黒の大剣
「ダリア・・・・!?あの『血濡れの黒華』!?」
眼前のミゼルは驚愕に目を見開いている。
こちらは体中血だらけで満身創痍と呼ぶにふさわしい有様なのに、傷一つないミゼルの方が死にかけているかのように顔色が悪い。
俺はゾンビのような足取りでミゼルに向かって歩く。こちらの戦力は俺ひとり。しかも全身ボロボロだ。
あちらは戦闘訓練を施された他国の軍隊。10人ほどの前衛が残っている上に、魔法部隊が森に潜んでいる。普通ならどう考えても勝てる見込みなどない。
だが俺は負ける気がしなかった。
狼狽するそのツラに、拳を叩き込むために笑いながら一歩一歩進んでいく。
「武家の・・・しかも『息子』がなぜあれほどの魔力を放てるの・・・!?ありえない!ありえないわよ!――――魔法隊!最大級の攻撃を放ちなさい!」
「し、しかし隊長!そんなことをすればこの辺一帯焼けちまいますぜ!?」
「いいから早くしなさい!そんなことを言っている余裕なんかないわ!アレを見たでしょう!?アイツはバケモノなのよ!早くしないと全滅するわ!」
「へ、へいッ!魔法隊は儀式魔法の構築!お前らは早く退避しろ!巻き込まれんぞ!」
ザワザワと広場にいる兵士が引き上げていく。
人質は俺から離れた場所にいるため、角度を調節すれば当たらないと判断したのかその場に残したままだ。
さっきの魔法弾が役に立たない以上、それを超える威力の魔法をぶつけて俺を殺す気なのだろう。『儀式魔法』とは本来二人組の魔法ツガイを何組も用意して放つ巨大な魔法だ。
先程の魔法弾を並列回路とするならば、『儀式魔法』は直列回路。
魔法ツガイたちの力を束ね、繋ぎ、ただひとつの魔法として放つ戦略級の魔法だ。
木々が魔法陣の光で照らされ、森で急激に魔力が高まっていくのが分かる。
「―――――――気に食わねぇな!」
あえて傲慢に言い放つ。
俺を突き動かしてきたのはいつだって怒りの感情だった。
理不尽なものに怒り、己の無力に怒り。
「たかだかその程度の『理不尽』で俺を止められると思っているのが気に食わねぇ!」
そうやって俺はこの世界に生きてきた。
ならば。
これから放つ魔法もその怒りのままに振りかざそう。
「『輝きの白球』!」
森から辺りを眩く照らす巨大な魔法弾が浮かぶ。空に浮かぶ白く光り輝く巨大な魔法弾。その大きさは20メートルを超えている。まるでビルがそのまま倒れてくるような迫力がある。
これが直撃すればここは焼け野原になり、俺の体は文字通り塵ほども残らないだろう。
「死になさいユージーンッ!私の誘いを蹴ったことを後悔しながら消えていくがいいわッ!」
ミゼルが勝ち誇った顔で叫ぶ。
巨弾が俺に向かって落ちてくる。
白く塗りつぶされた視界の中、それに対して俺は手をかざした。
詠唱は必要ない。
アレは魔法ではないのだから。
――ザザザザザザッ!
俺が地球でのことを思い出そうとするといつもの耳鳴りが聞こえて来る。
同時に湧き上がるなんとも言い難い不快感。それに伴う感情。
トラウマを活用しようとした時はこれに抗い、制御しようとしていた。
今なら分かる。
あの方法は間違いだ。
心を飲み込まんと迫る激情に抵抗することなく身を委ねた。
頭の中が憤怒と憎悪に満たされていく。同時にそれに呼応して魔力が吹き荒れる。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
かざした手の平に魔法陣が現れる。
俺はその魔方陣にまったく制御していない魔力の流れを注ぎ込んだ!
――――ビシッ!パキャァァァァァァアンッ!
先程のように魔法陣が壊れ、膨大な黒い魔力の流れが白球を押しとどめる。
白と黒。
ふたつの巨大な魔法が広場の上空で激突する。
「止めた!?――――いいえ!まだよ!魔法隊!出力を上げなさい!」
ミゼルの命令と共に白球にさらなる魔力が注ぎ込まれる。
それまで拮抗していた力のバランスが崩れて、『黒』を引き裂きながら『白』が迫る。
黒い魔力の奔流の正体は魔力暴走をも超える密度の魔力が、魔方陣(の残骸)という『門』を通じて現れているという、ただそれだけの物だ。その密度が度を越して濃いので絶大な威力を持ってはいるが。
同じ密度の上に指向性を与えられた儀式魔法ならこの暴力的で原始的な魔力を突破することは容易い・・・わけではないが不可能ではない。
――――このままじゃマズい・・・ッ!
少しずつ『黒』を割り裂きながら進んでくる『輝きの白球』。
魔力が熱として顕現しているのか、肌がチリチリと焼けていく感覚がある。
俺の魔力と向こうの魔法。何が差になっているのかを考えれば答えは簡単だ。
魔法陣を通して増幅や調整を行っていること。
俺の方法は無駄が多い。漲る魔力をそのまま撃ち出しているだけだ。これは例えるなら蛇口を押さえて水を四方八方に飛ばしているのに等しい。
向こうはしっかりと圧力をかけて方向性を定めている水圧洗浄機。
だがそれでも最初は押しとどめていたんだ。勝機はある。
こっちも形を与えればいい。魔法として利用するには難しいが形を整えるだけならできる。
思考を乱すトラウマに難儀しながらその『形』をイメージしていく。
「細く・・・薄く・・・・鋭く・・・・ッ!形を成せッ!『収斂!!』」
言葉と共に手のひらの魔法陣を握り潰した!
それまで無秩序だった魔力の流れが一筋にまとまっていく。
やがてそれは巨大な剣のように形を成して眼前の白球に突き刺さっていく。
白く照らされた世界を一筋の黒が二つに分ける。
「そんなッ!?」
白く照らされたミゼルの顔が見える。あいつのように他人を、いや、俺を利用しようとする奴が憎くてたまらない。
あんな奴に殺されるのはもうゴメンだ。
生まれ変わってもこいつらのようなクソッタレに殺されてやるつもりはねぇ!
俺は英雄になってこの世界を楽しんでやるんだ!!
「―――――――ッ薙ぎ払ええええええええええええええええッ!」
剣に乗せるのは憤怒、憎悪。
感情で魔力が生まれるというのならば魔法は『想い』の表れでもある。
底知れぬ激情を秘めた『黒の大剣』を叫びと共に―――――振り下ろす!
バチッ!バジジジジジジジジジジジジジジッ!
激突。
衝撃が大地を揺らし、無数のヒビが刻まれる。
電気のような音をたてて『黒』が『白』を侵食していく。
理屈はわからないが俺の魔力は他者の魔力を、『想い』を塗り潰すことができるようだ。
「そのまま全部ッ!怒りに染まれええええええええええッ!」
白と黒の斑になった儀式魔法を漆黒の奔流が切り裂いていく。
そして――――
――――― 一瞬の閃光。
過ぎ去ったあとに残されたのは、ふたつに割られ空気に溶けていく『輝きの白球』。
それと大地に深々と刻まれた剣閃の傷跡だった。
「そ、んな・・・・。」
ミゼルがその場にへたり込みながら呟くのが見える。
何もない広場だった場所は魔法の影響でひどく荒れていた。ある場所では土が捲り返り、またある場所では深々と『切り裂かれた』跡が残っている。死体が無数に転がり血糊が大地を汚している。大規模な魔力の衝突があったところは地面の一部が焦げ、ひび割れていた。
そんな混沌とした広場の中心で呆然と膝をついている姿は酷く滑稽だった。
「へッ・・・。ざまあ・・・みろ・・・。」
俺の方も無傷ではない。
元々戦闘の傷でズタボロだった上に魔力を限界まで行使したのだ。無事に済むわけがない。魔力の大元は生命力だ。それを常人に倍する量を使っている。
半分死体のような有様で地面にうつ伏せに倒れこんだ。
それでも。
俺はおかしくてしょうがなかった。
あれほど高慢に振舞っていた奴がうちひしがれているのだ。ご自慢の兵隊は魔力を放出しきったのか追撃はない。前衛の連中は恐れをなしたのか森から出てこない。
広場にポツンと独りきりでいるミゼルの姿はまさに敗軍の将のそれだ。
「あっはっはっはっはっは・・・・・!ざまあねぇなぁ。みっともねぇ顔になっちまってまぁ・・・。そっちの方が美人に見えるぜ?」
笑うたびに体の芯が痛むが構いやしない。
なんというか・・・・気持ちを吐き出してスッキリした。それと前世の恨みを、その原因になった奴らと同種の人間にぶつけられたことで代理の復讐を成し遂げたような気分だった。
「ユージーン・・ッ!お前が・・・・!お前が居たから・・・・ッ!」
ミゼルが怨嗟の声を上げながらこちらに向かってくる。
途中で死体からナイフを抜いてきた。その目は血走り血涙を流さんばかりに見開かれている。地面は荒れに荒れているのでフラフラと幽鬼のように歩み寄ってきた。
せっかく魔法戦にも勝ってようやく生きて帰れる道筋が見えたんだ。このままむざむざやられてたまるか。
痛みをこらえて立ち上がる。
「そのお綺麗な顔を一発殴ってさらに美人にして差し上げますよ?」
「うるさい・・!うるさいッ!!黙って死ねえええええええッ!」
「はッ!上と―――うッ?」
あ、れ・・・?
目の前に突然壁が現れた。
茶色の壁だ。
鬼気迫るミゼルの表情は見えない。
いや、違う。
これは・・・・地面だ。首を巡らせればミゼルの赤い靴がある。
――――そうか。
俺の体は動けなくなるくらいまで限界を突破して働いていたのか。
今の今まで持っていたことが不思議なくらいだ。
目の前にある茶色の大地に赤が混じる。
生命活動に支障が出るレベルの量を出血しているのか、手足の感覚がなくなってきた。
―――――死ぬ、のか・・?
冗談じゃねぇ!
ようやく力を手に入れたんだ!これからなんだよ!
こんな所で死んでたまるか!
ピチャ・・・・
意識は段々と薄れていく。
心を占める怒りも憎しみもはっきりと感じているというのに視界が狭まり、景色が暗くなっていく。
ピチャ・・・ピチャ・・・。
水の鳴る音に辛うじて視線を上げるとミゼルが俺の血溜まりの上に立っていた。その手には鈍く光るナイフ。
勝負に勝って試合に負けた、とでも言うような状態だった。こいつは作戦を失敗したが、代わりに俺は死ぬ。
今更こいつは俺を生かすことを良しとはしないだろう。その鬱憤を俺を刺すことで晴らそうとするはずだ。
俺がここで命乞いでもすればこいつは嬉々としてナイフを振り下ろすだろう。
ならば最期の瞬間まで俺は抗おう。血だまりの中を這って赤い靴に噛み付く。最期の最後までスキルの恩恵があったのか、砂利の味を感じると共に革のなかの柔らかい何かを噛み切った感触がある。
俺の耳はもはや音を伝えていないのか何も聞こえない。せめて憎しみに染まった目で相手を睨みつける。
血が足らないのか、既に視界は真っ暗だった。それでも顔があるとおぼしき場所を睨む。
薄暗がりの中で真っ赤な女が腕を振り上げるのが見えて―――――
それきり俺は意識を失った。