おせったい
今はハロウィンですが、日本にも良い行事があったのですよ。
小学校三年生の秋である。
朝夕が寒くなってはきたが、まだ日中は温かい十一月はじめの土曜日の事だ。昼までの授業の後、村ごとのグループに分かれて集団下校をしていた。
「ランドセルを置いたら、なっちゃんちに集合ね。」のぶちゃんは、今年こそはと張り切っている。後ろを歩いていた友ちゃんも「わかった。今年はおっきい袋を持って行こう。中溝まで行けるかな。なっちゃんも自転車に乗れるようになったもんねっ。」と嬉しそうだ。
いつも一緒に遊んでいるのぶちゃんと友ちゃんの二人がこう言うのには訳がある。
夏美はついこの間まで自転車に乗れなかったのだ。
今日は、年に一度のおせったいの日だ。お地蔵さんのお祭りである。
お地蔵様が子ども達にお菓子を恵んでくださるのだ。うちの村には四か所のお地蔵様がいらっしゃる。夏美の家のすぐ裏に一つ。三ツ辻にひとつ。川の石橋の横に一つ。お墓の入り口に一つ。の四か所だ。
そこに婦人会のおばさんたちがいて、縁台の上に一人分ずつに分けられたお菓子を用意して待っていてくれる。袋を持ってお参りすると、「よーきたねー。」「おかげがあるよ。」と言いながらおばさんたちが小皿の上のお菓子を入れてくれるのだ。
このお菓子をどれだけの量集めることが出来たのか。そしてその内容が、どれだけ今風のハイカラなお菓子であるのかが、私たちの関心の対象だ。
この辺り一帯の子供たちが殺到するので、良いお菓子のある所は直ぐになくなってしまう。高学年の人たちは、傾向と対策を練って計画的にお地蔵様を廻るルートを事前に考えて来ているので、手強い相手である。
去年は私が自転車に乗れなくて、のぶちゃんたちの自転車の後を走ってついて行っていたので、うちの村の四か所と隣村の一か所しか廻ることができなかった。
そこで、今年のこのおせったいの日までになっちゃんが自転車に乗れるように特訓しようということになった。
夏美が自転車に乗れなかったのには訳がある。運動音痴なため、自分には出来ないと思い込んでいたのだ。
のぶちゃんは、運動がよくできる。かけっこも早いし、クロールを息継ぎをして泳ぐことが出来る。そんなのぶちゃんが自転車の練習をしている時に、膝小僧をたくさん擦り剝いていたのだ。それをまじかで見ていた夏美は恐れをなしてしまった。のぶちゃんがこんなに傷だらけになってやっと乗れるようになった自転車なんて、私に乗れるわけがない。
皆の後を走ってついて行くのは大変だったが、夏美は断固として自転車に乗る練習を拒否していた。
しかし、去年のおせったいの屈辱は、やっと夏美のかたくなな心を動かした。
のぶちゃんと友ちゃんが、中溝公園で夏美の自転車の特訓をしてくれた。のぶちゃんの新しくてぴかぴかの赤い自転車を貸してくれるという特別待遇までつけてくれての特訓である。もう夏美も後には引けなかった。
二人がかりで後ろの荷台を持ってくれたり、顔の上げ方、ペダルの踏み方など手取り足取りの指導であった。その結果、夕闇が迫る頃にはなんと夏美は自転車に乗って走っていたのである。膝小僧を擦り剝きもしなかった。ただ最初の頃力を入れ過ぎていたので肩や手が痛かったが、そんなことは吹き飛ぶ嬉しさだった。
自転車の微妙なバランスの上に乗っている緊張感と風を切るスピード感、今までに味わったことのない感覚である。
これでみんなと一緒にどこまでも行ける! 夏美の世界が大きく広がった一瞬だった。
自転車に乗れるようになったと報告したら、じいちゃんが喜んで夏美の自転車を買ってくれた。大きくなっても使えるように、大人の自転車である。クリーム色のボディには夏美の名前が書いてあった。
今日はその新車のお披露目の日だ。
のぶちゃんと友ちゃんが家にやって来た。夏美の自転車を見て「おっきい。」「綺麗な色。」と褒めてくれる。まずは、表通りから細い路地を裏に向かって抜けていった。大きい自転車なので、曲がり角は降りて押さなければならなかったが、のぶちゃんたちのスピードについて行けるのが嬉しかった。
なつみの家の北側で牛を飼っている家がある。そこの「モーのおばちゃん」が、「なっちゃん、よう来たねー。」と言って袋にお菓子を入れてくれた。お地蔵様を三人で拝んでから自転車に乗る。
「次は、三ツ辻から公会堂の前を通って石橋に行こう。」
のぶちゃんの提案で自転車をかっ飛ばす。三ツ辻でお菓子の番をしていたおばちゃんが「あんたらー、どこの子でぇ?」と聞くので、夏美が代表して「小溝の麻生の孫ですっ。」と言うと、「あー、あーさんとこの子か。」と言ってお菓子を入れてくれた。
友ちゃんが小声で、「なっちゃんとこのおじいさんは有名人だから助かるわぁ。」と言う。友ちゃんの家は他所から来た人なので、近所の人は友ちゃんのことを知らない。こういう時には地元の人間だと話が早いのだ。
石橋のお地蔵様には、ハイカラなお菓子があった。三人で顔を見合わせてニンマリ笑う。「今年はチョコがあったね。」「うん、去年より良かったね。」
嬉しくて天まで舞い上がれそうだ。
この調子この調子。次に行ったお墓の前のお大師さんは、一人分のお菓子の量が多かった。ここはおばさん達の数も多くて、「ハイ、次。」と言って機械的にお菓子を入れてくれた。
「やった。もううちの村が済んだよっ。今年は中溝から上原まで行ってみる?」
「うん。そうしよう。」
三人で相談して、うちの村に一番近いお地蔵様から中溝を五か所、上原はできるところまで廻ってみることにする。
中溝のおせったいでは、のぶちゃんちのネームバリューが効いた。のぶちゃんちはクリーニング店なので、この辺りのたいていの人が知っている。
今年のおせったいの結果は素晴らしいものだった。
中溝のお地蔵様を全部廻れて、上原も二か所行くことが出来た。
最後の所では、「あんたらー沢山集めたなー。」と大笑いしながら入れてくれた。
我が家に帰って、みんなでお菓子のお披露目会だ。
「あっ、これいいなー、どこで貰ったんだっけ?」
「これ美味しー。」
「私もそれ食べて見よー。」
と三人寄れば姦しい。
この後、新たなるお地蔵様の発見と位置情報を共有する約束をして、その年のおせったいはお開きになった。なつみたちはおおいなる達成感に包まれて、家に凱旋した。
ひとつの行事によって一回り成長した夏美でしたね。