歌姫と護衛
蒸し暑い、というほどでもないが夏の強烈な日差しに熱された空気が馬車の中に満ちている。心なしか湿った髪の毛を掻きながら目を覚ます。馬車の中は差し込んだ西日であかね色に染まっている。
「んー……。――ん?」
ふと、ベットの中の感触に気づいた。フニフニと柔らかい感触がある。もちろん自分の手足ではない。寝ぼけた頭で心当たりを探る。
「そういやぁ、ケーラが来るとか言ってたか……」
漫画っぽくケーラが横で寝ていて、乱れた寝姿の柔らかい部分に右手が触れているのかも、と思うと少しばかり心拍数が上がった。
これはあれか?誤解と破壊で幕を開けるラブコメ漫画的展開か?
恐る恐る右手の位置はそのままで反対の手で布団を捲る。
そこには――
「……………………おい」
「うにゃー?」
ネコの姿になったチャルナが寝そべっているだけだった。
もの凄い肩すかしをくらった気分だ。色っぽい展開を期待していたわけではないけどこれは無い。無いだろ……。存在を知ってもいない当たりクジでハズレを一方的に宣言された時の気持ちに似ている。
「おっはよーっ!――ってあーっ!もう起きてる!イタズラしたかったのにー!」
「………………」
ちょうど馬車の布をめくって件のケーラが顔を出す。登場時から既にハイテンションだ。あと少しだけ寝ていたら美味しいイベントを味わえたかもしれない。不本意ながら。
それを悟って俺は寝起きから重いため息を吐いた。
おはようございます……ド畜生……。
巡業商団に同行してから早一ヶ月。
隊商という言葉で表せない規模の馬車の群れの中で、俺は昼夜逆転の生活を送っていた。その中で俺と頻繁に顔を合わせるようになったのが何人か居る。目の前のケーラはその筆頭だった。中学生くらいの年で種族は人間。これほど日差しが強いというのに肌は白い。
頭の右横で結わえた髪がピョコピョコと跳ねているのを横目に見ながら、夜闇の向こうの景色を眺める。
「アレが『白砂漠』……か」
「そうだよー。すっごく広くてねー。魔物もいっぱいいるんだー」
「もうちょいマシな情報ねぇのかよ」
このケーラ。明るい性格、といえば聞こえはいいが万事が軽い調子で答えるため、気が抜けることこの上ない。何が楽しいのか、事あるごとに俺のところに来ては騒いで帰っていくのが最近の状態だった。
「やっぱり寒ぃーな。放射冷却でも起きてんのか」
「?夜はどこでも寒いよ?」
「イヤイヤイヤ。明らかに砂漠来てから寒いっての」
数日前まではカラフルな木々の間の街道を進んでいたのだが、道を進むごとに右手、つまり大陸中央部から木が減り始めた。そして今日ようやくその地形が姿を現したのだ。
ただただ砂。ひたすら砂。見渡すばかりの砂。砂。砂。
ぶっちゃけ何もない。砂のみだ。
しかも奇妙なことに砂は白い。
さらには街道を挟んで反対側には普通に森が、しかも疎らにではなく結構な密度の密林が広がっていて違和感しか覚えない。
「いやぁ仕事しすぎだろファンタジー」
各大陸の気象などもそうだが、この世界の根本的な部分が間違っている気がする。ある意味異世界的だが、な。
極め付きが――――――
「――ん。来たか」
「ふしゃーっ!」
さて、お仕事の時間だ。
砂漠の一部が渦を巻く。聞いていた砂漠の魔物が現れる前兆だ。
渦の中心から現れたのは……魚。
「にゃーっ!マグロっ!マグロっ!!」
「流石におかしいだろ。なぜに砂漠に魚。しかも海の」
まるで海から飛び上がるように砂を巻き上げて夜空に舞う、漆黒の魚。
砂にキラキラと月の光りが反射して無駄に幻想的だ。
「せいにゃっ!」
「おおい!?情緒の欠片もねぇな!?」
一瞬にして解体されてしまった。結構大きめの魔獣(魔……魚?)だったが音も立てずに近づいたチャルナがその二本の双剣でかっ捌いてしまう。
魔物らしくヒレが刃になって肥大していたり、皮が固かったりするのだが、食欲でパワーアップしたチャルナはお構いなしのようだ。
骨と身を綺麗に三つに空中で切りさばき――
そしてそのまま地面に落下する切り身。
「あーあー。どうすんだあれ。せっかくの食材が」
「あはは。だーいじょーぶ!あれ、砂が付いたまま焼いた方が美味しいから」
横にいたケーラが笑う。
「…………なに?」
どういうことだ?
おっと。それよりも魔物の掃討が先だ。話は後でいい。
まだ話を続けたさそうなケーラを置いて、馬車に備え付けられていた物見台から飛び降りた。
砂漠からはまだまだ魔物が湧き続けている。他の護衛はまだ来ないだろう。その前に面倒事は済ませておきたかった。
これが俺の仕事。
夜間に停車している馬車の警護だ。
大所帯で食物を大量に載せた商団は、野盗や魔物の格好の獲物。だからこそこうして冒険者が雇われて警護に回されている。
俺の受け持ちはバアさんがまとめる娼館の馬車が占める一角だ。通常なら他の護衛と連携して、見張り・連絡・迎撃と役割を分担して仕事をこなすのだが俺の場合は最初の印象が悪かったのか他の護衛連中が嫌がる。
押取り刀でイヤイヤ援護に来られるのは腹が立つので手っ取り早く済ませている。
宙を泳ぐようにして近づいてくる大きな顎の魚を切り裂く。既に地面には多種多様な魚の魔物が転がっていた。おかしなことにこの大陸の魔物は魚系が多いらしい。それも、海から離れるに連れて多くなる傾向がある。
出発当初は陸亀やら巨大フナムシやらがいたが、今では完全に魚がメインになっていた。
「揃いも揃って空を飛びやがるし……どうなってんだ?」
魔獣はエーテルだまりに触れて変質した生き物だ。元になる生物の形質をある程度引き継いで変化する以上、ここに魚が居ることになるのだが……。
こんな砂漠のど真ん中で?
それはいくらなんでも非常識だろうと思うのだが、ケーラの様子を見るに異常事態ということでもないようだ。単に土地柄的にそういうのが生まれやすいってだけか?
「――――もう終わりのようですね」
「お、ルカか。すまんな。やかましかったか?」
馬車の方を振り返ると犬っぽい耳を持つ女性が歩いてくるところだった。気軽な足取りで、ここが危険地帯だという認識も感じられない。近づいていった怪魚を手にしたランスで貫いて始末するのも手馴れた感じがある。
おっと、今ので最後か。
コイツもまた、俺がしょっちゅう顔を合わせるひとりだ。種族は狼の獣人。としの頃は20前半ってところか。スラッとした顔立ちと、これまたスラッとした体型が印象的だ。
それでコイツがいるってことは――――
「ほぉーらユー君?頑張るとオネーサンが良いコトしてあげるぞー?」
「よし。後はチャルナに任せて俺は引っ込むわ」
「…………今ならルカも付けるって言っても?」
「え、ちょ、リツィオ様!?」
「んじゃルカだけ貰ってくわ」
「ユージーンさんまで何を!?」
クスクスとイタズラっぽく笑うのは例のドラゴン襲来の際に居合わせた褐色美女だった。今は比礼の付いたビキニのような踊り子の衣装を身に纏っている。年は同じく20くらいで褐色の肌に白銀の髪の毛が絡みついて色っぽい。
コイツの名前はリツィオ。ケーラと同じく店のキャバクラの方で働いている。と言っても客の相手をするのではない。リツィオは店の中で歌を歌っているのだ。
いわゆる『歌姫』ってやつだ。ルカはその専属の護衛。店ではもう十分に客を取れる年齢なのだが、歌の方が好評でキャバクラの客の入りがいいために娼館の方には行っていない。
「ちぇー。せっかく一緒にベットに入って添い寝してあげようかと思ってたのにー」
「いらん。御免被る」
「ベットの中で『歌って』あげてもいいんだよー?うふふ。オネーサンに任せておけばとっても気持ちよくなれるよー?」
「はっ。誰が『オネーサン』だ。精神年齢は俺より下のクセして」
「あー!鼻で笑ったー!こうしちゃるー!」
そう言って飛びかかってくるリツィオを足さばきだけで躱す。
「くっ。このっ!このっ!」
「リツィオ様……完全に弄ばれております……」
随分フレンドリーな歌姫さまをからかって遊んでいると獲物を仕留め終わったチャルナと見張りをしていたケーラが合流してきた。そのケーラが俺に飛びかかろうとしているリツィオを見て声を上げる。
「あー!リツィオったらまたサボってるー!」
「むぅー……いいじゃん。たまには」
「だぁめー!ルカさんも止めてよー!」
「そう言われても……私がお仕えしているのはリツィオ様なのでそのご意向に反することは……」
ああ、またやかましくなってきた……。
明るくて騒がしいケーラ。
気分屋でお姉さん気取りのリツィオ。
クソ真面目で堅苦しいルカ。
こいつらが俺が巡業商団で特によく会う三人だった。
何が楽しいのか、わざわざ面倒事を起こした俺に近づいて来る酔狂なヤツらだ。そんで大体こいつらが揃うとやかましくなるのだ。
ギャンギャンと騒ぐ三人(主に二人だが)を前にして、俺は深くため息を吐いた。
―
「もふぁー!」
「――ん?おわぁっ!?」
ふと振り返ると両脇に魚の切り身を抱え、口にもお頭を咥えたチャルナが立っていた。血みどろで全身に魚の死骸を持った人物がいきなり隣に立っていたら誰だって肝を冷やす。
しかしそれより――
「あーあー、もう。どうすんだこれ……」
一応冒険者時の服を着せていたのだが、血やら砂やらでエライ事になっていた。ふと傍らを見ると一生懸命運んでいたのか、積み上がった切り身が山となっていた。
「マスター!焼いて焼いて!」
「――と、言ってもな……。砂を取らないことには食えないぞ?」
「あれ?知らないのユー君?ここの砂はねー――」
「塩なんだよー!」
「ああっ私のセリフっ!」
じゃれつく二人は放置するとして、砂が『塩』?
試しに足元の砂を手にとってみる。
不透明で粒の大きさがバラバラだが、砂というよりは何かの結晶っぽく見える。少し指に付けて舐めてみると確かにしょっぱい。
ふと、顔を上げてそこにある砂丘を見上げる。そこから視界を広げて砂漠が地平線の向こうまで続いているのを確認する。
これ全部が、塩?
「………………」
「あ、すっごいびっくりしてるー」
「他の大陸から来た人って大体驚くもんねぇ」
「マスターっマスター!焼いてー!」
「こちらはいつもどおりですね」
…………ファンタジー、仕事してるじゃん……。
いや、まて。地球でも確か同じように一面塩という場所はあったような気がする。外国でだが。
冷静になればそれほどおかしいわけではない。こんなものただの塩だ。
「なんだ、ただの塩化ナトリウムか」
「あ、復活した」
「いや待って。ちょっと変なこと言ってない?」
「お早いお帰りで」
適当に返事しながら切り身を焼く準備をした。魔法で火をおこしてフライパンを用意する。適当に切り分けた魚の身から塩を叩き落として、油を引いたフライパンの上に滑らせた。適当な葉を森の方から取って来させ、その上に焼きあがった切り身を載せる。
飲み物は、と……。
「あ、これこれ。『石晶水の実』〜!」
「ええ!?そんな高い物、勝手に飲んで良いの?お店の商品でしょそれ?」
「なんだそりゃ?」
「これはね〜とっても硬いんだけど、中にとっても美味しいジュースが詰まってるんだよ〜」
リツィオがどこからか取り出した透き通ったガラス質の塊を掲げる。
と、いうかあいつ本当に今どっから出した?ほとんど水着だぞ?
俺の疑問を他所にリツィオはそれを割ろうとする。
が……。
「ありゃ?ドワーフの職人謹製の錐を持ってきてたんだけど……。無いや」
「…………それが無くちゃ開かないのか?」
「ムリムリ。力ずくでやっても絶対ムリだよ。そんなことしたら手の方が――」
「――よっと」
「――壊れちゃ…う、……ええー……」
結構本気で力を込めると硬質な音を立てて石が砕ける。うまい具合に上の部分だけ壊れてくれたお陰で溢れたりはしなかった。
「うそん……」
「すごいですね。アレを無理矢理……」
目を丸くしている3人は放っておいて注げられるような器を探す。今度は忘れていなかったようでリツィオが取り出した。
切り身とその石から出てきた水を合わせて夜食とする。助かった。しょっぱさが過ぎた時に口を直すものがないとキツイからな。
「――ん。意外と旨いな」
あんな所に落ちた切り身なので衛生的に怪しいものだったが、意外と大丈夫そうだ。雑味があるかと思われた塩も案外純度が高いらしく、淡白な魚の味を引き立たせていた。
石から出てきたジュース(?)とやらも口当たりのいいお茶のような風味がある。石からお茶なんて変な話だが。
「おいひいよー」
「うんうん。ユー君料理上手だよね」
「結構なお点前で」
いつの間にか余った切り身をパクついている三人。
ルカのはなんか違う気がする。あと切って焼いただけの魚に上手い下手があるわけない。チャルナはひたすら無心に食らいついている。
余分な切り身をしまうためにアイテムボックスを起動させながら考える。
陸にいる魚。
広大な塩の砂漠。
この二つの関係がほんの少しだけ見えたような気がした。