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白と黒の来訪者

 ふと後ろを振り返れば、三人の歩いてきた足跡も既に消えていた。

 もうどれくらい歩いたのだろう。容赦なく降り続く雪は体温だけでなく、人間としての感情までも奪っていってしまいそうだ。


(でも、俺は―――)


 迷いが、あるいは恐怖が消えてくれるならそれでも構わないと思った。


「この辺りでいいわ」


 三人の中央を歩いていた黒髪の女性が言い、歩を止めた。口元から白い息が漏れ、空にのぼっていく。彼女は顔を上げ、それが消えるまで見つめる―――そんな横顔が好きだった。


「……ッ」


 堪え切れなくなった妖精の少女が、嗚咽を漏らしながらどこかへ走り去った。


「すまない……。どうしても君と最後まで一緒にいたいと言うから連れてきたんだが、アイツにはやっぱり、こういうのは辛いんだろう」

「いいの。あの子はとても優しい子だから。大切にしてあげてね」

 

 そう言って微笑み、彼女は彼の手を取った。彼女の手はひんやりしていて、出会った頃よりほっそりしていて、けれど包まれると温かかった。


「ほら、うつむかないで。悲しまないで。そして―――どうか、憎まないで」


 彼女は彼の手を自分の胸に当て、静かな声で尋ねた。


「……私の鼓動、聴こえる?」

「……ああ。聴こえるよ」


 とくん、とくんと彼女の命を奏でている。


「良かった。私の音を、止めてくれるのがあなたで。感謝しているわ」


 彼は残った手で懐から銃を抜いた。


「最期は、抱きしめていて」

「あぁ…」


 声がかすれる。銃を持つ手が重い。

 彼は彼女の胸から手を離し、強く、彼女の細い身体が折れてしまうくらい強く抱き寄せた。


「ごめんなさい。こんな私を、愛してくれてありがとう」


 彼女の温もりが、優しさが痛くて涙が止まらない。けれどもう、残された時間はない。

 世界を拒絶するような声で叫び、彼は引き金を引いた。

 雪の大地に赤い花が咲いて、ひとつの物語に終わりを告げた―――。




*****




 毎年クリスマスの時期になると、北の国ホワイトベルは多くの観光客で賑わう。

 まだ僅かに魔法の力が残るこの国では、職人たちが己が技法にそれを組み合わせ、見る者の心を奪う見事な芸術品を創り出しては、歴代の国王に献上し、財を成してきたという言い伝えがある。


「もっとも、あたしみたいな貧乏宿屋の娘には、なんの関係もないんだけど……」

「貧乏は余計よ。というか、誰に話しているの?」

「いいからいいから。気にしないで、お姉ちゃん」


 いつもは閑散としている叔母の経営する宿屋も、毎年この時期はかき入れ時だ。

 姉の作った料理を食堂の客に運びながら、ウェイトレス姿の妹、ミンクは壁に飾ってある一枚の絵を見た。そこにはまだあどけなさを残す姉が描かれている。

 5年前、姉が国立劇場で演劇『冬物語』のヒロイン、エリーズ役を演じた際に、偶然観に来ていた絵師が感動して、三日三晩飲まず食わずで一気に描き上げたのだという。本当かどうかは知らないが、姉の―――いや、姉妹の宝物だ。

 厨房に戻ると、早速ミンクは姉をデートに誘った。


「ねえお姉ちゃん、クリスマスの日にさ、劇場に行かない? 『冬物語』の公演中なんだよ」

「まあ、懐かしいわね」


 ふふ、と笑う姉の中ではすっかり過去の思い出になっているらしい。だが、ミンクは未だに納得がいかないのだった。


「リリック、ミンク、二人とも御苦労さん。今日はもう上がっていいよ」


 恰幅の良い中年女性が厨房に顔を出し、二人に言った。この宿の主人で、姉妹の叔母であるジェシカだ。


「叔母さん、ありがとうございます―――ほら、ミンク」

「…ありがとうございます」


 リリックに促され、ミンクは油の切れ掛かったロボットのような動きでお辞儀した。 




 その夜。 


「あたしはまだ認めたわけじゃないからね」

「もう、ミンクったら……またそんな事言って」

「だって、お姉ちゃんは国一番の担い手だったじゃないっ」


 担い手とは役を担う者―――つまり役者、演技者の意味だ。

 稀有な才能を持った姉が演劇を辞めてしまったことに、今でもミンクは納得がいかない。

 お風呂の後、自分のベッドがあるにも関わらず、ミンクは姉のベッドにもぐり込んで抗議した。怒りながら甘えているのだ。リリックは妹のブロンドの髪を撫でてやりながらやんわりと応えた。


「仕方ないでしょう? お父さんもお母さんも事故で死んでしまって、残された私たちが孤児院に入れられてしまう所を、叔母さんが無理をして引き取ってくれたのよ。その事に感謝こそすれ、恨んだりしたら神様に怒られてしまうわ」

「それは……そうかも知れないけどさ」


 実際は、少し違う。何せ国一番の担い手だ。リリックには演劇を続けるチャンスがあった。貴族からの申し出で、ぜひ養女として迎えさせて欲しいと。その素晴らしい才能の応援をさせて欲しい、と。しかし、彼女はそれを断った。そうする他に、無かったのだ。


「お姉ちゃんは、これで良かったの? 毎日毎日、意地悪な叔母さんにこき使われてさ……」

「叔母さんは意地悪なんかじゃないわ。滅多なことを言ってはだめ」

 

 軽く睨むと、ミンクはびくっと震えた。普段は気丈な彼女も、姉にだけは弱いのだ。


「ご、ごめんなさい……お姉ちゃん、怒ったの…? あたしのこと、嫌いになっちゃった……?」


 幼くして両親を失ったミンクにとって、リリックは姉であり、母のような存在でもある。だからもし、リリックに見捨てられたら生きていけない。そう考えるだけで、涙が溢れてしまうのだ。


「ばかね。そんなことあるわけないでしょう。ほら、泣かないの」


 指で優しく涙を拭ってやると、ミンクはリリックの胸元に顔を埋め、嗚咽を漏らした。


「ミンク。あなたの私を想ってくれる気持ちだけで十分よ」


 愛おしむように妹の髪を撫で、背中をさすってやるとようやく安心したのか、嗚咽はやがて小さな吐息へと変わった。

 北の国に住む者なら、知らない者はいないほど有名な『冬物語』。魔女に魔法を掛けられた人間の少女と、不思議な銃を持つ少年の悲恋を描いたお話だ。童話としても、大人向けのお話としても優れているのは、それが実話を基に創られたからだと言われている。


(エリーズは北の国の生まれでありながら、大変珍しい黒髪をしていた、か)


 少なくともリリックは、自分以外に黒髪の人を見たことがない。彼女の両親も、叔母も、妹も、街の人も、皆ブロンドの髪の持ち主だ。だからこそリリックは、エリーズに特別な親近感を覚えるのだった。

 演劇が大好きで、特にエリーズを演じている時の、自分が自分でなくなるような感じが、まるで彼女の中に溶けてしまいそうになる感じが、たまらなく好きだった。


(あの時、もうひとつの選択をしていたなら……)


 そんなことを考えてしまう自分が嫌だ。けれど、もしそうしていたら、もっとエリーズを知ることが出来ただろうか。悲恋とはいえ、異性を好きになるという気持ちを、エリーズは自分に教えてくれただろうか。未だ恋を知らない自分としては、すこし彼女に妬けてしまう。

 とうに諦めていたハズの気持ちが、どうして今になって疼き出すのだろう。ひょっとしたら自分は、まだ担い手としての未来を夢見ているというのだろうか。


(……なんてね)


 リリックは目を閉じ、睡魔に身を委ねるのだった。




*****




 長い、永い時間を待った。

 男は、喜びに打ち震えていた。


「また、君に逢える……」


 その声を、姿を、自分は知っている、覚えている―――気がする。

 周囲には二人の他に誰もいない。これは夢だろうか。

 リリックはもう一度、男のほうを見た。


「あなたは、私を知っているの? 私も、あなたを知っている……でも、よく思い出せないの」


 遠い記憶の彼方に、その男はいる。けれどもやが掛かって、鮮明に思い出せない。


「不安がらなくていい。もうすぐ、思い出す。もうすぐ、君を迎えに行く」

「私を……迎えに?」

「そう、君を迎えに」


 その言葉は、リリックが憧れていた恋人たちが交わすどんな愛のフレーズよりも刺激的で、甘美な響きで―――彼女の心を一瞬にして蕩かしてしまった。


「………嬉しい」

 

 リリックから花のような笑みがこぼれると、男も満足げに頷き、彼女の身体をぐいと抱き寄せた。


「あっ……だめ」

「なぜ?」

「なぜって、その……」


 リリックはキスの経験も無いのだ。言い寄ってくる男は両手で数えても足りない程だったが、全部ミンクが追い払ってしまったし、ミンクが大人になって良いパートナーを見つけたら、その後に自分も考えようと決めていた。別に男性恐怖症とかそういうのではなくて、何をするにおいても妹を優先してきた結果だ。


「あんなにたくさん愛し合ったのに、忘れてしまったのか?」

「えぇっ!?」


 リリックは林檎も裸足で逃げ出すくらい真っ赤になった。


「まあいいさ。君が忘れてしまったのなら、俺はもう一度教える喜びを味わえる」


 いけないこの人エッチな人だと、リリックは軽く戦りつしたが力が入らない。


「さしあたって、何から教えて欲しい?」

「……この状況から逃れる術を教えて欲しいわ」

「そんなこと言わないでくれ。傷付くじゃないか」


 おどけて言う彼に、リリックは優しさを感じた。手の中に捕えた蝶を手放す様に、ふわりと自分を包む彼の力が和らいだのだ。たぶん自分が望まないことを、この人は望まない。


「それなら…………ううん、そうね………キスから教えて」


 だから―――というわけでもなかったが、リリックは自ら望んだ。

 彼の顔が近づいてくる。リリックは瞳を閉じる。そして生まれて初めてのキスを交わした。




*****




 今年は『冬物語』生誕100年目だ。毎年冬の時期に10回ずつ公演が行われており、今回のクリスマス公演で通算1000回を迎える。しかもヒロイン、エリーズの担い手は国立歌劇団のトップスターとあってチケットは当然のごとく早々に売り切れてしまった。


「ううう……寒い中何時間も並んだのに」

「仕方ないわよ。明日のクリスマスはお家でのんびり過ごしましょう」


 落胆するミンクの為に苺のケーキを購入し、姉妹は煌びやかな装飾で彩られた商店街を自宅に向かい歩いていた。


「お姉ちゃん、体調とか大丈夫?」

「あら、どうして?」

「んー、なんとなく」


 数日前から、姉の様子がちょっとおかしい。ぽーっとしている事が増えて、急に顔が赤くなったりするのだ。風邪でもこじらせたのかと思い聞いてみたが、健康そのものだという。

 家に着くとちょうど郵便屋さんが来ていたので、忙しそうにしていた叔母の代わりに姉がサインし、一通の手紙を受け取った。姉の横から顔を覗かせた妹が感嘆の声を上げる。


「うわ~、キレイな封筒だね~。まるで宝石が散りばめられているみたい。お姉ちゃん、誰から?」

「宛名は私になっているけど、差出人の名前はないわね」

「うおっほん」


 叔母の咳払いではっとしたリリックが慌てて「ごめんなさい。すぐ着替えてきます」と言い、足早に妹を連れて自室に戻った。


「あたしやっぱりあの叔母さん嫌い。今日はお店に出るのは夕方からでいいって言ってたクセに」


 ミンクは頬を膨らませ、リリックは苦笑した。


「こんな日もあるわ。人生なんて予定通りにはいかないものよ」

「……帰ったら一緒にケーキ食べようねって約束したじゃない」

「勿論、約束は守るわ。だけど食堂のほうが落ち着くまで、待ってくれる?」

「………」


 ミンクは返事をしなかった。姉が自分に構ってくれる時間がどんどん減っている事への抗議だ。そうすれば姉は謝ってくれて、優しく髪を撫でてくれると思った。


「じゃあ……なるべく早く戻るから。良かったら、私の分も食べていいからね」

 

 しかし姉はそう言い残し、部屋を出て行ってしまった。


「……お姉ちゃんの、ばか」


 結局リリックは忙殺されてしまい、夕方どころか夜まで戻れなかった。ミンクも途中からお店に出たが、リリックとは一言も言葉を交わさなかった。




*****




「そうね、あんたみたいなワガママ娘なら、おあつらえ向きかもね」

「な、なによあなた―――きゃあッ!」

 

 反論しようとすると、その少女はいきなりミンクの頬を叩いた。


(―――ッ、お姉ちゃんにも殴られたことないのに!)


 顔がかあっと熱くなった。頭が混乱している。

 ここは、夢の中だろうか? 確か、食堂の営業時間が終わり部屋に戻って、姉の顔も見たくなくてそのまま寝てしまって―――そうだ、夢に決まっている。だって目の前にいる女の子には羽が生えていて、まるで『冬物語』に登場する妖精そのものだ。

 しかし夢というには余りに現実的な頬の痛みが、ミンクの瞳から涙をにじませた。


「あはは、泣いちゃった♪ さあ、困ったらどうするんだっけ? いつものように、お姉ちゃんを呼ぶんでしょう?」

「……一体、なんなのよあなた。あたし、何も悪いことしてないのに」


 妖精の少女はミンクの胸ぐらを掴み、今度は反対の頬を叩いた。さっきよりも、かなり強い力で。


「………ふぇえ」


 本格的にミンクが泣きだしても、離してもらえなかった。優しくしてもらえなかった。見た目は自分より幼くて、背も低い相手にいい様にされてとても悔しかったが、恐怖がそれに勝ってしまった。


「あんた、よっぽど甘い人生歩んできたのね。さしずめホイップクリームたっぷりの苺のケーキってとこかしら?」

「ぐすっ……そんなことないもん……お父さんもお母さんもあたしが小さい時に死んじゃって……お姉ちゃんと一緒に意地悪な叔母さんに引き取られて……ひぐっ……そ、それでも、頑張って生きてきたんだもん」

「っは。笑わせんじゃないわよ。頑張ったのはあんたのお姉ちゃんだけでしょ。あんたは頑張って甘えてただけじゃない」


 言い返してやりたい。だけど言葉が見つからなかった。妖精の少女は尚もミンクを責め立てる。


「いい機会だし、教えてあげる。あんたの大好きなお姉ちゃんとはね、明日のクリスマスを最後に一生会えなくなるのよ」

「なに言ってるの? そんなハズない、そんなの嘘よっ」


 また叩かれるかもという恐怖はあったが、ミンクは精一杯声を荒げた。


「うふふ。あんたがどう思おうとあんたの勝手だけど、運命は都合のいい妄想だけで変えられるほど甘くはないわ」


 ミンクの必死の抵抗を妖精の少女は嘲笑った。


「楽しみね。ずうーっとお姉ちゃんにおんぶに抱っこで育ったあんたが独りぼっちになったら、どうなってしまうのか……ね?」

「あう!」


 どん、と突き放され、ミンクは尻もちをついた。

 上から彼女を見下ろす妖精の少女はまるで―――氷のように冷たい瞳をしていた。


「どうしてあたしを………そんなに憎むの?」

「どうして? どうしてですって?」


 そして吐き捨てられた台詞に、ミンクは文字通り凍り付いた。


「自分の胸に聞いてみなさいよ………オリヴィア」


 それは確か―――『冬物語』に出てくる、魔女の名ではなかったか。なぜ、この子はあたしをその名で呼ぶのか。


「あ、あたしの名前はミンクよ。オリヴィアなんて名前じゃないわ」

「そうね。今のあんたの名前はミンクよね。だけど、間違っていないわ。あんたの正体はオリヴィアよ」

「ふざけないで!」


 悪い冗談だ。自分は、姉の演じるエリーズが大好きだった。たぶん他の誰よりも。その自分が、エリーズの幸せを奪った魔女だなんて。


「それに、そもそも『冬物語』は作り話でしょ。魔女も魔法も、いるわけないし、あるわけない……」

「ふうん、作り話ねえ……いいの? あんたが決めたら、ほんとにそうなるわよ?」

「どういう意味?」

「そのままの意味よ。あんたに残された魔法は『否定』。それを使役すれば、つらいこと全てから解放されるわ。あんたはこの世界からきれいさっぱり消えて無くなるの」

「………そんな……」

「よく考えて決めなさい。どちらにせよ、あんただけが報われない未来が待ってるんだけどね♪」


 ミンクは夢が終わるのが分かった。妖精の少女の姿が薄らいでいく。しかし、最後に残された台詞だけは、色濃く彼女の脳裏に刻み込まれた。


「あんたが奪ったアタシ達3人の100年を考えれば………安いものでしょ」




*****




 朝になり、悪夢から目覚めたミンクは、部屋にリリックの姿がないことに気付いた。


「お姉ちゃん、どこ?」


 ミンクの呼び掛けに、誰も応えない。窓の外はちらほら雪が降り始めている。

 ミンクはベッドから起きた。テーブルに、昨日届いた手紙が残されている。宛名を見て驚いた。


「……あたしの名前になってる」


 昨日見た時は確かに姉の名前が書かれていたのに。

 吸い寄せられるように手紙を取り、封の中身を確かめる。中にはチケットが1枚、そしてメッセージカードが入っていた。『最高の舞台へようこそ』とある。


「……ひどい皮肉」


 ミンクは泣き笑いの表情で、しばらくの間、その場に立ち尽くしていた―――。


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