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私が彼を好きになったのは、初めて彼を見た時に泣いていたからだと思う。
雨がしんしんと降る夜に彼はびしょ濡れになっていて、ただ、どんよりと曇った空を見つめながら駅のベンチに一人座っていた。まず私は、不思議に思ったのだ。昨日の天気予報から今日の朝から雨が降ることは分かっていたはずなのに、どうして彼は、傘も持たずに濡れているのか。きっと、彼が家を出たときには雨だっただろうに。どうして、と。
次に私は恋をした。
彼があまりに濡れていたから、私はいつもバイトがある日に持っているフェイスタオルを彼に渡して、そそくさと次にくる電車に乗って帰ろうと思っていた。けれど、フェイスタオルを彼に渡そうと近づいたときに初めて気づいたのだ、彼が泣いていたことに。
まずかったことに、「あの、このタオ」まで声を発していたこと。
まずかったことに、彼に恋をしてしまったこと。
彼は涙をとくに拭うことなく微笑んだ。どきり、とした。
「貸してくれるの?」
「え、あ、はい」
「ありがとう」
私は何を思ったのか、彼の隣に腰掛けた。自分でもどうして座ったのかなんて分からなかった。電車はあと2分も経たないうちに来ると言うのに。もう間もなく〜という放送まで聞こえているのに、私は彼の隣に座ってしまった。
「あの、」
「あの、それ」
「え?」
彼は、私のバックの中にある黄色のファイルを指差した。
「それうちの大学のでしょ?しかも黄色ってことは今年二年生だよね」
「え?」
「俺も黄色なんだ」
「え?」
「驚いたね」
私は嬉しいと思った。
もしかしたらもう、彼に会えないと思っていたから。ただの一目惚れで終わるのだろうと、今日で、この恋は、終わるのだろうと思っていたから。だから、まずかった、と思ったのだ。
こんな偶然あっていいのだろうか、同じ大学で同じ学年で、これからはきっと大学内のどこかですれ違っても私は彼に気づくことだろう。大学内だけじゃなくて、外であってもそれは同じだ。
「・・・聞いていい?」
「いいよ」
「泣いてた理由だよ?」
「うん、知ってた」
彼は笑った。やっぱり私は、どきりとした。
「泣いてた理由はねー、」
「うん」
彼は泣いていた理由をまるで楽しかった思い出を語るかのような、ハツラツとした顔で言葉を切りだしていった。
「恋をしたんだ」
息がつまるかと思った。私はやっとのことで息をして、彼に言葉を返すことができた。
「・・・恋?」
「多分、いい恋」
「いい恋?」
「でもね、」
「うん」
「結婚してるんだって」
「だから・・・泣いてたの?」
彼は首を左右に振る。そして続ける。
「いい恋をしたから」
まずかったことに、私は彼に恋をしてしまっている。