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 ――――。

 ――――……。

 ――――――………………。


 泣いている。

 啼いている。

 誰かが何処かで泣いている。

 チャルナ……?

 泣き声が書架・・で埋め尽くされた空間で反響する。

 ここはどこか、なんてことは気にならない。とにかく泣き声が耳障りでしょうがない。


 子供の泣き声は嫌いだ。

 その金切り声で己の無力を、思い通りにならない世界を、恨み、嘆き、それらを否応なく当たりに撒き散らして押し付ける。

 子供の泣き声は嫌いだ。

 ――それは……『無力』の象徴だから。


 真っ白な空間に立ち並ぶ書架の間を歩き回る。

 声の主を探して、いくつもいくつも本の列を抜けて……ようやく見つけた。黒髪の子供が、座り込んで泣いている。

 はばかる人目も無いせいで、火が着いたように泣き喚いている。

 うるさい――――と、声は出なかった。出そうとしても、空気が震えない。

 それでも不思議と意図は伝わったのか、その子供は振り返る。


 ――――とても奇妙な感覚だった。

 何処かで見た覚えがある。それどころか見覚えすらある。

 こいつは……だ。チャルナじゃない。

 まだ子供ぼくだった頃の、 上月祐次オレだ。そのはずだ。

 その相貌以上に、その表情に驚かされた。

 ――怒っていた。

 涙の一欠片も浮かべずに、激しい憤怒と憎悪にその幼い顔を歪めている。

 そのせいで、鏡の向こうに見慣れていたはずの自分の顔が、そうとは認識できなかった。ぼくはこんな顔をしていただろうか……?こんな……悪鬼のような表情を。

 子供は今も、悲しんでいるとは思えない表情で、泣き声を上げ続けている。


 ――――なんでそんな顔をしているんだ……?


 ――――……この顔しか返して貰っていないから。


 やはり声にならない思念で問いかけると、向こうからも思念で返事が飛んでくる。その間も泣き声は響き続けている。

 返してもらっていない……?

 誰に?いや、そもそも『顔』は人に返してもらうようなものじゃないだろ?


 ――――なんで泣いているんだ?


 ――――…………。


 今度の返事は無かった。

 ひどく……気持ち悪い。

 自分ではないものが、自分の顔で、自分のものではない表情をしている。

 俺はここに居るのに。

 それを真正面から見据えたら、発狂してしまいそうな気がして、吐き気がこみ上げてくる。


 ――――返して。


 ――――あ?


 ――――返して。返して。返して。返して。返して』


 子供が少しずつ近づいて来る。

 思念で繰り返される言葉はいつの間にか、空気を震わせる音として耳に届いてきた。

 わけが分からない。俺が何を返すというのか。

 これ以上は見ていられない。聞いていられない。これ以上は俺の精神が保たない。

 うずくまって亀のように縮こまる。


 泣き声と妙に平坦な『返して』という声が、書架の間に響き渡る。そしてそれはだんだん大きくなってきた。


 ――――うわああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!

 ――――返して。返して。返して。返して。返して返して返して返して返して返して返して返してッ!!返せッ!返せ返せ返せ返せ返せ返せッ!!


 ――――うわああ『返せ!』ああああああ『返せッ!』あぁぁぁぁぁん!『――を返せ!』あああああああああ『返してよ!』あぁぁぁぁぁぁぁ『――を!』あぁぁぁぁあああああ――――



 ――――――『僕』を返せぇッ!!――――――






「ッ!!!」


 喉に栓をしていた塊のような吐息を吐き出す。

 荒い息を幾度か繰り返しても、鼓動が鳴り止まない。

 頭の中と臓腑に気色の悪い何かがへばりついているような気がして、何度も嘔吐えづいた。

 ここ、は……?

 気づけば俺は書架の間ではなく、ベットの上で寝かしつけられていた。先程の子供ぼくの姿はなく、室内には誰もいない。

 …………夢、か……。胸糞悪いモノを見てしまった。訳も分からねぇしモヤモヤする。

 ……?

 そういえば……俺はなんでここに寝ているんだ?

 いつも使っている部屋の中のようだが……。


「……取り敢えず出てみるか。誰かいるだ、ろ……?んん?」


 体を起こそうとすると、妙に左腕が重い。

 視線を向けるとチャルナが俺の腕に抱きつくような形で眠っていた。目の周りは腫れぼったく、涙の跡が残っている。


「……俺が気ぃ失って目を覚ますと、お前はいっつも泣いてるな……」


「ん……むにゅ……」


 動く右手でそれを拭ってやると、無意識にか頬を擦りつけてくる。

 また心配させちまったか……。すまん。チャルナ。

 それからしばらく、左腕に沁みるチャルナの暖かな体温を感じながら横になっていると、すぐにまた睡魔が来た。

 水淵に引き込まれるように意識が薄れていく……。




 次に目を覚ますと、話し声がすぐそばで聞こえた。


「――どうし――主人さ――――」


「ユ――ンさん――には――――の理由が――」


 ……。

 どうやら声からしてルイとレリューがベットのそばにいるようだ。これならすぐに事情が聞ける。

 ――が、先程の悪夢を見なかった代わりか、今度の眠りはかなり深かったらしい。まだ半分寝ぼけている。

 目を閉じて、ぼんやりとまどろみの中でチャルナを抱きしめる。


「何を考えて――アホご主人――」


 ん……む……。

 頬に何かが押し当てられている。柔らかくて棒状の何かが。

 なんとなく無意識にそれを咥える。


「がううぅッ!?」


「ひゃああああああああああ!?」


 しょっぱ……でもちょっとあま…………。

 妙に美味しく感じたソレを、深くまで咥えないで歯で軽く挟みながら舌で舐める。心地よい眠りから覚めたくないのでゆっくりと、力を入れないで舐ぶる。


「んん……ッ!ふああぁぁぁぁ……ッ!?」


「ど、どどッ、どうなってるんですかルイちゃん!?どんな感じですか!?」


「すごく……こそばゆいです……!舐め方がネットリしてて、生あったかくて……ッ!ううッ……!」


「れろ……ちゅる……あむ……」


「赤ちゃんみたい……」


「むぅ……いつものご主人様じゃないです……これじゃ、ほんとにただの子供です」


「ねッねッ!今度は私にやらせて欲しいです!」


「だ、ダメですッ!」


「えー?どうしてですかー?」


「えーと、それは……そのー……ご主人様が寝ぼけているだけで、もしかすると指を食いちぎられるかもしれないからです!」


「食いちぎ……ッ!?って、そんなこと言いながらルイちゃんまだ指突っ込んだままじゃないですか。私にもやらせてくださいよ」


「うー……、ちょ、ちょっとだけ、です……」


「わーい。あ、唇プルプルです。柔らかいのです」


 う、ん……?

 今度は別の何かが唇に触れる。さっきのよりも水気のあるヤツだ。

 同じように舐めると、フルフルと震える。


「ひゃー……。…………」


「……?どうしたです?」


「いや、思ってたより恥ずかしかったので……」


「レリューさま……」


 んん……?何か変だ。

 棒の途中まで舐めると、何かが口に引っかかる。薄い膜状の物が棒から横に広がっている。こいつが引っかかるのか。

 膜の方に口を寄せて、舌先でチロチロと舐めた。


「ふやぁッ!?み、水かきまで……!くすぐったいです……!」


「わざわざそっちに行くとは……ご主人様、寝てても『まにあっく』です」


「ひゃー……恥ずかしくなってきましたし、そろそろやめておきましょう」


 口の中にあったものが抜けていく。

 む……逃げる気か……。

 名残惜しいので、逃げようとする気配の大元の部分を掴んだ。


「あ、あれ?ユージーンさん、寝てますよね……?は、離してください……!」


「も、もしかして起きてた……です?怒ってるです……!?」


「……」


「……」


「あ、あのルイちゃん?助けてくれますよね……?」


「……申し訳ないですけど、レリュー様。自力で頑張って……ってレリュー様?こ、この手はなんでしょう……?」


「ちょっとずつ毛布の中に引っ張り込まれているので、ルイちゃんが引っ張ってくれることを期待しています、という信頼の証です」


「ちょっといい感じに言ってもダメです!?ルイの力じゃ、引き上げれないのです!は、離し……!」


「だってこのままじゃ、毛布の中でがっちりホールドされて舐め回されるじゃないですか……!ほらもう右手が毛布の中入っちゃいましたよ!お願いしますから助けてください!」


「無茶言わないでくださ……ああああ、引きずり込まれるですぅぅぅぅぅッ!」


「ひゃあああ!助けてくださ――」


 あむ……ウマー……。







「で、なんで俺は床で寝てたんだ?」


「さ、さぁ……?」


「なんでケーラはハンマー持ってるんだ?」


「ちょ、ちょっと大工仕事が……」


「なんでお前らベトベトに濡れてんの?」


「レリュー様の水槽の水が、こぼれたです」


「なんで、俺の首がほぼ直角に曲がってズキズキしてんの?」


「「「さ、さぁー……?」」」


 頭に衝撃を感じて、起きた直後にこのあからさまに怪しい状況なのに、俺を見舞いにきた3人は知らないという。

 どう考えてもなにか隠しているのだが、触れられたくないならそっとしておくか。


「うぅ……すごかったです……」


「チャルナさんは毎夜こんな激しいことを……」


「だからユージーン、寝てなかったのかもね。これを知られたく無いから……」


「なんの話だ?」


「ひッ!?なんでもないですよ……?」


「…………」


 俺の寝ている間に何があったんだ。

 いや、そうだよ。そもそもなんで俺は寝てたんだ?

 その疑問を投げかけると、あからさまにホッとしたあと、これまでのことを話してくれた。


「睡眠不足か……」


「アタシが仕事行く時、ずっと起きてると思ったら寝てなかったんだねー」


「なんで寝てないですか。ご主人様はアホです?」


 酷い言われようだが、さりとてなんと説明していいやら。

 スキルの【剣豪の系譜】にある、『身体機能上昇(大)』。

 これの効果で寝ていなくとも支障がなくなった。……と思っていたのだが。どうやら勘違いだったらしい。

 最後にゆっくりと寝たのは、チャルナと仲直りした日くらいなので……ひと月ほど寝ていなかった計算になる。

 その間、夜に何をしていたかと言うと……スパイどもの動向に目を光らせたり、エルフの村長から貰った本の解読だったり、色々とやることが山積みだったわけだ。俺とて何もせずに英雄召喚からここまで来ていたのではない。


 やることがあった、ということ以上に、警戒していた、というのもある。

 ここには世界各国の王族がいる。そのなかで寝るなんて、暗殺してくれと言っているようなものだ。


「……まぁ、ちと色々とな」


「「「…………」」」


 ん?なんだ?ルイたちが視線を見合わせて、後ろを向いて相談し始めた。

 『こなみさんの言っていた通り……』とか『やっぱりひとりで処理……』だとか聞こえて来る。ちょっと悲鳴のようなものも混じっていたが……はて?


「結論が出たです」


「ん?ああ。なんの話かしらんけど」


「ご主人様は馬鹿、という話でまとまったです」


「…………意味が分からん。説明しろ」


「いやぁー、だっていくらなんでもぶっ倒れるまでひとりでスるなんてさ、ちょーっとお猿さん過ぎるかなーって」


「説明……できませんよッ!ユージーンさんの馬鹿ッ!」


「…………お前らがどうしようもなく何かを誤解しているのはよく分かった」


 ひとまず、ススメを起動して、例の村長から貰った本を取り出して、これの解読に時間がかかっていた、ということにした。

 『どちらにせよ読書バカ』とのお小言は頂いたが。


「それで、今はなんともないです?」


「もうちょい休めばな。さしあたり腹が減ったくらいか」


「ああ、それならセナさん達が栄養のある物を持ってくるらしいので、大丈夫です」


「そうか、あいつらにも迷惑かけ――――おい、ちょっと待て。『持ってくる』ってどこからだ?」


 急速に首筋に寒気が走る。

 俺が倒れてからどのくらい経ったかは知らないが、既に夜になっている空からして、十二時間近く経っている可能性が高い。

 それなのに、この場に居ない。それどころか『栄養のある物』とやらもない。

 望翠殿の中から持ってくるつもりなら、とうの昔にここにあってもおかしくない。

 ということは――


「あいつら……!外に出たのか!?」


「ちょ、ダメですってば!まだ寝ててください!」


「アホ言ってんな!あいつら、まだ外に出るには早いって言ってんのに!」


「――――護剣流『振透擊』!」


 起き上がろうとした俺の頭に、ルイの剣の柄が叩き込まれる。

 ビリビリと震えが走り、まともに姿勢を保っていられなくて再びベットに倒れ込んだ。


「ぐ……!ルイ………なんのつもりだ!」


「きゃ!?」


「る、ルイちゃん……?ちょっとやり過ぎじゃない?」


「落ち着くですよご主人様。セナ様達なら大丈夫です。それに、ご主人様が行っても足でまといになるだけです」


「んだと……!」


「いつもなら今の一撃くらい、余裕で避けているです。いくら衝撃で気絶させる技と言っても、いつものご主人様なら効かないです。…………ホントは今、あんまり余裕はないんじゃないです?」


「…………」


 確かにそうだ。まだ頭の中が重い。絶不調も良いところだ。

 だからといってここで大人しくあいつらを待ってなんていられるか。


「――信じてあげて欲しいですよ。ご主人様」


「……どういうことだ」


「大丈夫です。あれだけ頑張って鍛えていたですから、きっと無事で帰って来るですよ。その鍛錬と、セナ様達自身のことを信じてあげるですよ」


「知ったような口を……!」


「知ったようなも何も、ご主人様が何も言わないなら、ルイたちは何も分からないです。だから頑張っていたみんなしっていることから判断したです。問題ないです」


 ルイがそう言ってこちらを見てくる。

 なんなんだ、その目は。こちらのことを見透かすような、その目は。

 なにか、これまでのルイと違う。田舎から出てきたばかりの、俺が知っているルイとは。


「これ以上抵抗するようなら、もう一撃食らわせて、完全に眠らせるです」


「なら押し通るまでだ……!」


「そのコートで?」


 魔力を通して活性化させたコート型魔道具セグメントで、動かない体を無理やり動かそうとした。

 が――。

 眠気で集中できないせいか、形がまともに出来上がらず、『反発』や『硬化』なんかも発動できない。

 結果、ブルブルと震える不定形のコートで、ルイの腕を掴むのが関の山だった。


「セナ様達が重要人物、というのは分かるです。でも、ソレを言うならご主人様だってそうです。そうでなくてもご主人様には敵が多いですから、大人しく休んでるですよ」


「うるせえ!」


「しょうがないです。――――チャルナさん!」


「うにゃッ!」


「うおッ!?」


 後ろから引っ張られて、徐々に起こしていた体がベットに沈む。

 その上から暖かい何かに押し付けられて、完全に身動きがとれなくなった。


「く……ッ!チャルナか!」


「うにゃ。マスター、まだ起きちゃダメッ」


「お前も邪魔すんのか」


「まだ行きたいって言うなら…………泣くよ」


「ぐッ……!……………………。ちッ……。くそったれ……」


 どうやら本当にできることはないらしい。観念して大人しく力を抜いて寝転がる。

 それからあいつらが帰ってくるまで、動けない俺で看病ごっこが始まったのだが……、いつのまにか寝てしまった。

 起きた頃には妙にズタボロになっている瀬奈たちがいて、説教を食らわせた。

 俺がちょっと居ないとこうなるというのなら……やはり適切な休みは必要か。これからは警戒しながら軽く寝ることにしよう。


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