に帰る。道々、「終わったんかなー。お疲れさん。」と村の人たちが声を掛けてくれる。疲れた体に仕事をやり終えた誇らしさと満足感が満ちて来る。
アパートの側で遊んでいるくにちゃん達の側を通った時、朝に感じたような羨ましさは全然なかった。
可愛そうにこの子たちは、仕事の後のこんな満足感も藁遊びの楽しさも知らないのだ。
夏美は偉そうに胸を張って、友達の前を歩いて行った。
今は機械化が進み過ぎて、こういう子供の役割や誇りを奪ってしまっているのかもしれませんね。