月の映る湖のほとりで
あれからリツィオ達にも注意を払っていたが、目立った変化はない。
ルカが若干ぎこちなくなったくらいか。真面目なあいつらしい。
リツィオはそれまでと変わらずお姉さんぶるし、過剰なスキンシップをとるのもいつもどおり。
向こうが何か仕掛けてこなければ、あるいは俺に関係ない企みなら、こちらから動くことはない。今のところは放置しておく方針だ。
リザードマンの村から出てさらにひと月。人間関係に(少なくとも表面的な)変化はなかったが、風景の変化はあった。砂漠が途切れ、代わりに大きな湖が広がっているのだ。
「アレが『藍玉碧湖』か……」
「――マスターって『アレが〜〜か……』(ドヤァ)……ってよく言うねー?」
「なんだその(ドヤァ)って舐めてんのかコラ」
「にゃうにゃう」
後ろから俺の左肩にアゴを乗せて同じ景色を眺めていたチャルナの頬を、伸ばした右手で掴んでムニムニする。
この大陸で初めて見る物や場所を見ると、確かにそんなセリフを言っていた気がするが、そこまで威張っていただろうか。
若干図星なだけに気恥ずかしい……。
とりあえず主人に対する礼儀がなっていないお仕置きとして、しばらく頬の柔らかさを堪能させてもらうことにする。
「まぁーたチャルナちゃんとにゃんにゃんして〜。オネーサンとはしてくれないの?」
「少なくともお前にすることはねぇよ……。てか当たり前のように現れるなよ。馬車走ってんだぞ」
いつの間にか後ろにいたリツィオに対してツッコミを入れる。相変わらず神出鬼没な奴だ。
それとにゃんにゃん言うな。
「うにゃ?にゃんにゃん?」
「そう、にゃんにゃん」
「にゃーにゃーにゃにゃん?」
「にゃん、にゃにゃにゃー!」
「うるせぇ!?」
変なところで通じ合ってんじゃねぇよ!
人間関係が変わろうと変わるまいと、こいつの厄介さは不変のようだ。
そのままリツィオとチャルナは、俺が作ったぬいぐるみを手にとって動かしながら、にゃんにゃん言い続けている。
なんだあれ。新手のままごとか?猫語オンリーのままごとか?
そのまま見ていると猫語がゲシュタルト崩壊しそうだったので、再び視線を湖へと向ける。
湖の水は澄みきっていて、周りの木々が水面に映りこんでまるで緑色の海のように見える。時たま光の反射具合が変わって、水の青がキラキラと辺りにまき散らされる。
この湖の名は『藍玉碧湖』。見たまんまじゃねぇか。
水深はさほど深くはないようだが、中心部に向かうにつれて深くなっていくそうで、最も深い場所では200メートルもあるとか。
大陸の西側に大きく広がり、一部は『炎龍山脈』の地下にまで及ぶ。イメージとしてはL字型の湖が、ハート型の大陸の左側にあるようなものだ。
これが見えるということは、大陸の中程まで来たということだ。道程の4分の1が過ぎた計算になる。
今までは街道を南下してきたが、もうしばらく行くと大陸の東の南端に着き、そこからは西へ向かって行くことになる。目的のエルフの村はまだまだ先だ。
砂漠と同じように湖からも魔物は現れるらしいので、夜の警備の際には注意が必要だ。
……夜といえば、リツィオ達はこんな時間に起きていてもいいのだろうか。俺は常日頃から短い時間で寝起きできるようにしているが、夜に仕事しているリツィオからすれば今の時間に起きているのは辛いはずだ。
「おい、リツィオ。遊んでないで今のうちに寝ておいたほうが――――」
「にゃんにゃーん」
「………………」
見れば先程まで微笑ましさまで感じられたままごとが、混沌の様相を呈してきていた。
まず中央に大きくM字開脚された……させられた金髪で目つきの悪い男の人形。よくよく見ればその手足には縄が食い込んでいて拘束されている。
その周りでは何故か正座して、痴態を眺めるように視線を注ぐ女達の人形があり、そのうちひとりは鞭を手にしている。
「なにしてんだテメェ!?どこのSMクラブだ!?」
「にゃー!バレちゃったー!?」
「マスター、マスター。これ何してるの?」
「見るなよ!?子供は見ちゃいけません!」
「ほらほら!見て見てユー君!ユー君人形のココをこうしてオネーサンの人形に…………」
「ぎゃああああああッ!?ヤメろっつってんだろ!?」
俺の悲鳴を引き連れて、馬車の群れは道を進む。
夜になってその歩みが止まる頃には、俺は疲れ果ててしまった。
警備の仕事というのは基本的に動かない。
物見台に座って森や砂漠から魔物が現れないか見張る。出てくればそれを討伐し、終われば戻ってまた監視。
今日からは湖が監視対象なので、試しに釣り糸を垂らして夜食の調達を試みる。ちなみに竿や糸は雑貨を扱う店から調達してきたものだ。
エサは森にいたでかいイモムシ(3センチ強、青と緑の縞々)を付けた。
「マスター、マスター!ごはん?ごはん!?」
「まぁ待て。こういうのはじっくりゆっくりやるもんだ」
「そっかぁー。じゃあ待ってるね?」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……………………」(そわそわ)
俺が水面を見つめながら、穏やかな気持ちで獲物がかかるのを待っている一方、チャルナは今か今かと釣れるのを期待して、目を輝かせている。
「……………………」
「……………………まだ?」
「……まだだ。もう少し待て」
「ううぅ……。おっきいの釣ってね……?」
そんなにホイホイ釣れてたまるか。
こちらを見ていたらひたすらに空腹感を煽るのみなので、チャルナには森の方を見張ってもらう。
「……………………」(じゅるり)
背後になにか、無言のプレッシャーを感じる……。
月明かりが綺麗で、水面と空に浮かぶ双子の月が印象的だった。神秘的な雰囲気すらあるな。
時おり魚が跳ねる水音にも、眼前に見える景色にも風情がある。
…………背後の狩猟者を無視すれば、の話だが。
そんなこんなで半刻。
「……お?来た来た」
「うにゃっ!」
浮きがピコピコと浮き沈みするのに気づいて俺が声を上げると、チャルナが超反応した。
アタリの感じからして結構大物だ。竿がもつのか不安だったので魔力を通して補強してみる。……うん。いい感じに補強できた。
リールがないので、右に左にと振りながらゆっくりとこちらに引き寄せる。
「――よし!今だっ!うりゃっ!」
テンションが上がったので大げさなアクションで竿を上げる。
その瞬間、水面が大きく盛り上がり――――
――――釣り上げたソイツと目があった。
青く輝くウロコを持つ下半身。
人の女性に似た上半身。
そして涙をたたえて細められた大きな瞳。
アレはどう見ても――――
「人、魚…………?」
件のそれは水面から跳ね上がり、空中でキラキラと雫をまき散らしながらこちらへと放物線を描く。
あまりの衝撃に動けない俺に向かって人魚は落ちてくる。
…………ふむ。
現状を認識した意識が急速に回転を始める。とっさに傍らに用意しておいた網を手にとって、人魚をキャッチした。
「イタタタタっ!痛いです痛いですっ!すみませんが降ろして下さいー!」
「おお、喋った……」
「そりゃ、しゃべりますよう!いいから降ろして下さい!ウロコが網に絡まってるんです!」
変な感想を漏らす俺に、頭上から懇願する人魚。
見た目から判断するにまだ幼い。チャルナよりも上だが、ケーラよりも下といったところだろうか。小学高学年くらいか。
そんな奴が網に絡まりながら、泣いて懇願している。
しょうがない、降ろしてやるか…………。
―
食い込んだ網と釣り針を外して人魚の少女はようやく落ち着いたようだ。
さて――――
「それじゃ捌いて食うか」
「ええぇ!?た、食べないで下さいよぅ!人の形してるじゃないですか!」
「下は魚だろ。問題ない」
「ひ、ひどい……!」
「とは言ってもなぁ……」
「にゃうぅ…………」
こっちとしても粘ってようやく釣れた獲物だ。
何より腹を空かせたチャルナが居る。
涙を流しながらブルブル震えるこいつには悪いが、今日の夜食になってもらおう。
俺がナイフ片手に近づくと怯えて後ずさる人魚。
傍から見れば完全な変質者だな。
「――って違うんです!今は早く逃げないと……」
「はいはい。さっさと料理しましょうねー」
今更何を言ってももう遅い。
俺が人魚の少女を押さえつけようと手を伸ばしたその時――――
「待ちなさい!その子をこちらに寄越しなさい!」
俺でもチャルナでも、人魚の少女でもない声が辺りに響いた。