勘違いも甚だしい
『変わりゆく童、変わりゆく童。
助かる者は片割れのみ。
対なる者は死を選ばん。
変わりゆく童、変わりゆく童。
どちらかが先に眠るやら…』
去年亡くなった祖母は認知症が入っていたためか、よくこんな意味のわからない創作曲を歌っていた。
病院の一室で、歌い続ける祖母に看護師は辟易して、同室の患者に迷惑がかかるため一人部屋をあてがわれた。
とくに忙しくもなかったが、なんとなく病院に行くことに抵抗のあった俺はなかなかお見舞いに行かず、最後にあったのは祖母が亡くなる一週間前だった。
母親に頼まれ、祖母の着替えと大好物の大福を持ってしぶしぶ病室に行ったあの日、祖母はやせ細った腕を伸ばして天井を見つめていた。
入ってきた俺など眼中にない様子で必死に目をむきだしにして腕を伸ばし、歌を歌っていた。
時々歌の中に、どうかお慈悲を…とか誓います…などと宗教めいた言葉が聞こえ、俺は酷く不快な気分を味わったのを覚えている。
彼女はまるで天井に神様がいるかのように何かを懇願するように歌っていた。
あまりにも異様な光景にしばらく固まっていたが、俺は慌てて祖母に声をかけるべきだと思い当たった。
このままにしていたら祖母はおかしくなったまま亡くなってしまいそうで、それは俺にとって嫌な思い出となるのではないかと恐ろしくなったのだ。
祖母とはそれほど会話もしないまま成長してきたが、嫌なばあさんだったと思ったまま、彼女がいなくなってしまうのは、なんだか彼女に悪い気がして嫌だった。
だから、こちらに気を引かせようと俺はやけに明るく話しかけた。
ばあちゃん。俺だよ。覚えてる?お見舞いに来たんだよ。そう言って、無理やり笑おうとして笑顔が引きつったのを今でも覚えている。
祖母は天井からゆっくりこちらに顔を向けた。
シワだらけでお世話にもきれいではなかった。
祖母はまるで初対面のようにこちらを伺い、じっと見たままなにも口を開かなかったため俺は認知症からくる健忘だろうと自分の名前を告げた。大きく分かりやすくはっきりと。
すると、祖母はニタリと笑った。
彼女が亡くなった今でもその笑顔はよく覚えている。
あんなにも人の笑みが怖いと思ったのは初めてだった。
しかし祖母はすぐに人が良さそうないつもの笑みに戻り、俺の名を呼び、よく来たねと歓迎してくれた。
俺は祖母に恐怖したことを感づかれないように紛らわすために会話を続けた。
「なんだか怖い歌だったね」
先ほどの歌は聞いたことがなかった。
おそらく祖母の創作曲だろうと、思ったことをまんま告げると祖母は低くうめくように呟いた。
「すまないねぇ」
それだけ言うと彼女は俺が持ってきた大福を見て、食べなさいとこちらに寄越してきた。
それから、弟の名を呼び、兄弟仲良くねとだけ言って眠ってしまった。
あの時、祖母がどうして謝ったのかは、結局聞けないまま彼女は他界してしまった。
あの時の祖母を思い出す。
しわがれた声で優しく言ったあの一言。
兄弟仲良くね…
その言葉をなぜか思い出して、俺は深いため息を吐いた。
俺は、あのまま実に任せて自分は関わりを絶つことだってできた。
考えるまでもなく、これは面倒ごとに違いない。
実際、実にムカついていただけに本当に知らんふりを決め込もうかとさえ思った。
だが、結局そうはしなかった。
ふいに祖母を思い出してしまったからだ。
相変わらず間が悪いことこの上ない。
祖母の遺言など思い出してしまっては、それを無視する気など失せてしまう。
無視してしまったなら後味の悪さに頭が痛くなってしまうことだろう。
俺は結局のところ、竪山先輩のいるだろういつもの集まり場所、多目的ルームの前にいる。
後藤が今日はオカ研やるからと言っていたからおそらく竪山先輩も来ているだろう。
今の俺は普段とは違う意味で緊張している。
だが、言わなくてはならない。
この行動が、回り回って祖母の遺言に繋がるのだと考えて、深呼吸。
一息吸って、扉に手を掛ける。
ガラリ。
俺の心境などまるで無視したようにあっさりと扉は開く。
中を覗き俺は思わずマジかよと呟いていた。
部屋にはまるで用意されたシチュエーションのように竪山先輩ただ一人が机を引っ付けて作った特製ベッドに横になっていた。
いつもはうるさい長浜や襟間はいないし、佐々木さんも、宮井先輩も、おまけに後藤さえいなかった。
まあ、後藤がいないのは染井に呼び出されているからだろうが、他のメンバーが全員まだきていないとはどういうことだ。
ひょっとして隠れてるんじゃないのかと辺りを見渡したが、どうやら本当にいないらしい。
何時もの馬鹿騒ぎの中で話そうと思っていただけに、いきなりの二人きりは想定外だった。
「…さっきからなにしてんだ?山手」
入口で固まっていた俺に気がついたらしく、竪山先輩が怪訝そうに声をかけてきた。
俺は慌てて扉を閉めて中に入り、苦笑いした。
「せ、先輩早いですね!他のみんなは…」
「見ればわかるだろ。まだきてない」
「そうですよね!見れば分かりますよね!」
俺の挙動不審な態度に先輩は眉を寄せている。
自分が変なのはわかっているが、なんと切り出せば良いのかまるでわからないのだから仕方ないだろう。
いっそ単刀直入に言ってしまおうか、と考えてやめた。
いきなりそれほど仲良くもない後輩に「先輩の妹さんかもしれない中学生に頼まれまして、一緒に会ってくれませんか?」なんて言われてああ、わかった。なんて言ってくれる人間がいるか?
いない。
少なくとも俺が言われたら、こいつとは疎遠でいるべきだと考える。
「おい。さっきからどうした。気分でも悪いのか?」
うだうだ悩んでいる姿は先輩からは、苦しげにうめいているように見えたらしい。
声に心配されていると感じるくらいの気遣いの色が伺えて、より一層俺を悩ませる。
つーか、いつもは周りがいくら騒がしくしてても気にも止めずグースカ寝てるくせになんだってこういう時は敏感なんだよ!
先輩の優しさが今は妬ましい。
観念して、俺は先輩に向き直った。
机で寝ていた先輩が起き上がってこちらを見ている。
俺があまりに真剣な表情だったせいか、つられて先輩も神妙な顔持ちだった。
「あの…竪山先輩…じつはお話がありまして…」
しどろもどろな俺に先輩は俺の緊張が移ったように表情が固い。
「………一つ聞かせてくれ山手」
俺が次の言葉を言う前に真剣な声で竪山先輩が遮った。
「なんですか」
「その話と言うのは、俺とお前の関係を変えるような話か?」
「………?え、あー、まあそうですね」
一瞬考えて肯定する。
なんでわかったんだろう。
首をひねりつつ、わかっているなら話は早いと俺は切り出すことにした。
「先輩にしてみたら突然で驚かれると思いますが、落ち着いて聞いてください」
俺はそう言って自分がまだ入口にいることに気がついて前に進み出た。
竪山先輩は俺が近づいたことにやけにビクついて机をガタッと鳴らした。
なんだ?
「山手。お前のことはその、いい後輩と思っている。ほんとうだ」
「?ありがとうございます。俺も竪山先輩はかっこいい先輩と思ってますよ」
なんだって俺たちは褒めあいをしているのか。
わからなかったが、とりあえずそう答えると竪山先輩はなぜか危機的状況のように深刻な表情になった。
「お前の気持ちは嬉しい。けど、そういうことは俺に向けるべき感情ではないと思うんだ」
???
ますます先輩の言っている意味がわからない。
「先輩?意味のわからないことを言ってないで、俺の話を真剣に聞いてください」
「わ、わかった。聞こう。だが、約束してくれ。聞いたら諦めると」
「はあ?なにいってるんですか。諦められるわけないじゃないですか!」
なんのために俺がここまで頑張っていると思ってるんだ。
ここで話を聞いてもらって終わりでは意味がない。
俺は熱意を込めて先輩に近づいた。
先輩がさらになぜかビクついていたがお構い無しだ。
「俺は真剣なんです。これから話すことは冗談なんかじゃないんですよ」
俺がそう言った瞬間だった。
バーーーーン!!
凄まじい音で扉が開いた。
ギョッとする俺たちが見たモノは…
「ホモがいると聞いて!!」
やけに鼻息を荒くした錦織の姿だった。
いや、ホモじゃねぇから!