巡業商団
「にゃー……。マスター。かまってー」
「ん」
あぐらをかいた俺の膝の上で仰向けになり、ぐだーと伸びているチャルナ。
そのアゴの下を指先でくすぐってやると、気持ちよさそうに目を細める。
そういえば昔飼っていた猫もこうして読書中の俺の膝に乗ってきていたな……。
チャルナの腹に載せた『ススメ』を捲りながらそう思う。
そんな様子を見てたまたまそこにいた船長が口を開く。
「いちゃつくのもいいが、そろそろ到着すんぞー」
「はっはっは。そのあごヒゲ土台ごと削ぎ落としてやろうか?」
「いきなり物騒じゃねえか。ゾッとしたわ」
「変なこというからだ。――よっこらしょ、っと」
「にゃ〜」
船長に軽口を返しながらチャルナの首根っこを掴む。
そのまま起き上がらせると舳先に足を向けた。
「あれが……夏の大陸『カイツ』か……」
どこまでも続く青い海。その果てに他の色彩が混じる。
大地の茶色と木々の緑。
二ヵ月の船旅がようやく終わろうとしていた。
―
それから半日。
船は夕方になってから大陸北東部にある漁村の港へ到着した。
俺はタラップから降りて、久しぶりの大地を踏みしめる。
ちなみにチャルナは猫に戻っている。
これから入国検査があるのでボロを出して面倒なことにならないようにするための処置だ。
「おお……。揺れてない。地面スゲェ!」
「なに言っとるか、と言いたいが気持ちは分かるぜ」
先に降りていた船長がヒゲをなぞりながら頷く。
今まで寝ても起きても揺れる生活をしていたからな。感動もひとしおだ。
見れば他の乗客も三々五々に下船してくる。中には感動のあまり泣き出す者も居た。
というかあいつ船酔いが酷くて、ゲーゲー吐いて煩いから殴って気絶させた奴だ。
もし無事なら帰りもあるのだが……。言わぬが華ってな。
「んじゃ、船長。今までアリガトな」
いつもの調子で声をかけるが、向こうは怖いほど真剣な表情だ。
どうした?何かしたかな?船賃は払ったし……。
「……ボウズ。俺はこれでも結構長げぇあいだ、この仕事をしとる。大陸を渡るやつも何人も見とる。帰ってくる奴も、帰ってこない奴も」
そこでひとつ息を吐く。
言いたくはなくても、吐き出さずにはいられない。そんな風に見える。
「そんでもな。オメェみてぇな子供だけの旅なんて見たことねぇ。オメェがいくら強くても、どれだけ賢くても、この先は辛い。
――ああもう。じれってぇ!ぶっちゃけて言うとな。行くな!死ぬぞ!ってことだ」
頭を掻きながらそう言い切った。
……やれやれ。
「心配してくれんのは嬉しいけどよ。言うのが二ヵ月ばかり遅せぇだろ」
重くなった空気を霧散させるつもりでそう言った。
その様子を見て諦めたかのようにまた一つ、ため息を吐く船長。
そこに畳み掛けて言う。
「今まで見たこと無い、か。
帰って来た人はこんな見覚えのある目をしていなかったか?」
「あ?」
「帰って来た人だけじゃない。今アンタに送り届けられた人達もみんな同じ目をしているはずだ。希望に満ち溢れた目を。
――みんな他の大陸に『死にに来た』わけじゃない。『希望を探しに来た』んだ。そうだろ?」
俺はニヤリと笑いかける。
船長は酷く苦いものを飲み込んだような顔をしている。
その脳裏には今まで乗せた客のことでも映っているのだろうか?
その瞳は本当に希望に満ち溢れていたのだろうか?
他人の俺にはわからない。
俺は俺の想像を、俺の言葉で紡ぐのみだ。
「心配すんな。ガキはガキなりに力を蓄えてから冒険するもんだ。そこで死んでもそれは俺自身の責任だ。『希望』ってのはそういうもんだろ」
「そう、か……」
「おいおい。辛気臭いツラはよしてくれ。こっから始まるんだからよ。俺の『希望』は。――柄にもなくロマンチックなこと言っちまったな。笑って見送ってくれ」
「……確かにボウズのキャラじゃねーなぁ」
そう言うとようやく、船長はその暑苦しい笑顔を見せてくれた。
―
船長との別れを済ませた俺とチャルナは入国審査をする。
といっても手荷物以外は『ススメ』の中だし、入国するのは子供と猫。そう時間をかけることなく開放された。
そして――
「ここが……『夏の大陸』カイツ、か……。」
「うにゃん」
船着場を抜けて広がるのは漁村の風景。
人口は数百人程度。主な産業は漁業だ、と聞いてはいた。
南国の大きな葉を持つ常緑植物がそこかしこに生い茂り、その間を縫うように白い家が建つ。
表面が妙にゴツゴツしている。あれは……岩、か?
春の大陸では中世の西洋建築、ようはレンガ造りで所々に漆喰を使っている様式だった。
庶民街なんかじゃ土壁のところもあったが、基本はそこまで外れていないものだった。
ところがここの家屋は違う。
近づいて触ってみたがやはり岩だ。これは白い岩をくり抜いて作られた家なのだ。しかも継いである部分が見られない。
「いくらファンタジーでもこれはないだろ……」
そもそも家ほどの建物と同質量の一枚岩なんてありえない。それをわざわざ運んできてくり抜いて使うなど更にありえない。
どうなってやがる……?
「にゃ?にゃー!」
「――んだよチャルナ?今考えてるんだから後にしろ……いてッ!引っ掻くな!」
「にゃッ!」
そのプニプニした肉球の指す方には――屋台?
それもひとつふたつじゃない。結構な数の屋台が並んでいた。この漁村の規模に似つかわしくない店舗の量と質だ。
と、言うか……。
「まさかアレを食おうってのか……!?」
「うにゃん」
俺が指さしたのはその中でも怪しげな雰囲気を放つ『紫陽花蛸の串焼き』という物だ。
一応甲板上で戦った魔物の内の一体だが、あまりに毒々しい色気に拒否反応を起こして料理していない。
あれを食うとか度胸試しにしたって冗談が過ぎる。
件の店ではぶつ切りにした蛸を売っているようだが妙にその周りの空気が酸っぱい。
「他のならいいけど……」
「フーッ!」
ダメらしい。
仕方ない、か。
俺は記録板を取り出しながらため息をついた。
「『巡業商団』?なんだそれ?」
「あらん?知らないの?」
初めて聞く単語に首をかしげると、シナを作りながら店員がぱちくりと瞬きした。
…………ちなみに男の店員だが。
背中に白い羽を持つその店員は何かに気づいたように頷いている。そのまま串焼きを手元で回し始めた。
問題の商品のお味は、酢がよく効いていて美味いとだけ言っておこう。
チャルナは地面に置いた葉の上に、串焼きを解体したものを置いて食べさせている。
どうやら気に入ったようだが、見た目がちょっとスプラッタなことになっているので、もう買うことはないだろう。
「ああ、他の大陸の子なのね。このお店の集団はね、幾つもの商人たちの集まりなのよ。カイツにはそうした集団がいくつかあるの」
そう言うと店員はマニキュアでカラフルな指先を俺の背後へと伸ばす。
振り返るとそこには装飾品を扱っている店があった。
「ウチは食べ物だけど、他にも鍛冶屋とか薬師とか色々居るわ。商売人同士が集まって国中を回っているのよ。
そうしたほうがお客のニーズにも対応できるし情報も入る。
問題は仕入れだけど、それだってこの仕組みができるようになってから道中に幾つも仕入先が開拓されてクリアーされたわ」
その言葉を俺なりに噛み砕く。要は隊列を組んでいる商人の集まりって事か。
「なるほどな。固まっていた方が流入する商品も多いし市場も安定する。結果的に客が求めるものがいつも手に入って商業全体が活性化する、ってことか」
さらに言えば商人の側にも『売れるかわからない不良在庫を抱える確率が少なくて済む』というメリットもある。
もちろん前提として『魔物の出現』『野盗の出没』というファクターが存在する会話だ。
行商の途中で事故に合うリスクを考えれば、それが例え果物ひとつでも利益は大きい。
「それなりの規模の護衛を雇ってんだろ?集団で雇って商人の個人負担は少ない、というのは想像だが。」
「あら、意外と賢いわねボウヤ。おまけにひとつサービスするわ」
「いらん」
お前の見た目でサービスとか言うと妖しく聞こえる、という言葉はどうにか飲み込んだ。
道中の安全が保証されている地球では、こいつらのやり方には問題が出るんだがそこんとこどうなんだろう?
オカマな店員は客がいなくて暇らしい。世間話に根気よく付き合ってくれる。串焼きを食い終わったチャルナの首根っこを掴むと、肩に載せる。
「キャラバンを組んでいるのはわかったが、同系列の店どうしが食い合いを始めるんじゃないか?」
「その時は商売のやり方を変えるか、他のチームに身を寄せるのよ。その土地で待ってれば後追いのチームが追いつくから」
「へぇ……。ちゃんと考えてあるんだな」
「そりゃ、ね。チーム間の争いも起きないわ。商品を求めている人はどこにもいるし。大陸を一周するのに二年かかるからこうでもしないと流通が止まっちゃうわよ」
「……二年?」
「そうよ。二年。トゥーイヤァー」
あ、れ?まずい……かもしれない。
「――なぁ。この大陸で最も情報が、知識が集まるとこってどこだ?」
「あら、そのお話は情報料を頂くわよ?」
「…………」
すっとカードを取りだすと笑顔のままで読み取りをする店員。
値段設定してあるのか?用意周到なのは商売人だから、というよりは性格に寄るような気がする。
「はい。どうも。そうねぇ……やっぱりエストラーダかしら。エルフの里もいいかもしれないけどちょっと難しいかしらね」
「場所を教えてくれないか?」
ススメのメモ機能を表示させて携帯型の墨壷とペンを渡す。
オカマの店員は物珍しそうにしていたがサラサラと書き始めた。
まず逆向きのハート。これがフォーリーブス大陸のうち、南にある夏の大陸『カイツ』だ。
俺がいるのは北東の端。
ペンは『現在位置』と書いた場所から南に進み、大陸の淵をなぞるようにして大回りしていく。
オカマ店員は北東と反対の位置、つまり南西に『エルフ』と書いた。
そしてそこから少し中央に『エストラーダ』か書く。
もしこれが本当なら――。
「ここに行くまで最低でも一年かかる……!?」
「その通りよん」
「いや待て。この真ん中を突っ切っていくことはできないのか?」
「そこはね、まず『白砂漠』があって次に『炎龍山脈』、最後に『藍玉碧湖』がある、っていう難所のフルコースみたいなルートね。そこ行くくらいなら普通に回っていく方が早いわよ」
そう言うと店員は手元の地図に線を引き始める。
まず、大陸を二分するように真ん中に北から南へと一本線を引く。ちょうどハートを割ったような形だ。これが『炎龍山脈』。
その東には丸を描き、そこに『白砂漠』と書き入れた。
最後に山脈の西側に、山脈に沿って北から東南の方向まで歪んだ線を描く。これが『藍玉碧湖』らしい。
つまり東北にあるこの漁村から、首都(?)のエストラーダに行くまでにはこれらの障害を乗り越えなければいけない、ということだ。
「マジか……」
そんなことしていたら『黄道十二宮』が現れてしまうかもしれない。
だがここで戻ってもまた身動きの出来ない船の上で二ヵ月、なんの収穫も無く過ぎるだけだ。
「仕方ない。このまま南下するか」
「あらぁ。親御さんと相談して来た方が良いのではないかしら?」
「もとより俺とコイツの二人旅だ。――邪魔したな」
そう言って席を立つ。
やれやれ、しょうがない。どっかで馬でも探すか。
そう思っていた俺の背中に声がかかる。
「ねぇ。待ちなさいな」
「――あん?」
「言ったでしょ?『色々居る』って。私たちは商人。売れるのならばなんでも売るわ。そんな私たちが『安全な旅』なんて需要がありそうな商品ほっとくと思う?」
振り返ると先程までの人好きのする笑顔とはまた違う、いかにも作って貼り付けているような笑顔で店員が笑っていた。
その目に映るのは商人から見た客か、それとも――
「――はっきり言えよ」
「エストラーダまで行くなら是非この巡業商団、『旅の灯台』をご利用ください、ってことよ」
そう言ってパチリとウインクする店員に怖気を感じて――
「…………お前と同室になるのは勘弁だな」
俺はそう返すので精一杯だった。