幕間:シェルビー視点
―――――シェルビー視点――――――
その子は奇妙な少年だった。
大人である私に、敬語を使う事もない。あくまで自然に接してくる。そこは珍しいことではない。ダリア家以外にも貴族と商売したことはあるし、その子供相手に商売することは何度もあった。周りの大きな大人がペコペコ頭を下げるのだ。自分が偉いと思って増長する子供はいくらでもいたし、この目で見もした。それは対応を間違えなければ、商品をいい値段で惜しみなく買ってくれる上客になった。尊大な態度に合わせてこちらも下手に出れば、面白いように売れる。
この子もそんな貴族の子供のひとりの、はずだった。
だが違う。この子は何かが根本的に違う。
増長から来る生意気な態度でもなく、己を大きく見せようとする自尊心でもない。
頭はいい。こちらの言ったことを理解し、反応し、応用する。これがもうすぐ7歳になる子供の理解力とは到底思えないほどだ。おそらく私とダリア家の関係も正確に理解しているだろう。なるほど、名門と誉れ高い、王都のあの学校に行こうというのもうなずける。
だというのにこちらの言うことを聞かないことは何度もあった。
子供らしく、貴族らしく、食事の質を上げろだの、暇だから芸をしろだのいうわけではない。そういった意味では文句も言わず従った。
彼が従わないのは、決まって彼が好奇心を刺激された時だ。
そんな時彼はいつも不遜な、そう『生意気』ではなく『不遜』と表するにふさわしい態度と言葉をとる。
ダリア領を抜けて何日か進んだ日の夜だった。森に接する一本道で馬車を道の脇に停め、食事をしているとどこからか木をへし折る乾いた音が響いた。
音の出どころを探すと、森との堺で何かが動いている。目を凝らすと人よりも大きな影がのっそりと森から這い出てくるところだった。それの正体に思い至った瞬間、体が緊張に強ばった。
「月光青熊!?まずいッ!早く逃げないと!」
その熊は名前の通り、月光のような淡い青色の毛皮を持つ魔獣だ。儚げな印象とは裏腹に、その毛皮は固く、剣も用意に跳ね返すという。この近くでは灰色狼の群れと同様に恐れられる存在だ。森ではその毛皮が保護色となって容易には見つからず、気づいた時には馬のような突進力で持って接近され、その鋭い爪で周囲の木ごと切り裂かれるという。
私たちがしていた食事の匂いに誘われたのだろう。こちらに注意を向けている。
馬車に乗ればなんとか逃げきれるはずだ。急いで逃げようとするが、ユージーンは熊に視線を向けたまま動かない。恐怖ですくんでいるのか、と思ったが、その口元は笑みの形に歪んでいた。その笑みを見てこちらこそ恐怖に体が絡め取られる。
いったいなにがおかしいのか。大人でも腰が引けるような魔獣を相手に、たった7歳の子が何を笑う?
あれの脅威を理解していない訳が無い。あの賢い子が。
しかし見間違いではないことを示すように徐々に笑みは深くなる。
その姿からはいささかの恐怖も見られず、それはそう、まるで逆に獲物を見つけたような――――
「シェルビー!」
「は、はいッ!」
いけない何を惚けているのか。今、私がすることはこの場から一刻も早く逃げることだ。頭を振って正気を取り戻す。その間にも熊は近づいてくる。焦りながら手をとって馬車に向かおうとした。
しかし、それを無駄にする一言がユージーンの口から発せられる。
「退いてろ邪魔だッ!むしろ今すぐ鍋の準備して待ってろ熊鍋だコラああああああああああッ!!」
「え、ちょッ、待て!無茶だッ!!」
嬉々として熊に向かうユージーン。興奮で言葉が怪しくなっているが、私だって焦りで敬語を忘れている。振り払われた手を伸ばすが既に届かないところまで走っていた。
ナイトライトベアは通常、冒険者が何人もいてようやく倒せる魔獣だ。村に襲いかかって全滅させたなんて話もある。間違ってもあの年の子が単独で向かって勝てる相手ではない。瞬時に引き裂かれて絶命する。
貴族の息子を死なせた、とあっては商人としては致命的な評判だ。それもあのダリア公爵家の息子を。問題児として名高いユージーンを乗せるのはもとより乗り気ではなかったのだ。こんなことになるならやっぱり乗せるべきではなかった。
そんな後悔をよそにユージーンは足を止めた。ナイトライトベアの方は咆哮を上げながら馬並みの勢いで近づいてくる。大きなその影に対してユージーンの姿はあまりにも小さく、頼りない。彼から見たら家屋並のものが襲いかかってくるように見えるはずだ。
なのに何故だ?何故、彼はあんなに堂々と立っていられる?何故、あれをただの獲物として見ていられる?
こちらからユージーンの表情は見えない。だが彼は今もあの獰猛な笑みを浮かべているような気がした。
ユージーンは懐から黒い金属の塊を2つ取り出した。そしてそれをそれぞれの手に構え、熊に向ける。ここからでは暗くてそれがなんなのかわからない。
それがガチンッ!と音を立てると淡く光る拳大の弾が出現し、熊の顔に飛んでいきぶち当たった。いきなり顔にダメージを負った熊はその突進を止めて、頭を振っている。
あれはバレットの魔法!?詠唱もせずそんなことが・・・。もしやあれが『古代遺物』なのだろうか。普通のバレットの魔法ならナイトライトベアへダメージを負わせることなどできないはずだ。
考えている間にユージーンは走り出した。どうするつもりなのだろう?いくらバレットが通じたといっても怯ませる程度だ。倒すのにはもっと威力が必要。彼は未だに動けない熊へ近寄ると、その詠唱を口にした。
「『我と我が名と我が標 誓いによりて敵を断つ 破敵の戦斧 いざここにッ!』」「『アックス・クラフト!!』」
詠唱と共に成人男性よりも大きい、巨大な光の斧が出現し、そのまま落ちて熊の首を両断した。ドズンッ!と音が響いて首が転がる。
「・・・・はぁ!?」
私は何が起きたか分からずにしばらく惚けていた。そしてその意味するところに気づいて愕然とする。
・・・・バカな。あのサイズの武器を作るのには相当な量の魔力が必要だ。しかもそのままではただの魔力の塊。ウェポン・クラフトはできたものにさらに魔力を与えることで鋭さを増す。彼は巨大なサイズの斧を作り、さらにその上でナイトライトベアの硬さを突破するだけの鋭さを与えたことになる。いったいどれほどの魔力があればそんな芸当ができるのか。想像もつかない。
少なくとも単独で『ツガイ』並みの魔法を使えることになる。そんな存在は商人の私でも聞いたことがない。彼はいったい・・・。
「おーい。これ運ぶの手伝えー!こいつ滅茶苦茶重いー!」
「みぃー!」
「あ、ああ今行く!」
予想外のことが次々起きて、頭が処理しきれない。とにかく彼が色々な意味で常識はずれだということは理解した。
馬車をまわしながら思う。これならあの噂もあながち嘘ではないのだろう、と。