月の映る湖のほとりで 2
浮いていた。
湖の上に浮いていた。
コートかボロ切れか分からないような布を頭から被って、怪しい人物が浮いていた。
それについてはいい。異世界で魔法もあるファンタジーなところだ。なんでもありなのだろう。
個人的にはその浮遊術についても興味はある。あるが……。
今はそんなことはどうでも良かった。
「食い込み…………」
「…………え?」
「ナイスッ!食い込みッ!!」
「はいぃッ!?」
水上に浮いているがために、水面に怪人物の布の中……それも丁度股間の辺りに黒い布地が食い込んでいい感じになっているのが映りこんでいる。
普通なら見えないが今の俺には見える。身体機能強化のスキルにこれほど感謝した瞬間は無いだろう。
「な、何を言ってるかわからないけど、兎に角その子を返しなさい!」
「ダメに決まってるだろ。こいつは何があっても俺が守る」
「くッ……その熱心な入れこみよう……やっぱりこいつは守護者ね……。合流地点まで王女を逃がしちゃうなんて迂闊だったわ……」
何を言ってるのか今ひとつ分からないが、この人魚が王女?
ただの魚釣りのつもりが、もっと面倒なものを釣り上げてしまったようだ。
さぁて……この食い込み不審人物をどう料理してやろうか。
新たな獲物をよく観察する。
声の感じからして女性。コートの上からでもはっきりとわかるくらい体の凹凸が…………ない。絶望的なまでに平坦だ。かわりに水面に映る足はいい感じに肉づいていたが。
浮遊に魔力は使っていないようで、その欠片も感じられない。空気を固めてその上に乗っているというわけでもない。その場でふわふわと上下動しているので本当に飛んでいるようだ。
興味深い……。その秘密を体の方にじっくりと聞いてみたいもんだ。
そんなことを考えていると、俺の服の裾がクイクイと引かれる。見れば後ろにいた人魚の少女が俺の服を掴んでいた。
「すいません……私のせいで巻き込んでしまいました。どうかここから逃げてください」
「気にする必要も、心配の必要もない。お前のことは俺が守ってやるからな」
俺がそう言うと、少し安心したように息をついたが、すぐに不安そうになる。まぁ見た目小学生な人物に守ってやるなんて言われて安心するわけないか。
「どうして…………そこまで……」
「決まってんだろ」
そんなことをする理由なんてひとつしかない。
不安そうな少女をなだめ、コートの人物に向き直る。
チャルナを人魚の後ろにつけて、守るように指示すると、俺は空中の人物に指を突きつけた!
「おいッ!テメェッ!人の釣った魚を横取りしようとはいい度胸だッ!コイツを料理したあとに、テメェも美味しく頂いてやるよ!」
「え!?た、食べるの!?彼女は人魚族の王族なのよ!?」
「関係ないねッ!俺が食うと言ったら食うんだよ!」
「え、えぇー…………」
向こうはフードのせいで顔は見えないが、かなり呆れているようだ。
人魚もこっちはこっちで信じられない物を見たような顔をしていた。
「ほ、本気で食べるつもりだったんですか!?だから私のこと守るって言ったんですか!?」
「それ以外にどんな理由があるんだ」
「い、いやあああああああああああああぁぁ!?た、助けてくださいッ!この人私を食べるつもりですうううぅぅ!」
なぜか自分を追っていたらしきコートの人物に助けを求める人魚。
まったく、酷いやつだ。俺がゆっくり丁寧に料理してやろうというのに。まるで俺が悪者みたいじゃないか。
「くッ……信じられない……人間なんてやっぱり最低の生き物よ!」
コートの人物は吐き捨てるようにそう言うと、虚空から死神が持っているような鎌を取り出してこちらに突きつける。
「人間のガキ風情が、このアタシに勝とうなんて身の程知らずもいいところだわ!アンタを倒してその子を救ってあげる!」
「くっくっく…………。本当の身のほど知らずがどっちなのか、地べたに這いずりながら後悔するがいいッ!」
…………あれ?なんか変な気がする。セリフと立場が逆のような……。
俺の疑問をよそに、状況は進む。
「せえいッ!」
コートの人物が鎌を振ると、詠唱もないのに魔法陣が出現し、振った軌跡に沿って紫色の斬撃波が飛ぶ。
俺はそれを飛び退って避けると、懐からいつものように拳銃型魔道具を取り出して構えた。
コート野郎は一瞬驚いたように動きを止めたが、そのあとには次から次に鎌を振り、連続で攻撃を仕掛けてきた。
先ほどと同じように避けながら考える。
――今のはいったいなんだ?魔法にしては詠唱がない……。
俺のコレのような魔道具か?いや、それにしては魔法陣が浮かぶのは変だ。
魔道具は物に魔法陣を刻んで詠唱を省略する技術。
コイツのように詠唱もないのに魔法陣が浮かび上がるのは妙な話だ。
「くッ……子供のくせに、いい動きするじゃない!」
「はッ!オメーの動きがトロくさいだけだろ!」
「うるさいわねッ!うりゃあッ!てりゃッ!ちぇええりゃああああああ!!」
向こうは怒りで頭に血が上って、滅茶苦茶に鎌を振り回している。
まったく。あの空中に浮いた姿勢で、よくもまああれだけ重そうな鎌を振り回せるものだ。
人魚のほうはチャルナが上手いこと逃がしてくれたようだ。少なくとも射程圏内にはいない。
鎌から伸びた斬撃が、近くの太い樹を一撃で切り倒す。
ゆっくりと崩れ落ちた樹の幹が、轟音を上げて湖に落ちた。
……結構シャレにならない威力のようだ。
いい加減、観察を止めて俺も反撃に移るか。
「『我と我が名と我が標 誓いによりて我守る 堅牢なる水楯 いざここに!』」
「『アクア・シールド!』」
水場があればこの魔法の効果は上がる。幸い、ここは湖畔だ。水は腐る程ある。
空中に現れた水の膜が、俺に迫っていた斬撃波を問題なく受け止めた。
稼いだ一瞬を使って、魔法陣に照準を合わせる。
△セット:ウォーター・ノーマル△
撃ち出した魔法弾が次々に魔法陣の中に吸い込まれていく。
斬撃波を放つ魔法の構築を阻害されて、コート野郎に動揺が走る。
「――うあッ!?なんなの!?何か……魔方陣に干渉してる!?」
怯んだ隙に接近して飛び上がり、その足を掴んだ。
このままだと、ただぶら下がっているだけなので魔法で足場を生み出す。
「『アクア・シールド!』」
横に広がった水の膜に足を着けて、掴まっている腕を大きく振りかぶる。
そしてそのまま地面に向けて叩きつけた!
「え、ちょッ!?いやああああああああぁぁぁ――――ぎゃうんッ!?」
謎の浮遊術で虚しい抵抗を試みていたようだが、猛烈な勢いが減ずることなく、背中から落ちていった。
勢いのままにゴロゴロと転がり、先程自分で切り倒した樹の幹に当たって止まる。起き上がろうともがいているが、体中が痛いせいか動きがぎこちない。立ち上がるにはダメージが抜けるまでもう少し待たないといけないだろう。
ま、俺がそんな真似を許さないが。
さぁて、どうしてやろうか……。
まずは薄手のシャツを着せて、縄で縛って、その上からスライムの溶解液(粘度高)でゆっくりと濡らしてやろうか……?
不埒なことを考えているうちに、新たな気配が現れたのを感じて、戦闘体勢を維持する。
そちらに視線を向けると、これまた同じようなコートの者が、人魚を片手に捕まえていた。人魚の方は虚ろな目をして立っている。
何かしらの魔法の制御下に置かれているらしい。
チャルナはいったい何をしていた?無事だとは思うが……。
その人物は樹の根元に倒れている食い込み不審者の方に気づいて声を上げる。
「ルトちゃん大丈夫!?いったい誰が……!?」
「あいててて……そこに居る子供にやられたのよ……」
「そんな……!あんな子に!?」
「気をつけて……そいつ普通の人間の子供じゃない……ッ!」
よっぽど俺にやられたのが信じられないのか、新たに現れた方は困惑したかのように動かない。
面倒だな……どうやってあの魚娘を取り返すか……。
あっちが人質ならこっちも同じく人質を使ってみるか。
決断すると同時に、倒れているコートに走り寄る。魔法で精製した剣を首があるとおぼしき場所に突きつける。
「どっちも動くなよ!変な真似したらこいつがどうなるか分かってんだろうな
ぁ!?」
「くッ……!どこまでゲスなのよ!いいから気にしないで行きなさいッ!」
「で、でも……」
案の定、あっちのコートは迷っているようだ。
たかが魚と自分の仲間を天秤にかけるわけにはいかないだろう。
さぁてもうひと押し。何か精神的な圧迫をかけてやるとするか……。
「忘れたの!?アタシにこんなちゃちなナイフなんて効かないわよッ!いいから早く――――」
「――――お前は何を言ってるんだ?」
「……え?」
「誰がこれを突き刺すと言った?これはな……お前のパンツに使うんだ」
「……………………はい?」