長い旅
案内されたところはズラリと並んだ馬車のうちの一つ。馬車は車体こそ木だが、内外を区切るのはただの布、という粗末さだ。
見れば車体に数字が書いてあり、それがこの馬車の部屋番号なんだと分かる。
馬車一つ一つに馬がいるわけではなく、いくつか連結された馬車のうち、先頭にだけ馬がいる。
俺たちに用意されたのは後列の『56』番だった。
「はぁい。それじゃここがあなたたちの馬車ね。もし馬車に不具合が出たら『50』番のところに班長がいるから言いなさい。話は通してあるわ」
「ああ。分かった。……初めて見る形式だが、こんなに数が多くて管理できるのか?」
アパートみたいなものかと思うが、馬車は常に移動している。当然、不具合は建物の比ではないはずだ。
それを50台以上。管理の大変さは並大抵のものじゃないだろう。
「ええ。何もこれ全部を統括しているわけじゃないのよ。10番区切りで扱っている商人が違うの」
「なるほどな。料金はどうなってる?」
「次の村に出発する前に支払いね。今日はいいけど明日は昼前に出発するから一度挨拶に行くといいわ」
「おう。ありがとな」
俺が礼を言うと、ここまで案内してくれた例の店の店員は、パチリと一つウインクをしてから去っていった。
キメぇ……。これでもオカマに偏見はないつもりだったが、自分が対象にされると危機感すら覚える。ある意味新しい発見だ。
さてと。割とあっさり移動手段と宿泊場所を確保できたが……。これはこれで不安になるな。
「身分証とか見せてないぞ……?」
アパートを借りる時でも保証人が必要だった地球とは大違いだ。
アルフメートでは商人のシェルビーが仲介してくれて泊まれたが、ここは完全に飛び入りのはずだ。
何よりこんな子供だけで旅なんてよっぽどの事情がある、と考えるのが普通のはず。
もしこれがここの通常のやり方だとすると――。
「盗賊なんてのも混じってるかもな……」
「にゃー?」
懐から出てきたチャルナが不思議そうに見上げてくる。
と、開いたままだった馬車の布の仕切りを見て興味が惹かれたのか、するりと中に入っていってしまった。
考えていても仕方がない。十分に警戒しながら泊まるとしよう。
扉を開けると4畳程しかない広さの室内が露わになった。一応、布団のような寝具はあるがそれだけだ。
室内の四隅に柱が立ち、細い梁が渡してある。そこに布をかけてあるだけだ。脇も同様に布のみ。さぞ風通しがいいだろう。
贅沢を言えるような環境ではないだろうが、思わずぼやきたくなった。
「……とりあえず、今日はもう休むか」
そう言って既にチャルナが占領している布団に包まった。
―
「おお。話は串焼き屋から聞いてるよ。出稼ぎに行ってる家族のとこに行くんだって?」
「あ、ああ。そうだ」
次の日、さっそく宿屋(と言っていいのか)の主人の元に向かうと、そんな言葉を投げかけられた。
出稼ぎに行った家族のところに……?
反射的に返事をしたがあの串焼き屋、なんちゅう妄想してやがる……。
都合がいいのでそのまま押し通した。
チャルナのことも妹、ということであらかじめ説明しておく。
「最終目的地はエンコントロ・エストラーダだ。いくらになる?」
「そうだねぇ……だいたいこのくらいだよ」
主人の提示した金額は決して安くはない。
だがアルフメートの貴族から送られた献上品をいくらか売り払っているので余裕がある。
「んじゃここで一括で払おう」
「え……?いやいや、流石にそれは無いだろう。途中で飯代が無くなって野垂れ死にされちゃかなわんからな」
「は……?いや、別に構わないが……」
ああ、そうか。
何かしらの事情があると思われているのか。例えば母親が死んで都会の父に会いにいく悲劇の兄妹、みたいな。面倒だがここで揉めてもしょうがない。
「それじゃあ村ごとに払おう。それならいいな?」
「ああ、それじゃ次の村までの分を……はい、どうも。
――――辛いだろうが頑張るんだよ」
「あ、ああ。ありがとう」
妙に温かみのある目でこちらを見つめてくる主人。
どうにもやりづらいな。
そのまま話を聞いていくと気になることを呟いた。
「うちは隊列の中でも後ろにいるからねぇ。もし盗賊や魔物が出たら大変だよ。そうなったら一目散に逃げな」
「ん?護衛がいるんじゃないのか?」
「いるにはいるんだけどねぇ。ほら、隊列を組んでるから先頭が襲われたら後列が動けないからね。優先的に前の方にいるのさ」
「なるほど。後列は切り捨てる、っていうことか」
「そうそう。普通なら人に貸すことはないんだけどね。ウチより後ろには娼婦がいるからトラブルになるとマズイし」
そんなのも居るのか。色々と言ったが本当に色々居るわけだ。
話をさらに聞くと、いつもなら宿泊施設として貸さずに奴隷を押し込んでいく場所だった、と明かされた。俺自身に不満はないが、一応明かしておかないと不安だったらしい。
礼を言って分かれる。馬車に戻ってしばらくすると、笛の音が聞こえてゆっくりとだが馬車が進み始めた。
こうして巡業商団との旅が始まった――
―
――とはいえ。
「基本的にはそんなに変わらねぇんだよな」
「うにゃ?」
馬車から見える景色を眺めながら、そうひとりごちる。そんな俺をチャルナが不思議そうに見ていたがただの独り言だと分かったらしく、また眠り始めた。
見える景色は赤みの混じった土に、原色系のカラフルな花々。見てる分には綺麗なものだがそれも一年同じものが見えるとなると価値はダダ下がりだ。馬車の旅は基本的にずっと乗り物に揺られているだけだ。その間やれることがあるとすれば景色を眺める以外は読書のみ。こうまで乗り物に頼りっぱなしだと体が鈍ってしょうがない。
「そういや酔わなくなってるな」
これもスキルの効果なのだろうか。身体機能向上の。できれば瞬間移動とか長距離転移とかのスキルが欲しかったのだが。
いや、それはそれで味気無い、か?
…………無いものをねだっても、考えてもしょうがない。
そう考えて視線を本に戻した。最近のマイブームは軍隊内の恋愛模様を描いた小説のシリーズだ。この世界での恋愛モノはその利用価値も含めて世間に認められている。そのせいかやたらめったら他ジャンルにも絡めてくるのだ。
お陰で『軍隊内の恋愛小説』という元の世界であまり見ないジャンルを見ることができた。上司と部下、隊員と保護対象などなど。戦場という死と隣り合わせの場所で進む物語に、登場人物達のキャラが光る。
「おお。ここでこいつが死んでしまうのか……」
意外な展開にページを捲るスピードを早めながら、文字を追っていった。
ガラガラと、幾重にも重なる車輪の音を聞き流しながら、退屈な日々を送る――。
そんな安息が破られたのは港町を出発して三日目の夜ことだった。
「…………きゃ…………あああ……ああッ!…………助け…………」
「逃げ…………おおおおおッ!」
「――――ん?」
ふと、ページを捲る手を止める。魔法の光以外の光源がページを照らす。
何やら外が騒がしい。
意識を本から離してみれば、かすかに地面が揺れているのを感じた。
尋常ではない気配にチャルナが毛を逆立たせて威嚇する。四肢を床に突っ張りすぐにでも動けるように力を込めている。
俺も拳銃型魔道具に手を伸ばして様子を伺う。
「……まさか本当に盗賊でも出たか……?」
「――――ボウズッ!逃げろッ!」
出発前に馬車の主人に言われたことを思い出して呟くのと、件の主人が現れるのは同時だった。
血走った目で荒い息を吐く主人は俺の方を見て、唾を吐き散らしながら怒鳴った。
「行くぞボウズ!」
「……ああ」
何かが起こっているのは明白なので特に逆らうことなく外に出る。チャルナは懐へ入れた。
馬車を置いて前方に進もうとする主人。手をとられている俺も引きずられるように進む。
周りは前に進もうとする人でいっぱいだ。人波は兎に角前へと必死に進もうとする。
ならばこの騒動の原因は――――
――振り返ったその先に、そいつは居た。
赤く、鈍く輝くウロコ。
大きく広げられた翼の皮膜。
雄々しく突き出した角。
蛇の持つ表皮のようなソレは、自らが吐き出す炎に照らされて夜闇の中に浮かび上がっていた。
さながら荘厳な彫刻のような悠然としたその体躯を駆使して、その暴虐を振るっていた。
隊列の後方に居る馬車を、荷物を、そして人を。
その鋭利な牙と爪で引き裂きながら、
口腔からあふれる炎で焼きながら、
空を滑るようにして近づいてくるそれは――――
「ドラゴン、だと……!?」
それはファンタジー作品の中に必ずと言っていいほど出てくる……
――『理不尽』の代名詞、とでも言うべき存在だった。
「おいッ!ぼやぼやしてるな!早くしないと食われちまうぞ!」
その地獄絵図とも言うべき光景に魅入っていた俺に兵士らしき者が声をかけてくる。
眼前の阿鼻叫喚の中に飛び込んでいってドラゴンを迎え撃とうというのだろうか。その手には武器が握られていた。
もしそうならば見上げた根性だと言わざるを得ない。
が、
そんなことなどどうでもいい。
「――ふ、あはは……」
「……おい!?どうしたボウ――」
「経験値だッ!」
「「!?」」
俺の発した素っ頓狂な声はあたりの空気を震わせた。
宿の主人も、決死の覚悟を決めた兵士も、逃げ惑う人々も、皆一様にビクリと体をすくませた。
しかしそれすらも意識の外に追いやって、空を舞うエモノを見据える。
ファンタジーモノでドラゴンといえば強敵、と相場が決まっている。
そしてこの世界での強敵は、ゲームに違わず膨大な経験値を保有していることを意味している。
この世界のドラゴンがどれほどの強さなのはわからないが、常人の目には止まらないようなスピードで動き回っている所を見るにその強さは相当なものだろう。
少なくともこれほどの強さの生き物を、春の大陸で見ることはなかった。
ならば――あの化物はいったいどれほどのエーテルを溜め込んでいるというのだろうか?
あの問答無用で人に死を叩きつける怪物は。
そしてなにより。
これほどいかにも『ファンタジーで御座ぁーいッ!』と自己主張しているものをどうしてスルーできようか。
普通の一般人ならともかく、『この異世界を楽しむ』ことを目標に掲げる、この、俺が。
「くくく……。あははははははははッ!『飛んで火に入る』とはよく言うが、まさか自ら火を吐きながら飛んでくる羽虫がいるとはなぁッ!
オイコラ!こっち向けやッ蚊トンボがッ!」
一瞬の躊躇いもなくそう吐き捨て、主人の手を振り払う。慌ててこちらに伸ばされる腕を掻い潜り、その腕の主を置き去りにして走り出す。
「あッ!?こら待て!どこに、……――ッ!?」
「な、なんだあの速さは!?」
踏み出した足は大地を抉り取りながら、恐るべきスピードで俺の体を前へ前へと運んでいく。
極上のエモノの元へと、風を巻き込みながら疾駆する。
逃げる人並みを避けながら、ただ前へと足を動かす。
あの暴威を振るう相手に勝てるかどうかなど全くわからない、というのに俺の顔にはいつの間にか笑みが浮かんでいた。