マスター
結局その場で誤解を解いた。
チャルナが持っていたのは動物を人化させる首飾りだということ。それを着けるのを嫌がったこと。押さえつけて首にかけたところでエミリアが来たこと。すべてを話して俺が襲いかかったというのは誤解だと理解してくれた。何人か疑問を持ったやつはいたようだが、目の前で変身されると何も言えなくなったらしい。
「しかし、あんたよくそんなもの持ってたわね?古代遺物なのそれ?」
「いや、これには魔法陣がない。厳密には古代遺物ではないんだけど、作動原理がよくわからないんだよな。」
古代遺物は魔方陣を刻んだものだ。それによって魔方陣を構築する手間を省き、補助である詠唱を無くせる。だがこいつには魔方陣自体がない。けれども古代遺物のような効果がある。よくわからない代物だった。
「・・・よくそんなのチャーちゃんに使えるわね。」
「使えるか使えないかは実際にやってみないとわからないだろ。危険はなさそうだと判断したからこそチャルナに使ったんだよ。」
「―――――ねぇマスター、これ外しちゃダメー?」
「ダメだ。」
うにゃう、と呟く目の前のチャルナを見る。
髪は黒く、長さは肩のあたりまで伸びていて、毛先の方は少しウェーブがかかっている。顔立ちは整っているほうだろうな。スっと通った鼻筋。黒い大きな瞳。髪や目とは反対に白いきめ細やかな肌。頬の丸みを帯びたラインがまだ幼さを感じさせる。身長は7歳児の俺より少し高い。体は細いが健康的な印象がある。たぶん筋肉が引き締まっているからだ。
コロコロ変わる表情も今は不機嫌そうに眉を寄せ、首元の『変化の輝石』をいじっている。
その頭を見ると人にはない部分があった。ネコの耳。変身前のように片耳の先端が欠けてはいるが、それは紛れもなくネコの耳だった。シッポもあるのか黒い毛の塊が後ろでひらひらと揺れている。シッポと耳以外は普通の人と見た目は同じだ。この世界には体のどこかに獣の特徴を持つ『獣人』という種族がいるが、今のチャルナはそれにそっくりらしい。
最も、獣人が『獣の特徴を持つ人』なら、チャルナは『人になった獣』なので『人獣』とでも言えば区別がつくだろう。俺以外には意味のないことだから、普通に獣人のくくりでいくが。
ちなみに今は食堂に俺、チャイナ(人化)、エミリアしかいない。誤解を解いたあと、集まった奴らに向けて言ったことが原因だった。
『で、だ。随分と好き勝手言ってくれたじゃねぇか。誰が見た目通りのクソガキで、親の教育が悪くて、チビで目つき悪くてハゲで水虫だって?』
『え、こ、後半言ってな―――――』
『誤解だったとはいえクソガキにそんなことほざいたんだ。どうなるか分かってるよな・・?くくく。』
俺が拳銃型魔道具を取り出して手近にあった椅子を打ち抜くと、途端に連中は青ざめる。そして我先に出入り口にと走り出し、結果、3人しか残らなかった。面白がって逃げた連中を追いかけようとした俺と、その首根っこを掴んで引き止めたエミリア、事態が分かっていないネコの状態のチャルナだ。
とりあえずもう一度事情を本人から聞こうと、再びチャルナに輝石を身につけさせた。その変身を見ていたエミリアが発したのが冒頭のセリフだ。
「あんたこのイスどうすんのよ。あーあ。こんなことになっちゃって。」
「人を強姦魔扱いしてこれで済んだんだ。むしろ安くついただろ。」
「あー・・・。ごめんてば。ホントに悪かったと思ってるわよ。」
「襲われないだけ感謝しろ。」
「はいはいありがと。そんでその黒いのも見たことないわね。それも貰い物?なんか出してたけど。」
「護身用の武器だ。これは俺が作った物で古代遺物じゃねーよ。」
古代遺物はものすごく高価らしいので一応牽制しておく。そう、と呟いて掃除に戻るエミリアの様子を見るに心配はなさそうだが、いつ誰が裏切るとは限らない。こいつから誰かに情報が漏れることもある。用心しておくに越したことはない。
エミリアとの問答はさておいて、未だに不満そうにテーブルに座って足をブラブラしているチャルナに声をかけた。
「それでチャルナ。なんでそんなに嫌そうなんだ。」
「だってマスター、これなんかヤなカンジするー。」
「そんな理由か。そうか・・。そんな理由のために俺は振り回されたのか・・。」
「うにゃ?マスター疲れたー?なら・・・。」
コイツのために払った労力(ぶりっ子、追跡劇)を思い出してため息をつくと、何を思ったのかチャルナが俺の手を取り舐め始めた。暖かく湿った感触とともに柔らかい舌が押し付けられる。
「ッ!・・・なにしてるんだ?」
「らってまひゅたー、ちゅぱ、このみゃえは、んぐ、こうひたりゃ、れろ、げんきれたよ?」
指先にざらついた感触が走り、赤い舌先がチラチラと俺の指の向こうに見え隠れする。努めて冷静に問いかけると聞き取りにくい返答が返ってきた。
意訳すると『この前は舐めたら元気出た』ということだろうか。
女の子に舐められて元気に。どう・・いう・・。舐められ・・・。
・・・・・。
・・・・・・・。
・・・・ッ!
あれか!あの路地裏の時の!変な意味ではなくて安心したが、それでもある意味自分の弱い部分を見せたのだ。恥ずかしくないわけではない。
今の状況と相まって、顔が熱くなるのが自分でもわかった。と、そこでエミリアが指を舐め続けるチャルナに気づいた。
「あー!?あんたたち、な、何してるのよ!?」
「あー、なんでもない。気にすんな。」
「メチャクチャ顔赤くしてなに言ってんの!ほら、離れなさいチャーちゃん!」
「んぱぁ。」
引き離されたチャルナと俺の指の間に、銀色の架け橋ができる。エミリアは真っ赤になってツバを千切ると、布巾でゴシゴシと俺の指を拭き始めた。
「もう!こんな小さな子になに教えてんの!?」
「こいつが自分でやったことだ。俺は関与していない。」
「マスター、なんで真っ赤になってそわそわしてるのー?」
「そんなことはないしあったとしても気にするななんでもない。」
少し早口になって一気に言い切る。動揺している自覚はあるがこの状況じゃ仕方ない。早く話題を変えなくては。
「その『マスター』ってのはなんだ?」
「え?だって犬のオジちゃんがそう呼べ、って。」
犬のオジちゃん・・・クロか?あいつは何を教えてるんだ?屋敷にいたとき、たまに一緒に遊んでいたのは知っていた。
「他にはなにか言っていたか?」
「えとね、マスターのことを『坊ちゃん』って呼んでたよ。あとおっきな人のこと『お館様』って。」
おっきな、お館様・・・。ドルフのことか。
「あとね、オジちゃんのマスターのことを『女王さま』って。」
・・・ユーミィーのこと、か?契約者だから敬意を持つのはわかるが行き過ぎだろう。あいつらの間に何があった。嫌な予感しかしねぇ。
「そうか。しかしマスターってのはなんか大仰だな。」
「マスターは、マスターだよ?」
・・・もういいか。なんか無性に疲れた。これから行くところもあるのにもう動きたくなくなってしまう。
「わかった。もうそれでいい。俺の名前はユージーンだ。呼ぶときはマスターでいいが覚えておけ。それでお前の名前はチャルナ。わかるか?」
「うにゃ。わかるよマスター!」
「そうか。」
ネコの時から言葉を理解していたのだ。今更このくらいわかるか。得意げに手を挙げるチャルナの頭を撫でる。サラサラした絹糸のような質感が手のひらに感じられる。
お?このネコ耳の部分だけ感触が違う。これは・・・ネコの時の感触と同じだ。妙にクセになるんだよな。ついでに喉の下を指でくすぐる。この部分は普通に人肌の感触だな。チャルナも気持ちよさそうにされるがままになっていた。
その後、部屋に服があることをエミリアに告げ、着方を教えてやってくれ、と頼んだ。玄関で2人を待っていると、階段の方から軽やかな足音が聞こえてきた。視線を向けると、ワンピースに着替えたチャルナと、エミリアが降りてくるところだった。黒髪に白いワンピースがよく映える。ぱっと見ると貴族の可憐な令嬢だが、その令嬢はパタパタと走って外に出ていってしまった。白いワンピースの背中、腰のあたりに巨大化したピンクのリボンが揺れている。アレはネコの時に着けていたものが大きくなったものらしい。そうするとあいつは変身すると全裸に腹リボン、というマニアックな格好になるわけだが・・・。いや、やめておこう。突っ込むとどうやっても俺に返ってくる気がする。
とりあえず一緒に降りてきたエミリアに声をかけた。
「できたか。すまんな、こんなことまでさせて。」
「いいわよ別に。あんたに着替え手伝わせるわけにはいかないもの。」
「あんなガキに欲情するか。」
「あんたもガキでしょうが!」
そうだった。すっかり忘れていた。
しかしなんだってこいつはこんなに顔を赤くしているんだ?怪訝な視線を向けるとうつむきがちだった顔をバッと上げて意を決したように口を開いた。
「あ、あんた、この子に下着、着せないつもり!?」
「ッ!?」
そういえばそっちの事もすっかり忘れていた。服ばかり気にしていたせいでそこまで気が回らなかったんだ。決してわざとではない。
チャルナを見る。今のチャルナは飛んできた蝶を追いかけてピョンピョン飛び跳ねていた。その動きでヒラヒラ揺れているあの布の下は―――――
「見ちゃダメ!」
「げぅっ!?」
首の方向をいきなり90度回されてグキっと音がした。イテテ。こいつ容赦ねぇな。俺はため息をつきながら首の位置を戻した。
「はぁ。しょうがない。買いに行くか。」
「ちゃんと普通のを買うんでしょうね!?履かせないでおくとかもダメよ!」
「わざと買わなかったわけじゃねぇよ!というか俺が下着買えるか!」
結局、エミリアとチャルナの2人に買いに行かせた。エミリアには仕事を放って行かせたわけだが、これも先ほどの誤解の代わりに、ということで納得させた。チャルナは俺がいないと暴れないか不安だったが、近くの屋台の焼き鳥を食わせておとなしくさせた。まだ不満そうだったが。ちなみにチャルナが活動しやすいように、冒険者の服もついでに頼んでおいた。
俺がついていくわけにもいかないので宿に留まり、拳銃型魔道具に速度上昇の魔法陣を彫っていた。
筒先に、というか銃口の周り部分に彫りながら、コイツの名前を結局決めていないのに気がつく。いつまでも『拳銃型魔道具』などと言ってはいられない。
「拳銃。ナンブ。ガン。うーん、なんかいいやつないかな?」
適当にコイツを意味するものを呟くがピンとくる名前はない。黒・・はもうクロとチャルナで使っているからダメだ。というか我ながら適当につけたものだ。
他に特徴・・・というと。魔法か。
「魔法、マジカル・ガン、違うな。魔法弾、マジカル・シューター。いかんマジカルから離れなければ。」
自分のセンスが残念過ぎるのがよくわかる。
「魔法弾、魔弾、んー。そういえば『魔弾の射手』とかいう話があったな。ドイツの話だったか。」
悪魔と契約して魔法少女に、ではなく悪魔と契約して望んだところに当たる魔法の弾を手に入れる話。ちなみに魔弾は『悪魔の弾』の略だし、契約したのは男だ。
7発の内、6発は使用者の意に沿って、最後の1発だけは悪魔の意に沿う、というお話だった、かな。いやアレはオペラの話か?元は民間伝承で、別の話があるのだったか。
「そうだな。たしか『意のままに命中する弾』って意味で『フライクーゲル』って言葉があったな。」
むやみにカッコイイのがドイツ語クォリティー。俺は拳銃型魔道具に『フライクーゲル』という名前をつけた。一応銃身にも彫っておく。1発外れる話から名前をとるとか、縁起悪い気がするが語感的に気に入った。
ちょうど、速度上昇の魔方陣を彫り終わったので、ようやく完成したと言える。
完成したフライクーゲルを夕日にかざす。
無骨な鉄の塊が赤い日の光を反射した。