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前置き

インターネットが普及し、そしてスマホという形で携帯されるようになり殆どの人間の視野が一気に広がりました。同時に多大な情報を傍受することになり未だその処理方法に戸惑う者が多いというのも現状問題です。


そこで、情報過多により思考力が困憊した者達はどうするのでしょうか。一つの譬えではありますが、『籠城』の計を取るのが一番だと案じるのでは無いでしょうか。独善的に膨大な情報を聞き分け良しとしたものを掲げる。そうするといずれ友軍が助けに参ってくれるだろうというやけに達観した未来観測を行い、行動する。これがどのような結果を招くことになるか。少し目を開けてみたら確かめることができるでしょう。しかし、目を開けることはあまり赦されることではありません。何故なら、循黙こそが身を守る策であり殉道こそが愚かな策であるからです。時を経るごとに攻めるより守るほうが勝てるようになった。ということでしょうか。これにより、争いが絶え実に平穏無事な社会へと変わりましたがそれは体面上だけのものです。いずれ社会は我々が良く知る戯曲のような展開へと陥るでしょう。



突然ですが、今目の前にあるものを人に説明できますか?先ほど戯曲と記しましたが、戯曲は夢物語であるのにも関わらず伝えたい意思を汲み取ることができ状況を判断できます。とても良くできたものならば心情までも分かってしまいます。おかしくありませんか?どうしてそのような『普通はあり得ないこと』を表すことができるのだ、と今日までにおいて思わなかったでしょうか?



『言葉は発せられることによりいつか必ず本来の結果を達成する』守っているなんて勿体無い。勝て“そうな”策をひたすら考えるのととりあえず戦ってみるのとどちらが大成するのでしょうか。真実は人のみぞ知るものですね。あくまで人のみですが。


閑話休題、クリティカルシビライズとは何かを次話で説明しましょう。

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