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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

其の生物と少女

作者: 六条藍

霜月透子様主催「ヒヤゾク企画」参加作品

 其の生物にとって、 人とは食料であった。

 其の生物は長い間生きていて、 最近は気まぐれに人に混じって生活もしていたし、 人の友人もいたのだけれど、 種への認識は一貫して食料という一言に尽きた。

 否、 正確に言えば人の死骸が食料なのである。 人が豚やら牛やらの死骸を食らうのと同じように人の死骸を食らうのだ。

 一方で其の生物の中で固有名詞のついた人に対する愛着というものもある。

 其れは紛れもなく其の生物の中で両立しているものであって、 例えばそう言う愛着のある人間が死骸になってしまったら、 食料云々以前に其のことを其の生物は深く悲しく思うのだ。

 それにしても昨今は、 中々食料が手に入りにくいというのが現状であった。

 其の生物は仲間が少なく――正確に言えば、 同じような仲間を見たことがなかった――ので、 何処かの店に行けば、 屠殺し、 血を抜かれ、 綺麗に整ったブロック状の人間の肉が手に入るということはないのだ。

 しかし其の生物は人の甲高い悲鳴が特に嫌いだったので、 自分で人を屠殺することは出来ないのだ。

 昔は良かった。

 人の死骸は広い野原に打ち捨てられるか、 埋められるかしていて――埋められている方が肉が腐りにくいので好きだった――簡単に食料が手に入ったのだ。

 けれど今はいけない。

 今は人の死骸は全部高温の炎で焼いて、 肉は全て灰になってしまうのだ。 実に勿体ない話だと其の生物は思っていた。 もう少し炎をマイルドにして、 じっくりと焼けば、 とても美味しいのに。


 だから其の生物は最近は専ら野菜やら何やらばかりを食べていて、 時々無性に肉が食べたくなると人の死体を探しに行く。

 人以外の肉は口に合わなかった。 というよりも、 どうやら体質というものに合わないらしかった。 気持ち悪くなったり、 身体に妙な出来物が出来たり、 全身が痒くなったり。

 そんな具合だから、 肉を食べたいときはどうやっても人の死骸を何処かから調達してくるしかなかったのだ。

 だから、 其の生物の住処は中々に辺鄙なところにあった。

 人の友人は、 其処に辿り着くまでに二時間ほどかかったと漏らしていた。 確かに其の生物に比べて、 人は随分とか弱い生き物であるようだったが、 それにしてもそんなに時間がかかるのかと驚いた。 其の生物なら三十分もかからずに、 バス停に――とはいえ、 一時間に一本しかバスが走らないのだが――に着くというのに。

 そう言うと、 人の友達は其の生物にも負けないくらい驚いて、 更に呆れた。

 それから少しだけ眉を寄せ 「其れに此処は自殺の名所に近いじゃないか」 と言った。

 その通りである。 だからこそ其の生物はその近くに住んでいるのだ。

 屠殺と違って、 自殺なら悲鳴は上がらないし、 大体其の生物が見つける頃には死んでいる。 加えて辺鄙なところにあるものだから、 死体の肉を多少失敬したところでそうそうバレないのだ。


 自分で自分を殺す、 というのは其の生物には良く分からない感情であったが、 どうせ考えたところで分からないだろうと思っていたし、 そう言う種族なのだと思うだけで事足りた。 どうであれ、 其の生物に実害など一つもないのだから。


 だから――というわけでもないのだろうが、 其の生物は現在、 とても困っていた。


 長々とした黒髪と抜けるような白い肌。 其処に引かれた真赤な唇がやけに目立つ人間の少女。

 そのまん丸な瞳に真っ向から見据えられて、 其の生物は大変に困惑していた。


 最初は、 死骸だと思ったのである。

 この寒々しい冬空の、 刺すような空気の中、 辺鄙な住処からさらに山奥に入ったところ。 そんな場所で横たわっている人間を見て、 死んでいないと思わないはずがない。

 近づいてみると随分と新鮮であると、 其の生物には分かった。 そう分かると心が躍った。

 何せ死んでから日数が経っていると、 きちんと火を通して食べなければ変な味がするのだ。 新鮮ならば生でいける。 今日は久々に刺身にしようかと、 其の生物は心が躍った。

 手が届くほど近づいて、 それから其の生物は奇妙に思った。

 食欲が沸かないのである。 最近は人の肉を食べていないから本来ならばとてもとても惹かれるはずなのに、 ちっとも食欲がやってこない。

 とっても美味しそうなのに何故だろう、 と其の生物は自問自答した。先程昼飯代わりにうどんを食べたせいだろうか。 それともそのあとに食べたリンゴのせいだろうか。

 でもどちらにしても何れ空腹は訪れるに違いないのだから、 取り敢えず今のうちに肉だけでも確保しておこうと指先で柔らかそうな頬肉に触れそうになった瞬間――


 ぱちり、 と死骸の目が開いた。

 思わず驚いて、 うわっと叫んでしまった。

 


 死骸は横たわったままゆるゆると首だけを其の生物の方に向けて、 「だぁれ?」 と甘ったるい声で尋ねた。


 其の生物は咄嗟に言葉が出なかった。

 それはそうだ、 死んでいたと思ったのが急に動き出したのだから其の生物じゃなくてもきっと驚く。 人間だって死んでいると思っていたが蝉が急に動き出して驚いたりしているんだから、 其の生物が格段臆病だというわけではない。

 其の生物はそんな風に自分自身に言い訳した。


 言葉に詰まる其の生物を差し置いて、 少女はゆっくりと上体を起こした。 開いていた黒い弧がゆっくりと彼女の背中に帰着する。


「やっぱり冬の空気は嫌い。 息をする度に、 まるで体の内側から切り刻まれている気分になるもの」


 少女は、 貴方知っていて? と白い息を吐きながら言った。


「老化というのは酸化するということなんですって。 生きるための呼吸が、 人の体を朽ちらせていくの。 そう考えると一番緩やかな自殺というのは、 こうやって呼吸をしていることに違いないわね」


 其の生物は何も言わなかった。 言えなかった。

 死んでいるというものが生きていて、 そして其れが唐突に話し始めたのである。

 知る知らない以前に、 少女の言葉は其の生物を上滑りしていた。

 けれど少女は特に気にする素振りもなく、 一際大きく息を吸って、 はぁと煙みたいに息を吐き出した。

 大層不愉快そう顔を顰める。


「ほらね。 やっぱりそうなの。 私、 この話を聞いてすぐに納得したのよ。 だってほら、 こうやって呼吸をする度、 酸素という刃が私の体に突き刺さって細切れにしていく感覚が分かるもの。 冬は特にそう、 冷たい酸素は特にダメね」


 冬の空気が清々しいなんて言う人はきっと鈍いのよ、 と少女は不満げに紅い唇を尖らせた。


「清々しいとか澄んでいるとか、 つまりそれってより純粋な酸素、 より純粋な凶器ということじゃない? そんなのが好きだなんて被虐趣味、 私には良く分からないわ」

「なら――」


 ならどうして、 此処にいる? そうやっと其の生物は言葉を押し出した。


「冬の空気が厭なら、 家に居ればいい。 エアコンでもストーブでも使って、 空気を温めれば、 君の言うその――純粋な凶器? とやらも刃先が鈍るんじゃあないかい?」


 そうしていてくれたら、 其の生物は少女を新鮮な死骸と間違えることもなかったし、 夕飯は刺身だと浮足立つこともなかった。

 少しばかり恨めし気な口調で言う。 家の空気はもっと嫌いよ、 と少女すげなく言った。


「とてもケミカルなんだもの」


 と、 肩を梳くめる。

 其の生物には少女の表現するケミカルな空気、 というのが良く分からずに内心首を傾げた。

 だからケミカルな空気というのは、 つまり化学的ということだろうか。 香水臭いとか化粧臭いとかそう言う意味なのだろうかと曖昧に解釈することにした。


「私ね、 だから思ったの。 息をしなければいいんじゃないかって。 そしたらこんな不愉快な感覚から解放されるはずでしょう?」


 そうだね、 と其の生物は良く分からないまま取り敢えず頷いた。

 少女は我が意を得たりといった様子でね! とにこりと笑って、 けれどすぐにまた唇を尖らせた。


「でもね、 ダメだったのよ」

「どうして?」

「とても苦しくなるのよ、 息をしないと。 それはそうよね、 だって生きるために息をしているんだもの。 息をしなければ死んでしまうわ。 死んでしまいそうな程苦しいというのは、 きっとああいう苦しさを言うのよ」


 少女はそう言いながら、 また息を吐いた。


「でも可笑しな話だと思わない? 生きるために息をしているのに、 その息がやがて人を殺すのよ」

「そうでもないよ」


 其の生物は己でも驚く程即座に少女の言葉を否定した。


「生命というのは生まれ落ちた瞬間にもう死ぬことが決まっているんだから息をしようがしまいが、 何れ何だって生まれたモノは死ぬんだ。 死因は蛇足だ」

「だそく」


 少女は最後の言葉だけを胡乱な口振りで繰り返した。


「そう、 蛇足。 だから例え将来酸素が君を殺すことになっても、 そうでなくても、 君が何時か死ぬ瞬間は確実なんだから。 そんなもののために、 今この瞬間を苦しむのはとても愚かだ」


 ようは大事なのは今なんだ、 と其の生物が言うと、 少女は暫く考えるような素振りで指先を顎に当てて視線を彷徨わせた。


「分かるような分からないような……なんだかとても刹那主義的に聞こえるわ」

「リアリストなんだ」

「じゃあ私は、 ロマンチストなのかしら。 だって私、 長生きしたいわ」


 少女が首を捻るのを見ながら、 其の生物は思った。

 自分は人間に比べれば驚くほど長い間生きているらしかったが、 其れでもきっと何時かは死ぬだろうと分かっている。

 けれど其れがどれほど先のことなのか、 などと考えたことはない。 考えようにも其の生物と同じような生物は他に知らなかったし、 何よりも考える意味がないと思っているからだ。 考えまいが考えようが何れ死ぬときは死ぬ。 何も変わらないならば考える意味もないと。

 それにどれほど長生きしようが死んでもいいとはきっと思えないだろうと、 なんとなく其の生物は思っていた。

 だから死にたくない、 と言われれば其の生物には理解出来るのだが、 長生きしたいと言われると良く分からなくなる。 人間というのはそう思う種なのだと、 それもまた其の生物には深く関わりのないことであったので、 特に気にせずに放置していたのだけれど。

 其の生物の内心を知ってから知らずか、 少女は真っ赤な唇から刃の残骸を吐き出しながら言った。


「でも長生きしたいけど、 こんな風に冷えた刃物で突き刺される続けるのはとってもイヤだわ。 冬の空気は嫌いよ」

「さっきも聞いたよ」


 其の生物がそう言うと、 少女はくすくすと大事なことなんですもの、 と笑った。


「だからね、 私、 冬眠しようと思うの」

「冬の空気が嫌いだから?」

「そう、 嫌いだから。 でも眠っていたら分からないでしょう? それに眠っている間はね、 呼吸の回数が少なくなるって聞いたの。 それなら一石二鳥だと思わなくて?」


 一石二鳥という言葉の使い方が適切かどうか其の生物には分りかねて言葉に詰まる。

 じっと其の生物を見つめる少女の眼差しに、 何となく座りの悪い気分になった其の生物は 「出来るのかい?」 とだけ尋ね返した。


「どうかしら。 でもご飯は沢山食べてきたし、 私は眠るのが得意だもの。 それにね、 コレがあるのよ」


 少女はごそごそと白いダッフルコートのポケットから小さくて茶色い小瓶と、 ビニールで包装された注射器を取り出した。


「これはね、 人間を眠らせるお薬なの。 深く深く眠らせて、 痛みや苦痛を和らげるお薬」

「何故そんなものを君が?」

「家にあったの」


 と、 少女は肩をすくめる。

 成程ケミカルな匂いがする家なのだそうだから、 あっても可笑しくないだろうと其の生物はそう考えながら、 更に尋ねた。


「此処で、 冬眠するつもり?」

「ええ、 静かで人の気配も無くて良いわ――嗚呼、 貴方は居たけど。 でも、 他に誰も居ないもの。 少し寒いけど、 そうかと思って温かい服を着てきたし――眠るには良い環境」


 そうだろうか、 と其の生物はぐるりと周囲を見渡した。

 確かに鬱蒼と生い茂った森には人の気配こそないが、 他の生物は沢山いるのだ。

 熊が出るよ、 と其の生物が言う。 少女はそれこそ冬眠してるわ、 と笑った。


「そうだけど。 仮に君が無事冬眠できたとして、 目覚めた時にはかち合うかも知れないだろう」

「そうね。 その時は気を付けるわ」


 少女は神妙な顔で頷いて、 やおら其の生物の顔を覗き込んだ。


「ねぇ、 貴方。 お願い事を聞いてくれる?」

「まあ、 叶えられそうなことなら」

「私はこれから此処で冬眠するから、 この辺りには近づかないで欲しいの。 気配で起きちゃうかもしれないでしょう?」


 其の生物は少しだけ考えて、 それから頷く。

 少女は更に続けた。


「それからね、 私がうっかり寝過ごさないようにして欲しいの。 桜が好きなのよ、 見たいの。 だから桜が咲いたら起こしに来て頂戴な」


 其の生物はまた少しだけ考える。


「もしそれまで僕が生きていたら、 良いよ――でも、」

「でも?」

「君が中々起きなかったら?」

「ふふ――そうね、 その時は貴方の好きなようにしていいわ」


 と、 少女は真っ赤な唇を真っ赤な舌で舐めた。

 其の生物は自分にあるかどうかも定かではない心臓が、 どきりと跳ね上がったような気がした。

 人間には言ったことがない其の生物の嗜好を、 会って間もない少女がまるで見透かしているように思えたからだ。


 其の生物は分かった、 と小さな声で了解を示し、 其れから逃げるようにその場を立ち去った。

 ――食欲は相変わらず、 鳴りを潜めたままだった。


***


 住処に着いてから、 其の生物は得も言われぬ感情に苛まれた。 其れを恐怖心というのだと、 後から知ったのだが、 其の時は何が何だか良く分からなかった。

 あの少女は何だったのだろうと、 今になって其の生物は思い始めたのだ。

 確かに人間であった。 人間の香りがした。 けれど、 あの少女は其の生物の知るどんな人間とも違うような気がした。

 それからひょっとしてあの少女は、 巷で言うところの幽霊というものなのではないかと思った。

 其の生物は今までそんな存在に会ったことはなかったし、 そもそも生き物というのは死んだら其れで終いだと思っていたのだから、 そう考えれば考える程怖ろしいことに思えて仕方なかった。


 ――もし、 もしあの少女が幽霊だったとしたら。


 生き物は死んで終わりというわけではないことになる。 死後という新たな生を歩まなければならないことになる。

 其の生物は其れが堪らなく怖ろしいことに思えた。

 そんな事があるはずがない。

 現に其の生物はあの少女と会話していたのだ。 妙なことを言い、 妙な薬を出して、 そう! 確かにあの少女は白い息を吐いていた。

 真っ赤な唇から白い息が――嗚呼、 どうして。 どうしてあの寒々しい空気を吸うあの唇は、 血の気が保てていたのだろう。 色褪せることもなく、 あの赤々強い紅が、 どうして。

 否、 それこそが何よりの証ではないか。 あの血の気こそが確かな生命の証ではないか。

 あの少女は生者であったのだ。 そうだ、 そうに違いない。


 けれどそう強く思う一方で、 そうであったらどうしようという恐怖は拭いきれなかった。

 寧ろ強く思えば思うほど、 そうじゃないのではないかという疑念がムクムクと沸き上がっては其の生物の感情を揺さぶるのだ。


 無性にあの場に立ち戻りたい衝動に駆られた。

 けれど其の生物は必死で己を押し留めた。

 あの少女と約束したのだ。 近づかないと。 桜が咲く時まで、 其の生物はあそこには行けない。 行ってはいけない。


 だから生きて――生きて、 確認しなければ。


 あの少女が幽霊でないことを生きている内に確認しなければならない。

 其の生物はそうして初めて、 長生きしたいと願う人の気持ちが分かったような気がした。

 桜が咲く日まで生き長らえなければならない。 そうでなければ、 死ねない。 死にたくない。

 其の生物は誕生してから初めて、 強い生への執着を意識した。


 早く、 早く桜よ。


 ――住処の窓から覘く桜は、 まだ茶色い。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 初めまして、お邪魔してます。 読ませていただき、最初はリアルなグロホラーかと思って、ハラハラしながら其の生き物と少女の展開を見守っていました。 しかし、物語は想像と違う方に進み良かった…
[良い点] とっても面白かったです! 其の生物はヒトと同じなのだなぁと思いながら読んでいました。他の生物を食料と見たり、愛玩動物と見たり。死骸しか食べられない其の生物がとても繊細で愛おしいものに思えま…
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