転移門
大変お待たせしました!
今日から更新再開します。それに合わせて更新の日にちも試験的に変えてみようかと思います。
今回からは夏の大陸編です。
アルフメートを発ってから一ヶ月ほど経った。船はアルフメートから南西に向かってひたすら進んでいた。
そろそろ件のゲートとやらが見えてくるはずだ、ということで甲板に出てきているのだが……。
少し困ったことが起きていた。
「―――――いい加減離せ、チャルナ。暑苦しい」
「にゃ。絶対イヤぁー」
はぁ、とため息を吐きながら本のページを捲る。
燦々と降り注ぐ日差しが海面に反射してキラキラとうっとおしかった。それが沈んでいく気分にさらに拍車をかける。
この屈辱的な格好からはまだ解放されないらしい。
俺は今、甲板に座って壁に……というかチャルナに背中を預けながらススメを開いている。
チャルナはまるでお気に入りのヌイグルミを抱いているように、俺を開いた足の間に座れせて腹の方に手を回して抱きしめている。
気分よさげに鼻歌まで歌う始末だ。きっと尻尾も機嫌良さそうに揺れているだろう。
うぜぇ……。
チャルナから香る干した洗濯物の、太陽の匂い。
回されたすべすべした腕の感触。
そのどちらも俺を落ち着かなくさせる。
船の水夫達が微笑ましいものを見たように表情を和らげているのを視界の端に捉えて、頬が熱くなった。
あまり気にしていると俺の精神衛生上よろしくないので、紙の上に躍る文字に視線を戻す。
猫っていうのはもっとこう、自由気ままなもんじゃないスかねぇ……。
―
こうなったのは昨日今日の話ではない。この船が出港してからずっとなのだ。
どうにも少し前の大怪我のせいで心配『症』を起こしたらしい。ヴィゼ達と別れた寂しさを紛らわせている意味合いもあるのかもしれない。
この猫娘は乗船してから何かにつけて俺にくっつくようになった。
起きる時も、寝る時も、食事の時も、読書の時も。
過剰なまでに接触してくるチャルナを俺は持て余していた。
そういえばアルフメートに行く途中でも同じ事になっていたな……。
あの時はネコ状態だったが、今は普通の少女だ。流石に気まずい……。
なんていうかふにふにと色々柔らかい部分が当たっている。
「マスター、ムズかしいご本読んでるねー。おもしろいー?」
「面白……くはないが興味深いな。――そういえば字を教えてないな。後でみっちり教えてやるから」
「うにゃー……。おベンキョ、きらいぃ……」
「アゴを乗せるな」
ゲンナリとした声は俺の頭の上から聞こえて来る。
いつの間にかチャルナの身長は俺の身長を超えていた。お陰で今ではすっぽりと腕の中に収まるようになってしまった。
俺の頭に自分のアゴを載せてたわいもない話をするスタイルが、『ブラコンの姉』と『本好きの弟』という印象を強くする原因だった。
チャルナの白ワンピースが加わって育ちの良さを感じさせる、とは仲良くなった船員の弁だ。
真面目なツラして何語ってやがるこのロリコンが!と蹴飛ばしておいたが。
しかし……こいつ成長早いな。
人化した当初は俺よりも少し高い身長だったが、ここまで差は無かった。
たかが数ヶ月でこんなに伸びるか?
チャルナの正体は猫……野生動物だ。人の成長スピードとは違うのかもしれない。
もぞもぞと身じろぎしたせいで背中にあたるふたつの軟球が形を変える。
こっちも……成長著しいようだ。
「って違げぇ!そうじゃないだろ!」
「わにゃ?」
なんで俺がペットなんかに欲情しないといけないんだ!しかもまだガキだぞこいつは!
ええい!気にしたら俺の男としての矜持が!無心になれ無心に!
そう自分に言い聞かせていると不意に野太い声が降ってくる。
「わはは!どうしたボウズ!ヤケにハッスルしてるじゃねぇか!」
「やかましいわ!」
俺に声をかけて来たのはこの船の船長。日に焼けた大柄な髭ヅラの偉丈夫だ。
一応俺の家柄を知っているはずなのだが、態度はそこらの子供に対するものと一緒だ。
剛毅というか、大雑把というか。
「それよりも!そろそろ転移門が見えてくるはずなんだろ?」
「おう!物見から連絡があってな!この先に見えたのを確認したらしい。そんで今、呼びに来たのさ。」
「そうか。ほら、見に行こう……ぜ?」
「嬢ちゃんならもう行っちまったぜ?」
いつの間に!?
見れば船の舳先に向かって走っていく白いワンピース姿がいた。こんな時ばかり猫らしく気ままに振舞うなよ……。
興奮すると周りが見えなくなる悪癖が最近顕著になり始めているな。
その背中を追いかけて俺と船長も移動する。見れば他の乗客も舳先に集まり始めている。
この船は元々夏の大陸との交易船として運行されていたらしい。
当然、商人やら武芸者やらも乗っていた。今回はテロリストどもの件があり、緊急性があるとして臨時の運行。
平時と比べて人数は少ないらしい。それでも20ほどのグループが乗っているのはさすがというかなんというか。
雑多に群れる人波をかき分けて、チャルナの隣に立つ。
「にゃ!見て見てマスター!へんなのがあるよー!」
「――んだ、ありゃあ……。」
チャルナの指差す方に視線を向けて――唖然とした。
これほど陸から離れているというのにそこにはひとつの建築物が、水面の中から屹然とそびえ立っていた。
構造としては非常にシンプル。
赤く丸い柱が四本。縦と横に組み合わさっているだけだ。
だがその姿はどう見ても――。
「鳥居、だと……?」
寸法も形状も、意味も由来さえも無視して。
巨大な赤い鳥居は青い海と白い空の狭間に立っていた。
―
近づくにつれてその威容が露わになってくる。
大きさは……縦横二百メートルほどだろうか。ガレオン船が余裕で通れる大きさを備えていた。
本来なら婉曲し、四角い形をしているであろう横木はただの丸い形だ。
そもそもこれは木ではない。光沢のある鉱物でできている。
「似て非なる、って言葉があるが……。こりゃ手抜きだろ?」
「おいおい、神様が建てたんだ。そんな罰当たりなこと言っちゃあかんぜ」
船長が軽い調子で返してくる。確かに広い海に巨大な構造物があるのは壮観だ。神々しくさえある。
だが元ネタを知っている身としてはボヤかずにはいられない。
そもそも鳥居とは俗世と神域を隔てる結界の『入口』だ。
しかし『門』の向こうは夏の大陸。
「俗世と俗世を隔ててどうするんだよ……」
眼前まで迫ったそれを見上げて一言呟くと、口を開けて眺めていたチャルナが興奮した様子で振り返る。
「マスター!マスターッ!なにこれ!?スゴイよ!おっきい!」
「あー。そうだな。おっきいなー」
「なんでぇ。気のねぇ返事しやがって。見ろよ他の客は面白そうに食いついてんのにボウズだけだぞ。そんな冷めてんのは」
「つってもなぁ」
大きさには驚いたが、色々と残念な部分があるのでツッコミが先立ってしまったのだ。
と、そこで妙なことに気付く。
「なぁ、船長?これ、鳥がとまってる事あるか?」
「あ?変なこと聞くなぁ……。――そういやねぇな。なんでそんなこと聞くんだ?」
「キレイ過ぎるんだよ。糞が付いてない」
つい先ほど建てられた、言われても違和感がないほど年月の経過を感じさせない。
元々、鳥居というのは字からも分かるように、神の使いの鳥が止まっていたのが起源、とされている。
そんなことを抜きにしても、これほど良い休憩場所があるのに止まらないなんてことがあるのだろうか?
「ジイさん。なんか知らないか?」
「ふむぅ……。あおあおあー」
「……なにて?」
「んー。そもそもこの近くに生き物が寄ることもないらしい」
どう見ても棺桶に片足突っ込んでる水夫の爺さんに船長が話を聞いたが……。結局よくわからないようだ。
というかアレでよく聞こえるな。
まぁしょうもない理由でとんでもないことするような神だ。何かしらくだらない理由があるんだろ。
鳥居の向こうは霧がかかってるように不鮮明だ。
舳先がゆっくりとその不鮮明な場所に浸っていく。俺の体もそこを通り抜けた。
一瞬、目眩を感じてその場に膝をつく。
今のが転移……?
視界はまだ霧がかって居るがしばらくするとそれも晴れた。
「わー。マスター。なんか暑いよー?」
「え?……うおッ!?」
突然体が熱気に包まれる。
エアコンの効いた部屋からいきなり放り出されたように、体と外気の温度差に驚いてしまった。
ギラギラ、と表現したくなるような強烈な日差しが肌を焼く。
「あつッ。あちゃちゃちゃ!いきなり気象ごと切り替わんのかよ!?」
ボヤきながら服を脱ぐ。チャルナは元々ワンピースという涼しげな格好なので大差無い。
見ればそこかしこで同じような光景が繰り広げられていた。
「わはは。これが夏の大陸の気温だ。これからはこの暑さに慣れなきゃな。さもなきゃ倒れてぽっくりだ」
「そういえば、春の大陸から出たことないやつも居るのか。だったらキツイだろうな」
熱中症を知っているかどうかも怪しい。
春の大陸の『渡り鳥』が滅多に帰ってこない一因がこれかもしれないな。
「ま、そんでもこれでようやく夏の大陸に近づいた、ってことか」
「はあーっはっは。前向きなのはいいことだ。あと半分、てとこだな」
船長は俺の言葉の何がおかしかったのだろうか。
豪快に笑い飛ばした。
……夏の大陸に来たせいか。なんとなく船長の暑苦しさが増したような気がして、その油で光る笑顔から目を逸らした。
―
位置的にはここは夏の大陸の北東になるらしい。
空に視線を向ければ入道雲のような大きな雲が増えたような気がする。
釣りをしている人に話を聞けば、妙にカラフルな魚が釣れるとか。見せてもらうと熱帯魚のような魚が魚籠の中に蠢いていた。
気候も生息する生き物も完全に向こうとこちらが別なことを示している。
ダメ押しとばかりに出てくるのは――
「いくらなんでもデカすぎんだろ!チャルナそっちの刺付いたやつ先に仕留めろ!」
「うにゃッ!」
春の大陸の海域でも見なかった獰猛な海の幸、もとい魔物だった。
紫色のタコっぽい触手に剣を突き立てる。その間にチャルナは空中を滑るように近づいてくるハリセンボンに双剣を投げつけていた。
どちらも大きさは成人男性並だ。
「わはは!やるじゃねぇか!こっちも負けてられんなぁ!野郎ども!気合入れてかかれ!」
「「「ウス!」」」
巨大なモリを手にした船長に激を入れられて、水夫達も各々の武器で攻撃する。
甲板に魔物が出てくるのはこれが初めてではない。
だがその頻度が多くなっていた。
「エビフライッ!」
海老、というかロブスターっぽい魔物の首を切り落とす。
「いか飯ぃ!」
その間に飛んでくる槍イカの魔物を捌く。
ついでにワタを抜いておいた。
「カニ味噌ぉ!」
返す刀で蟹甲殻の魔物を両断した。
ちゃんと足とハサミも解体しておく。
「たこ焼きィ!だがテメェはダメだ!」
紫色した触手を魔法で焼いて追い払う。
「……ボウズ、気合入れんのはいいがそれちょっと辞めてくんねぇか?腹減ってくるわ」
「聞こえねぇなぁ!」
そうこうしているウチに粗方片付いたようで剣戟の音も次第に聞こえなくなっていった。
床に突き立って動けないイカの魔物に止めを刺しつつ捌いていると、後ろから食材を求めて出てきたコック達の声が聞こえて来る。
「戦いながら良くもここまで綺麗に捌けるもんだ。見ろ。こいつなんてこのまま鍋にブチ込めらァ」
「チーフ。こっちワタ抜いて三枚におろしてありますよ。というかまだ生きてます」
「何もんだあの小僧……」
得体のしれない物を見る目が後頭部に突き刺さっている気がするが気にしない。
こっちはひとり大食いがいるんだ。遠慮してられん。
「マスターマスター!これお願い!」
「随分デカイ魚だなオイ。あんまり食い過ぎんなよ」
チャルナが持ってきた一抱えほどの怪魚を魔法でそのまま焼く。味付けは塩のみ。
最近のこいつはよく飯を喰う。毎食ごとに欠食児童か、というほどの勢いでかっ込むので食費が大変なことになっていた。
そこに来ての魔物の襲来は俺にとって好都合だった。
他の食材たちはススメのアイテムボックスに収納しておいた。
「にゃうッ!がうッがうッ!」
「……丸かじりはやめろ」
女の子としてどうなんだ、という感じで先程の怪魚にかぶりつくのを見ながらひとつため息をつく。
カラフルな怪魚の死骸と晴れ渡った空の白のコントラストが眩しい。
こんなことで夏を感じたくは無かったなぁ……。